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台南街歩きの2日目、前篇で記録した「城隍廟」「天壇」に続き、北極殿、陳徳聚堂、開基武廟、孔子廟、臨水夫人媽廟、延平郡王祠と、市内に点在する古廟をひたすら歩きます。<br />(表紙写真は臨水夫人媽廟)

台南2010・・・③神様に見せる人形劇(2日目後篇)

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2010/05/02 - 2010/05/05

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azianokaze

azianokazeさん

台南街歩きの2日目、前篇で記録した「城隍廟」「天壇」に続き、北極殿、陳徳聚堂、開基武廟、孔子廟、臨水夫人媽廟、延平郡王祠と、市内に点在する古廟をひたすら歩きます。
(表紙写真は臨水夫人媽廟)

同行者
一人旅
一人あたり費用
10万円 - 15万円
交通手段
鉄道
航空会社
キャセイパシフィック航空
  • 天壇から少しバックして訪れたのが民権路に面した北極殿。<br />北極殿は1661年に建てられたお寺で「玄天上帝」を祀っています。

    天壇から少しバックして訪れたのが民権路に面した北極殿。
    北極殿は1661年に建てられたお寺で「玄天上帝」を祀っています。

  • “伝説によると「玄天上帝」が神様になる前は猟師のような仕事をしていた、動物の殺しすぎた事を晩年、反省して、山へ修行しに行った。途中観音菩薩が玄天上帝の決心を試したところ、玄天上帝は自分の決心を表明するために、自分の腹を割って、腸と胃を取り出し、川の水で洗う。だから、天国の神様が感動して、ついに玄天上帝が神様になった。でも、その時、取り出した胃と腸は人間界に残したままだったので、腸は蛇怪物、胃は亀怪物になって、人間界で悪さをしていた。そして、神様になった玄天上帝は天国から、人間界の二つの妖怪を倒した。だから、現在あるすべての玄天上帝仏像の両足、片方は亀、片方は蛇を踏んでる。”(「GOGO台南」http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/8812/page11.html)だそうです。<br />旅行中は全く知らず、「ふーん」って感じで眺めて終わりました。

    “伝説によると「玄天上帝」が神様になる前は猟師のような仕事をしていた、動物の殺しすぎた事を晩年、反省して、山へ修行しに行った。途中観音菩薩が玄天上帝の決心を試したところ、玄天上帝は自分の決心を表明するために、自分の腹を割って、腸と胃を取り出し、川の水で洗う。だから、天国の神様が感動して、ついに玄天上帝が神様になった。でも、その時、取り出した胃と腸は人間界に残したままだったので、腸は蛇怪物、胃は亀怪物になって、人間界で悪さをしていた。そして、神様になった玄天上帝は天国から、人間界の二つの妖怪を倒した。だから、現在あるすべての玄天上帝仏像の両足、片方は亀、片方は蛇を踏んでる。”(「GOGO台南」http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/8812/page11.html)だそうです。
    旅行中は全く知らず、「ふーん」って感じで眺めて終わりました。

  • どこの廟も同じように見える御本尊より目を引いたのは、入口近くに祀られた男女の像。<br />帰国後調べたところ“桃花女”ではないかと思います。

    どこの廟も同じように見える御本尊より目を引いたのは、入口近くに祀られた男女の像。
    帰国後調べたところ“桃花女”ではないかと思います。

  • そして男性が“周公”(写真をよく見たら、調べるまでもなく“周公”の名前が胸にありました)。<br />それで、“周公”と“桃花女”の物語は・・・というと、よくわかりません。ふたりに関連した中国語のサイトは多くあるようですので、中華文化圏では自明の話なのでしょう。

    そして男性が“周公”(写真をよく見たら、調べるまでもなく“周公”の名前が胸にありました)。
    それで、“周公”と“桃花女”の物語は・・・というと、よくわかりません。ふたりに関連した中国語のサイトは多くあるようですので、中華文化圏では自明の話なのでしょう。

  • 北極殿内部<br />

    北極殿内部

  • 散策コース案内に導かれて次に訪ねたのが陳徳聚堂。<br />1664年に建てられた、台南で最も古い祠堂とか。<br />

    散策コース案内に導かれて次に訪ねたのが陳徳聚堂。
    1664年に建てられた、台南で最も古い祠堂とか。

  • 台南で一番多い姓「陳」氏の家廟ですが、私が訪ねたときは参拝客は誰もおらず、ひっそりとしていました。<br />

    台南で一番多い姓「陳」氏の家廟ですが、私が訪ねたときは参拝客は誰もおらず、ひっそりとしていました。

  • 建物の片隅に管理人風のおじいさんとおばさんがいて、私がぼんやり内部を眺めていると、そのおじいさんがパンフレットを片手に近寄ってきました。<br />そして片言の日本語で「参考に」とパンフレットを手渡してくれました。<br />写真は壁に描かれた絵のひとつ。<br />

    建物の片隅に管理人風のおじいさんとおばさんがいて、私がぼんやり内部を眺めていると、そのおじいさんがパンフレットを片手に近寄ってきました。
    そして片言の日本語で「参考に」とパンフレットを手渡してくれました。
    写真は壁に描かれた絵のひとつ。

  • 陳徳聚堂から開基武廟に向かう途中、民権路付近の映画館。<br />左端は「アバター」、その隣は「Old Dogs」、ひとつおいて右端は「the Blind Side」のようです。<br />

    陳徳聚堂から開基武廟に向かう途中、民権路付近の映画館。
    左端は「アバター」、その隣は「Old Dogs」、ひとつおいて右端は「the Blind Side」のようです。

  • 開基武廟。昨日訪れた祀典武廟や大天后宮と同じ一角にあります。

    開基武廟。昨日訪れた祀典武廟や大天后宮と同じ一角にあります。

  • この廟は1669年、台湾で初めて建てられた関帝廟なので、「開基武廟」という名前が付いています。<br />開基武廟と祀典武廟は共に関羽を祭る廟ですが、面積が狭いため、一般的にはこちらが小関帝廟と呼ばれ、祀典武廟は大関帝廟と呼ばれていて、共に台南の二大関帝廟に並び称されているそうです。<br />

    この廟は1669年、台湾で初めて建てられた関帝廟なので、「開基武廟」という名前が付いています。
    開基武廟と祀典武廟は共に関羽を祭る廟ですが、面積が狭いため、一般的にはこちらが小関帝廟と呼ばれ、祀典武廟は大関帝廟と呼ばれていて、共に台南の二大関帝廟に並び称されているそうです。

  • 台湾の寺社では、若い人が熱心に祈っている姿をいつも見かけます。

    台湾の寺社では、若い人が熱心に祈っている姿をいつも見かけます。

  • 飲みかけのお茶のペットボトルを持ってお祈りか・・・と思ったら、神前の灯りに注ぐオイルでした。

    飲みかけのお茶のペットボトルを持ってお祈りか・・・と思ったら、神前の灯りに注ぐオイルでした。

  • 付近のお店で昼食。中華定番メニューの排骨飯。<br />とんかつ定食ですね。とろみのあるタレがかかったものが多いようですが。<br />60元(180円)ぐらいだったような気がします。<br />お味は・・・まずくはないですが、そんなに“おいしい!”というものでもありませんでした。

    付近のお店で昼食。中華定番メニューの排骨飯。
    とんかつ定食ですね。とろみのあるタレがかかったものが多いようですが。
    60元(180円)ぐらいだったような気がします。
    お味は・・・まずくはないですが、そんなに“おいしい!”というものでもありませんでした。

  • 昼食後は少しエリアを変えて、孔子廟へやってきました。<br />「孔子廟」は台南だけではなく、台湾各地にありますが、1665年に建てられた台南の孔子廟は台湾で最古ものです。<br />門には「全台首学」の文字が。台湾で第一の儒教の学校ということで、多くの知識人・人材を輩出した台湾における儒学発祥の地でもあります。<br />

    昼食後は少しエリアを変えて、孔子廟へやってきました。
    「孔子廟」は台南だけではなく、台湾各地にありますが、1665年に建てられた台南の孔子廟は台湾で最古ものです。
    門には「全台首学」の文字が。台湾で第一の儒教の学校ということで、多くの知識人・人材を輩出した台湾における儒学発祥の地でもあります。

  • 広い敷地内は公園風になっています。<br />

    広い敷地内は公園風になっています。

  • 敷地内の一角に立つ「文昌閣」

    敷地内の一角に立つ「文昌閣」

  • 敷地内では高校生でしょうか、美術の授業でスケッチをやっていました。<br />

    敷地内では高校生でしょうか、美術の授業でスケッチをやっていました。

  • 孔子廟の中心建築、大成殿。

    孔子廟の中心建築、大成殿。

  • 孔子廟内の建物のひとつ、以成書院。<br />【歩き方】によれば、皇太子時代の昭和天皇が訪れた際の写真があるとのことですが、カギがかかっており入れませんでした。<br />

    孔子廟内の建物のひとつ、以成書院。
    【歩き方】によれば、皇太子時代の昭和天皇が訪れた際の写真があるとのことですが、カギがかかっており入れませんでした。

  • 団体客がやってきて急に賑やかになりました。<br />中国本土からの観光客でしょうか。<br />

    団体客がやってきて急に賑やかになりました。
    中国本土からの観光客でしょうか。

  • 孔子廟の向かいには、参道にあたるような路地、府中街があります。この路地には地元観光客を相手にした雰囲気のお店が並んでいます。<br />

    孔子廟の向かいには、参道にあたるような路地、府中街があります。この路地には地元観光客を相手にした雰囲気のお店が並んでいます。

  • 府前路に面した「徳化堂」<br />地味な建物ですが、斉教龍華派のお寺です。<br />斉教は仏教の一派で、出家せず、剃髪せずに、一般の市井の俗人の生活を送り、修身すればよいとされています。

    府前路に面した「徳化堂」
    地味な建物ですが、斉教龍華派のお寺です。
    斉教は仏教の一派で、出家せず、剃髪せずに、一般の市井の俗人の生活を送り、修身すればよいとされています。

  • 信者の方々が読経の最中でした。<br />

    信者の方々が読経の最中でした。

  • 臨水夫人媽廟(りんすいふじんまびょう)<br />安産や子どもの成長守ってくれる女性の味方の神様。胎児の性別を変えれることもできるそうです。<br />

    臨水夫人媽廟(りんすいふじんまびょう)
    安産や子どもの成長守ってくれる女性の味方の神様。胎児の性別を変えれることもできるそうです。

  • 臨水夫人の本名は陳靖姑。“唐の天佑2年(905)、1月15日に、福建省福州で生まれた。陳靖姑が24歳のとき、大旱魃が生じた。懐妊中の身であったが、これを除くべく、奮然と脱胎し、祈雨の法を施して雨を降らせた”(慶応義塾アジア基層文化研究会 http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/8812/page2.html)<br />儀礼の様子などは、同研究会のサイトhttp://www.flet.keio.ac.jp/~shnomura/rinsui/rinsui01.htmlに詳しく紹介されています。

    臨水夫人の本名は陳靖姑。“唐の天佑2年(905)、1月15日に、福建省福州で生まれた。陳靖姑が24歳のとき、大旱魃が生じた。懐妊中の身であったが、これを除くべく、奮然と脱胎し、祈雨の法を施して雨を降らせた”(慶応義塾アジア基層文化研究会 http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/8812/page2.html
    儀礼の様子などは、同研究会のサイトhttp://www.flet.keio.ac.jp/~shnomura/rinsui/rinsui01.htmlに詳しく紹介されています。

  • そんな臨水夫人媽廟の向かいに、移動式人形芝居が。

    そんな臨水夫人媽廟の向かいに、移動式人形芝居が。

  • しかし周囲には見物人は一人もいません。<br />

    しかし周囲には見物人は一人もいません。

  • どうやら、廟の正面で、神様に見せているようです。<br />旅行直前に国内で見た台南を紹介したTV番組で、そんなことを放映していました。<br />もちろん、日本でも神仏への奉納イベントは大勢が集まる儀式で多々行われますが、神様だけに見せるために(もちろん人間が一緒に見るのは差し支えありませんが)誰もいないところで演じられるイベントというのは、なにやら奥ゆかしいものがあります。

    どうやら、廟の正面で、神様に見せているようです。
    旅行直前に国内で見た台南を紹介したTV番組で、そんなことを放映していました。
    もちろん、日本でも神仏への奉納イベントは大勢が集まる儀式で多々行われますが、神様だけに見せるために(もちろん人間が一緒に見るのは差し支えありませんが)誰もいないところで演じられるイベントというのは、なにやら奥ゆかしいものがあります。

  • 臨水夫人媽廟のすぐ隣にある延平郡王祠(えんぺいぐんおうし)。<br />開山王廟(かいざんおうびょう)ともいい、台湾独自政権の祖、鄭成功を祀る祠です。<br />

    臨水夫人媽廟のすぐ隣にある延平郡王祠(えんぺいぐんおうし)。
    開山王廟(かいざんおうびょう)ともいい、台湾独自政権の祖、鄭成功を祀る祠です。

  • 周辺は広場になっています。

    周辺は広場になっています。

  • 日本統治下に入った後の1896年(明治29年)、開山王廟は鄭成功を祭神とする神社となって開山神社(かいざんじんじゃ)と改称され、翌1897年(明治30年)には県社に列格しました。日本式の拝殿は作られましたが、中国風の祠はそのまま残され、本殿とされました。第二次世界大戦終戦後、中華民国政府によって社殿が全て取り壊され、新しく中国北方式建築を模した鉄筋コンクリート製の廟が建てられ、今日に至ります。(「台湾トラベルマップ」より)

    日本統治下に入った後の1896年(明治29年)、開山王廟は鄭成功を祭神とする神社となって開山神社(かいざんじんじゃ)と改称され、翌1897年(明治30年)には県社に列格しました。日本式の拝殿は作られましたが、中国風の祠はそのまま残され、本殿とされました。第二次世界大戦終戦後、中華民国政府によって社殿が全て取り壊され、新しく中国北方式建築を模した鉄筋コンクリート製の廟が建てられ、今日に至ります。(「台湾トラベルマップ」より)

  • 鄭成功(ていせいこう)は明時代の軍人・政治家で、清に滅ぼされようとしている明を擁護し抵抗運動を続け、台湾に渡り鄭氏政権の祖となりました。俗称を国姓爺。<br />日本の平戸で父鄭芝竜と日本人の母田川松の間に生まれた鄭成功は、近松門左衛門が書いた人形浄瑠璃「国性爺合戦」のモデルです。<br />

    鄭成功(ていせいこう)は明時代の軍人・政治家で、清に滅ぼされようとしている明を擁護し抵抗運動を続け、台湾に渡り鄭氏政権の祖となりました。俗称を国姓爺。
    日本の平戸で父鄭芝竜と日本人の母田川松の間に生まれた鄭成功は、近松門左衛門が書いた人形浄瑠璃「国性爺合戦」のモデルです。

  • “鄭成功は今日では台湾人の不屈精神の支柱・象徴(開発始祖あるいは「ピルグリム・ファーザーズ」)として社会的に極めて高い地位を占めている”【ウィキペディア】とのことですが、台湾先住民からすれば、オランダ人同様の征服者・・・ということにもなるのでしょう。

    “鄭成功は今日では台湾人の不屈精神の支柱・象徴(開発始祖あるいは「ピルグリム・ファーザーズ」)として社会的に極めて高い地位を占めている”【ウィキペディア】とのことですが、台湾先住民からすれば、オランダ人同様の征服者・・・ということにもなるのでしょう。

  • 夕食。お昼と似たようなものになってしまいました。<br />ちょっと歩き疲れたこともあって、今夜は夜市見物は中止。<br />明日は安平方面に行ってみます。

    夕食。お昼と似たようなものになってしまいました。
    ちょっと歩き疲れたこともあって、今夜は夜市見物は中止。
    明日は安平方面に行ってみます。

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