2006/07/29 - 2006/08/02
701位(同エリア6434件中)
エンリケさん
ブダペストからウィーンにやってきました。
途中、列車の中でパスポートを検閲され、汽車の出入国スタンプを押してもらいました。
空路以外での出入国スタンプは初めてで記念になりました。
ブダペストに比べウィーンはひとまわりもふたまわりもスケールが大きいという印象です。
さすが600年以上続いたハプスブルク家の帝都。
ハプスブルク家の威光だけでなく、クリムトやシーレなど、ウィーン世紀末芸術好きにもたまりません。
実質2日間ではとても見足りませんでした。
またいつか、訪れたい街です。
<旅程表>
2006年
7月28日(金)成田→チューリヒ→ブダペスト
○7月29日(土)ブダペスト→ウィーン
○7月30日(日)ウィーン
○7月31日(月)ウィーン
○8月 1日(火)ウィーン→チューリヒ
○8月 2日(水)→成田
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 鉄道
- 航空会社
- スイスインターナショナルエアラインズ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
7月29日(土)
夕方、ブダペスト東駅から鉄道でウィーンへ移動。
車内は観光客やら生活住民やら老若男女で混み合っており、座れず立っている客も多く、かなり騒々しかったです。
会話など聞いていると、トルコ系なども多い感じ。
一方で中国人や韓国人の若者も交じっていました。
ブダペスト〜ウィーン間はやはり黄金ルートなのでしょうか。
3時間ほどでウィーン西駅へ到着。
20時をまわってあたりはすっかり真っ暗になっており、そのままUバーンでピルグラムガッセ駅そばの宿アナナスへと向かいました。
車内ではウィーン子を多く見かけましたが、みなオシャレで、ブダペストより洗練されている印象です。
駅を出ると、夕立なのか雨が降っており、ブダペストに比べて少し涼しい感じです。
アナナスは値段が安いわりには部屋は広くこぎれいで、たいへんいい宿でした。 -
7月30日(日)
昨晩の雨がすっかり上がっていい天気になりました。
ウィーン観光初日は早朝から街歩きに出発です。
まずはUバーンのカールスプラッツ駅に行き、ウィーン分離派のオットー・ワーグナーの手による有名な駅舎を見ようと思ったのですが・・・あいにく工事中。
しかたないので、歩いてリンク・シュトラーセ(環状道路)の内側にあるかつての王宮(ホーフブルク)を目指そうとしたのですが、ウィーンは街が広く、道路がいくつもあって方向が分かりづらい。。
間違って、リンクの外側にあるカールス教会まで来てしまいました。
大きなドームとローマのトラヤヌス帝記念柱にヒントを得たという両端に2つの巨大な円柱を持つ教会で、一見、宮殿と見まがうほどです。
この教会は1713年、女帝マリア・テレジアの父であるカール6世が、ペスト撲滅を祈願してフィッシャー・フォン・エルラッハ親子につくらせたもので、ウィーンの守護神カール・ポロメウスがペストを鎮めるという物語のレリーフが刻まれているそうです。
また、教会の前の池にある黒い奇妙な物体は、ヘンリー・ムーア作のブロンズの抽象彫刻だそうです。 -
カールス教会の近くにはこんな噴水もありました。
こういう広場やモニュメントひとつとってみても、ブダペストに比べウィーンは街のスケールが大きいという印象です。 -
30分ほど迷ってようやくかつてのハプスブルク家の王宮(ホーフブルク)に着きました。
白亜の壁と鮮やかなターコイズブルーのドームが印象的です。
ホーフブルクは13世紀以来ハプスブルク家の歴代君主が住んできた王宮で、長い歴史の間に増築が繰り返され、最終的に旧王宮、新王宮、スイス宮の3セクションとなりました。
現在は旧王宮の一部が一般公開されています。
この写真は旧王宮北側のミヒャエル門です。
ミヒャエル門の右側には、かつて歴代皇帝や宰相たちが住んだ部屋が連なります。
ミヒャエル門の左側には、1735年に皇帝カール6世が造らせた“スペイン乗馬学校”の乗馬ホールがあるとのことです。 -
中に入ってみると、ドームに開いた窓から明るい光が差し込んできます。
それにしても天井が高い。 -
一般公開されている部屋にはこのような入口が着いています。
“シシィ・ミュージアム”という、ハプスブルク家の事実上の最後の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の皇后エリザベート(シシィは彼女の愛称)の記念館もあり、入ってみました。
チケットはシェーンブルン宮殿とセットのものもあり、おトクになっています。
特に、シェーンブルン宮殿はチケットを買うために行列ができるほど混雑しているので、ここで買っておいた方がよいです。
ミュージアムは彼女の居室や体操室(スリムな体型を維持するため、宮廷内にトレーニングジムを設けていた。)、化粧室などからなっており、服や化粧道具なども展示されていました。
女性の方はけっこう楽しめるのではないでしょうか。
おみやげ屋もあり、チョコレートなど、彼女の名を冠したものはよく売れているようです。
さすが美人は違いますね。 -
銀器博物館(銀器・食卓調度コレクション)にも入ってみました。
フランツ・ヨーゼフ1世やエリザベートらが使用した金銀の食器が展示されています。 -
このような陶磁器も展示されていました。
豪華ですね。 -
銀器博物館を出て、宮殿内を散策しました。
写真はヨーゼフ2世(マリア・テレジアの長男でマリー・アントワネットの兄)騎馬像のあるヨーゼフ広場です。
ヨーゼフ2世像の背後には国立図書館があります。
カール6世により1719年に建設が始まったものです。設計を命じられたのは、カールス教会と同じくフィッシャー・フォン・エルラッハです。
この中には入りませんでしたが、世界で最も美しいといわれるプルンクザール(豪華大広間)があるのだそうです。
200万冊を超える貴重な蔵書が納められているそうで、またウィーンに来る機会があったらぜひ入ってみたいですね。 -
ホーフブルクを出てすぐ隣にある美術史美術館へやってきました。
隣といっても、ホーフブルクも美術史美術館も日本人の想像する基準よりもずっとスケールが大きいので、それなりに歩きます。
美術史美術館はマリア・テレジア像を挟んで自然史博物館と対になるものとして建てられ、1891年に一般公開されました。
オーストリアやドイツ、スペイン、イタリア、ベルギー、オランダなど、ハプスブルク家の領土を中心とする絵画のコレクションがあります。 -
美術史美術館に入ると、宮殿と見まがう豪華な吹き抜けの通路がお出迎えです。
19世紀末にウィーン分離派を結成したグスタフ・クリムトらもこの壁画を描いています。 -
逆光になって見づらいですが、こちら側の支柱の間にある三角の小間中央には、クリムト初期の作品である“パラス・アテネ、古代ギリシア”や“裸体の若い娘、エジプト”があります。
他の作品とはオーラが違いますね。 -
階段の踊り場では、イタリアの新古典主義の彫刻家アントニオ・カノーヴァの“ミノタウルスを殺すテセウス”が存在感を示しています。
-
天井にも豪華な壁画がありました。
ハンガリー出身の画家ムンカーチ・ミハーイによる“ルネッサンス賛歌”です。
明るく美しい絵です。 -
中に入ってコレクションを観賞です。
特に、16世紀ネーデルラント絵画の巨匠ピーテル・ブリューゲルの作品数は世界最大を誇っており、写真の“バベルの塔”のほか、“雪中の狩人”や“農家の婚礼”など、数々の作品が1室に集められていました。 -
ラファエロの“草原の聖母”もありました。
ラファエロの聖母子像はどれも優しい気持ちになるいい絵ですね。 -
17世紀スペインバロックの巨匠ベラスケスの“青いドレスのマルガリータ”です。
スペインのハプスブルク家からオーストリアのハプスブルク家に嫁ぐ予定の若い王女の成長を描いた絵画です。
マルガリータ本人は神聖ローマ皇帝レオポルト1世に嫁ぎ、4人の子を産んだあと21歳の若さで亡くなったそうです。
きらびやかな肖像画のイメージが優先しますが、彼女は幸せだったのでしょうか。 -
美術史美術館を後にし、リンクの外、南側に位置するベルヴェデーレ宮殿に向かいます。
この宮殿はもともとはハプスブルク家のものではなく、対オスマン・トルコ戦争の英雄オイゲン公が18世紀初めに夏の離宮として造らせたバロック様式の宮殿で、彼の死後、マリア・テレジアに売却されたものだそうです。
上宮と下宮があり、いずれも現在はオーストリア絵画館となっています。
上宮は19世紀以降の近代絵画、下宮は中世やバロックの美術館となっています。
上宮にはグスタフ・クリムトの“接吻”やエゴン・シーレの“死と乙女”があり、ウィーン世紀末芸術好きの人にはたまりません。
館内はもちろん撮影禁止。
その静寂の中、クリムトやシーレの上記の作品と出会ったときはさすがに鳥肌が立ちました。
中には“接吻”の前で立ちつくして泣いているカップルもいて、あらためてクリムトの魅力を認識しました。
またいつか、見に来たい絵です。 -
上宮から下宮を眺めた写真です。
そういえば“ベルヴェデーレ”とはラテン語で“美しい眺め”という意味だそうです。
日本人には無駄と思えてしまいそうなスケールの大きい庭は、ヨーロッパの庭園らしく左右対称になっています。
日が中天に昇ってきてかなり暑く、庭を歩くのも汗だくです。 -
ベルヴェデーレ宮殿でクリムト、シーレを観賞した後、リンク内へ戻る途中のカールスプラッツ駅近くのウィーンミュージアム・カールスプラッツ(旧ウィーン市立歴史博物館)でも、クリムトの“パラス・アテネ”、“エミーリエ・フレーゲ”などの傑作を観賞。
まさにクリムト三昧です。
そして再びリンク内に戻り、その中心にあるシュテファン大聖堂へとやってきました。
14世紀に建造されたゴシック様式の大聖堂で、ハプスブルク家歴代君主の墓所があるほか、モーツァルトが結婚式を挙げた場所としても知られています。
この大聖堂もホーフブルクやベルヴェデーレ宮殿とともに“ウィーン歴史地区”として世界遺産に登録されています。
屋根が独特のモザイク模様をしており、一度見たら忘れられない大聖堂です。 -
大聖堂の中は夕方の西日が差してとても明るくなっています。
これから行事があるのか、奥へは入れないようになっていました。 -
西側は日が差し込んできてまぶしいくらいです。
-
シュテファン大聖堂の近くのカフェで休息&夕食をとることにしました。
まだ外は明るいですが、19時をまわっています。
ウィーンのカフェはゆったりして、時間を気にせずいつまででもいられます。
観光客向けなのか、ピアノ演奏もしていて、ビートルズの曲など有名な曲が流れていました。
ビールやソーセージなどを頼んでウィーン1日目の観光を終わりました。 -
7月31日(月)
ウィーン観光2日目。
といっても実質最終日です。
有名どころをまわるべく、まずは世界遺産のシェーンブルン宮殿へやってきました。
シェーンブルン宮殿はハプスブルク家の歴代君主が主に夏の離宮として使用した宮殿で、18世紀半ばに女帝マリア・テレジアが居城として使用することに決め、大改築が行われました。
外壁の黄色はテレジアン・イエローとして有名ですが、これは、金を塗ろうとしたところ、マリア・テレジアが財政の状況を考慮して黄金に近い黄色にしたということで、必ずしも彼女が好んでいたかは分かりません。 -
宮殿建物の入口から門を眺めました。
観光客がまばらに見えるほどの巨大な空間です。 -
シェーンブルン宮殿の建物の内部は撮影禁止で写真は残せませんでした。
しかし、日本語音声ガイドが充実しており、特にフランツ・ヨーゼフ1世の性格やエリザベートとの微妙な関係がその部屋に沿って詳しく解説され、たいへん勉強になりました。
音声ガイドを持ち帰りたいくらいでした。
建物を出て南側には、ベルヴェデーレ宮殿よりも広大な庭園が広がっていました。
ここも左右対称で均整のとれた美しい空間です。
向こうの丘の上に見えるのはグロリエッテと呼ばれる展望台です。
そこまで行ってみます。 -
グロリエッテからの眺望です。
シェーンブルン宮殿を中心にウィーンの均整な赤い屋根の街並みが見渡せます。
こういうのを見ると、どうしても日本の景観と比較してしまいますね。 -
シェーンブルン宮殿を満喫して、その名を冠するUバーンの駅へと戻ってきました。
年間600万人以上の観光客が訪れる最寄駅としてはずいぶん小ぶりで飾り気のない駅で、そのギャップがおもしろいです。
日本的商業主義に染まっているからギャップを感じるんでしょうか。 -
電車がやってきました。
これに乗って街の中心部へと戻ります。 -
カールスプラッツ駅の近くにあるウィーン分離派会館(ゼツェッシオン)へやってきました。
グスタフ・クリムトを中心とするウィーン分離派が1898年に建設したもので、白亜の直線基調の建築に、金色の動植物をモチーフとした彫刻が施されています。
ただ、ウィーン子からは、金の月桂樹のドームから“金のキャベツ”とも呼ばれているそうです。
いざ入ろうとしたところ・・・。 -
この日は月曜で休館。。
扉は固くとざされています・・・。
このゼツェッシオンの地下には“ベートーヴェン・フリース”と呼ばれる、ベートーヴェンの第九に着想を得たクリムトの大壁画があり、どうしても見たかったのに・・・残念。 -
あきらめきれず、建物の周りをうろうろ。
植物をモチーフとした彫刻が側面にもほどこされていますが、落ち着いて見れませんでした。
またいつか、絶対にウィーンに来たいという思いを強くしました。 -
気をとりなおして、残り少ない時間を美術館巡りに費やしました。
美術史美術館のそばにあるウィーンのアート地区、ムゼウムスクヴァルティーア(ミュージアムクォーター、MQ)のレオポルト美術館は月曜でも開館していたので、クリムトの“生と死”や、シーレの“自画像”などの傑作を観賞しました。
やっぱりウィーンは世紀末芸術好きにはたまらないです。
ゆっくり絵画を鑑賞したあとはあてもなくブルク公園を散策。
すると、思いもかけずモーツァルトの像に出会いました。
午後の陽射しを浴びて白亜に輝いています。
手前のピンクの花壇は、写真では途切れていますが、ト音記号の形に植えられていて観光客を楽しませてくれます。
そういえばこの年(2006年)はモーツァルトの生誕250周年。
市内にはモーツァルトハウスなど、モーツァルトをテーマとする新たな観光名所がオープンしていました。 -
8月1日(火)
早朝、ウィーン・ミッテ駅からCAT(シティ・エアポート・トレイン)に乗り、シュヴェヒャート国際空港へ。
まだまだ見たいものがあったものの、“いつかまた来る”という思いを抱いてウィーンを後にします。
ウィーンはさすが600年以上続いたハプスブルク帝国の首都だけあって、街の区画も大きく、帝国の遺産も市内に数多く残されていて、宮殿や美術館を中心に見どころがたくさんある大観光都市でした。
とても2日間では見て回れないほどスケールの大きいものを抱えている歴史ある都です。
また、ビールを中心として食事もおいしく、カフェの伝統もあり、観光客がゆったりと過ごせる空間を備えた街でもあります。
今度は一週間以上長い期間をとって、ウィーンを中心にオーストリアにしぼって旅行を楽しみたいですね。
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