2010/04/27 - 2010/05/04
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いのうえさん
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2010年4月27日〜5月4日、ポーランドとアメリカを旅してきました。ワルシャワに1泊、クラクフに2泊し、アウシュビッツ、ヴィエリチカの世界遺産にも行ってきました。通貨は1zl=約30円です。今回の旅では、日の出は朝5時半、日の入りは夜7時半、気温は4月28日の最低が8度、最高が22度、29日が最高25度でした。
○移動
4/27 KIX-SFO-FRA
4/28 LH3302 FRA Warsaw 11:50 13:25
4/29 電車でWarsaw から Krakow に移動
5/1 LH3359 Krakow FRA 18:35 20:10
5/ 2 FRA-ORD-LAX
5/ 3 LAX-SFO-KIX
○ホテル
4.28 ルメリディアン・ブリストル・ワルシャワ(1泊税込598zl:約1.8万円)
http://www.starwoodhotels.com/lemeridien/property/overview/index.html?propertyID=1863
4/29-30 シェラトン・クラクフ・ホテル(1泊税込508zl:約1.6万円)
http://www.starwoodhotels.com/sheraton/property/overview/index.html?propertyID=1477
5/1 シェラトン・コングレスホテル・フランクフルト(1泊税込80ユーロ:約1万円)
http://www.starwoodhotels.com/sheraton/property/overview/index.html?propertyID=142
今回は、クラクフから電車で30分の世界遺産のヴィエリチカ、バスで1時間のアウシュビッツ、ビルケナウです。アウシュビッツは「博物館」となっています。内部は写真撮影禁止です。4号館と5号館で気分が悪くなりました。
ビルケナウはアウシュビッツよりも大きい収容所で、内部は写真撮影できました。
両方の収容所あわせて300万人も亡くなったというのは信じられない事実です。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 航空会社
- ユナイテッド航空
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クラクフ駅に11時にICが到着。そこの地下1階にあるキップ売り場で11時8分発のヴィエリチェカ行のチケットを購入しました。30分程度で到着する距離ですが、ICの3300円に対して、ローカル線ですが、2.4zl(約75円)でした。
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ヴィエリチカの街の地図です。画面中央のPKPが駅です。駅を右手に出て、道路に出たら、クラクフの町の方向に戻っていきます。地図の上の7番、10番を経て、1番にあたる世界遺産「ヴィエリチカ岩塩坑」に到着します。画面一番下です。歩いて4−5分でしょうか。
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世界遺産「ヴィエリチカ岩塩坑」に行くには、このようなマークを探して行きましょう。左上のマークが世界遺産の印です。
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世界遺産「ヴィエリチカ岩塩坑」の入口です。
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入口を入って、右手にチケット売場がありました。売り場を出ると正面に個人旅行者用の入口があります。今回は12時発の英語ツアーとなります。
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建物の中に入ると、左手に英語ツアーのメンバーが並んでいます。左手の階段を上がってから中に入ります。
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木の階段を約60m降りました。ガイドさんが早速解説を開始しました。
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岩塩坑の最初の表示板です。
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坑道の中です。崩れないように?うまく木が組んであります。
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コペルニクスの像です。
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最初に岩塩坑を見つけ、当時のプリンセスに採れた塩を献上する人の姿を表現しています。当時の塩は貴重品でした。
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当時はライトも貴重品でした。酸素の消費、毒ガスがあるかもしれない恐怖など、初期の人の苦労はたいへんだったようです。その姿を表現しています。
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下の方では、こういう坑道になっていました。
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当時の塩の運搬方法の説明する像です。最初は手で、次は手押し車で、後に馬を使うようになりました。
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Wielkiego ?の像。
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岩塩坑内にある塩水。かなり濃かったです。
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このような機械を使って、掘って岩塩を運んでいたようです。
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岩塩坑内を歩くツアーの人々。右手は全て塩です。
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塩で作った「白雪姫と七人の小人たち」。真中奥に白雪姫が見えます。
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キリストの十字架像。
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ヴィエリチカで一番有名な場所、礼拝堂です。天井から下がっているシャンデリアも岩塩でできています。ここで写真を撮影するには、その手前で1人10zlだったかな?を払う必要があります。僕は払いましたが、ツアーのメンバーは3人しか払っていませんでした。しかし、実際にはほとんどの人がお金を払わずに写真を撮りまくっていました。
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少し左側から撮ってみました。
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礼拝堂内のマリア像かな?
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右側の壁に描かれたものです。
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礼拝堂の正面です。
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礼拝堂の左手の壁だったと思います。フラッシュを焚くとこういう感じになりました。
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礼拝堂の左手の壁だったと思います。
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礼拝堂の左手だったと思います。
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礼拝堂の中に「最後の晩餐」がありました。
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礼拝堂の中。これはキリストと12人の使徒ですが、どの場面でしょうね。
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礼拝堂の中にある、法王の像かな?
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礼拝堂の中にある、法王の像です。
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礼拝堂の中で見学する人々。これで礼拝堂を去ります。
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地底にこのような湖があります。塩分は死海並だそうです。
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休憩所?にでてきました。大工さんの像です。
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簡単な映像を見る場所の前に置いてあるゲーテの像。
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2つめの地底湖です。こちらはとても大きくて、音楽を使ってライトによるパフォーマンスがありました。
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Pilsudski の像です。
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終わりが近づいてきました。ホールに一度集合します。左手奥に世界遺産のマークが見えますね。手前から奥に向かっている溝はトロッコの線路の跡です。
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ここの岩塩坑の金のコインが記念に発行されたそうです。
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世界遺産のマークです。
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ホールの横に地下レストランがありました。お昼でしたが、僕はおなかを壊していたので、食べることができません。
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ここからエレベータで地上に戻ります。このエレベータは上下2段になっていて、狭いので、相当待ちます。
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建物の外に出てきました。
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電車に乗って、クラクフ駅に向かいます。2.4zlでした。これは4月だから?地球の歩き方には4zlと書いてあります。
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クラクフ駅を出てすぐの公園にある「i」で、アウシュビッツ行きのバスなどの時刻表をもらいました。
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その時刻表です。朝7時50分のミニバスで行くことにしました。
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クラクフ駅の東側にあるバス・ターミナルの建物。大きなバスは1階、ミニバスは地下から出ます。
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建物に入って右手にはチケット購入場所が並んでいます。建物に入ると左手にこのような掲示板があります。この写真は帰ってから撮ったので、時刻が16時半前後です。ここで乗り場のDは地下です。
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今回利用したミニバスです。20人乗り。片道1時間半程度で、9zlだったかな。バスの中で運転手に払いました。
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アウシュビッツに向けて、西に走ります。途中の風景。
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途中の風景。教会の前にお店が並んでいました。
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途中の風景。のどかな景色です。この向こうにアウシュビッツがあるとは・・・
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ポーランドにはラウンド・アバウトが多いです。
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オシフィエンチムの駅に到着したので、降りようとしたら、バスの中のおばさんが、「museum に行きたいなら、もう2−3分乗っておいた方がいいですよ」と言ってくれたので、通り過ぎることにしました。数人ここで降りました。
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駅を通過して、バスは少し進んでから左折しました。さらに約2分、右手にこういう建物が見えてきました。おばさんがここで降りなさいというので、ドライバーに言って、降ろしてもらいました。おばさん、ありがとう。
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バスを降りて、進行方向に対して3時の方向にこのような道があるので、歩いていきます。
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しばらく歩くと「Museum Auschwitz 」はこちらですという看板がありました。
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Museum の入口に到着。入場料は無料、寄付をする箱が置いてありました。
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10時からの英語ツアーに参加しようと思いましたが、人数がやたら多いので、ここの本屋さんで4zl(約120円)の薄いガイドブックを購入して自分で回ることにしました。
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アウシュビッツ美術館の地図。内部は撮影禁止。この美術館の入口は地図の下の方のKと書いてある部分。個人で観光する人は矢印のとおりに歩けばいいようになっています。
四角で囲ってある部分が二重の鉄条網。まずそこに有名な「Arbeit macht frei 」と書いてあります。内部を見て気持ち悪くなったのは、4号館と5号館。11号館と12号館の間には「死の壁」があります。
鉄条網の外、地図の左手の点線の部分がガス室です。 -
本当はいけないのですが、意外と多くの人が写真を撮っていました。有名な言葉です「働けば自由になれる」。Arbeit のBが上下ひっくり返っているのは、作った人たちの抵抗の証しだそうです。実際には150万人くらい亡くなったとか。
4号館と5号館は、髪の毛などが気持ち悪かったです。これでお昼は食べることができなくなりました。 -
11時半発の無料のシャトル・バスで3km離れたビルケナウに向かいます。
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ビルケナウの地図も先ほどのガイドブックについていました。
地図の左下の鉄道の印のある場所から入ります。itと書いてある場所が有名な建物のある場所。次の画像でわかります。
今回移動したコースを赤いマークで示しましたが、これが効率いいと思います。 -
ビルケナウの入口「死の門」です。バス停はこの写真の左手です。この鉄道の線路をずっと進んでいったおよそ150万人の人たちはほとんど全員帰ってきませんでした。
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塔にあがってみました。そこから線路の先の方を見ます。当時は左右にバラックが建ち並んでいました。
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その左手には当時はかなりのバラックが建ち並んでいました。
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逆の右手にもかなりの数のバラックが並んでいました。
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早速歩いてみました。気温は25度。150万人が亡くなったこの場所に、白と黄色の花が咲いていました。
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地図のHの場所にやってきました。当時、ここで別々に分けられたのかな?そういう説明の写真などがあります。
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Hから左折して進みます。監視塔も見えますね。アウシュビッツも同じような形の監視塔でした。
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地図のS地点付近です。煙突が多いので、食堂かも。手前の黄色い花が印象的です。
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S地点付近で、バラックを眺めています。地図にはこのバラックとバラックの間を右に行けば元の道路に戻れるように書いてありますが、通行止めのロープが張ってあり、結果的に地図に赤字で示したように、直進するしかありませんでした。
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地図のKHにあたります。ガス室と焼却炉の跡。
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ガス室と焼却炉の跡。崩れています。中に入らないようにと書いてありました。
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地図のWにあたる「ナチス政権下犠牲者の国際慰霊碑」。
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「ナチス政権下犠牲者の国際慰霊碑」の中心部。
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地図のW地点は鉄道引き込み線の終点でもある。ドラマ「白い巨塔」で、ビルケナウの引き込み線の線路を財前教授(唐沢寿明)が歩くシーンがありましたね。初めて収容所内でのロケが許されたのがこの「白い巨塔」だったらしい。
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「ナチス政権下犠牲者の国際慰霊碑」を通りすぎ、林の中を通過して、少し離れたガス室に向かいます。
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こういう建物の横を通りすぎて行きます。
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別のガス室のあるセクションの入口です。左手の建物はサウナです。
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ガス室の跡です。
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もう一つのガス室の跡です。
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ガス室の向こうに池がありました。何となく思わせぶりです。
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2つのガス室の跡をずっと抜けて歩いていくと、かつての「司令部」があった建物に出ました。ここから右折してバラックの中が見られる場所に向かいます。
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地図のBIIa 隔離所です。
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地図のBIIa 隔離所のバラックの内部です。
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「死の門」に帰ってきました。アウシュビッツ行きのバスは30分毎。13時発のバスに乗りました。
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アウシュビッツ「A」とビルケナウ「B」を空から見た姿。その中間点の右下に「オシフィエンチム駅」があります。
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アウシュビッツにもきれいな花が咲いていました。
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元のバス停に戻って、ここからクラクフに戻ろうと思いましたが、その時間13時20分頃から1時間はバスが来ません。鉄道なら?と思って駅に行くことにしました。
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オシフィエンチム駅の前にあるバス停の時刻表です。アウシュビッツ博物館前と比べて、クラクフ行きは数は増えてないですね。
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オシフィエンチム駅からクラクフに帰ることにしました。電車の時間は14:22。駅の中は線路の上を歩けるというように、日本とは異なりますね。
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クラクフ行きの電車です。料金は4.5zlだったかな?地球の歩き方には9zlとかと書いてありました。4月だから安いのでしょうか。
帰りは何と2時間もかかりました。クラクフ駅には16:20頃に到着しました。
関係ない話ですが、クラクフ・ビジネス・パーク駅からモデルさんみたいなきれいな女性たちが大量に電車に乗ってきました。
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この旅行記へのコメント (3)
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- asuwaさん 2017/08/01 07:45:42
- 思い出しました
いのうえさん おはようございます。
隠岐諸島について有難うございました。
アウシュビッツと岩塩鉱を再び思い出して読ませて頂きました。
私たち夫婦は全く外国語が話せませんので何時も添乗員付きの旅行です。
2004年6月19日から10日間、ポーランド、チェコを旅行しました。
今は何処も行きません。
若かったら今でも行けるのにと、何時も思っています。
asuwa
- いのうえさん からの返信 2017/08/01 22:53:28
- RE: 思い出しました
- asuwaさん、こんばんは。
書き込みありがとうございます。
外国語が苦手でも意外と行きやすい場所はありますよ。
例えば、台湾です。特に80歳以上の人は日本語が達者です。
よく日本の方ですか?と声をかけられますよ。
また、田舎では祖父や祖母に教えてもらったという日本語を使う若い人にも会いました。心が純粋な人が多くて、話をしているだけで涙が出そうになることもあります。
そういえば、ハワイの2世や3世の人もそういう人がいて、丁寧な日本語を聞いているだけで涙が出ました。
ハワイは厳しいかもしれませんが、台湾は3時間です。頑張って体力を鍛えると行けますよ。
今後ともよろしくお願いいたします。
- asuwaさん からの返信 2017/08/02 08:29:33
- RE: RE: 思い出しました
- いのうえさん おはようございます。
> 外国語が苦手でも意外と行きやすい場所はありますよ。
> 例えば、台湾です。特に80歳以上の人は日本語が達者です。
> よく日本の方ですか?と声をかけられますよ。
> また、田舎では祖父や祖母に教えてもらったという日本語を使う若い人にも会いました。心が純粋な人が多くて、話をしているだけで涙が出そうになることもあります。
> そういえば、ハワイの2世や3世の人もそういう人がいて、丁寧な日本語を聞いているだけで涙が出ました。
ツアーに参加していると食事する時、その他、店で買い物する時等、自由行動の時に
少し話しますが決まっている事の会話ですから、たいした話もしませんが外国語が話せ
たらと何時も思っていました。。
> ハワイは厳しいかもしれませんが、台湾は3時間です。頑張って体力を鍛えると行けますよ。
ハワイ、オアフ、マウイ6日間(1997,8,12〜17)、台湾6日間は(1994,12,29〜3)
に行っていますが、家内は台湾は近いし行こうかと言いますが私は行きたく有りません。
体力、気力も有りません。 10年間程は国内をマイカーで旅をしていましたが
今は車を使わないJR、と飛行機を使って少しの距離をレンタカーを使う国内の離れ島
の観光と、国内は殆ど行きましたが未だ出かけて無い所をと考えています。
今後ともよろしくお願いいたします。
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