2010/04/29 - 2010/04/29
129位(同エリア557件中)
みにくまさん
長岡天満宮のキリシマツツジを見た後、付近の乙訓寺(おとくにでら)の牡丹が見ごろだという看板をみつけたので、行ってみました。
おまけ↓↓↓
http://yaplog.jp/awamoko/archive/201
-
大慈山乙訓寺(だいじざんおとくにでら)
真言宗豊山派
住所 京都府長岡京市今里三丁目14−7
電話番号 075-951-5759
拝観時間 8:00〜17:00
入山料 500円 -
大慈山乙訓寺(だいじざんおとくにでら)
寺伝では推古天皇の勅命により聖徳太子が建立したと言われている古刹である。創建の正確な事情や時期は未詳であるが、境内出土の瓦の年代から、長岡京造営以前、奈良時代の創建と推定されている。
延暦3年(784年)桓武天皇が長岡京を造営した際には都の地鎮として大規模に増築されている。また藤原種継暗殺事件の首謀者の嫌疑をかけられた早良親王が幽閉された場所でもあるとされ、空海が一時住したともいわれる。 長岡京が廃都となっても大規模な伽藍を擁し室町時代でも10を越す僧坊があったという。
今でこそ牡丹の寺として有名であるが牡丹を植生する前の往年は寂しい佇まいの寺であった。現在、豊山派総本山である長谷寺より2000株の牡丹が移植されている。見頃は4月下旬より5月上旬。 -
表門 市指定文化財
一間一戸 四脚門 切妻造 本瓦葺 元禄8年(1695)
大棟端の鬼瓦にも元禄8年の銘があり、様式上からも元禄の建立であることは確かである。
仕様覚は惣門と記し、金30両ばかりと見積もっている。赤門とも称されている。 -
乙訓寺
★ 境内を彩る2000株の牡丹
乙訓寺の牡丹の始まりは昭和15年頃のことである。
牡丹が咲き誇る以前の乙訓寺は表門から本堂まで続く松の並木が美しいことで有名であった。それらが昭和9年の室戸台風でほとんどが倒木し応仁の乱も生き延びたと伝わるモチノキ、弘法大師お手植えの菩提樹も多大な損害を受けることになった。
乙訓寺第19世海延の伯父にあたる長谷寺第68世能化(住職)海雲全教和上が、被害著しい境内をご覧になり、本尊への供花・荘厳花としてまた同時に参拝者にしばしの安らぎをと念じられ、多年ご愛育の牡丹のうち2株を寄進されたのが当寺に牡丹のある初めである。
その後、乙訓寺歴代住職らの尽力により株数も年を追って増加し、今では約2000株の花が美しく境内を彩っている。
寺門の興隆に努められた諸先徳に感謝する次第である。 -
乙訓寺
※ お願い
境内では三脚(一脚)の使用を禁止
牡丹に手を触れないこと
写生の禁止 -
乙訓寺
-
乙訓寺
-
乙訓寺
-
乙訓寺
-
乙訓寺
ピンク -
乙訓寺
紫 -
乙訓寺
-
乙訓寺
-
乙訓寺
ツツジ -
弘法大師空海
★ トップ写真 ★
嵯峨天皇は弘仁二年(811年)十一月九日太政官符をもって弘法大師を別当にされた。
大師の残されたご事跡も多く、八幡明神の霊告をうけて合体の像を造り、また毘沙門天像を刻んでは国家の豊楽を祈られ、あるいは境内に実る柑子を朝廷に献上されている。 -
乙訓寺
◎ 空海と最澄、その金襴の交わり
「最澄、去月二十七日、頭蛇の次をもって乙訓寺に宿し、空海阿闍梨に頂謁す。教誡慇懃たり。具にその二部の尊像を示し、また曼荼羅を見せしむ。」
これは伝教大師・最澄が、弘仁3年(812)10月27日に乙訓寺を訪れ1泊した時の様子を、弟子の泰範に宛てた書状の一文です。
空海と最澄は、いまさらいうまでもなく平安初期に並び出で、一方は真言、一方は天台の新仏教を確立された、日本仏教史を代表する二大高僧であります。
二人の交流は、風信帖に代表される書簡のやり取りから始まり、この乙訓寺で初めての対面を迎えます。
当時空海は、弘仁2年(811)、第52代嵯峨天皇から別当(統括管理の僧官)に任命され、乙訓寺に在住されていました。 -
乙訓寺
-
乙訓寺
-
乙訓寺
本堂 市指定文化財 -
乙訓寺
本堂 市指定文化財
十一面観音菩薩立像 市指定文化財
本堂内は撮影禁止です。 -
乙訓寺
牡丹を飾るように、それとも日除けでしょうか、このように傘と一緒に咲き誇っていました。 -
乙訓寺
-
乙訓寺
冒頭でも書きましたが、この日は長岡天満宮のキリシマツツジが満開で、そちらを目当てに長岡京に来た方が大多数だと思いますが、そちらから乙訓寺に流れてきて、キリシマツツジ+牡丹を一緒に楽しまれた方も多かったのではないでしょうか。
ちょうど2つの花が同時期に満開を迎えていたようです。 -
乙訓寺
やっぱりこれは、日傘なのかな〜・・・。 -
鐘楼 市指定文化財
方一見 入母屋造 本瓦葺 江戸中期
牧野成貞の寄進による建立と伝えるが記録を欠き建立年代は不明である。
鐘は戦時に供出され、昭和41年に鋳造された。
前の鐘銘を再刻していて、元禄9年(1696)10月に精海が三条釜座の信州大ジョウ藤原国次に造らせたことが判る。 -
鐘楼
-
乙訓寺
-
乙訓寺
記念撮影〜 -
乙訓寺
-
乙訓寺のモチノキ 市指定有形文化財(天然記念物)
樹種 クロガネモチ(モチノキ科)
形態 単木
幹周 2.93m
根元周囲 3.55m
樹高 9m
推定樹齢 400〜500年 -
乙訓寺のモチノキ 市指定有形文化財(天然記念物)
乙訓寺のモチノキは京都府内でも屈指の巨大さを有する名木です。
古くから地域の人々に親しまれ、寺のシンボル的な存在となっています。
昭和9(1934)年の室戸台風で幹が折れ、近年枯れ枝が目立ち、頭部から雨水が入り腐食と空洞化が進み、樹勢が衰退していました。
元の姿に戻すため関係者の協力を得て蘇生、保全対策を講じたことにより再び以前の樹勢が戻りました。
これからも緑のある憩いの場として、安らぎと潤いを与えてくれるでしょう。 -
乙訓寺
-
乙訓寺
黄色の牡丹はここでは珍しく、ほんのわずかしかありませんでした。 -
乙訓寺
おコゲ丸と一緒に。 -
乙訓寺
-
乙訓寺
ツツジ -
乙訓寺
◎ おしまい
当初はあまり期待していませんでしたが、けっこう綺麗に咲いていたので良かったです。今年は特に花の開花時期が読めないので、ちょうど満開の時に見られると、とても嬉しいです。
長岡天満宮のキリシマツツジと一緒に見に来るのが、一番いいかもしれません。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
2
37