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ミニコミ誌、シティライフ北摂WEST版に、奈良時代の僧‘行基’の記事が載っていました。<br /><br />行基は飢饉が続いたとき、各地でため池作りなどを指導しており、伊丹のオアシスといわれる昆陽池(こやいけ)も、その行基が作ったもの。<br /><br />昆陽池の近くには、行基が創建した昆陽寺(こんようじ)があり、工事中に人が集まったり、道具などをおいたり、はたまた布教の拠点にもなっていたとのこと。<br /><br />そんなこともあってか、昆陽寺は地元の人に‘行基さん’と親しみをこめて呼ばれているそうです。<br /><br />伊丹に行基を訪ねるために、まずは昆陽池の駐車場に車をとめて、そこからの散策です。<br /><br />【写真は、昆陽寺の山門そして、大阪国際(伊丹)空港から離陸したジェット機です。】

伊丹の‘行基さん’

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2010/05/15 - 2010/05/15

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のーとくん

のーとくんさん

ミニコミ誌、シティライフ北摂WEST版に、奈良時代の僧‘行基’の記事が載っていました。

行基は飢饉が続いたとき、各地でため池作りなどを指導しており、伊丹のオアシスといわれる昆陽池(こやいけ)も、その行基が作ったもの。

昆陽池の近くには、行基が創建した昆陽寺(こんようじ)があり、工事中に人が集まったり、道具などをおいたり、はたまた布教の拠点にもなっていたとのこと。

そんなこともあってか、昆陽寺は地元の人に‘行基さん’と親しみをこめて呼ばれているそうです。

伊丹に行基を訪ねるために、まずは昆陽池の駐車場に車をとめて、そこからの散策です。

【写真は、昆陽寺の山門そして、大阪国際(伊丹)空港から離陸したジェット機です。】

交通手段
自家用車

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  • 行基の作った、昆陽池(こやいけ)です。<br />大阪国際(伊丹)空港から離陸したジェット機がわかりますでしょうか。

    行基の作った、昆陽池(こやいけ)です。
    大阪国際(伊丹)空港から離陸したジェット機がわかりますでしょうか。

  • 昆陽池から、国道171を渡ったところにある、東天神社の鳥居です。<br />東天神社は、行基法師が昆陽池を開拓せられた時その事業達成の祈願所とした神社といわれています。

    昆陽池から、国道171を渡ったところにある、東天神社の鳥居です。
    東天神社は、行基法師が昆陽池を開拓せられた時その事業達成の祈願所とした神社といわれています。

  • 東天神社の拝殿です。<br />御祭神は伊弉諾尊と伊弉册尊です。<br />ここから、171を西宮方向に600ほど歩いて西天神社に行きます。

    東天神社の拝殿です。
    御祭神は伊弉諾尊と伊弉册尊です。
    ここから、171を西宮方向に600ほど歩いて西天神社に行きます。

  • 西天神社の鳥居と拝殿です。<br />この西天神社も伊弉諾尊と伊弉册尊を祀っています。<br />ここから、さらに171を500mほど歩くと、昆陽寺(こんようじ)があります。<br />

    西天神社の鳥居と拝殿です。
    この西天神社も伊弉諾尊と伊弉册尊を祀っています。
    ここから、さらに171を500mほど歩くと、昆陽寺(こんようじ)があります。

  • 昆陽寺の山門です。<br />国道171に面しています。<br />伊丹にこんな立派な山門があるとは、気がつきませんでした。<br />聖武天皇の勅願所として、天平5年(733)に僧行基により建立されたといわれています。<br />かつては、七堂伽藍の備わった摂津第一の巨刹であり、この山門は第二門だったそうです。<br />天正7年(1579)織田信長が有岡城主荒木村重を攻略したときに、本寺および二十三坊は悉く灰燼に帰し、その跡に江戸時代に建てられたのが今のお寺です。

    昆陽寺の山門です。
    国道171に面しています。
    伊丹にこんな立派な山門があるとは、気がつきませんでした。
    聖武天皇の勅願所として、天平5年(733)に僧行基により建立されたといわれています。
    かつては、七堂伽藍の備わった摂津第一の巨刹であり、この山門は第二門だったそうです。
    天正7年(1579)織田信長が有岡城主荒木村重を攻略したときに、本寺および二十三坊は悉く灰燼に帰し、その跡に江戸時代に建てられたのが今のお寺です。

  • 昆陽寺山門の仁王像です。

    昆陽寺山門の仁王像です。

  • 昆陽寺の本堂です。

    昆陽寺の本堂です。

  • 昆陽寺の鐘楼です。

    昆陽寺の鐘楼です。

  • 後醍醐天皇の歌碑です。<br />‘命あれば 昆陽の軒端の 月も見つ 又いかならん ゆく末の空’(増鏡より、末永雅雄筆)と彫られています。

    後醍醐天皇の歌碑です。
    ‘命あれば 昆陽の軒端の 月も見つ 又いかならん ゆく末の空’(増鏡より、末永雅雄筆)と彫られています。

  • 昆陽寺の観音堂です。

    昆陽寺の観音堂です。

  • 昆陽寺の開山堂(行基堂)です。

    昆陽寺の開山堂(行基堂)です。

  • 昆陽寺の鎮守堂です。

    昆陽寺の鎮守堂です。

  • 行基菩薩の歌碑です。<br />「玉葉和歌集」より‘山鳥のほろほろとなく声きけば 父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ’(高田好胤筆)と彫られています。 

    行基菩薩の歌碑です。
    「玉葉和歌集」より‘山鳥のほろほろとなく声きけば 父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ’(高田好胤筆)と彫られています。 

  • 昆陽寺にある、行基塚(開山塔)です。

    昆陽寺にある、行基塚(開山塔)です。

  • 昆陽寺の上を飛ぶジェット機です。<br />大阪国際(伊丹)空港から離陸したものです。<br />次は、昆陽寺の近くの猪名野神社(寺本)に行きます。

    昆陽寺の上を飛ぶジェット機です。
    大阪国際(伊丹)空港から離陸したものです。
    次は、昆陽寺の近くの猪名野神社(寺本)に行きます。

  • 猪名野神社(寺本)の鳥居と拝殿です。<br />御祭神は、高皇産霊尊です。<br />ここから、北へ約2Kmのところにある、素盞嗚神社に向かいます。

    猪名野神社(寺本)の鳥居と拝殿です。
    御祭神は、高皇産霊尊です。
    ここから、北へ約2Kmのところにある、素盞嗚神社に向かいます。

  • 素盞嗚神社(西野)の鳥居です。<br />

    素盞嗚神社(西野)の鳥居です。

  • 素盞嗚神社(西野)の拝殿です。<br />ここから、また北東の方向に約1Km歩きます。

    素盞嗚神社(西野)の拝殿です。
    ここから、また北東の方向に約1Km歩きます。

  • 常休寺の山門です。<br />天和3年(1683)宇治万福寺の二代目木庵性滔和尚の弟子慧極道明和尚による開山です。<br />

    常休寺の山門です。
    天和3年(1683)宇治万福寺の二代目木庵性滔和尚の弟子慧極道明和尚による開山です。

  • 常休寺の参道です。<br />黄檗宗の寺らしく、本山萬福寺のような石畳の道が本堂まで続いています。

    常休寺の参道です。
    黄檗宗の寺らしく、本山萬福寺のような石畳の道が本堂まで続いています。

  • 常休寺の本堂です。<br />次は、近くの素盞嗚神社(中野)です。<br />

    常休寺の本堂です。
    次は、近くの素盞嗚神社(中野)です。

  • 素盞嗚神社(中野)の鳥居です。

    素盞嗚神社(中野)の鳥居です。

  • 素盞嗚神社(中野)の拝殿です。

    素盞嗚神社(中野)の拝殿です。

  • 素盞嗚神社(中野)の拝殿の中です。<br />ガラス越しに撮ってみました。

    素盞嗚神社(中野)の拝殿の中です。
    ガラス越しに撮ってみました。

  • 素盞嗚神社(中野)の本殿です。<br />当然、祭神として素盞嗚尊を祀っています。<br />ここから、北に約600mのところにある、慈眼寺に向かいます。

    素盞嗚神社(中野)の本殿です。
    当然、祭神として素盞嗚尊を祀っています。
    ここから、北に約600mのところにある、慈眼寺に向かいます。

  • 曹洞宗である慈眼寺の山門です。<br />

    曹洞宗である慈眼寺の山門です。

  • 慈眼寺の本堂に向かう参道です。

    慈眼寺の本堂に向かう参道です。

  • 慈眼寺の本堂です。

    慈眼寺の本堂です。

  • 慈眼寺の観音堂です。

    慈眼寺の観音堂です。

  • 慈眼寺の本堂(左)と観音堂(右)を結ぶ渡り廊下です。

    慈眼寺の本堂(左)と観音堂(右)を結ぶ渡り廊下です。

  • 慈眼寺の境内です。<br />さすが禅寺、すっきりしています。

    慈眼寺の境内です。
    さすが禅寺、すっきりしています。

  • 慈眼寺の向かいにある、鴻池神社です。<br />蔵王権現を祀る社を、明治12年(1879)安閑天皇を祭神(安閑神社)とし、更に大正期に向かいの慈眼寺の鎮守八幡神社を合祀して、鴻池神社と呼ばれるようになった神社です。<br />ここから、南の方に歩くこと2Km弱の昆陽池駐車場に戻ります。<br /><br />(おしまい)<br />

    慈眼寺の向かいにある、鴻池神社です。
    蔵王権現を祀る社を、明治12年(1879)安閑天皇を祭神(安閑神社)とし、更に大正期に向かいの慈眼寺の鎮守八幡神社を合祀して、鴻池神社と呼ばれるようになった神社です。
    ここから、南の方に歩くこと2Km弱の昆陽池駐車場に戻ります。

    (おしまい)

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この旅行記へのコメント (2)

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  • ゆうこママさん 2010/05/16 21:37:08
    行基
    この歌、行基菩薩のものだったのですね。
    恥ずかしいことに知りませんでした。
    行基さんと親しみを込めて呼ばれているとのこと、
    それだけ民衆のかなに入り込み、大切な人になっていたのでしょうね。

    のーとくん

    のーとくんさん からの返信 2010/05/17 21:58:25
    RE: 行基
    ゆうこママさん

    いつもありがとうございます。

    わたしは、このうた自身も知りませんでした。
    もっと、なさけないですね。

    行基さん、みんなの助けをいろいろされたし、きっとえらそぶらなかったんでしょうね。
    そんなんで、みんなに親しまれていったんだと思います。

     のーとくん

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