2006/11 - 2006/11
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ドクターキムルさん
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横須賀新港から船を貸し切って東京湾内横須賀本港近海の戦争遺跡を見学しに出かけた。「60年前のものが遺跡だなんて。」と思ったが、幕末から明治時代にかけて東京湾の要塞化がなされた。明治時代の富国強兵では軍港や造船所も造られたのだ。
戦争で飛行機が主戦力となることを示したのは、太平洋戦争の端緒を開いた真珠湾攻撃であり、それ以前は、黒舟来航以来戦艦が戦いの趨勢を決めた。江戸や帝都東京を敵の攻撃から護る要塞は東京湾に侵入する船に対するものであった。しかも明治時代はレンガ造りで要塞が造られた。湾内浦賀水道にある第一海堡では波打ち際に壊れたレンガ造りの施設が見え、第三海堡では大型クレーンが立ち並び撤去工事が行われていた。
大型コンテナ船が行き交い、休日で沢山の釣り船が漂うのどかな東京湾であったが、戦争遺跡ははるか遠い明治の面影を色濃く残していた。猿島要塞などは確かな遺跡でもあった。
猿島要塞はレンガ造りで残りが良い。一部は関東大震災で崩壊し、谷にレンガの瓦礫が残っていたが、トンネルは出来てせいぜい50年くらいと思えるほどの綺麗さだ。関東大震災の直撃を受けたなどとは夢にも思われない。明治の始めに、レンガ職人が丹精込めて造り上げたのであろう。レンガ造りの技術が導入されて間がない分、京都南禅寺の水路閣以上かも知れない。戦争遺跡が専門分野になりつつある横須賀市自然・人文博物館の学芸員が2、3年もすれば重文に指定されると言っていたが、それだけの価値はあろう。しかし、「愛のトンネル」などと下種な命名がこのレンガ造りのトンネルの遺跡価値を下げている気がしてくる。京都南禅寺の水路閣以上に感動できたのが猿島要塞レンガ積みトンネルだった。
(表紙写真はレンガ造りのトンネル)
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猿島。
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猿島。
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猿島。
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猿島。
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猿島。
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猿島。
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猿島。
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猿島。
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猿島。
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猿島。
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猿島。
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猿島。
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猿島。
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猿島。
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猿島。
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猿島。桟橋が見えてきた。
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猿島。
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釣り船「たくみ丸」。
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猿島。
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猿島。桟橋。
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猿島。桟橋。
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猿島。
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猿島。
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猿島。
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猿島。
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猿島。
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猿島。
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猿島。
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猿島。
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猿島。
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猿島桟橋。
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猿島桟橋。
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猿島桟橋。
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桟橋近くの猿島の観光施設棟。海の家(オーシャンズキッチン)(7月上旬〜8月末(海水浴場オープン時期))、シャワールーム(更衣室とシャワールーム)、レンタルショップ(キャンプ用品の貸し出し)、売店(簡単な食事もできる。営業期間は、7〜9月(毎日)、3〜6月、10月(土日祝日のみ))、管理棟(管理人室、猿島に関連する資料の展示、ミーティングに利用できるスペース)。取り留めのない案内があり、建物名が記載されていないが、要は観光施設棟と言ったところか。
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猿島の浜に集う観光客。
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接岸して上陸する。
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緑濃い島だ。
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波が打たるあたりには洞窟のような穴が多数見える。
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猿島も鳶の楽園だ。数多くの鳶が上空を旋回している。三浦半島、湘南地域は鳶が多く、しばしば観光客から食べ物を掠め取る。弁当を広げたら要注意だ。鳶は飛行技術が他の鳥と比べると格段に優れており、手に持っている食べ物を掠め取るときにも、観光客に怪我を負わせることはない。掠め取られる時に黒いものが見えて食べ物が一瞬に消えてしまうことでビックリはするが、掠め取られて食べられなくなる無念さ以外は、何も残らない。一瞬の出来事である。
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鳶。
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崖の上。要塞であったのであるから、落葉樹は少ない。冬に砲台が丸見えでは機密が守れない。
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大空を舞う鳶。
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大空を舞う鳶。
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思いがけなく花が咲いていた。
猿島では、山頂部から各種縄文式土器が発見されたことから縄文時代から人が住み着いていたと考えられ、猿島洞窟(日蓮洞穴とも呼ばれ、現在は木像のお地蔵さまが昭和63年5月から祀られている)から弥生式土器と人骨が発見されている。
また、猿島の名前の由来は、建長5年(1253年)5月、日蓮上人が房州から鎌倉へ渡る途中に嵐に逢い、舟の進む方向さえもわからなくなってしまったとき、一匹の白猿がどこからともなく現れて舟の舳に立ち、この島へと案内したという伝説によるとされている。
弘化3年(1846年)に米大使(ビットル)が黒船で浦賀に来航した際に、臨時的処置として台場(砲3門)が設置された。嘉永6年(1853年)にペリーが黒船で久里浜(教科書では浦賀となっているが、この地の者は東京湾フェリーの船着場の久里浜港にあるペルリ提督上陸記念碑(碑文は伊藤博文による「北米合衆国水師提督伯理上陸記念碑」)に因み久里浜とする)に来航するが、江戸時代には、長崎ではなく、江戸を目指すとここ浦賀奉行所で足止めされる。
浦賀奉行所が大砲の射程距離となる浦賀港に停泊させる訳はなく、ビットルもペリーも、こうした離れた久里浜辺りに止め置かれたのであろう。
ペリー一行は測量をし海図を作成し、猿島をペリーアイランドと命名したが、今だ猿島であるのはペリーの史実よりも日蓮上人伝説の方が勝っているということか。
この後、要塞化されていく。明治10年(1877年)に海軍省所管、明治14年(1881年)に陸軍省に所管替えになり砲台の築造が着手され、本格的に要塞化された。 -
いよいよ軍事施設だ。発電所跡と煙突。実は、レンガ造りの立派な建物(重文級)なのだが戦時中(太平洋戦争)にモルタルが塗られて安普請に見える。2、3年後には重文指定されると説明を受けたが未だのようだ。モルタルを剥がさないと重文指定は無理だろう。まあ、京都南禅寺の水路閣クラスのレンガ造りだと思った。しかし、現在でも猿島発電所として利用されている。各施設の照明や自動販売機を動かすために三笠から燃料を運び、発電機を使用して発電している。元々は蒸気機関でタービンを回す明治期の発電所であったものだ。
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猿島の案内図。
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島の登り口から見下ろす。横須賀の街が見える。
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一段小高いところにある島の観光施設。
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島の登り口。
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島の観光施設を見下ろす。
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島の登り道。
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島を覆う木々は常用樹ばかりだ。
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島を覆う木々は常用樹ばかりだ。
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道路(散策路)の側溝。
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崖にもレンガ積み壁。
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レンガ積みの崖の壁。
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レンガ積みの崖の壁。
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レンガ積みの崖の壁。
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猿島要塞の説明図。
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レンガ積みの崖の壁。道路の上には木道が渡されている。
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レンガ積みの崖の壁には窓が。この中が要塞の一部なのだ。
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レンガ積みの崖の壁。
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レンガ積みの崖の壁。
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レンガ積みの崖の壁。窪んだところは便所?
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レンガ積みの崖の壁。木道から階段となって上に伸びる。
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レンガ積みの崖の壁と木道。
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レンガ積みの崖の壁と木道。
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レンガ積みの崖の壁にトンネルが。
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木道から上へ上がる階段も整備されている。
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上へ上がる階段と下の木道。
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レンガ積みの崖の壁が続く。
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レンガ積みの崖の壁が続く。
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レンガ積みの崖の壁の向こうにトンネルが。
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レンガ造りのトンネルだ。
フランス積みレンガのアーチ造り洋式トンネル。日本で2番目(1番目は明治13年(1880年)に竣工した東海道本線旧線旧逢坂山隧道)に古い歴史を持つ。猿島要塞は明治14年(1881年)に着工し、明治17年(1884年に)完成している。見た目には100年以上前に造られたとは思われないような新しさだ。関東大震災でもトンネルは無事だったようだ。
若いカップルの観光客の集客目的で「愛のトンネル」と名が付けられたようだ。新しい物に、「愛の‥」や「恋人‥」は日本全国の観光地に多くあるようだが、100年以上経った物に「愛のトンネル」とは珍しい命名だ。こうした命名が重文指定を遅らせてはいまいか? -
「フランス積みれんが建造物」の説明看板。このトンネルはフランス積みレンガ造りだ。
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トンネル内部。
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トンネル内部。出口の向かいにもトンネルが見える。
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トンネル内部。
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トンネル内部。
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トンネル出口。
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トンネル出口。
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トンネル出口。
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トンネル出口。
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トンネル出口上部。
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次のトンネルの出口。
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トンネルを 抜けると散策路が。
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散策路。随分と整備されているものだ。
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散策路。
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散策路。
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散策路。
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散策路。
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