2008/08/11 - 2008/08/16
320位(同エリア618件中)
松村博司さん
今日は絶対にお昼ご飯を食べる!
固い決意を持って迎えた旅の二日目のお昼は・・・?
屋台で牛串と・・・
焼きそばとわらじコロッケ・・・^^;
カロリーとは反比例してエンゲル係数がどんどん下がっていく><
お腹がふくれた後は長岡藩主牧野家霊廟参りと、長岡市郷土資料館へ。
河井継之助の資料があると言うことで、ここが目的地です。
しかし、私が訪れたり知っている郷土資料館ではもっとも規模が大きかったです。
てか、城風建物は成金ぽいっていうかバカっぽいのでやめようよ・・・
河井継之助の次は直江兼続です。
やってきたのは与板歴史民俗資料館。
兼続殿に出迎えしていただき、私もご機嫌w
レプリカですが「愛」の立物の入った有名な具足も展示していました。
さて、資料館で予習をした後は、今度は兼続居城だった与板城址へ向かいましょう!
挫折禁止(松村博司の貧乏旅日記)
「走れ!北信越2,000km弾丸ツアー!」
http://bonkuraii.blog56.fc2.com/blog-category-52.html
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 自家用車
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てなわけで次なる目的地、悠久山公園に到着です。
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ルート。
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何かお食事処はないだろうかと思ったのですがありそうになく、変わりに屋台が並んでいました・・・
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何事かと思ったら実業団の野球チームの試合が始まるようでした。
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時間は12時15分。
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悩んだ末に屋台で牛串をゲッツ。
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ついでに焼きそばを注文して受け取っている最中にわらじコロッケを発見。
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思わず一緒に注文してしまいました^^;
さすがに食い過ぎたのですが悲しかったのが焼きそばに一緒に入っていたたこ焼き。 -
ふたを開けた瞬間、妙に重く感じたのですが・・・
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あっと思ったときには時すでに遅し。
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フタの裏側に張り付いたたこ焼きがそのまま宙を舞い、弧を描いて地面へ転がっていきました・・・
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・・・;;
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新潟の地まで来て・・・無念なり><
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写真の方は食事を終え、公園の入り口にある蒼柴神社を徘徊しております。
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この神社、三代藩主牧野忠辰の没後、事代主を崇敬していた事がきっかけで造営されたそうです。
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また、戊辰戦争や西南戦争での没者も祭られています。
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すぐ側には藩主牧野家の霊廟もあります。
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霊廟が目的地というわけではないのですが、せっかくあるのですからお参りしておかないと。
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お盆ですしね。
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今回の旅の隠れテーマはお墓参りですから・・・
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って鎖がしてあってこれ以上は立ち入り禁止でした;;
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とりあえずどんどん奥へ進みましょう。
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で、やっと本来の目的の名が出てきました。
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長岡藩総督、河井継之助と北越戦争関連の資料があると聞いてここまでやってきたのです。 -
河井継之助は司馬遼太郎の「峠」でも主人公として登場した幕末の人物です。
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財政難で窮乏していた長岡藩を立て直した人物でもありますが、戊辰戦争で和平交渉決裂、ここが戦場となり街は焦土と化しました。
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本来の目的地である長岡市郷土資料館に到着しました。
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ちなみにこのお城は、城の形をした資料館であって歴史的根拠は全くないです。
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この石はまったく別の場所にあった長岡城の石垣の石だそうですが、本物のお城の遺構はほとんど残っていない状態です。
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入館料は300円。
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これは頂いた冊子。
で、ここに来た目的は河井継之助の資料があると聞いたから。 -
入り口で頂いた中に継之助ゆかりの地を紹介した冊子をもらい、せっかくだからこの後回ってみようかとも思ったのですが次があるのであきらめました;;
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この戦いで継之助は、当時日本に3台しかなかったガトリングガンのうち、2台を手に入れていました。
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またフランスから最新式の銃を2000挺も手に入れ、新政府軍に挑むことになります。
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戦いは継之助の巧みな戦術と最新兵器により互角に戦っていましたが、絶対的な兵力差は覆せずに長岡城を明け渡します。
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しかし、奇襲作戦を見事成功させて一度は奪われた城を再び奪還することに成功しました。
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最終的には再び城を奪われ、継之助をはじめ藩民や藩士達は会津へと落ち延びるのでした。
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この北越戦争、戊辰戦争の中でももっとも熾烈を極めたと言われます。
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会津へと敗走していた継之助は、城の奪回作戦の際に受けた傷が元で42歳の若さで命を落とすことになります。
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その後、継之助は会津城下で葬儀を行った後、戊辰戦争終結後に故郷の長岡で再び埋葬されました。
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しかし、この戦争は戊辰戦争の中でももっとも激しかったと言われ多くの戦死者を出しました。
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また、もともと7万4千石しか無かった長岡藩ですが、戦後に五万石を没収され2万4千石まで減ってしまいました。
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また北越戦争で壊滅的な被害を受け食糧不足なども発生して大惨事となったそうです。
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結果として、地元では今なお継之助に対する戦争責任を唱える人がいるそうで、墓石もたびたび倒されてきたそうです。
何とか戦争を回避しようと必死に努力しようとしていただけに、そんな話を聞くとなんだかとても悲しいですね。
とりあえず、写真の方も終了しましたので次の場所へ向かいましょう。
てか、気温43度って・・・どうなん? -
1時10分、悠久山公園離脱です。
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ここからは20km弱の移動となります。
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同じ長岡市内。
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てなわけで地道を通っていかなければならないわけですが・・・
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相変わらず混雑していました。
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それでもまだ流れているだけマシなんですよね。
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そして少し走るとすっかり風景が変わってきます。
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低い建物ばかりで周りが開けてきました。
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まあ、所々このように混雑している場所もあるんですけども・・・
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新潟と言えば?
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やっぱり米!
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一面広がる田んぼ、田んぼ、田んぼ!
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さすが米どころ、新潟!
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我が家も田んぼを持っていますし、我が家の庭先には一面田んぼが広がっているわけですが・・・
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新潟の田んぼですよw
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新潟にさえ行けばおいしいご飯が食べられると思っていたのですが、どうやらそれは私の幻想のようでした^^;
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ご飯どころか、現在口に入っている炭水化物はジャガイモと焼きそばと・・・
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ウケねらい?
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いや、本人は結構まじめなんですが・・・
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なんて言ってるうちに次なる目的地に到着です。
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資料館が続きますが与板歴史民俗資料館です。
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ルートはこちら。
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拝観料は300円。
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一緒にもらった冊子です。
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ここに来たのはもちろん直江兼続関連の資料が展示してあるから。
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事前の調査では大河ドラマで天地人の制作が決まってから、兼続関連の資料館として改めて生まれ変わったとのこと。
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米沢の上杉神社所蔵の具足、かぶとの立物に愛一文字を使用した独特のヤツ。
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あれのレプリカを置いているとのこと。
での中は撮影禁止でした・・・ -
兼続殿に挨拶でござる〜
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で、写真に写る右側の門は与板城の大手門の移築と伝わっているそうです。
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すっかり写真を取り忘れたのよ〜^^;
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実は本日回った中で一番面白かったです。
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悲しいのは撮影禁止の資料館であるということ。
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本日はすっかり資料館巡りの様相となってきましたがご了承ください。
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ブログ的には面白くないとわかってはいるんですけどね〜
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さて、直江兼続です。
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今更説明する必要もないでしょう。
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上杉家臣であり、知将として活躍した人です。
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また秀吉から再三の引き抜きにも応じず忠義に厚い人物として、さらに側室を一人も持たなかったとも言われ、大変誠実な人柄だったようです。
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なんて言ってるうちに次なる目的地、与板城址に隣接する駐車場に到着しました。
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ちゃんと看板が出ているのですが、実は入り口を探して少し迷ってしまいました^^;
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さて、本日山城登山第二弾です。
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気合いを入れていきましょう!
つづく〜
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