2010/02/28 - 2010/02/28
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有田みかんさん
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皆さん(。・ω・)ノ゛ コンチャ♪
梅宮大社を後にして・・・
新福菜館で昼食・・・( ゚Д゚)ウマー
舞い戻って二条城へと・・・
名称:元離宮二条城(もとりきゅうにじょうじょう)
所在地:京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町541
アクセス:京都市営地下鉄二条城前駅1番出口→徒歩すぐ
車アクセス:名神高速京都東IC30分
駐車場:あり
料金:入城600円
営業時間:8時45分~17時(受付は~16時)
休業日:1・7・8・12月の火曜(祝日の場合は翌日)
問い合わせ先:TEL:075-841-0096
URL:http://www.city.kyoto.jp/bunshi/nijojo/index.html
関ケ原の戦いで勝利した徳川家康が、上洛の際の宿泊所として1603年(慶長8)に築城。後に3代将軍家光が大改修し、現在のような規模となった。堀を巡らし石垣に囲まれた広大な城内は、二の丸御殿(国宝)、本丸御殿(重要文化財)、二の丸庭園(特別名勝)などからなり、豪壮な外観に反して内部はきらびやかさに満ちている。二の丸御殿の障壁画(重要文化財)は狩野派の作で、松鷹図などがよく知られる。本丸御殿は京都御苑内にあった旧桂宮家の御殿を移築。
- 交通手段
- 自家用車
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徳川家康の将軍宣下と、徳川慶喜の大政奉還が行われ、江戸幕府の始まりと終焉の場所でもある二条城
世界遺産ということもあってか、この日も多くの観光客で賑わっておりました -
慶長8年(1603年)に徳川家康の命により、御所の守護と将軍上洛時の宿舎として、現在の二の丸部分が築造され、完成したとされている
その後、三代将軍家光の時に増築され、寛永3年(1626年)に現在の規模になったそうです
伏見城から移築したといわれている「唐門」から二の丸へと -
この門は寛永3年(1626年)に後水尾天皇の行幸に際し建てられたものと考えられている。類似の唐門は西本願寺などにもあるが、同時代の唐門では二条城のものが最大級であるとされている。
装飾がすごいですね・・・ -
「二の丸御殿」です
手前に見えているのが入口に相当する車寄、その奥の建物が遠侍です -
「二の丸御殿」の内部は殆ど全て見学可能で、33の部屋と800畳余りの広さを持つ建物と共に900面以上あるといわれている襖絵、障壁画を鑑賞することができます
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この鐘は、二条城と北側の所司代との間の連絡に使われていた鐘のようです
鳥羽伏見の戦いの開戦時には住民にも知らせるために鳴らされたそうです -
「二の丸庭園」は二条城の築城とほぼ同時期に小堀遠州によって造られたとされており、大広間と池の南側の二方向から鑑賞できるように寛永3年(1626年)に改造されたそうです
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「本丸庭園は」日本庭園と異なり、池や枯山水ではなく、芝生と植樹を中心とした回遊式の庭園です
松が立派ですね〜〜 -
「本丸御殿」は弘化4年(1847年)に建築されたもので、京都御所にあった桂宮御殿を明治26年(1893年)に、ここ本丸跡に移築したものとされています
二の丸があまりにも有名なので、こちらの影は薄いような気がしますね・・・
ここまで来ない人も多いのかもしれませんね・・・
(ここまで結構遠いです^^;) -
天守台から梅林を見て
ここには五層の天守閣がそびえていましたが、寛延3年(1750年)落雷のため焼失し、以降再建は無かったそうです -
それでは梅林へ・・・
遠かった・・・><
1本の木に紅白の花を咲き分ける源平咲き分けが有名でしょうか・・・ -
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もちろん紅梅もありますよ^^;
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白梅も・・・
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ピンクだって・・・
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それでもやっぱり、咲き分けに目がいってしまいます・・・
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見頃まではもう少しといったところでしょうか・・・
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それでは(=゚ω゚)ノ
歩き疲れました(;´ρ`)
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