2010/02/02 - 2010/02/06
1651位(同エリア3485件中)
明石DSさん
13:38:12
レンタバイクで島巡り
原付に乗るのは何年、いや何十年ぶりのことか・・・。
ひっくり返って怪我をしないように
午前に行ったところにもう一度行って
それから戻って今度は南の方まで行こう
と思っていたが、思ったより時間が掛かってしまった
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4日目:テニアン島へ行く(午後の部)
2月5日(金)晴れ
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2010.平成22年2月5日(金)
■ダイナスティー・ホテルに戻り、バイクで島巡り
午後の1時過ぎホテルに戻り、これから自由時間で4時集合だと言われた。
私は早速、朝立ち寄ったホテル近くのレンタバイク店に行きバイクを借りた。今年には還暦を迎える歳だけど、そんな歳のことは眼中になく、ガンちゃん”にくれぐれも危ないから止めた方が良いと言われたレンタバイクで島巡りをすることにした。
50ccの原付なら免許は不要。1時半〜3時半までの2時間借りた。値段は忘れたけど安かった。10ドルもしなかったと思う。
そして向った先は朝と同じコース、とりあえずもう一度ゆっくり見たかったのと、小さい島だから行って戻って、まだ南の方にも行ける時間があるだろうと思っていた。
バイク店で島内地図を貰いポケットにいれて出発。ブロードウェイを真っ直ぐ走った。最初に停まったのは、午前中車窓からだけだった日本海軍通信司令部跡。
左手にラッソー山の台地を見ながらほとんど行き違う車の無いブロードウェイを・・・。そして日の出神社、突き当たりのロータリーから次は、第一航空艦隊司令部跡、この時は中に入って2階まで上がった。
それから航空管制室にも、朝は遠くから車窓から眺めるだけだったけど、中に入った。この建物は破壊の程度も少なく、内部も外壁のコンクリートは大きな弾痕跡も無い。そのまま今すぐにもリフォームすれば使えそうだ。蜂の巣が凄かったけど。
滑走路周辺に設けられている防空壕にも入った。堅固そのもので、ちょっとやそっとの弾丸砲弾は食い止めそうだが、こんな密閉された内部に居れば、砲弾炸裂のその時、内部の状況如何ばかりなり。音や熱や振動、そして恐怖の程は?鉄扉もそのまま残っていた。
米軍のLVT(水陸両用装軌車)を写真に撮ったあたりから帰り道が心細くなった。時は午後3時。バイク返却まで残り30分、ホテル集合まで1時間。そして磁石を持って来なかったことに焦った。管制室くらいですでに2時45分くらいで、出発以降1時間以上経っていたので帰り道を思うと不安になった。
周りはジャングルばかりで見印もなく、磁石さえあれば道は違っても方向は間違わないので勇気百倍だが、折角予備も含めて二個も用意して来たのに肝心の時に手元にない。海が見えるところに出てサイパン島が見えれば、方向が分かって安心だが、それも叶わず。8TH AVEという道を走っていたと思う。
そして途中から東の方向に路地を入り、何とかブロードウェイに出たかった。ちょっとビビッタ帰り道も無事ブロードウェイに入って一路南下、3時15分くらいにはカロリナス台地が望める下り坂に到達した。
ホッと一安心。とにかく迷って4時集合に戻れなかったら、他の人に迷惑を掛けることになるし、私自身6日未明には帰国なのにサイパンに戻っておかなくてはならないから。平らな島・テニアンといってもこうやってバイクで走ると、山もあり勾配もあり、とても平らな島とは思えない。
カロリナス台地が一望できる坂道にバイクを停め写真を撮った。あのカロリナスが日本軍最後の拠点であり、そして玉砕戦後の残存兵士たちの生存の場であった。
「悲惨・テニアン島、地獄を見た兵士」伊藤孝治(著)によれば、彼が戦友5人とカロリナス台地の洞窟から出て米軍に投降したのは、昭和20年、終戦後の8月18日のことであった。
カロリナス台地をゆっくりと眺めて、坂を下りバイクを時間ちょうどくらいに無事返却した。そしてホテルに戻ったのは3時40分、十分間に合った。
このカジノのあるダイナスティーホテルは香港資本で、“ガンちゃん”曰く「二階と三階は中国人専用になってます。そうでないと何でもかんでも部屋の物を持って行くので、ホテル側もそれなりの物しか置けないので、対抗策です」とのこと。
ホンマ世界中で嫌がられるのが中国人だ。道徳・道義のない民族と言うのは、幾ら金を持ち力を付けても世界のやっかいものでしかない。そんな中国が世界の大国になり軍事的にも力を増している。これが世界の不幸に繋がるのは目に見えている。中国にだけは舐められないようにしなければ・・・。
-
13:38:52
テニアンの今は牧畜と唐辛子栽培が主だそうです
気温: 年間平均気温28度
降水量: 年間降水量約2000ミリ
人口: 約2600人
言語: 英語、チャモロ語
通貨: USドル -
13:48:48
海軍の通信所跡
午前中は車窓から写真を撮っただけでした。 -
13:49:22
米軍占領後は捕虜の営倉として使われていた
その後、最近までMDC牧場の屠殺場、
食肉加工場として使用されていたようです。 -
13:49:32
建物はまだまだ立派に存在し、
補修すればすぐにも使用可能の状態に見えます -
13:49:56
壁には弾痕が無数に残り
ここが戦場であった事が思い知らされます
1944年/昭和19年7月24日:米軍テニアン上陸
ならば・・・この弾痕は何時のものでしょう -
13:59:16
ラッソー山が左側に迫っている
日本時代:羅宗という文字を使っていたようだ。
ならばラソー山か。標高170m -
14:04:34
NKK神社の道沿いに残る鳥居
日の出神社と
NKK(N南洋K興発K株式会社)神社は別の神社なのか?
“日の出神社”は東向きに建てられ
“日の出”神社との名前が付いたとの説明もある -
14:11:54
ブロードウェーの北端に設けられているロータリー
ここが“日の出神社”と書かれている案内書もある
NKK神社に日の出神社
未だ良く分からず
今、来たブロードウェーを振り返り写す
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???神社跡
http://www.youtube.com/watch?v=Y3lLlosZ7Bc&feature=player_embedded
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広島原爆搭載地下ピット
http://www.youtube.com/watch?v=3mpVVN5CV74&feature=player_embedded
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14:34:28
第一航空艦隊司令部跡
午前に来て、又午後に原付でやって来ました。
「夏草や兵どもが夢の跡」:松尾芭蕉 -
14:39:38
昭和19年6月頃にはこの地にすでに飛行機なく
角田中将もこの司令部を去りラソー高地の洞窟司令部に移動した
角田長官は潜水艦での脱出叶わず
その後、ラソーからカロリナス台地に移動
8月2日:自決なのか?角田長官の最後は不明の模様
この日を持ってテニアンでの組織的戦いは終了した。
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第一航空艦隊司令部跡
http://www.youtube.com/watch?v=ByWGXE7OVWU&feature=player_embedded -
14:41:18
飛行指揮所跡
第一航空艦隊121航空隊の横森元少尉によれば
『鉄の重い扉を開けると、窓一つない真っ暗な部屋で気持ちが悪い。
この建物の上に木造の櫓を立てて、米軍も使用し、日本本土へB29
をここから指揮して飛ばしていたが、その遺跡でもある』
とあるが、窓はある。また別の場所のものなのか?それとも米軍が窓を作ったのか? -
14:41:38
確かに鉄の重い扉があったようだ -
14:41:48
窓もちゃんとあるけど -
14:42:02
この蜂の巣には驚く
これを見れば、中に入るのもちょっと躊躇する -
14:43:14
飛行指揮所を背にして広場を写す
この空を日の丸飛行隊が飛び回っていた -
14:45:20
飛行場周辺に残る防空壕
確かにゴッツイコンクリートで覆われているが
生きた心地はしないだろうなあ -
14:45:30
出入口の扉の前に防護壁が設けられている
砲爆撃から身を守るには、いくら完璧を目指しても、やり過ぎはない -
14:46:04
狭い内部、一発でも砲弾が飛び込めば
内部の熱はどの程度に、破片も飛び散り
密閉状態だけに即、脱出しないとヤバそうだ。 -
14:46:20
鉄の扉も65年の歳月を経て残っている
戦争遂行には莫大な金が掛かるのも無理はない -
14:46:44
壮絶な艦砲射撃や空爆にも耐え
防空壕としての役目を立派に果たした
当時の姿のまま残っているのも多い -
14:49:10
ハゴイには日本時代、第一飛行場と第四飛行場があった
米軍占領後四本の滑走路が出来た
その一本がこの滑走路:エイブル滑走路
今も米軍が訓練などで使用することもあるそうだ -
14:55:56
LVT(水陸両用装軌車)
朝は車窓から、昼は原付を停めゆっくりと見た -
15:15:06
一時は道を迷いそうになりビビッタが
カロリナス台地が左手に見える
もうすぐサン・ホセ村だ
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カロリナス高地
http://www.youtube.com/watch?v=oXJr-eaClaA&feature=player_embedded -
15:19:00
カロリナス高地
昭和19年8月2日:中島文彦(手記抜粋)
『一日夜、カロリナス高地北東ジャングル内にあった緒方守備隊長は、
手兵三百を率いて総攻撃を敢行、白襷の一般邦人もこれに参加したが、
その中には断髪男装の女性もいた。
これに前後して角田長官以下の司令部幕僚、五十六警大家司令らも自決し、
おおかたその職に殉じて、テニアン島における組織的戦闘を終了したので、
この日をもって海軍部隊玉砕の日と定めた』
(注)緒方大佐最後の突撃の時は千名との数字もある -
15:19:00
テニアンでの戦いは7月24日〜8月1日までの9日間で組織的戦闘は終了した
そして8月2日の玉砕後も多くの残存兵士がカロリナス高地を中心に多数生存し
米軍の掃討戦から生き延びていた。その後徐々に投降しる者も出たが
最後はサイパンの大場榮大尉ら48名の投降後に、
昭和20年12月、テニアンの桝谷中尉以下61名が投降した
日本軍兵士よく戦えり。そんな兵士たちを誇りに思います。 -
15:23:30
オールド・サンホセ教会鐘楼
ピサの斜塔ではないが、少し傾いているとのこと。
砲弾を浴びながらも倒れず、戦争を見てきた鐘楼だ。
17世紀末のスペイン統治時代の遺物で高さは20m位ある
「ベル・タワー」サンホセ村のシンボルともなっている。 -
15:24:52
テニアン港
当初テニアン守備の日本軍はこの正面からの米軍上陸を予想していた
そして実際に23日米軍上陸用舟艇はテニアン港に向ってきたが
日本軍の反撃ですぐに退散した。陽動作戦であり
米軍はテニアンの北西河岸に上陸して来た -
15:33:06
レンタルバイクを無事に返しタガビーチへ歩く
スーサイドクリフまで行きたかったが4集合の時間に間に合わず
結局、午前中と同じ場所を見てテニアンの一日は終わった
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タガビーチよりアギグァン島を望む
http://www.youtube.com/watch?v=WMokdm-Ik3Q&feature=player_embedded -
15:40:58
カジノのある香港資本:ダイナスティーホテル
2階、3階:中国人専用
何故って?ホテルの備品がことごとく持ち去られるから
道徳心なき民は世界の迷惑であり中国の大国化は環境破壊以上に
地球人類にとって不幸の始まりだ -
15:48:52
サイパンもそうだったが、このテニアンでも
リムジンがある
見栄の文化に必要なのだろう。中味に乏しく。
今の日本に不満は山ほどあるが、日本人に生まれた事を感謝す。 -
16:10:04
この巨砲は日本軍の40口径6インチ砲
テニアン空港前にも戦争遺跡の展示があります
日米両軍の物が雑然と置いています。
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■テニアン空港に戻る。
テニアン空港にも日米両軍の武器のいろいろが置いてある。B29の車輪もあった。今はその一角も廃物置き場の風情であるが、ここで日米両軍が死闘を演じた証でも有る。どんな物でも永遠にそのままの姿を保って存在することは不可能だが、例え朽ち果てても形が残っている限りこのまま置いておいてもらいたい。
帰りの便は、来る時より小型のセスナで操縦士合わせて四人乗りだった。黒人のパイロットだった。あっけないフライトだが天気よし、眺望よしなので価値がある。上空からの眺めは絶景なり。
テニアンのハゴイ地区にある四本の滑走路も、三本ははっきり確認できた。四本あるようなないような・・・。そして一番タポチョ山の上空からの景観だ。私にとってサイパン島の象徴であり、テニアンからもはっきり望めるタポチョ山は、サイパン・テニアンの戦いの象徴でもある。
テニアン日帰りツアーを堪能してホテルに無事に、午後5時20分頃到着。大体予定通りだった。これで私のサイパン・テニアンの旅は終了した。 -
16:10:28
B29の車輪 -
16:10:56
B29の車輪のメーカーはGoodRich -
16:11:58
96式25ミリ高角機銃
米軍艦載機をバッタバッタと撃ち落としただろう -
16:21:38
テニアンからサイパンへ
セスナ機に乗るのは今回が初めてだった。
来る時に乗ったから二回目だが・・・。
零戦とこのセスナ機の性能の違いはどれほどなのか? -
16:28:10
こんなちゃっちいセスナ機にもこれだけのメーター類が必要とは
黒人パイロットは良くチョークボタン?を引っ張っていた。
ほとんど右手は引っ張り続けていたいたように見えた
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http://www.youtube.com/watch?v=mSwuU_l3x2A&feature=player_embedded -
16:29:42
浮き上がればサイパン、タポチョ山が
アッと言う間の飛行だ -
16:30:18
四本あるはずのハゴイの飛行場
その他はジャングルに覆われて昔日の面影はないのだろう -
16:32:54
アスリート飛行場へ
この空の景色は昔も今もこんな風に
空の若鷲たちは訓練を重ね空で死闘を演じた -
16:33:32
空からタポチョ山南斜面を写す
いつもどこでもタポチョ山が気になった -
16:33:44
アスリート飛行場に着陸寸前 -
16:36:50
操縦士はカッコいい
なんで? -
16:37:00
パイロットをいれて四人乗りだったと思う
メチャ小さいセスナ機だった -
17:51:50
5時半から始まった
中国・韓国人も若干いたようだが日本人が多数を占めた
日本語の遣り取りに終始
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■ホテルにて
5時半頃から、一階のフェスタ・ホールでダンスなどの催しをしていたので見に行った。その後、10階の展望レストランに行き夕食を食う。「うどんと鉄火巻き」15ドル也。海を眺めながら旅の余韻にふける。
チェックアウトは6日の0:55。集合は午前1:15分。それまでテレビを見たり、夜の浜辺に散歩に出たり、時を過ごした。 -
18:29:26
10階のレストランからの夜景
ここでもやはりタポチョ山
頼んだのは「うどんと鉄火巻き」15ドル也 -
18:30:48
10階の窓にへばりつくヤモリ
沖合いには海兵隊の輸送船
あの船内でみんな何をして時を過ごしているのだろう?
交代で上陸しているのだろうけど -
18:49:36
2日に旅立ったサイパン/テニアンの旅も終わった。
タポチョ山も夕闇の中に姿を消した
この地で散華された皆様のご冥福を祈る
先の戦いを経て、今の世界がある
良くぞ戦って下さった。満腔の感謝と敬意を表す
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