2009/03/27 - 2009/03/29
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アルデバランさん
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<元の北土城、元大都土城遺跡>
大鐘寺の次は元朝の城壁跡だ。
地下鉄に戻って10号線に乗り換えるとあれっ…
オリンピック会場がすぐそばだ。
ちょいと鳥の巣でも見てみるか…
ということで、急遽予定を変更してオリンピック会場跡に行ってみることに。
-
地下鉄の駅を出るといかにもそれらしいゲートがありその向こうには各施設がありそうだ…
-
会場に立って、びっくりしたのはその広さ。
とにかく、広い、でかい -
遥かかなたから続いてます…
毛紀念堂、人民英雄紀念碑、天安門、故宮、景山、鼓楼、鐘楼、そしてオリンピック会場…
700年前の元朝の時代から現代まで遥かかなたから続く中軸線上に立っています。 -
反対側も、かなた遥かまで続いています。
-
「写真撮ってちょ」って頼んだら連れの人たちが
無理やり割り込んできてしまって半ば困惑、半ばニヤケル吾輩… -
ここで、北島康介は「なんも言えねえ」ことしたんだ…
-
メイン会場は入場できるようだ。
行ってみましょ -
近くで見ると当然のことながらデカイ。
-
入場料は50元もした。
暴利だね…
足元見やがって!
と毒づきながら、中に入って
「おおー!大歓声が聞こえてくるようだ!」と感動する。 -
でも、やっぱ50元は高いよね。
あの、故宮、万里の長城が40元だよ… -
オリンピック公園から歩いて15分ほど南、地下鉄で1駅の北土城駅に元朝大都城壁跡がある。
その名も北土城。
北土城路と北辰路の交差点からオリンピック公園方面を見る。
鼓楼大街の延長線上の北に向かう道なんでそのまま北辰路か…
大都北側城壁を縮小して明、清の北京城市は造られたんで、オリンピック会場はその旧城壁のさらに北側にあるということだ。 -
金の燕京中都大興府を陥れたチンギス・ハーンは中華料理はあまり興味なかったようだね。
フランス料理とかロマンチック街道のほうが良かったみたい。すぐにヨーロッパに行っちゃったから…
モンゴルの連中ときたら大興府を滅茶苦茶に破壊したけど孫のフビライは知ってたんだ、
将来ここが有望な地で、100mのかけっこで世界記録が出ることを、だから彼の代に再び元朝の都となった。 -
伝説によれば、フビライはモンゴルの習慣を真似て、北海公園の団城から弓を射てその落ちたところに宮殿を建てたという。
モンゴルの人たちは弓矢で野営の位置を決めてたんだ。
良かったねえ、北海の中にポチャンと落ちなくて。
なんせ、700年以上も前のことだから、当時は10mの城壁があったが今は微かにその痕跡を留めるばかりだ。 -
盛り土も高くなったり、低くなったり起伏がある。
高さを揃えて整備するというというところまではやってないようだ。
元朝大都城壁跡通称元の土城は市内の北方面に3か所その名残りをとどめている。
西土城、北土城、東土城だ。 -
おっ!レンガが…
当時のレンガの名残り? -
そういえば、レンガは全くと言っていいほど見かけない。
当時はこの辺りはあまり人は住んでいなかったんで、
住民が持っていってしまったとは考えにくいが、
明の城壁を作る際にリビルトしたのか?
平遥の城壁では近所の住民がレンガを良く持ち去ると聞いたけど。
大都の城壁は判築だけの土が露出していたとか…
まさかねえ、内側はともかく外側は判築の表面に磚を施していたでしょう。 -
城壁跡の外側は一応、掘になってます。
こうして見るとまるで堤防だね… -
なんか四谷の外堀の堤防もこんな感じだね…
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道路を通じさせる為、邪魔な土を横に盛り上げたんで
ここだけ異常に高くなってる… -
その高くなった頂上から見下ろす。
-
道路から城壁跡を見ると。
どう見ても堤防跡だよね…
反対側にも堤防…ではなく、城壁跡は続くが今日も鐘楼に上がれなくなるので、先を急ぐことに。 -
次に向かったのは国子監、孔子廟
だけど、その入口の反対側にはチベット仏教の雍和宮がある。
こちらは観光名所らしく個人客やら大型バスでの団体客やら賑わってました。 -
入場券は買ってないけど、柵から中を眺めるだけ…
-
さあ、孔子廟、国子監に行きましょう。
ここには珍しく牌楼が通りを跨いでいる。
しかも、変わった牌楼。
両脇が筆を下げたように垂れさがってる。柱が変形したものだ。
したがって4柱3楼。
昔は北京市内の街でも結構あったそうだが、今では2,3箇所と聞く。
横浜の中華街にもあるけど…
ところで、この通りは国子監街と聞いたが、いかにも頭が良くなりそうな「成賢街」になってる。 -
おっ!ここにいわれが書かれている…
元代に出来て、明代は崇教坊、清朝では鑲黄旗に属し国子監胡同またの名を成賢街と言ったのか… -
雍和宮大街から安定門内大街までの国子監街は槐の並木街がよく整備されて、西安の碑林、南門近辺に似てとても雰囲気がいいです。
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そして、これが孔子廟の入り口、先師門。
孔子廟は別名先師廟とも言ったそうだ。
南京では夫子廟だったけどね… -
先師門から後ろを振り返ると、
道路の反対側に左右が内側に折れ曲がった赤い影壁がデーンと… -
チケットを買って先師門を入ると正面に孔子像と大成門。
さらに柱の間から大成殿が見える。 -
おっ!配置図だ。
孔子廟と国子監は隣接しておりともに中軸線上に門と主殿がきれいに配置されてるんだ。
いわゆる左廟右学、孔子を祀る廟と儒教を教える国子監が隣接。
「孔廟と国子監博物館」と表示されてる… -
ちょいと横にある碑亭に寄り道してみましょ。
境内にはいくつもの碑亭がありますが代表して… -
こちらは碑の裏側ですが建物が凄いんで…
-
これは元、明、清代の科挙合格者の名前を刻んだ世に名高い進士題名碑だ。
なぜ、これが孔子廟にあるのかは不明だが、
こんなのが、あちこちに有り、不謹慎にもドミノ倒しを想像してしまいました… -
代表して一枚…
名前と出身省、県を彫ってあるんだ。
名誉なこってス。 -
境内は鎮守の森ほどではないが樹木を植えてあるんだけど、ツルで悲惨な木もありました…
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さあ、いよいよ本殿の大成殿だ。
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孔子廟なんで祀っているのは孔子の位牌が。
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扁額はなぜか黎元洪。
中華民国大総統なんでべつにいいけど…
清朝の乾隆帝とか道光帝、咸豊帝、光緒帝等のそうそうたる皇帝の額を横にどかして正面に添えたんだ。 -
つぎは国子監。中国における最高学府。
孔子廟の横からすいっと行けます。
直ぐにあるのは石材店、ではありません。
これこそが楷書で石に刻んだ十三経碑林の乾隆石経だ。
楷書の書体とか解釈で異論がいろいろ出るので、このように石に刻んでしかも公平に公開して、統一を図っていたんだ。みんなこれに基づき科挙の試験勉強をしたんだよね。
西安の碑林の開平石経の方が有名で、日本人だとわかると、「昭和は、ホレここから採ったんじゃ」と教えてくれるけど、ここにはだれもいませんでした… -
国子監も中軸上に大学門、瑠璃牌楼、辟雍…とならぶ。
国子監といったら殷墟と甲骨文字発見の経緯で出てくる、マラリア病みの王懿栄が国子監祭酒(校長)だったところだよね。 -
磚を躯体にその表面に瑠璃瓦を貼った4柱7楼の瑠璃牌楼。
皇帝・皇族だけが使える瑠璃瓦を使った豪華な牌楼だ。 -
あまりにも立派なんで反対からも瑠璃牌楼を見てみましょう。
篇額の「圜橋教澤」「學海節觀」も乾隆帝の御筆による -
国子監のメイン建物、辟雍。
乾隆帝の時代に皇帝自らが講義するために造られたんだって。
「ハイ、皆んな。声を出して続いてね! 巧言令色少なし仁…」
これじゃあ寺子屋か…。 -
構成“辟雍環水”之制,以喻天地方圓,傳流教化之意。
天子の學宮、大射に禮を行ふ處、形圓くして四面水を以て之を環らす。
何故か周りに池を巡らし、重檐の方形造りの辟雍殿。 -
辟雍の玉座。
ここに座って皇帝は講義をしたのか。
その割に机がしょぼい様に見えるが…
ホワイトボードとか、パワーポイントとかは使わなかったようだね。 -
ご多分にもれず龍だらけでした。
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蔵書蔵の彝倫堂の前の孔子像。
柵には絵馬がどっさり掛けられ、孔子様もまんざらでは無さそうなほくそ笑み…
日本で言えば天神様のような感じか? -
孔子廟、国子監で出会った唯一の団体さん
雍和宮と違っていたって静かでのんびりしていたところに彼らはやって来た。
「一体何処から来なすった…?」
「クンミンじゃ」
「ほー我輩は日本からじゃ」
お互いにおのぼりさんですなあ
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