2009/03/27 - 2009/03/29
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アルデバランさん
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<中国国家大劇院>
白雲観の次はポール・アンドリューの国家大劇院だ。
人民大会堂に隠れているとはいえ天安門、故宮から目と鼻の先に出来たこの奇抜なドームを改革開放路線の成果として、オリンピック施設や中央電視台ビルと同等に見なすか、悪趣味の一言で済ましてしまうのか…
天安門広場のスターリン様式の建物に引けをとらないその自己主張に唖然としてしまいました。
でも、景山から南面すると甍の群れにポッコリ海坊主。慣れるまで時間がかかるだろうね。
-
長安街を国家大劇院が見える公園前で下車。
この辺りはかつて長安右門があった所辺りだろうか…
北京の城壁取り壊し論争の後に、長安街をどうするのか論争もあった。
無情にも撤去されたが、長安街はおかげで、ドでかい通りになって渡るのに一苦労。 -
国家大劇院と人民大会堂。
中に入る前に周りをぐるっと観察。
でか過ぎてとても一周は出来ず、半周したところで引き返す。
この池の下も施設になっており大丈夫かな漏水は? -
さあ、いよいよ入ってみましょう。
半地下のようになってるので階段を降りると… -
ロビーはシックというか暗いねえ。
セキュリティが厳しそうだ。
おっ!団体さんの見学者たちも…
我輩と同じくおのぼりさんか? -
入場料を30元払って、セキュリティを抜けるとアトリウムのような長ーい通路があります。
吹き抜けじゃないから、アトリウムとは言わないか…
ちなみに左右は展示室になっていて、現代絵画展と各国の劇場の写真等が展示されてました。 -
通路を通って突き当りからがドーム部分になる。
本日の状況がこのように掲示されてる。
国家大劇院は音楽ホールと歌劇場、そしてコンサートホールからなる複合劇場だ。
今日はコンサートホールだけが公開されているようだ。 -
突き当りを右に上がると音楽ホール。
真ん中にある戯劇場も右に行けと表示が出ている。 -
左に上がるとコンサートホール。
想像どおり左右対称でした。 -
外光もふんだんに取り入れ、明るいけど黄砂対策はどのようにしているんだろ?
マメな清掃しかないか… -
茶色いのは鉄のカーテンです。
なかなか洒落てる。
ドームの特徴は柱を一本も使わないことだよね。 -
なぜか、大理石が足りなかったかったのか新聞で養生してます。
中国的でいいよね。 -
二階にはショップもありました。
日本公演時にサインしてもらう為、ランランの本を購入。
ランランったって鈴木蘭々じゃないよ…
朗朗のことです。 -
あーら、こんな顔写真を掲示している。
西蒙拉特か…
誰が、どうきめるんだろ? -
秋に日本に来て話題になったニュウ・ニュウだ…
-
我らがランランの手形もありました…
-
手形をもう少し。
アシュケナージともう一人は、
パウル・バドラ・スコダ。
渋すぎる…
朝青龍のは?
ある訳ない! -
吹き抜けから下を見下ろすと…
-
全体の見取り図。
真ん中に戯劇場。
左右にオペラハウスとコンサートホールだ。
外観だけでなく中も卵のように黄身とカラザと中にできる空間のようだ。 -
おっ!さすが、北京です。
トゥーランドットの衣装。 -
音楽庁(コンサートホール)をちょっと覗いてみました。
なんか、リハーサルやってる。
入ってから1時間30分も経ってる。
内部もあらかた見たから出るか… -
「みんな、インフルエンザに備えてウガイしよう!」
ってことじゃないですよね。 -
国家大劇院を出て長安街を渡ると、かつて社稷殿があった場所にある中山公園だ。
ちなみに天安門の反対側にはトゥーランドットでおなじみの労働人民文化宮。 -
中山公園の中は緑も多く広々としている。
-
鼓楼近辺の胡同を歩く予定が、午門の前で
-
不思議な光景に出くわした。
中山公園の前でも、この午門の前でも
旅行会社のバスツアーのパンフレットなのか
競争するかのようになりふり構わず配布している人たち。
そして、捨てられたパンフレットを集める人たち…
思わず、20分間も観察してしまいました。 -
午門を入って、大和門に向かわず左の武英殿方面に寄り道…
右側の門は大和門の横の貞度門だ。
写真では見えないが手前斜面の向こう側には内金水河が武英殿方面に流れている。 -
左側の側面の回廊部で鹵簿(ろぼ)儀仗展をやってました。
ちょいと覗いてみると… -
高宗乾隆帝の南巡は有名だけど、聖祖康熙帝も行ったようだ。
ながーーい康熙南巡図がありました。
紫禁城には象を飼ってたって言うが本当だったんだねエ
ちなみに康熙帝は6回南巡したが、乾隆帝もそれに倣って6回巡行したようだね。
間に挟まれた世宗雍正帝は忙しくてそれどころじゃなかったみたい… -
康熙帝の南巡は蘇州へ黄河の治水工事の視察が目的だけど、
乾隆帝はお宝探しの単なる観光旅行で地元はえらい迷惑だったみたいだね…
それと女性も目当てだったとか。
なんせ、紫禁城には怖い皇后の目があったから…
手前の鞭はぺちゃくちゃお喋りを静止する為の鞭だ。
なんせ、中国の人は喧しいから。
それと、右下にちょっと見えるのは鉄兜じゃないよ…
銅製の品級山だ。
階級は18ランクあったみたいだね。 -
ウォーリーを探せみたいだね…
満州八旗の旗おったててずらりと勢ぞろいしている。
お出迎えなのか、お見送りなのか? -
康熙南巡図のような大物の他にも色んな工芸品も
展示してありました。
代表して…
三希堂のいわれを書いた「三希堂記」の玉冊。
乾隆帝御筆とある。
では、その三希堂目指して… -
相変わらず大和殿は繁盛してます。
でも、ちょっと離れれば静かです。
側面の弘義閣の回廊は清朝時代の弓・槍から大砲まで武器の展示でした。
では西側の武英殿、養心殿、西六宮方面に行ってみましょう。 -
武英殿をぐるっと廻って、さらに奥は順路の案内が…
-
この月華門を越えれば養心殿、西六宮。
月華門といえば、隆宗門のヤジリ事件、いわゆる天理教徒が宦官の手引きで紫禁城内に乱入した
前代未聞の出来事で、養心殿に迫り来る賊を皇子時代の後の宣宗道光帝が屋根に登って、
ライフル銃で応戦したという、まるでOK牧場のような場所だ。 -
養心殿は雍正帝がここに住んで政務を執った場所。
本来なら乾清宮に住むんだけど、乾清宮には康熙帝の棺が安置されてたんで、
怖かったんだろうね。今と違って当時は夜は暗かったから…
幽霊はだれでも怖いよ。 -
養心殿。
「養心莫善於寡欲」 心を養うは寡欲より善きはなし、孟子ですねえ。
紫禁城の表舞台である、太和殿とか乾清宮は単なる典礼の場になっちゃったけど、ここ養心殿は清朝滅亡まで様々な出来事の舞台となった。 -
雍正帝の手による中正仁和の額がかかる養心殿、東暖閣。
光緒年間に東暖閣は体順堂といって、西太后と慈安皇太后の東太后が垂簾聴政をおこなった場所だ。 -
空前にして絶後のお宝コレクター
乾隆帝の三希堂だ。
ここで王さんちの書を眺めていたんかいな。
でも、王義之の「快雪時晴帖」は贋物とはいえないが真筆でなく模写だだったんだよね
乾隆帝は真筆と信じてたけど。
なんせ、「神」とかの落書きとかハンコをぺたぺた押して楽しんでたというから…
周りは紫禁城とはいえ殺風景な養心殿の一角。
日本なら洒落た庭園を外に配するのに…
右上に「三希堂」と乾隆帝御筆の額と「懐抱観古今、深心託豪素」という対聯が架かっているが時間が悪かった。
夕日がガラスに反射してしまう… -
さてと、続いて養心殿の奥にある西六宮に行って見ましょう。
ここは皇帝の后妃が住んでいた所だ。 -
長春宮
西太后が住んでいたところだ。 -
体和殿。
徳宗の光緒帝が17歳の時、皇后選びをやった所だ。
清朝独特の后妃選定制度、選秀女は3年に一度適齢期の満洲人の少女をずらりと並ばせて、よりどりみどり…
それにしては歴代の皇后が美人でないのはどうしたかことか?
5人の最終候補が並ぶ中、いたんだよね光緒帝のタイプが…
彼女を指名しようとすると突然「チャー!」という西太后の声が…
西太后は別の少女の方向を目配せしてる。
見るとこれが凄いブス(失礼を承知で…)
でも、西太后には逆らえません。
光緒帝は泣く泣くその人を指名しました…
ズルイ…、西太后の姪だったんだよね。
その人こそ、後の隆裕皇太后。
辛亥革命で宣統帝溥儀の退位を決断したその人だ。
ちなみに、光緒帝が選ぼうとした人は後の恪順皇貴妃。
光緒帝に愛された悲劇の人、珍妃だ。
隆裕皇太后も珍妃も写真が残ってるよね。 -
もう一つ。
儲秀宮。
西太后はここで同治帝を生んだ。
50歳の誕生日に長春宮から、ここに引っ越したけど
そのとき白銀63万両を費やしてここを改修したと
案内板に書いてありました。
「63万両ってどのくらいの額で、ドコをどう改修したの?」
みんな、そう思って中を覗いてる…
いけね、もう3時半だ!
早くしないと閉まっちゃう…
どこ、行こうかな? -
東側の側楼も行って見ると、こちらは建物関連の資料展示。架構の模型があり、屋根の優美さのヒミツを明かしてました。垂木と桁と組物の関係がよく分かる。
飛檐垂木もしっかり使ってるんですな。
「屋根が曲がりながら傾斜しているのもそれが桁構えであることから生まれている。このような建築構造は設計者に大きな自由を与える」梁思成 -
軒の加重を支える斗キョウの模型
尾垂木が独特の形。
紫禁城の建物といえば、明の蒯祥(かいしょう)だろう。
蒯魯班(かいろはん)と呼ばれるこの棟梁の最高傑作は承天門、現在の天安門だ。 -
おおー!これは紫禁城の模型だ。
そういえば、映画のラストエンペラーでもこのようなミニチュア
が出て来たねえ。
今いる所は、右手の体仁閣の回廊だ。その更に右手に文華殿。
反対側の金水河の先が武英殿。その遥か向こうに養心殿、西六宮がある。
あそこから戻ってきたのか… -
なぜか、メンドルも有りました。
-
あと閉館まで30分になってしまった。
文華殿の陶磁器を見て帰りましょう… -
素人目に見ても
上海博物館の陶磁器の方が遥かに充実しており精品が多い…
やっぱ故宮は建物が売りか… -
午門を出て天安門方面に行かず横からぐると迂回することにした。
故宮は周りを護城河に囲まれているが、一周しているわけでなく正面の午門の所で途切れている。
この辺りの護城河はちょうど皇居の千鳥ヶ淵と同じようにボートを浮かべることが出来るようだ。 -
北京市内を囲むいわゆる城壁は1950年代に撤去か保存かの論争の挙句、ごく一部の門を残して撤去されてしまった。その跡地は環状道路と地下鉄が走り、城門の名前は駅名や交差点に残った。
このあたりの経過は王軍の「城記」に詳しい。掲載写真は若干少ないが訳本が多田麻美氏の手により
「北京再造」と題して出版された。北京の都市計画がいかに実行されたかが手に取るように判り大変な労作だ。
城壁は撤去されたが、紫禁城を囲む宮城の城壁はこのように今でも聳え立っている。 -
故宮の西南角地の角楼と城壁。
100m先に城門が見える。 -
故宮は東西南北4つの城門がある。
午門と玄武門は出入り出来て有名だが、こちらは西華門。
武英殿の直ぐそばだけど一般人は通行できません… -
西華門を出た所にかかる橋の上から北方面の護城河(筒子河)と故宮の甍。
4時半になってしまった。
鼓楼大街付近の胡同めぐりをしよっと…
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