2004/08 - 2004/08
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ドクターキムルさん
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鉄筋コンクリートで再建される天守閣が多いなかで、木造で再建された天守閣もある。古くは昭和8年(1933年)に再建された郡上八幡城天守閣に続いて、昭和10年(1935年)に伊賀上野城天守閣が建設され、平成になって小峰白河城(1991年復元)が復元され、木造天守閣は掛川城(1994年再建)、白石城(1995年復元)、新発田城(2004年復元)、大洲城(2004年復元)と続いて再建、あるいは復元されている。隅櫓や城門の復興も木造でなされるようになってきている。最近は本丸御殿の復興がブームのようで、彦根城、佐賀城、丹波笹山城、熊本城、名古屋城で、木造でなされている。名古屋城では木造での天守閣の再々建も話題に上っているようだ。いうまでもなく、日本の伝統建築は木造であり、近世の建築物を木造で再建復興すればその良さを実感することができよう。
郡上八幡城四層天守閣は大垣城の天守閣をモデルにした模擬天守である。
伊賀上野城三層天守閣は模擬天守である。正式には伊賀文化産業城という。慶長17年(1612年)9月、当地を襲った大暴風で、建設中で竣工間近であった五層の天守閣が倒壊し、江戸時代を通じて再建されることはなかった。
小峰白河城御三階櫓(天守閣)は平成3年(1991年)に復元された。
掛川城三層天守閣は平成6年(1994年)に木造で復興された。掛川城には二の丸御殿が現存し、三ノ丸から本丸に移築した太鼓櫓も現存している。
白石城三層天守閣は平成7年(1995年)に復元された。城址には建物が残らず、全てが木造で復元された。
新発田城天守閣(三階櫓)は平成16年(2004年)に復元された。新発田城には本丸表門が現存し、鉄砲櫓跡に二の丸隅櫓が移設されて現存している。
大洲城天守閣は平成16年(2004年)に復元された。大洲城には台所櫓、高欄櫓、苧綿櫓、三の丸南隅櫓が現存している。
(表紙写真は新発田城天守閣(三階櫓))
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