2009/12/25 - 2009/12/31
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Mark & Risbeauさん
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【http://4travel.jp/traveler/marktanaka/album/10420744/からつづく】
明けて12月26日、相変わらず寒いながらも朝から晴れ上がり、格好の観光日和になりそうだ。部屋を出ると、目の前にこんなの(↓)がぶら下がっている。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- ユナイテッド航空
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「リストラ」とはクビになることではなく、「紐」の意味
チリペパーの名産地であるニューメキシコでは、チリは食材として使われるだけでなくこんな装飾品になってしまう。写真はサンディアという種類のチリから作ったニューメキシコの伝統的な装飾品でリストラと呼ばれる。本来はチリを乾燥させて保存するのが目的だが、魔除けの意味もあるらしい。街中至るところで見かけるリストラは色彩が淡泊な冬の風景に程よい風味を加えている。 -
車の中に放置していた水はカチカチになっていた
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こちらが奇跡の階段でございま〜す
ホテルのバッフェでしっかり朝食を腹に収めると、車を置いたまま歩いて街の探索に出かけた。最初に向かったのは、ガイドブックに必ず出てくるプラザ近くのロレット礼拝堂。ゴチック・リバイバルの建物自体は珍しくないが、奇跡の階段と呼ばれる螺旋階段で有名な教会だ。どういうわけかニューメキシコには奇跡が多い。
1887 年にこの場所にパリのサン・シャペール寺院そっくりの教会が完成したとき、6メートルの高さにある合唱隊席に登る階段がなかった。そこでシスターたちは大工の守護神聖ヨゼフ(=イエスのパパ)に9日間熱心に祈りをささげ助けを求めたところ、どこからともなく一人の職人が現れ、この螺旋階段を作って立ち去ったというのである。作られた階段には鉄釘が一本も使われておらず、階段を支える柱がないことからいつの頃からか奇跡と呼ばれるようになった。正直なところ奇跡というにはやや物足りない気がしないでもないが、確かに見事な大工仕事ではある。果たしてひとり3ドルの入場料の値打ちがあるかどうかについては諸賢のご判断に委ねたい。 -
サンタフェ・トレイルは19世紀中頃のミズーリ州からの交易路
ロレット礼拝堂で奇跡を目撃したあと、同じ旧サンタフェ・トレイル沿いにあるバリオ・デ・アナルコ歴史区域に足を伸ばした。この地域には、米国で一番古い(と自称する)サン・ミゲル教会、米国一古い(と同前の)家のほか、数軒のボロい年季がこもった建物が保存されている。このなかで一番見栄えのするサン・ミゲル教会は1626年に初代が完成して以来4世紀のあいだ繰り返し改修・改築が繰り返されたが、いまでも1710年当時のアドビの壁が残っているそうである。この教会は外観だけ見させていただくことにした。 -
サン・ミゲル・ミッション(サンタフェ、1610年)
休み明けで再開したダウンタウン界隈の商店を見て歩いたが、いずれもアメリカ原住民が作ったターコイズと銀の装飾品、幾何学模様があしらわれた素焼きの陶器や織物など、同じようなラインアップですぐ飽きてしまう。どの店にも寸分違わない製品が置いてあるって、もしや中国からコンテナ船で渡来したものでは? -
ジョージア・オキーフ美術館
プラザ周辺にはいくつか美術館が集中しているが、その中から厳選してジョージア・オキーフ美術館を訪問した。ジョージアさんは1920年代に米国の美術界を風靡した画家で、ニューメキシコの自然と風物をモデルにした彼女の作品はアメリカの美術が欧州に広く紹介されるきっかけになったそうだ。美術館に入るとちょうど館員による作品の鑑賞ツアーが始まったところだったので、しばらく不可解な絵の解説や訪問客たちとの熱のこもった質疑応答を聞いていたが、まるで美術学校の抽象芸術の講義を聴いているような落ち着かない気分になった。館内に展示されているそれほど多くはない作品を一通り見て、早々に退散。頭脳構造が単純なのか、抽象的なものには即座に拒絶反応が出てしまうのである。 -
アメリカ原住民たちの露店街
プラザに接する一辺は、米国でもっとも古い政府建物といわれているパレス・オブザ・ガバナーズという平屋建てのアドビ建築で、スペイン統治の時代から20世紀初めまで歴代の統治者の官邸として利用されていた。いまは僕が好きそうな州立の歴史博物館になっているが、残念ながらクリスマス休暇で閉館のままだった。この建物の前の長い回廊には原住民のアーチストたちがラグを敷き、延々と続く銀細工の露店を店開きしていた。冷やかしの観光客に混じって品定めするりす坊の眼差しは真剣そのものだ。 -
ちょっと傾いでます(持つ手がかじかんでいる)
それほど広くはないダウンタウンをぐるっと歩いて回ったあと、ホテルに車を拾いに戻った。しっかり凍ったボトルウォーター持参で、これから本日の目玉、町から約1時間のところにあるペコス国立歴史公園に向かうのである。 -
ペコス歴史公園
ペコス歴史公園は西暦12世紀に原住民のペコス族が築いた集落(プエブロ)跡である。1450年頃には人口2000人の大きな要塞に成長し、周辺の交易の中心地だったようだ。公園内の小高い丘の上には当時の建物の基礎部分が発掘され整備されている。スペインの探検隊は1540年にこの地を訪れ、友好的に交流したがそのまま一旦立ち去った。1621年(日本では江戸時代が始まったころ)に彼らが再びここに戻ってきたときには、プエブロ族(プエブロに住む原住民)の征服と強制的な布教が目的だった。 -
ペコス・プエブロの教会跡(1621、1692)
ここの遺跡に廃墟として残る大きな教会はプエブロ族を労働力に使って築いたものらしい。スペイン人が強いる強制労働と貢ぎ物に次第に嫌気を募らせた各地のプエブロ族は、1680年遂に一斉蜂起してスペイン人達をメキシコに放逐した。ここペコスでも悪夢の痕跡を消すためキリスト教会が破壊され、宣教師達の命が奪われた。12年後再びスペイン人の統治が復活し同じ場所に教会が再建されたが、その教会も1838年にペコス族がこの地を放棄して以降永久に廃れてしまったのである。 -
月と廃墟
征服者と隷属民の確執の地に残る廃墟は、無為な人の営みと時代の移り変わりを無言のまま今に伝えている。
【http://4travel.jp/traveler/marktanaka/album/10426070/につづく】
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旅行記グループ ニューメキシコ冬の旅(2009)
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