2010/01/01 - 2010/01/06
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akkiy363672さん
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今回の旅では、「万里の長城」「紫禁城」「王府井」のほか、「頤和園・明の十三陵・パンダ館」などを訪問しました。
路順の通りではありませんが、その顛末をご報告告します。
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- JAL
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今日は、明・清の皇帝の別邸「頤和園」の見学です。
この庭園も、とてつもなく広い。章くんたちは、その20分の1ほどの箇所を駆け足で回ってきました。
← 入場券売り場です。 -
← 入り口。ここも、獅子くんが守っています。
1750年(乾隆15年)、崇慶皇太后(孝聖憲皇后)の還暦を祝い、清の「乾隆帝」は西湖掘削と西山・玉泉山・寿安山の造営、更に西湖・高水湖及び養水湖を貯水池することを命じました。
そして、漢の武帝が昆明池を掘削して水軍の訓練を行った故事に因み、西湖を昆明湖と、また、瓮山を万寿山と改称しました。
1764年(乾隆29年)、洋銀480余万両の費用を費やした清漪園(頤和園の前身)が完成していますが、後年は国力の衰退に伴い次第に荒廃、1860年(咸豊10年)、第二次アヘン戦争で英仏の軍隊により破壊・消失してしまいました。 -
← 入り口を入ってすぐにある 「仁寿門」。
1884年から1895年(光緒9年から10年)にかけて西太后の隠居後の居所とすべく、光緒帝の名により清漪園の再建が命令されました。
その工事は、海軍予算を再建費に流用していたことで日清戦争敗北の原因の一つとなったと言われる程、国庫を圧迫するものでしたが(実際には軍事費流用の事実は確認されていません)、庭園は再建されて「頤和園」と改称、西太后の避暑地に利用されました。 -
← 仁寿門を入ってすぐ、仁寿殿の前に置かれた「太湖石」。
中華民国が成立すると、「頤和園」は清室の私有財産とされ、1914年には有料での一般開放がなされました。
そして、1924年に溥儀が紫禁城から放逐されると、頤和園は北平(北京)特別市政府に接収され公園として一般に公開されました。 -
「仁寿殿」の顕額。
1860年、英仏連合軍に焼かれ、1888年に再興されました。
満州族の王朝である清朝の建築物らしく、漢字と満州文字が併記されています。 -
舎殿の裏手に回ると、昆明湖が広がり、その向こう万寿山の先端に、頤和園を代表する「仏香閣」が見えます。
頤和園の面積は290万?。そのうちの4分の3を占める昆明湖は、深さは2mもない人造湖です。
「この池を掘って、あの山を造ったんです」という説明に、中国のパワーを感じました。
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北岸に渡り、「宣芸館」から、昆明湖に張り出した東屋「知春亭」を振り返りました。
母親の西太后によって、この頤和園に幽閉されていた光緒帝も、あの東屋から湖を見つめながら、清の行く末を思ったことでしょう。 -
中庭に置かれている太湖石。
湖南の太湖から切り出して運んできたというのです。当時の運搬は、人馬によったのですから、たいへんなことだったのでしょう。 -
この崩れそうな門は、有名な「長廊」の入り口です。
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湖の北岸に面して立つこの廊下(728m、柱間は273間)を歩き、途中の休憩所で休みながら、四季の昆明湖を眺めたのですね。
梁に描かれた、花鳥風月や三国志などの歴史画も見事です。 -
対岸が霞んでいます。
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長廊の途中でUターン。鳳凰や龍や麒麟などの端獣が守る「仁寿殿」へ戻ってきました。
これにて、頤和園の見学は終了…。 -
今日は、明の十三陵のうち「定陵」の見学です。
畑の真ん中に「十三陵」と書かれて、大きな門が見えてきました。
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北京の中心から北西へ約50km、「明の十三陵」は昌平県の天寿山南麓に広がっています。
← 門をくぐってからもバスは走り続けます。
ここには、15世紀初頭の明朝の16名の皇帝のうち、3名を除く13名の陵墓があります。
ひとつの陵墓でも大きなものですから、少し離れたところに13もの陵墓が散在していて、総面積は広大なものです。
現在、一般公開されているのは、「永楽帝」の陵墓である「長陵」、「隆慶帝」の陵墓「昭陵」、そしてここ14代皇帝である「万歴帝」の陵墓「定陵」の3つだけです。
今日は、そのうちの、最も早くに発見され、発掘されたという、「定陵」を見学します。 -
「定陵」の門壁に着きました。
万暦帝 (ばんれきてい 1563年 - 1620年、在位1572年 - 1620年)は明の第14代皇帝。隆慶帝の第3子として生まれ、10歳で即位しました。
忠臣張居正により国力は向上したのですが、その死後は親政を始めると一転して堕落し、寵姫鄭貴妃の偏愛した皇位継承を乱れさせ、また豊臣秀吉の朝鮮出兵もあって李氏朝鮮を援助し、財政も悪化した。
後半生では25年にわたって後宮にこもり、朝政の場に全く姿を現さなかったという。 -
← 定陵入り口
万暦帝の時代は明の爛熟と退廃の時期でありました。
すなわち、この時期に外国産の銀が大量に流入したことにより、経済界は好況に沸き、その影響で文化的に最盛期を迎え、景徳鎮における万暦赤絵などの陶磁器の名品が生まれました。
しかし、政治の退廃から、明の衰退は明らかとなっており、女真族の力も増す一方でした。
万暦帝の治世は45年…。明朝の不幸は、賢帝の治世は短く、愚帝の知性が長かったことなのでしょう。
『明史』は「明朝は万暦に滅ぶ」と評しています。 -
門を入ってしばらくいくと、飾り彫刻の石段がありました。
遥か向こうに、定陵地下宮殿の入り口がみえています。 -
宮殿入り口の横の階段をひたすら登り、墳墓の後ろ側から入るらしいです。
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裏口から入り、今度は階段をひたすら降ります。
地下宮殿は、びる10階分の地下にあるのだそうです。 -
地下の部屋 その1へ着きました。
ここは皇后の棺が安置されていた部屋だとか。今は、皇帝の部屋へ一緒に葬られています。
床から壁面そして天井に至るまで、大理石で作られています。大きな扉は、大理石の一枚石版だとか。
しかもその造作は精緻で、壁面は寸分の隙間もなく石が積み上げられ、また天井部は見事なアーチを描いていました。 -
地下宮殿の入り口から、直線で一番奥の部屋…、棺の安置室です。
3つの棺があるのは、万暦帝・孝端顕皇后、そして最愛の寵姫鄭貴妃のものが並べられているからです。
でも、1960年代から始まった中国での文化大革命の最中、旧思想・旧文化破棄を掲げる紅衛兵らにより墳墓が暴かれ、これらの亡骸はガソリンをかけられ焼却されてしまいました。
いまは、空っぽの棺だけが置かれています。 -
棺が置かれた部屋の前の部屋には、皇帝・皇后たちの座椅子、日用品などが並べられていました。
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地下宮殿への正面入り口です。
大きな大理石の扉がありました。
【今日はここまで。つづきはまた明日に…】 -
← 地下宮殿から出てきて、正面の石碑のある城楼へと登っていく道です。
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← この墓標を祀る楼は、発掘後i造られたものです。
このあたりを耕していたら、偶然に「地下宮殿設計図」を掘り当て、それを元に大々的な発掘が始まったそうです。
それにしても、こんな大きなものを造っておいて、また誰にも知られないように涼めたなんて…。 -
どこまでも続く畑地…。この一帯の地下に、13名の皇帝の陵墓が眠っていたのですね。
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さて、今日は「パンダ館」の見学です。
昨夜来の雪が、北京動物園を真っ白にしてしまいました。 -
いました、一匹…。せわしなく動き回っています。
この動きは、熊ですね。 -
次の檻では、敷き詰めた笹の中で転げまわるパンダがいました。
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座り込んで、笹をかじり始めました。
さすがは人気者のパンダ、一つ一つのそのしぐさが愛くるしくて、見飽きません。 -
次の折では、高いところに居たパンダが、下へ降りてきました。
階段を下りるのに、後ろずさりに降りてくるのですよ。 -
館内の売店。パンダ一色です。
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帰り道、北京オリンピックのメイン会場「鳥の巣」
を見学に行きました。
「鳥の巣」の前の広場で遊ぶ人たち。降りしきる雪の中、誰も傘なんか差さずに遊んでいます。 -
「京劇」観賞です。
今夜の梨園劇場(Liyuan Theatre)は、前門建國飯店(JianGuo Hotel)にあります。
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開演前、ロビーで、役者さんたちの化粧(隈取り)の様子を見ることができます。
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お茶を注いでくれるパフォーマンス。
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この日は2幕。
これは2幕目の「水漫金山」。
白蛇の亭主は、妻が妖怪だと知りお寺に逃げ込みます。
夫を取り返しにお寺へ押しかけた白蛇や水の生き物(青色)たちは、法力の兵士たち(赤色)と、争奪戦を繰り広げます。 -
ジャンジャンと、音楽に乗って大立ち回り!
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結局、亭主は取り返せず! フィナーレ
イヤホン(40元)、パンフレット(80元)を買って、内容を理解しました(笑)。
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ホテル(前門建國飯店(JianGuo Hotel))のラウンジでは、ピアノの生演奏がありました。
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梨園劇場のある、前門建國飯店(JianGuo Hotel)。
7時開演で、終わったのは9時…。 -
北京最後の夜は、シェラトンのラウンジで…。
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ウエイトレスの女の子も、まだクリスマスバージョンです。
中国では、年が改まるのは2月の「春節」。海外へ行っている人たちも故郷に帰り、一家揃って新しい年を迎える習慣です。 -
ケーキセット…。
同行のA氏に言わせると、「あのケーキ、3日ほど前からケースの中にありましたよ」。
中国ですからね、細かいことは…。そういえばなんかパサパサしていたなぁ(笑)。 -
でも、やっぱり北京はすごい。
溢れる人の波、劇的に変貌していく町、そして、中国五千年の歴史…。
いつかまた、ゆっくりとフリーで訪れたいと思う。 -
今日、帰国します。
天津空港13時05分出発。逆算して、午前7時にホテルを出ました。
← 朝の通勤風景です。 -
北京南駅。天津まで、中国が誇る最高時速350kmの新幹線で移動です。
駅の構内へ入るには、X線による持ち物検査があります。飛行機なみですね。 -
← これは改札機です。ホームによって、入り口が決まっています。
時間が来るまで(改札が始まるまで)、プラットホームへ入ることはできません。 -
ホームにて。
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天津駅から空港まではバスで…。
天津市内も雪が残っていて、解放軍の兵士が雪かきをしていました。 -
次のところへ移動です。
解放軍は、18〜20歳過ぎの若い兵士ばかりだとか。
バスの窓から手を振ると、はにかんだように小さく手を振っていました。
解放軍も、人間だなぁ。 -
天津空港にて。
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空港内のラウンジでコーラを飲みました。
さすがは中国…、コップも何もなく、缶のままでストローが添えられていました。
サーヒースの概念がないのですね。中国のこれからの課題です。 -
天津空港も、一面の雪景色です。
さっき着いた日航機が、ボーデンゲートに入ってきました。
日航も経費節減…、しっかりとフル回転させなきゃ。 -
午後2時15分離陸。中部国際空港へは4時35分(日本時間5時35分)に着きました。
← 中部国際空港の灯が見えています。 -
家に帰ってから出かけた食事が、中華料理だったのはどういう意味かって…。
中華料理が好きだということと、美味しい中華にお目にかからなかったということだろうか。
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