2010/01/01 - 2010/01/06
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akkiy363672さん
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今回の旅のハイライト「万里の長城」訪問記です。
(旅の日程順ではありません。)
中国へ行って、まず第一に見たかったものが、この「万里の長城」でした。
「唯一、宇宙からも肉眼で見える」といわれた、人類史上最大の建造物…。中国の人たちは、有史以前の殷の時代から、営々としてこの長城を築き上げてきたのです。
時に壊され、また築かれて、その形や位置を変えながら、中国五千年の歴史に足跡を記してきたきた長城を、今日、この足で歩いてみます。
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- JAL
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
今日は、念願の「万里の長城」見学です。
総延長は8000kmにも及ぼうという長城ですから、見るべき箇所はたくさんあるわけですが、今日僕たちが向かうのは、北京から北へ約60kmにある、「八達嶺」です。
長城は山の中なので市内より気温が低く、午後の暖かい時間帯が良いだろうとのことで、昼食を済ませてからバスに乗り込み、北京市内を北へ向かって走ります。 -
ホテルからおよそ1時間…、道路の両側に急峻な山々が姿を現しました。
ふと見上げると、山の上に城楼が…。 -
バスの前方に、道をさえぎるようにして、大きな城門が現れました。
「八達嶺」の15kmほど手前にある、「居庸関長城」の関所跡で、切り立った峰をぬって造営された難攻不落の九塞のひとつです。
原城は紀元前5世紀に構築されていて、その後、明の光武帝の時代(1366)にモンゴル軍の侵攻に備え大増築が行われ現在の規模となったといいます。
北京に最も近い関所で、ここを突破されると、都は陥落することになります。 -
バスは、関所の下をくぐっていきます。
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道の左右には、次々と城楼が現れます。
万里の長城は1本の城壁が延々と続くだけでなく、北京に近いところなどは峰峰に別れて幾筋もの城壁が築かれています。
ですから山を縫っていくと、いくつもの城壁や関所に出くわすわけです。 -
この高速道路、大きなトラックたちも、荷物を満載してあえぎながら登っていきます。
北へたどればモンゴル国境へ至り、西へ転じれば西域地方を抜けて、遥か中央アジアへと至ります。
標識に、21番出口「八達嶺長城」まで8km、その手前の20番出口「水美(?)長城」まで3kmとあります。
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次々と現れる城壁や城楼に、期待はいやがおうにも高まります。
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山肌は…とみると、岩がむき出しになった荒々しさです。
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「八達嶺長城」に着きました。
峰の上に、これから僕たちが登る城壁が連なっています。 -
駐車場から入り口の城門まで、5分ほど歩きます。
万里の長城はその長大さから「宇宙から肉眼で見える唯一の建造物」と言われ、中国の教科書にも掲載されていましたが、実際には幅が細い上、周囲の色と区別が付きにくいため、視認するのはきわめて困難です。
2003年に中国初の有人宇宙船「神舟5号」に搭乗した楊利偉飛行士が、「『万里の長城』は見えなかった」と証言したため、中国の教科書からこの説は正式に削除されました。 -
城壁への上り口に着きました。この左手で入場券を買って、登ります。
ここ「八達嶺長城」は、万里の長城のうちもっとも早く観光地として一般公開された場所です。北京郊外に位置し市内と直通する八達嶺高速道路が建設されるなどの高い利便性から、年間を通じて多くの観光客が訪問しています。温暖で晴天の多い秋季が観光には最も良い季節とのことです。
この地区の長城は明代に構築されたもので、首都防衛を目的として、また王朝の威厳を示す目的もあり特に堅牢な建築物となっています。
ここ八達嶺の長城もそうですが、煉瓦で建築され所々に望楼がある万里の長城は、北京近郊の長城に特有の様式であると言えます。
日本の旅行会社やガイドブックは便宜的に北側の長城を「女坂」、南側を「男坂」と称し、現地日本語ガイドもその紹介を用いることがありますが、中国語では特に定まった呼称は使用されていません。勾配のゆるやかな北側に観光客が集中する傾向にあり、最高地点の「北八楼」は海抜1015メートルとなっています。 -
いざ出発! 比較的勾配も少なく、眺望も良い…と、ガイドの陳さんが勧めてくれた、通称女坂(北ルート)を登りました。
目指すは、右上遥かに見えている北四楼、登りの往きは30分と言われているコースです。 -
ホントは、左手へと遥かに続いている、「北五…、六…」へと歩いて行きたいところです。
でも、もう1時間ほどしか自由時間がありません。とにかく北四楼までは行ってみようと登っていきました。
この上り口を少し通り越した地点にロープウェイの乗り場があって、それに乗ると北八楼まで運んでくれてくれ、そこからゆっくりと降りてくれば楽なコースらしいです。
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← この日の僕のいでたちです。徳利セーターに毛糸の帽子、防寒コート…。
マフラーをしていたのですが、登り始めてすぐに外してしまいました。
この日、北京市内の気温は−4℃。「長城は山の上で、市内よりも5℃ほど低いですから、持ってきた衣類を全て着て、暖かくしていってください」と言われたのですが、青空から日差が降り注ぐ天候にも恵まれて、汗ばむほどでした。
横を歩いていく人は、スーツ姿で、コートも着ていません。
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北二楼が間近に迫ってきました。
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北二楼を抜けて、北三楼を目指します。
八達嶺長城は、城壁の高さが平均7.8メートル、その土台が重さ500Kgの大きな花崗岩で築かれています。
城壁の上では馬なら5頭、人なら10人が並んで進むことができるそうです。
城壁の外側に凹凸があり、パトロールする時、そこから遠見していました。矢を射るための射撃孔もついています。
ほぼ800mおきに、宿泊・兵器保管・見張りに使う敵楼、墻台(しょうだい)が設けてあります。
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北三楼にたどり着きました。
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レンガ造りの城楼の中は、いくつかの部屋に分かれています。
出入り口は狭くて、二階へ上る階段が有りましたが、登攀禁止と書いてありました。 -
西に面した窓からは、峰の上に伸びる長城の城壁が見えました。
長城の建設について…。
史書『左氏伝』には紀元前656年、春秋五覇の一人、斉の桓公(かんこう)が諸国を率いて楚を攻め、楚は数百里の方城を築き敵を防いだとの記述があります。それが万里の長城の始まりであるというならば、長城の歴史は2600年以上ということになります。
紀元前221年、中国史上初の強大な中央政権制封建国家をうちたてた秦の始皇帝は、将軍蒙恬が率いる30万の大軍を遣わして国境を固め、北方の匈奴を撃退します。その後、30万の兵士と数百万と言われる人民を徴用し、9年の歳月をかけて、秦、趙、燕の三国が築いた長城の基礎の上に、西は臨とう(現在の甘粛省岷県)から東は遼寧東部にいたる五千kmを超える長城を築きました。中国の1里は500m…、文字通り、万里の長城が築かれたのです。
秦以降、漢、北魏、北斉、北周、隋、遼、金、明と各王朝では長城の建造が続き、なかでも漢代と明代には大規模に構築されました。
漢代に築造された長城はもっとも長く、新疆のロプノールから甘粛に沿って、内蒙古、さらに遼寧省西部までに至り、全長はほぼ1万kmとなりました。 -
西へ伸びる長城です。
万里の長城は、東は河北省渤海湾の山海関から、西は甘粛省の嘉峪関まで、6300kmとされていましたが、中国政府は2009年4月、8851.8kmと訂正しました。
また、この八達嶺に見られるように、枝葉に伸びる城壁や遺跡を合算すると、5万kmにも及ぶといわれます。 -
北への出口を抜けて、さらに北へ…。北四楼を目指します。
長城の建設について… つづき。
漢ののち、北京を含むこの地一帯(燕雲十六州)はモンゴル人の王朝「遼」の支配するところとなり、長城による北方民族の防御は望めなくなりました。
そのため、その後、遼・金・モンゴル帝国(元)は難なく長城を越えて侵入し、中国(華北)は3世紀もの間、北方民族の勢力下に置かれました。
南方から興った漢人の王朝である明が、モンゴル人の王朝である元を北方の草原へ追放したのち、元の再来など北方民族の来襲に備えて明は長城を強化し、現在に残る形になりました。 -
北三楼を出ると、目的の北四楼の向こうに続く、北五…六…七楼などが見渡せます。
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北四楼まで、あと一息です。
長城の建設について…、その3です。
明の太祖は北方のタタール族と東北地方の女真族(清朝を建てた部族です)の脅威に備えるため、建国直後から長城の築造を開始しました。
以来百年の歳月をかけて、西は甘粛省嘉峪関(かよくかん)から東は遼寧省鴨緑江にいたる長城が完成したのです。
今私達が目にすることができる長城は、ほとんどが明代に築造されたものです。 -
最後の階段がきつそうです(笑)。
勾配の急なところは、革靴では滑ってしまいそうです。僕はスニーカーだったので、全く問題はありませんでした。 -
城壁の上から北方をのぞくと、ノロシ台がありました。
この山野を越えて北方民族が攻め寄せたのかと、当時の様子を思うと、足元にジンギスハーンの軍勢が押し寄せてきているような戦慄を覚えました。 -
北四楼を、さらに北へと抜けていきます。
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北五楼、北六楼…が、すぐそこにありました。
まだ北へ向かっていく人も、たくさん居ました。
どこまでも続く長城を、どこまでも歩いていきたいと思いました。
その歩みは、距離だけでなく、長城に刻まれた歴史という時間をたどる歩みなのです。
でも、時間切れ…。この景色を目に、引き返すことにしました。 -
北四楼のすぐ下の階段…。上りも息が上がりましたが、下りも手すりを持って慎重に降ります。
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帰りは下りですから早くて、登りに30分を要したのに対して、20分もかからずに下りてきました。
途中、男坂の方向をバチリ…。
長城は、ここからさらに西の方「陽関」の西まで、遥かに続いていきます。 -
入り口まで降りてきました。
右の建物は、土産物を売っています。温かいお茶の無料サービスもありました。 -
駐車場の手前に、大きな「八達嶺」と彫られた石が建てられていました。
万里の長城の総延長8000kmといえば、直線距離で日本からインドを越えて、パキスタンかイランあたりまで届く距離です。
この長城を、ほとんど人力だけで築き上げたというのですから、そのパワーたるや驚嘆する以外にありません。
今度は是非、ロープウェイで北八楼へ登り、そこから歩いて入り口を通り過ぎて、南六楼(八達嶺で最も美しいといわれる城楼)あたりまで歩いてみたいと思います。
そしてさらに、金山嶺長城・慕田峪長城・司馬台長城など、他の長城遺跡も訪れてみたいと思いました。
秦の始皇帝が見つめたものや、漢の武帝、明の洪武帝の視野を、少し垣間見ることができるかもしれません。
その日まで、足腰を鍛えなければ…。
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