2010/01/10 - 2010/01/10
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しんちゃんさん
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現在の“会津若松”の命名者「蒲生氏郷」のお墓が会津若松市内にあります。蒲生氏郷は伏見の蒲生屋敷で死去しました。ここは京都大徳寺の本墓から分骨(遺髪)されたお墓です。没後の翌年に子息秀行に建塔されました。蒲生氏郷は近江、伊勢、会津と転封され、会津を商売繁盛の町にして七層の天守閣と、城の名前を鶴ヶ城と命名しました。雪に覆われた五輪塔は空・風・火・水・地と万物の構成要素、宇宙の元素を表現したものだそうです。
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興徳寺は、葦名氏を滅ぼした伊達政宗が会津支配の仮の政庁を置いたお寺。豊臣秀吉が4泊5日して、奥羽仕置を発した場所でもあります。戊辰戦争で亡くなった会津藩秋月登之助のお墓もありました。十日市の間に見学しました。神明通りアーケードの中央付近、東側にあります。
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お正月も過ぎ、お寺には参拝者が居ませんでした。神明通りから2・30m入った路地裏です。
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「虚空蔵尊撫牛」山形市の小野田才助氏の寄贈。昭和18年戦争に駆り出され帰らぬ人となったそうです。赤べごを持っていると厄病が流行した時、不思議と厄病から逃れられたそうです。お土産で有名な「赤ベゴ」は赤ベゴ伝説から鶴ヶ城主・蒲生氏郷が郷土産業振興のために作らせたのがはじまりとされています。
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「阿弥陀如来像供養碑」説明版
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写しです【市指定文化財46号「阿弥陀如来像供養碑」「この供養碑は、安山岩の自然石を用い、上部には種子*(キリーク)、そして中央には阿弥陀如来が結跏趺坐(けっかふざ)
し、定印を結び、その下部に蓮華座を細線で刻んでいる。年紀はないが、室町時代のものと推定され当時の信仰形態を知る上で貴重な資料である。」昭和63年2月 会津若松市教育委員会】(*の部分は梵字が書かれています) -
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興徳寺本堂、あっちこっちに説明版。寒いので読むのが大変であった。
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【興徳寺は今より七百数十年前の弘安十年この地に創建された格式の寺である。郭内にあった唯一の寺(臨済宗)であったが戊辰の兵火に罹り伽藍は昔日のおもかげはない。豊臣秀吉公が約四百年前(天正十八年)奥州仕置の太閤検地の際この寺を庁舎とした事でも有名である。又、秀吉公来郡北限の地でもある。本建造物は明治十年鶴ヶ城解体余材にて建立したものである。】
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石碑より【伝 豊臣秀吉公當(当)寺滞在中書刻碑
天正十八年(1590)八月九日入館(興徳寺)
太閤検地発令、八月十三日帰洛 同日蒲生氏郷公会津領九十二万石拝領】92万石になったのは後ほどであり、このときの石高は42万石の記事があり、真相はいかに?なぞは深まる。 -
福分地蔵尊 顔が見えない「のっぺらぼう!」
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第八番 福分地蔵尊 標識
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「虚空蔵尊撫牛」由来の碑
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虚空蔵尊本堂
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おびんずるさまだろうか?お堂の中にひっそりと居ました。
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お堂の中
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お寺の北側に回りこみました。こちらも表と同じで説明版がたくさんありました。
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蒲生氏郷のお墓
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しんちゃんの後からやっと、お墓見学者が現れました。
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