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2009/07/15水 リヴィブ近郊城めぐり(現地英語ガイド&車付)<br />・オレスク城(Olesk)<br />・ピドゴレツク城(Pidgoretsk)(まだ修復中)と付属教会<br />・ゾロチフ城(Zolochiv)<br />リヴィブに戻ってガイドと別れた後<br />・アルメニア教会<br />【二等寝台泊:リヴィブからコロミーヤまで】<br /><br />ウクライナ第2の都市リヴィブの周辺には、Golden Horse Shoe(黄金の蹄鉄)と呼ばれる、古城がいくつも点在しているエリアがあります。<br />もっとも、そのごくごく一部しかLonely Planetにも紹介されてなくて、「地球の歩き方」にいたっては、ウクライナはロシア版の付録扱いなのでもともとページ数は少なく、皆無です。<br />こういうまだまだ知る人ぞ知る見どころは、立案中に、寝台車の切符やホテルの手配を依頼した現地旅行代理店の担当者に教えてもらいました。<br />ただし、あいにく、どの城も公共交通機関があまり発達していない郊外の田舎にある上、現地で定期ツアーが組まれるほど頻繁に観光客が訪れるようなメジャーなところではないため、クリミア半島と同様、一日ガイドと車を雇って、そのうちの3ヶ所回ることにしました。<br /><br />リヴィブの現地ガイドのダイアナは、たぶん20代後半から30代前半くらいの若い女性で、仕事熱心で生真面目そうなタイプでした。<br />4日間お世話になったクリミア半島の現地ガイドのニーナが60歳になるおばあちゃんで、自らをソビエト・ウーマンと名乗る、昔気質の厳しい教師のようなタイプだったので、全くタイプの違うダイアナは、ニーナといろいろ対照的で、とても新鮮に感じられました。<br />ニーナはよその子供でも堂々と注意したりしますし、私に説明しているときでも他に観光客という観客がいると、自分からガイドを買って出てしまうようなちょっとおせっかいなところがありました。<br />そんなヴァイタリティのあるおばちゃまガイドとの4日間もよかったですが、タイプ的に近くて、一緒に過ごしていてギャップがなくホッとするのは、ダイアナの方でした。<br />もっとも、ダイアナはあまりよそ見しないタイプのようでした。<br />たとえば、観光中、おへそまでのシャツ1枚でノーパンで歩いている赤ちゃんを見かけたとき、私はあまりに可愛くて注目してしまったのですが、彼女はスルーしました。<br />ニーナならこっそりと指をさしながら、一緒に笑ってくれたでしょう。<br /><br />ダイアナとはホテルのロビーで9時15分に落ち合い、それから16時30分まで昼食抜きで休憩を入れることなく、3つの城をじっくり回りました。<br />ダイアナは、案内するのがたった一人なので、とてもラクだと言っていました。<br />前日まで、20人ほどの子供たちメインのグループを案内していてへとへとだったそうで、今日は天国のようだとジョークを言うユーモアはありました。<br /><br />本日回った3つの城見学は、ダイアナの詳しい説明のおかげで、とても充実したものとなりました。<br />でもそれがなかったら、ウクライナやこのエリアに詳しくない日本の観光客を呼び寄せるのは厳しいでしょう。<br />私自身も、西欧やロシアで、修復がきれいに終わった豪華でハデハデな城に見慣れていて、そこまでではないにしても、もう少し華やかな城を期待していましたから。<br /><br />3つの城は、規模は、1つ目は地方領主のものらしいこぢんまりしたもの、2つ目はポーランドが大国だった時代の大貴族の宮殿にふさわしいもの、3つ目はそんな貴族の離宮か別荘といった風情のものなど様々でしたが、どれもまだ修復途中でした。<br />ただ、今まで観光してきた西欧やロシアの城は、そのほとんどがいったんは戦争で破壊されたり荒廃して廃墟寸前になったものを、往時の面影を求めて復元させたものです。オリジナルとは言えません。<br />(中には、荒廃の憂き目にあわなかった城や、復元の際にオリジナルの素材を使ったというこだわりのある城も、もちろんありました。)<br />今日の3つの城見学では、今までそうやって復元されたものを喜んで見学してきた城が、そうなるまでにいかに苦労してきたものなのか、その過程が垣間見れた気がしました。<br />と同時に、このエリアには、豊かな観光資源がたくさん眠っているんだな、としみじみ思いました。<br />ただ、資金が足りているわけではないので、ミーハーな観光客にとっても魅力的なところになるには、まだまだ時間がかかりそうです。<br /><br />最初に訪れたオレスク城は、修復はほぼ完了していて、博物館として展示されているコレクションも3つの中では一番充実していました。<br />だからか、3つの城の中で唯一、Lonely Planetで紹介されていたところです。<br />そしてこの城だけ、内部の撮影が許可されました。<br />それでも、展示品は決してハデではないし、私はこの地方の歴史に詳しくないので、1人で回っていたら、今までいくつも古城めぐりをしてきた私の眼には、それほど興味深く映らなかったでしょう。<br />でも、ダイアナが一つ一つのコレクションを、「見て! なんて美しいんでしょう!」と、それはそれは感動的に愛しげに紹介してくれるので、まさに目からウロコが剥がされたようでした。<br />これまでハデで圧倒されるくらい豪華なコレクションを博物館などでたくさん見てきて見慣れてしまい、逆に自分の目がいかにくもってしまっていたか、気付かされました。<br /><br />展示されていたコレクションは、内装を往時の部屋らしく整えるためにそろえた調度品やらタピストリー、また博物館らしくそろえた彫刻やらイコンなどの教会宝物やらで、それはもとからこの城にあったものではありませんでした。<br />そのほとんどが、長い城の歴史の中ではずっと最近の城主がオークションなどで買い集めたアンティークだったり、リヴィブ博物館に管理下されるようになってから、周辺の村などの教会から保存のため引き取ったりしたものでした。<br /><br />城の歴史展示は、説明パネルがウクライナ語のみでしたので、ダイアナの解説がわからなければちんぷんかんぷんだったでしょう。<br />よくよく聞くと、ウクライナを旅行することになってからにわか勉強した私でも、ちょっとはなじみになってきた人名が出てきました。<br />たとえば、有名なヘトマン(コサックの長)のボグダン・フメリニツキー(*)は、父親がこの城に仕える騎士だったので、この城で生まれた可能性がある、とか。<br />オスマントルコに勝利して英雄となって後にポーランド王に選ばれたヤン・ソビエツキ3世は、祖父が城主だったのでため、この城で生まれたとか。<br />また、中庭をはさんで2棟に分かれている城は、昔は別々の一家のものだったのですが、幼馴染みの子供たちが結婚したため、一つの家族の城になった、なんて、ちょっとロマンチックそうなエピソードもありました。<br />城の頑丈な構造を私に説明するため、ダイアナは通常は案内しないという地下も特別に案内してくれました。<br />そこは刑罰博物館となっていて、ほんとは余分に入場料がかかるのですが、ダイアナは係員に特別に入れてもらうよう頼んでくれました。<br />それには、私が日本から来た珍しい観光客だからということもありました。<br /><br />城は緑豊かな丘の上にあり、周辺の景色や城を外から眺めた景色はとてもピクチャレスクでした。<br />城自体にも、中世を舞台にした映画のロケができそうなところがたくさんありました。<br /><br />*ボグダン・フメリニツキーについての簡単な説明と騎馬像の写真<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16840688/<br />関連の旅行記<br />「2009年ウクライナ旅行第2日目(2)キエフ:予想以上の美しさにドキドキ───聖ソフィア大聖堂とそこから見た黄金ドームの聖ミハイル修道院」<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10367606/<br />旧札に印刷されたボグダン・フメリニツキーの肖像画の写真<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16901327/<br />関連の旅行記<br />「2009年ウクライナ旅行第2日目(5)キエフ:ウクライナ歴史博物館(1)歴史が分からなくても楽しめる!?」<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10368090/<br /><br />「オレスク城は14世紀にハールィチ・ヴォルィーニ大公国(1199年から1349年の間に現在の西ウクライナを中心として存在したリューリク朝のルーシ系国家、現在のウクライナの9割の人口が住む地域を支配していたため、最初のウクライナ独立国といわれている。)の大公によって建設されました。14世紀から15世紀初頭は中世ロシアの強力な要塞で、16世紀には貴族の居城でしたが、後にイタリア・ルネサンス様式の豪華な宮殿に改築されました。ポーランド王ヤン・ソビエツキやミハイロ・コルブット(Mykhaylo Korybut)がここで生まれ、ウクライナ・ヘトマン(コサックの長)となるボグダン・フメリニツキーが子供時代をここですごしました。」<br />(「Ukraine」サイトより私訳)<br />http://www.ukrinf.com/tour_e.htm<br /><br />※2009年ウクライナ旅行の旅程一覧はこちら。<br />簡易版「2009年ウクライナ旅行プロローグ(旅程一覧)地図付」<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10359084/<br />詳細版「2009年ウクライナ旅行の詳細旅程」(もう1つのブログ「まみ’s Travel Diary」より)<br />http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2009/07/2009-2271.html<br />

2009年ウクライナ旅行第11日目(1)リヴィブ近郊城めぐり:こぢんまりしてるけどなかなか味があったオレスク城

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2009/07/15 - 2009/07/15

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まみ

まみさん

2009/07/15水 リヴィブ近郊城めぐり(現地英語ガイド&車付)
・オレスク城(Olesk)
・ピドゴレツク城(Pidgoretsk)(まだ修復中)と付属教会
・ゾロチフ城(Zolochiv)
リヴィブに戻ってガイドと別れた後
・アルメニア教会
【二等寝台泊:リヴィブからコロミーヤまで】

ウクライナ第2の都市リヴィブの周辺には、Golden Horse Shoe(黄金の蹄鉄)と呼ばれる、古城がいくつも点在しているエリアがあります。
もっとも、そのごくごく一部しかLonely Planetにも紹介されてなくて、「地球の歩き方」にいたっては、ウクライナはロシア版の付録扱いなのでもともとページ数は少なく、皆無です。
こういうまだまだ知る人ぞ知る見どころは、立案中に、寝台車の切符やホテルの手配を依頼した現地旅行代理店の担当者に教えてもらいました。
ただし、あいにく、どの城も公共交通機関があまり発達していない郊外の田舎にある上、現地で定期ツアーが組まれるほど頻繁に観光客が訪れるようなメジャーなところではないため、クリミア半島と同様、一日ガイドと車を雇って、そのうちの3ヶ所回ることにしました。

リヴィブの現地ガイドのダイアナは、たぶん20代後半から30代前半くらいの若い女性で、仕事熱心で生真面目そうなタイプでした。
4日間お世話になったクリミア半島の現地ガイドのニーナが60歳になるおばあちゃんで、自らをソビエト・ウーマンと名乗る、昔気質の厳しい教師のようなタイプだったので、全くタイプの違うダイアナは、ニーナといろいろ対照的で、とても新鮮に感じられました。
ニーナはよその子供でも堂々と注意したりしますし、私に説明しているときでも他に観光客という観客がいると、自分からガイドを買って出てしまうようなちょっとおせっかいなところがありました。
そんなヴァイタリティのあるおばちゃまガイドとの4日間もよかったですが、タイプ的に近くて、一緒に過ごしていてギャップがなくホッとするのは、ダイアナの方でした。
もっとも、ダイアナはあまりよそ見しないタイプのようでした。
たとえば、観光中、おへそまでのシャツ1枚でノーパンで歩いている赤ちゃんを見かけたとき、私はあまりに可愛くて注目してしまったのですが、彼女はスルーしました。
ニーナならこっそりと指をさしながら、一緒に笑ってくれたでしょう。

ダイアナとはホテルのロビーで9時15分に落ち合い、それから16時30分まで昼食抜きで休憩を入れることなく、3つの城をじっくり回りました。
ダイアナは、案内するのがたった一人なので、とてもラクだと言っていました。
前日まで、20人ほどの子供たちメインのグループを案内していてへとへとだったそうで、今日は天国のようだとジョークを言うユーモアはありました。

本日回った3つの城見学は、ダイアナの詳しい説明のおかげで、とても充実したものとなりました。
でもそれがなかったら、ウクライナやこのエリアに詳しくない日本の観光客を呼び寄せるのは厳しいでしょう。
私自身も、西欧やロシアで、修復がきれいに終わった豪華でハデハデな城に見慣れていて、そこまでではないにしても、もう少し華やかな城を期待していましたから。

3つの城は、規模は、1つ目は地方領主のものらしいこぢんまりしたもの、2つ目はポーランドが大国だった時代の大貴族の宮殿にふさわしいもの、3つ目はそんな貴族の離宮か別荘といった風情のものなど様々でしたが、どれもまだ修復途中でした。
ただ、今まで観光してきた西欧やロシアの城は、そのほとんどがいったんは戦争で破壊されたり荒廃して廃墟寸前になったものを、往時の面影を求めて復元させたものです。オリジナルとは言えません。
(中には、荒廃の憂き目にあわなかった城や、復元の際にオリジナルの素材を使ったというこだわりのある城も、もちろんありました。)
今日の3つの城見学では、今までそうやって復元されたものを喜んで見学してきた城が、そうなるまでにいかに苦労してきたものなのか、その過程が垣間見れた気がしました。
と同時に、このエリアには、豊かな観光資源がたくさん眠っているんだな、としみじみ思いました。
ただ、資金が足りているわけではないので、ミーハーな観光客にとっても魅力的なところになるには、まだまだ時間がかかりそうです。

最初に訪れたオレスク城は、修復はほぼ完了していて、博物館として展示されているコレクションも3つの中では一番充実していました。
だからか、3つの城の中で唯一、Lonely Planetで紹介されていたところです。
そしてこの城だけ、内部の撮影が許可されました。
それでも、展示品は決してハデではないし、私はこの地方の歴史に詳しくないので、1人で回っていたら、今までいくつも古城めぐりをしてきた私の眼には、それほど興味深く映らなかったでしょう。
でも、ダイアナが一つ一つのコレクションを、「見て! なんて美しいんでしょう!」と、それはそれは感動的に愛しげに紹介してくれるので、まさに目からウロコが剥がされたようでした。
これまでハデで圧倒されるくらい豪華なコレクションを博物館などでたくさん見てきて見慣れてしまい、逆に自分の目がいかにくもってしまっていたか、気付かされました。

展示されていたコレクションは、内装を往時の部屋らしく整えるためにそろえた調度品やらタピストリー、また博物館らしくそろえた彫刻やらイコンなどの教会宝物やらで、それはもとからこの城にあったものではありませんでした。
そのほとんどが、長い城の歴史の中ではずっと最近の城主がオークションなどで買い集めたアンティークだったり、リヴィブ博物館に管理下されるようになってから、周辺の村などの教会から保存のため引き取ったりしたものでした。

城の歴史展示は、説明パネルがウクライナ語のみでしたので、ダイアナの解説がわからなければちんぷんかんぷんだったでしょう。
よくよく聞くと、ウクライナを旅行することになってからにわか勉強した私でも、ちょっとはなじみになってきた人名が出てきました。
たとえば、有名なヘトマン(コサックの長)のボグダン・フメリニツキー(*)は、父親がこの城に仕える騎士だったので、この城で生まれた可能性がある、とか。
オスマントルコに勝利して英雄となって後にポーランド王に選ばれたヤン・ソビエツキ3世は、祖父が城主だったのでため、この城で生まれたとか。
また、中庭をはさんで2棟に分かれている城は、昔は別々の一家のものだったのですが、幼馴染みの子供たちが結婚したため、一つの家族の城になった、なんて、ちょっとロマンチックそうなエピソードもありました。
城の頑丈な構造を私に説明するため、ダイアナは通常は案内しないという地下も特別に案内してくれました。
そこは刑罰博物館となっていて、ほんとは余分に入場料がかかるのですが、ダイアナは係員に特別に入れてもらうよう頼んでくれました。
それには、私が日本から来た珍しい観光客だからということもありました。

城は緑豊かな丘の上にあり、周辺の景色や城を外から眺めた景色はとてもピクチャレスクでした。
城自体にも、中世を舞台にした映画のロケができそうなところがたくさんありました。

*ボグダン・フメリニツキーについての簡単な説明と騎馬像の写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16840688/
関連の旅行記
「2009年ウクライナ旅行第2日目(2)キエフ:予想以上の美しさにドキドキ───聖ソフィア大聖堂とそこから見た黄金ドームの聖ミハイル修道院」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10367606/
旧札に印刷されたボグダン・フメリニツキーの肖像画の写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16901327/
関連の旅行記
「2009年ウクライナ旅行第2日目(5)キエフ:ウクライナ歴史博物館(1)歴史が分からなくても楽しめる!?」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10368090/

「オレスク城は14世紀にハールィチ・ヴォルィーニ大公国(1199年から1349年の間に現在の西ウクライナを中心として存在したリューリク朝のルーシ系国家、現在のウクライナの9割の人口が住む地域を支配していたため、最初のウクライナ独立国といわれている。)の大公によって建設されました。14世紀から15世紀初頭は中世ロシアの強力な要塞で、16世紀には貴族の居城でしたが、後にイタリア・ルネサンス様式の豪華な宮殿に改築されました。ポーランド王ヤン・ソビエツキやミハイロ・コルブット(Mykhaylo Korybut)がここで生まれ、ウクライナ・ヘトマン(コサックの長)となるボグダン・フメリニツキーが子供時代をここですごしました。」
(「Ukraine」サイトより私訳)
http://www.ukrinf.com/tour_e.htm

※2009年ウクライナ旅行の旅程一覧はこちら。
簡易版「2009年ウクライナ旅行プロローグ(旅程一覧)地図付」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10359084/
詳細版「2009年ウクライナ旅行の詳細旅程」(もう1つのブログ「まみ’s Travel Diary」より)
http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2009/07/2009-2271.html

  • 車窓からオレスク城を望む<br /><br />Lonely Planetの説明によると、丘の上にある18世紀のフランス様式の宮殿ですが、15世紀にタタール人の攻撃によって破壊された中世の要塞があったところに建てられた城だそうです。<br />

    車窓からオレスク城を望む

    Lonely Planetの説明によると、丘の上にある18世紀のフランス様式の宮殿ですが、15世紀にタタール人の攻撃によって破壊された中世の要塞があったところに建てられた城だそうです。

  • 城のある丘のふもとのカプチン修道院<br /><br />現地ガイドのダイアナいわく、ソ連時代にたくさんのカトリック教会が閉鎖されて、これもその一つでしたが、最近やっと修道院として復活し、活動を開始したそうです。<br />

    城のある丘のふもとのカプチン修道院

    現地ガイドのダイアナいわく、ソ連時代にたくさんのカトリック教会が閉鎖されて、これもその一つでしたが、最近やっと修道院として復活し、活動を開始したそうです。

  • 坂道を上がって、オレスク城が目の前に現れる<br /><br />天気がとても良かったのですが、この方角は逆光でした。<br />

    坂道を上がって、オレスク城が目の前に現れる

    天気がとても良かったのですが、この方角は逆光でした。

  • 城の前のいわくありげなひょろなが群像<br /><br />どことなく社会主義時代の作品っぽい雰囲気のある彫刻です。<br />どういういわれがあるのか、ダイアナに聞きそびれました、残念!<br />

    城の前のいわくありげなひょろなが群像

    どことなく社会主義時代の作品っぽい雰囲気のある彫刻です。
    どういういわれがあるのか、ダイアナに聞きそびれました、残念!

  • 城へのゲート

    城へのゲート

  • ゲートの上には、歴代の領主の紋章、4家族分<br /><br />4つに区切られた盾の中に、それぞれ城主となった家系のシンボルが盛り込まれて1つになった紋章です。<br />下半身魚の人魚がいる左右の円柱には、6人の城主の顔の浮彫があります。<br />そのうち王冠をつけた2名はポーランド王となりました。<br />向かって左の王冠のある肖像はカジミエール大王、右はヤン・ソビエツキ3世です。<br />ウクライナにある城ですが、歴史的にはポーランドとゆかりが深いわけです。<br />

    ゲートの上には、歴代の領主の紋章、4家族分

    4つに区切られた盾の中に、それぞれ城主となった家系のシンボルが盛り込まれて1つになった紋章です。
    下半身魚の人魚がいる左右の円柱には、6人の城主の顔の浮彫があります。
    そのうち王冠をつけた2名はポーランド王となりました。
    向かって左の王冠のある肖像はカジミエール大王、右はヤン・ソビエツキ3世です。
    ウクライナにある城ですが、歴史的にはポーランドとゆかりが深いわけです。

  • 重い壁を支える重厚なバットレス(支えの壁)<br /><br />1972とあるのは、最後の増築の年のことです。<br />電灯の下のパネルにあったのですが、この写真では確認できなくなってしまいました。<br />

    重い壁を支える重厚なバットレス(支えの壁)

    1972とあるのは、最後の増築の年のことです。
    電灯の下のパネルにあったのですが、この写真では確認できなくなってしまいました。

  • ゲートをくぐって中庭へ

    ゲートをくぐって中庭へ

  • 中庭から見たゲート

    中庭から見たゲート

  • 城への入口と2階のルネサンス装飾のある窓<br /><br />近代の改築の際にはイタリアの建築家をわざわざ招いて設計してもらったそうです。<br />城主の家族は2階に住みました。<br />

    城への入口と2階のルネサンス装飾のある窓

    近代の改築の際にはイタリアの建築家をわざわざ招いて設計してもらったそうです。
    城主の家族は2階に住みました。

  • 2つの建物をつなぐ廊下<br /><br />いかにも中世の城らしい風情です@<br />この廊下を隔てた両棟にはかつて別の2つの家族が住んでいましたが、幼馴染の子供たちが結婚して1つの家族となったという歴史があります。<br />

    2つの建物をつなぐ廊下

    いかにも中世の城らしい風情です@
    この廊下を隔てた両棟にはかつて別の2つの家族が住んでいましたが、幼馴染の子供たちが結婚して1つの家族となったという歴史があります。

  • 昔の大きな井戸、深さ約40メートル!<br /><br />まるでハツカネズミのように、車輪の中に人が立って回して、回る軸を利用して水を汲み上げました。<br />当時、このあたりの城によく見られたタイプの井戸のようです。<br />

    昔の大きな井戸、深さ約40メートル!

    まるでハツカネズミのように、車輪の中に人が立って回して、回る軸を利用して水を汲み上げました。
    当時、このあたりの城によく見られたタイプの井戸のようです。

  • かつての井戸のしくみ<br /><br />これは次に訪れたピドゴレツク城の最盛期のスケッチ画の一つです。<br />こうやって水を汲んでいたわけです。<br />

    かつての井戸のしくみ

    これは次に訪れたピドゴレツク城の最盛期のスケッチ画の一つです。
    こうやって水を汲んでいたわけです。

  • ルネサンス装飾の城の入口<br /><br />これから中に入ります。<br />

    ルネサンス装飾の城の入口

    これから中に入ります。

  • 城の模型と城の歴史の展示室<br /><br />防御に都合のよい地形であったことが分かります。<br />当時、周りは沼だらけで、入口は石橋しかなく、ふもとはぐるりと木の柵で囲まれていました。<br />模型の木柵は図解のために手前が切れていますが、これがぐるっと城のある丘を囲っていたわけです。<br />

    城の模型と城の歴史の展示室

    防御に都合のよい地形であったことが分かります。
    当時、周りは沼だらけで、入口は石橋しかなく、ふもとはぐるりと木の柵で囲まれていました。
    模型の木柵は図解のために手前が切れていますが、これがぐるっと城のある丘を囲っていたわけです。

  • 城ゆかりの人々の肖像画写真<br /><br />左は最後の城主となったイワン・ダニロヴィッチ(1570-1628)。<br />中央は、オスマントルコを撃退した英雄でポーランド王となったヤン・ソビエツキ(1929-1696)。この城の最後の城主だったイワン・ダニロヴィッチの孫でした。<br />右は、マリア・カジミエラ。ヤン・ソビエツキの奥さんで、フランス出身のポーランド王妃です。<br />ダイアナいわく、旦那の死後20年ほど長生きしましたが、彼女は外国人なのでポーランド国民には好かれず、この城からも追い出されてしまったそうです。<br />なので彼女は、旦那の死後は故郷のフランスに戻り、晩年をそこで過ごしました。<br />

    城ゆかりの人々の肖像画写真

    左は最後の城主となったイワン・ダニロヴィッチ(1570-1628)。
    中央は、オスマントルコを撃退した英雄でポーランド王となったヤン・ソビエツキ(1929-1696)。この城の最後の城主だったイワン・ダニロヴィッチの孫でした。
    右は、マリア・カジミエラ。ヤン・ソビエツキの奥さんで、フランス出身のポーランド王妃です。
    ダイアナいわく、旦那の死後20年ほど長生きしましたが、彼女は外国人なのでポーランド国民には好かれず、この城からも追い出されてしまったそうです。
    なので彼女は、旦那の死後は故郷のフランスに戻り、晩年をそこで過ごしました。

  • 1819年当時の城と周辺

    1819年当時の城と周辺

  • 1950年の火災のあと<br /><br />屋根が焼け落ちています。<br />

    1950年の火災のあと

    屋根が焼け落ちています。

  • 1975年、改修後

    1975年、改修後

  • 1327年から1977年までの歴史を持つ城を象徴した現代のタペストリー<br /><br />城の創建は1327年です。<br />その後、増改築が繰り返され、最後の増築は1977年でした。<br />

    1327年から1977年までの歴史を持つ城を象徴した現代のタペストリー

    城の創建は1327年です。
    その後、増改築が繰り返され、最後の増築は1977年でした。

  • ここからは特に城の歴史と関係ないコレクション<br /><br />プロでない素人が制作したイエスの磔像。<br />素人であっても、解剖学をよく分かっている人が作ったらしく、解剖学上、かなり正しい彫刻だそうです。<br />静脈まできちんとあります。<br />身体は細長く不気味なまでにリアルなゴシック・スタイルですが、苦痛のない安らかな表情は次代のルネッサンス・スタイルだそうです。<br />

    ここからは特に城の歴史と関係ないコレクション

    プロでない素人が制作したイエスの磔像。
    素人であっても、解剖学をよく分かっている人が作ったらしく、解剖学上、かなり正しい彫刻だそうです。
    静脈まできちんとあります。
    身体は細長く不気味なまでにリアルなゴシック・スタイルですが、苦痛のない安らかな表情は次代のルネッサンス・スタイルだそうです。

  • 鹿の角を使った面白いシャンデリア<br /><br />これを反対側から見たのが、次の写真です。<br />

    鹿の角を使った面白いシャンデリア

    これを反対側から見たのが、次の写真です。

  • 鹿の角が聖女像とドッキングした面白いシャンデリア

    鹿の角が聖女像とドッキングした面白いシャンデリア

  • 聖母子のイコン<br /><br />聖母子のイコンのパターンは決まっていますが、いろんなスタイルがあります。<br />赤ん坊のキリストが母に甘えるようによりそっているこのタイプも典型的なパターンです。<br />

    聖母子のイコン

    聖母子のイコンのパターンは決まっていますが、いろんなスタイルがあります。
    赤ん坊のキリストが母に甘えるようによりそっているこのタイプも典型的なパターンです。

  • 聖母子のイコン<br /><br />赤ん坊のキリストがすでに神の子の威厳を見せているタイプのイコンで、これも典型的なパターンです。<br />

    聖母子のイコン

    赤ん坊のキリストがすでに神の子の威厳を見せているタイプのイコンで、これも典型的なパターンです。

  • 竜を退治する聖ジョージのイコン<br /><br />聖ジョージはリヴィブの守護聖人でもあるそうです。<br />イングランドの守護聖人であることは知っています。<br />引っ張りだこの聖人です。<br />

    竜を退治する聖ジョージのイコン

    聖ジョージはリヴィブの守護聖人でもあるそうです。
    イングランドの守護聖人であることは知っています。
    引っ張りだこの聖人です。

  • 一部金箔で色づけされた中世の婦人の大理石像<br /><br />なかなか美しい彫刻で気に入りました。<br />

    一部金箔で色づけされた中世の婦人の大理石像

    なかなか美しい彫刻で気に入りました。

  • 城の窓から周辺の田園景色を眺める

    城の窓から周辺の田園景色を眺める

  • 壁に装飾が描かれた18世紀くらいの部屋<br /><br />内装も修復され、調度品もそろった往時を偲ばせる部屋が確か2〜3部屋ありました。ここはその一つです。<br />

    壁に装飾が描かれた18世紀くらいの部屋

    内装も修復され、調度品もそろった往時を偲ばせる部屋が確か2〜3部屋ありました。ここはその一つです。

  • 暖炉のヤン・ソビエツキの紋章<br /><br />まだ王になる前のヤン・ソビエツキの紋章は、とてもシンプルに盾のみです。<br />

    暖炉のヤン・ソビエツキの紋章

    まだ王になる前のヤン・ソビエツキの紋章は、とてもシンプルに盾のみです。

  • 中世のベッド<br /><br />歴代の城主か城の住人が使ったというより、国有となる前の城主あたりがドイツあたりでオークションなどで手にいれたものだろう、とダイアナ。<br />ルーマニアのドラキュラ城(ブラン城)にあったステキな調度品を思い出します。<br />ドラキュラ城は、共産党政権になる前は20世紀初頭のルーマニア・ハプスブルグ王家のマリー王妃の城だったので、外観はもとより、調度品もとても可愛らしい中世のアンティークがそろえられています。<br /><br />関連の旅行記<br />「2006年ハンガリーとルーマニア旅行第18日目(2):ブラン城」<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10132498/<br />その中のベッドルームの写真<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/11917550/<br />

    中世のベッド

    歴代の城主か城の住人が使ったというより、国有となる前の城主あたりがドイツあたりでオークションなどで手にいれたものだろう、とダイアナ。
    ルーマニアのドラキュラ城(ブラン城)にあったステキな調度品を思い出します。
    ドラキュラ城は、共産党政権になる前は20世紀初頭のルーマニア・ハプスブルグ王家のマリー王妃の城だったので、外観はもとより、調度品もとても可愛らしい中世のアンティークがそろえられています。

    関連の旅行記
    「2006年ハンガリーとルーマニア旅行第18日目(2):ブラン城」
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10132498/
    その中のベッドルームの写真
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/11917550/

  • 中世のイスと、鏡の枠として再利用された、もとイコンの銀製の枠

    中世のイスと、鏡の枠として再利用された、もとイコンの銀製の枠

  • 肖像画のある部屋<br /><br />隣の部屋です。<br />この部屋の内装も修復が終わっていました。<br />

    肖像画のある部屋

    隣の部屋です。
    この部屋の内装も修復が終わっていました。

  • 肖像画のある部屋の壁の装飾画はだまし絵?<br /><br />だまし絵としてはあまり成功していませんけどネ。<br />

    肖像画のある部屋の壁の装飾画はだまし絵?

    だまし絵としてはあまり成功していませんけどネ。

  • だまし絵風の装飾が描かれた壁<br /><br />風景画の下の壁に描かれた模様の絵は、浮彫やストゥッコ装飾にするとコストがかさむので、ペイントで代わりにした装飾です。<br />ヨーロッパにはそんな風にコストを抑えたお城がよくありますよネ。<br />それはそれで、1つの装飾スタイルとして確立しているかもしれませんが、もとはコストダウンでしょう@<br />

    だまし絵風の装飾が描かれた壁

    風景画の下の壁に描かれた模様の絵は、浮彫やストゥッコ装飾にするとコストがかさむので、ペイントで代わりにした装飾です。
    ヨーロッパにはそんな風にコストを抑えたお城がよくありますよネ。
    それはそれで、1つの装飾スタイルとして確立しているかもしれませんが、もとはコストダウンでしょう@

  • イコンやイコノスタシス・コレクション<br /><br />廃屋となりかかっていた村の教会から保存のために収蔵された、もとイコノスタシスの一部です。<br />下の列のマリアとキリストのイコンは、イコノスタシスの枠が破損してしまったので、枠に入れたのでしょう。イコノスタシスのとき、黄金門の左右にあったはずです。<br />見たかんじはかなり豪華そうにみえますが、ダイアナいわく、それほどリッチでない村の教会のものなので、そんなに豪華ではないとのこと。<br />でも確かに、教会のために村のなけなしのお金をかけてせいいっぱい良いものを制作しようとした、というかんじを受けます。<br />

    イコンやイコノスタシス・コレクション

    廃屋となりかかっていた村の教会から保存のために収蔵された、もとイコノスタシスの一部です。
    下の列のマリアとキリストのイコンは、イコノスタシスの枠が破損してしまったので、枠に入れたのでしょう。イコノスタシスのとき、黄金門の左右にあったはずです。
    見たかんじはかなり豪華そうにみえますが、ダイアナいわく、それほどリッチでない村の教会のものなので、そんなに豪華ではないとのこと。
    でも確かに、教会のために村のなけなしのお金をかけてせいいっぱい良いものを制作しようとした、というかんじを受けます。

  • それほど金持ちでない村の教会の木製のイコノスタシスの一部

    それほど金持ちでない村の教会の木製のイコノスタシスの一部

  • マリア被昇天の図<br /><br />ずっと疑問だったこの図像の意味を、ダイアナに説明してもらいました。<br />正教会の「マリア被昇天」の絵では、死の床のマリアとキリストが抱く赤ん坊の姿のマリアの魂と昇天した後のマリアの3つのイメージが描かれています。<br />カトリックでは、このテーマの絵には、昇天するマリアのみが描かれます。<br />ベッドの下には、マリアに触ろうとしたバチ当たりなユダヤ人が天使に手を切り落とされた場面が描かれています。これはなんだろうとずっと気になっていましたが、やっとナゾが解けました@<br />でも、切り落とされた手は、あとで奇跡的にくっついたそうです。<br />マリアかイエスの慈悲のおかげでしょうね。<br />

    マリア被昇天の図

    ずっと疑問だったこの図像の意味を、ダイアナに説明してもらいました。
    正教会の「マリア被昇天」の絵では、死の床のマリアとキリストが抱く赤ん坊の姿のマリアの魂と昇天した後のマリアの3つのイメージが描かれています。
    カトリックでは、このテーマの絵には、昇天するマリアのみが描かれます。
    ベッドの下には、マリアに触ろうとしたバチ当たりなユダヤ人が天使に手を切り落とされた場面が描かれています。これはなんだろうとずっと気になっていましたが、やっとナゾが解けました@
    でも、切り落とされた手は、あとで奇跡的にくっついたそうです。
    マリアかイエスの慈悲のおかげでしょうね。

  • ルネサンス・スタイルの祭壇<br /><br />これも周辺の村の教会から保存のために集められたコレクションの一つです。<br />これは正教会ではなくカトリック教会のものでしょうね。<br />

    ルネサンス・スタイルの祭壇

    これも周辺の村の教会から保存のために集められたコレクションの一つです。
    これは正教会ではなくカトリック教会のものでしょうね。

  • ルネサンス・スタイルの祭壇のその一部<br /><br />いかにもカトリックらしい司祭さまの像です。<br />

    ルネサンス・スタイルの祭壇のその一部

    いかにもカトリックらしい司祭さまの像です。

  • ヤン・ソビエツキがウイーンでオスマントルコに勝利した戦いを描いた巨大な絵(の複写)<br /><br />オリジナルは修復中なので、代わりに複写が飾られていました。<br />オリジナルは高さ7メートルあって、これよりもさらに巨大なので、天井を吹き抜けに改造しない限り、この城の部屋には入らないそうです。<br />左側の目立つ騎士がヤン・ソビエツキで、逃げ惑っているのがトルコ兵です。<br />中央の黒い鎧の騎士はポーランド兵。<br />奥の赤やしましまのテントは、画家が意図したのはポーランド側の野営地のつもりだったはず。もちろん、実際にはこんなテントではなく、あくまでフィクションですが。<br />

    ヤン・ソビエツキがウイーンでオスマントルコに勝利した戦いを描いた巨大な絵(の複写)

    オリジナルは修復中なので、代わりに複写が飾られていました。
    オリジナルは高さ7メートルあって、これよりもさらに巨大なので、天井を吹き抜けに改造しない限り、この城の部屋には入らないそうです。
    左側の目立つ騎士がヤン・ソビエツキで、逃げ惑っているのがトルコ兵です。
    中央の黒い鎧の騎士はポーランド兵。
    奥の赤やしましまのテントは、画家が意図したのはポーランド側の野営地のつもりだったはず。もちろん、実際にはこんなテントではなく、あくまでフィクションですが。

  • 巨大な絵の一部、背中に羽のあるポーランドの鎧に注目<br /><br />羽の音で的の馬を脅かすと同時に、首筋を守っているそうです。<br />背中に羽のある鎧は、ポーランド旅行中に軍事博物館やマルボルク城などの城の武器コレクションでよく目にしました。<br />オスマントルコと対立することが多かった近代のポーランドで編み出された、「フサリア」と呼ばれる重騎兵軍団のものです。<br /><br />詳しくはこちらの写真コメントを参考に。<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/10992650/<br />関連の旅行記<br />「2005年夏のプラハ・ポーランド旅行20日間 その20 ワルシャワ軍事博物館(完)」<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10032727/<br />

    巨大な絵の一部、背中に羽のあるポーランドの鎧に注目

    羽の音で的の馬を脅かすと同時に、首筋を守っているそうです。
    背中に羽のある鎧は、ポーランド旅行中に軍事博物館やマルボルク城などの城の武器コレクションでよく目にしました。
    オスマントルコと対立することが多かった近代のポーランドで編み出された、「フサリア」と呼ばれる重騎兵軍団のものです。

    詳しくはこちらの写真コメントを参考に。
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/10992650/
    関連の旅行記
    「2005年夏のプラハ・ポーランド旅行20日間 その20 ワルシャワ軍事博物館(完)」
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10032727/

  • 巨大な絵の一部、ローマ兵のような衣装を来た姿で描かれたヤン・ソビエツキに注目<br /><br />実際にはこんな姿で戦ったわけではないです。絵画のためのフィクションです。<br />ソビエツキを古代ローマの英雄に見立てているわけです。<br />ちなみに、その隣の白馬に乗った騎士は、彼の息子です。<br />

    巨大な絵の一部、ローマ兵のような衣装を来た姿で描かれたヤン・ソビエツキに注目

    実際にはこんな姿で戦ったわけではないです。絵画のためのフィクションです。
    ソビエツキを古代ローマの英雄に見立てているわけです。
    ちなみに、その隣の白馬に乗った騎士は、彼の息子です。

  • バロック彫刻コレクション室にて、面白い顔つきのキューピット

    バロック彫刻コレクション室にて、面白い顔つきのキューピット

  • 踊っているみたい@

    踊っているみたい@

  • 頭と羽だけの天使像<br /><br />ヨーロッパの天使像に体がつくようになったのは、長い宗教美術の歴史の中ではかなり最近の話です。<br />でも、頭と羽だけの天使って、ときどき不気味です(笑)。<br /><br />作者は、当時の有名なバロック彫刻家ヨハン・ピンセル(Johan Pinsel、生年不祥〜1761年)です。<br />当時のウクライナでもっとも有名で、周辺諸国にも名前が知れ渡っていた彫刻家だったそうです。<br /><br />ちなみにダイアナは絵画よりも彫刻が好きそうでした。<br />リヴィブにピンセルの作品のコレクションがある美術館があることを教えてくれました。<br />あいにくその美術館は回る時間はありませんでした。<br />

    頭と羽だけの天使像

    ヨーロッパの天使像に体がつくようになったのは、長い宗教美術の歴史の中ではかなり最近の話です。
    でも、頭と羽だけの天使って、ときどき不気味です(笑)。

    作者は、当時の有名なバロック彫刻家ヨハン・ピンセル(Johan Pinsel、生年不祥〜1761年)です。
    当時のウクライナでもっとも有名で、周辺諸国にも名前が知れ渡っていた彫刻家だったそうです。

    ちなみにダイアナは絵画よりも彫刻が好きそうでした。
    リヴィブにピンセルの作品のコレクションがある美術館があることを教えてくれました。
    あいにくその美術館は回る時間はありませんでした。

  • 破壊されかけた聖女像<br /><br />ソ連時代にばらばらに切り分けられて、焼かれてしまうところだったそうです。<br />顔はすでに切り取られてしまっています。<br />そのことはとても残念ですが、逆に現代彫刻のような不思議な魅力が新たに加わった気がします。<br />

    破壊されかけた聖女像

    ソ連時代にばらばらに切り分けられて、焼かれてしまうところだったそうです。
    顔はすでに切り取られてしまっています。
    そのことはとても残念ですが、逆に現代彫刻のような不思議な魅力が新たに加わった気がします。

  • 城の窓から庭園を臨む

    城の窓から庭園を臨む

  • 城壁の回りの水路<br /><br />ここも、いかにも中世の城っぽい一角です。<br />

    城壁の回りの水路

    ここも、いかにも中世の城っぽい一角です。

  • 城内のカフェのお洒落な鉄製の看板

    城内のカフェのお洒落な鉄製の看板

  • 城の前から、カプチン修道院の屋根<br /><br />コウノトリが2羽います@<br /><br />「2009年ウクライナ旅行第11日目(2)リヴィブ近郊城めぐり:栄華の跡が偲ばれる、痛々しかったピドゴレツク城」へとつづく。<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10419202/<br /><br />

    城の前から、カプチン修道院の屋根

    コウノトリが2羽います@

    「2009年ウクライナ旅行第11日目(2)リヴィブ近郊城めぐり:栄華の跡が偲ばれる、痛々しかったピドゴレツク城」へとつづく。
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10419202/

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