2009年ウクライナ旅行第11日目(2)リヴィブ近郊城めぐり:栄華の跡が偲ばれる、痛々しかったピドゴレツク城:まみさんの旅行ブログ

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2009年ウクライナ旅行第11日目(2)リヴィブ近郊城めぐり:栄華の跡が偲ばれる、痛々しかったピドゴレツク城

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2009年ウクライナ旅行第11日目(2)リヴィブ近郊城めぐり:栄華の跡が偲ばれる、痛々しかったピドゴレツク城

2009/07/15水 リヴィブ近郊城めぐり(現地英語ガイド&車付)
・オレスク城(Olesk)
・ピドゴレツク城(Pidgoretsk)(まだ修復中)と付属教会
・ゾロチフ城(Zolochiv)
リヴィブに戻ってガイドと別れた後
・アルメニア教会
【二等寝台泊:リヴィブからコロミーヤまで】

リヴィブ近郊の「黄金の蹄鉄」(Golden Horse She)と呼ばれる古城が残る一帯の城めぐりの一日。
ガイドとドライバーを一日雇ってやって来た2番目のピドゴレツク城(*)は、まさかまだ中が公開できるほど修復が進んでいないとは思いもしませんでした。
私の常識では、城観光といえば、中の見学は必須であって、廃墟を見に行くことではありませんでした。

でも考えてみたら、今まで観光客に公開されていた城の内部は、たいていは長い歴史の中のごく一時の姿です。
一度は廃墟となって復元された城は、乱暴な言い方をしてしまえばレプリカといえますし、往時を偲ばせるために整えられた家具などは、それっぽさを演出するためのもので、城と直接関係ない、ということはよくありました。
また、城の歴史に関わる貴重なコレクションがあるものの、外観の華麗さに比べると、あまりにそっけない展示で、ミーハーな私はひそかにがっかりしたことがないわけでもないです。
もちろん、ずっとオーナーがいて、最盛期の内装のまま保存された幸福な城もありましたが、逆にそのため、その姿は長い城の歴史の当初からのもののはずがありません。
それにオーナーがそろえた城の調度品は、はじめから城のために注文したものでない限り、城と直接関係あると厳密には言えないでしょう。
もっともそうやって集められた調度品も、オーナー自身と共に、城の歴史の一部になっていくわけですけど。

なので、城見学だからといって内部にこだわる必要はないわけです。
───ということで、自分を納得させることにしました。
公開されていないのですもの、仕方がありません。
それに、まだまだ廃墟同然でしたが、往時の姿を取り戻そうと、修復が進んでいる様子は確かに見られました。
資金不足のせいで、決してはかばかしくないようですが。
ここを舞台に映画が作られたり、中世フェスティバルのようなものが開催されたりすることもあるようです。
写真は撮り損ねたのですが、ゲートにフェスティバルの宣伝ポスターが貼ってありました。

それに何より、現地ガイドがついています。
ガイドのダイアナは、この城の修復活動のための財団があり、ウクライナの著名人がたくさん名前を連ねていることを教えてくれました。
そして、ここが往時はいかにすばらしい城であったか、当時のスケッチ画が掲載されたパンフレットで解説してくれました。
17世紀末、ポーランド・リトアニア連合王国の王ヤン・ソビエツキ3世(在位1674〜1696)の息子がオーナーだったとき、息子は両親を城に招待しましたが、そのとき王の従者の一人が豪華な城の内外を詳しくスケッチしたものが残っているのです。
今は草茫々の野っ原が、当時どんなに美しく、手入れが行き届いた庭園であったか、今ではその貴重な証拠資料となっています。
見学が終わってリヴィブに戻った後に、そのパンフレットのスケッチ画の写真を撮らせてもらいました。

第一次大戦中、城はロシア軍に占拠されましたが、あまりに美しい城だったため、破壊は免れたそうです。もっとも中にあるものは略奪していってしまいました。
オーストリア・ハンガリー軍本部に利用されたとき、最前線にあったため撤退するときには破壊されるところでしたが、時の将軍は城を惜しんで破壊をやめたそうです。
───ダイアナが、敵がこの城を標的にしようとしたとき、あまりに美しい城だから破壊してしまうのに惜しいということで取りやめた、というエピソードを話してくれましたが、このあたりのことかな。
説明を聞いていたときは、初めて聞くことばかりでしたので、そういうことがあったという内容だけ漠然と覚えていられたのですが、肝心の具体的な関係者のところは薄れてしまったものですから。
いずれにせよ、城がすっかり荒廃したのは第一次・二次世界大戦中のソ連軍による略奪と、その後のソ連時代での扱いのせいのようです。

でも、ヤン・ソビエツキ3世が滞在した往時の姿は、残されたスケッチと、これまでに訪れることができた、きれいに修復された城見学の記憶をよすがに、目の前の廃墟を眺めながら、私でも華やかなりし城内部や庭園を想像することができました。
これはもう城見学というより、遺跡見学に近いかもしれません。

あれほどの宮殿や庭園が第二次大戦前のごく近代まで確かに存在していたのに、庭はもうその面影は全くありません。
庭園は、かつては美しい彫刻だった、今や遺跡のような石柱がいくつか残っている以外は、何もありません。草茫々で木が散在する自然林か、古戦場跡か何かのようです。
人類による生態系や自然破壊の爪跡は大きいけれど、その反面、文化遺産として残したい貴重な建築物が地上に残せる爪跡は、自然の前になんとはかないことよ、と改めて思い知らされました。

*ピドゴレツクはたぶんロシア語読み。現地旅行会社の担当者による英語スペルにそったカタカナ表記です。
調べてみたところ、ウクライナ語ではPidhirtsi(ピドヒルツィ)で、ポーランド語ではPodhorce(ポドホルス)とありました。

※2009年ウクライナ旅行の旅程一覧はこちら。
簡易版「2009年ウクライナ旅行プロローグ(旅程一覧)地図付」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10359084/
詳細版「2009年ウクライナ旅行の詳細旅程」(もう1つのブログ「まみ’s Travel Diary」より)
http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2009/07/2009-2271.html

エリア: ヨーロッパ >>ウクライナ >>リヴィウ
テーマ: 特になし・その他(観光)
時期: 2009年07月15日〜07月15日
投稿日: 2010年01月15日
写真: 全27枚
満足度: 評価なし
観光: 評価なし
ホテル: 評価なし
グルメ・レストラン: 評価なし
ショッピング: 評価なし
交通: 評価なし
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ピドゴレツク城というんですね返事を書く

by 浦潮斯徳さん | 2011年10月09日 11:22

まみ様 ピドゴレツク城というんですね。懐かしいです。
あと、このお城の詳しい歴史、有難うございました。またお写真も、素晴らしいですね。

RE: ピドゴレツク城というんですね返事を書く
by まみさん | 2011年10月11日 20:28

浦潮斯徳さん、こんにちは。コメントありがとうございます。

浦潮斯徳さんもリヴィブ近郊の城めぐりをされていましたね。私の方こそ勉強になりました。
ウクライナには豊かな歴史遺産がたくさん眠っていますね。
ミーハーな私は修復が進むといいのに、ともったいなく思ってしまいます。
ウクライナを含む東欧の歴史はあまりに知らずにいたので、初めて知ることばかりでまだまだ混乱しそうになります。
と同時に、東欧を調べれば調べるほど歴史はどの側面をとらえるかによってがらっと変わるものだとしみじみ思うばかりです。
ここはLonely Planetにも紹介されていなくて、中は修復されていなくて見学できないところでしたが、事前の旅行手配をしてくれた現地代理店の人に教わって旅程に組み込んでよかったと思います。

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