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2006/10/25(水)第18目:ブラン城&ブラショフ<br />シギショアラ発8:32の急行でブラショフ着10:30頃<br />駅で声をかけてきたRaduのプライベート・ルームに宿をとる<br />Raduの案内(別料金)でブラン城へ<br /><br />ブラショフへ戻って:<br />中央公園、中央公園前のルーマニア正教会、共和国通り、ブラショフ民俗博物館、ブラショフ美術館、スファトゥルイ広場(中央広場)、スター百貨店<br /><br />ブラン城は、2006年5月にルーマニア政府から元の持ち主のハプスブルグ家ルーマニア王女イリアナの末裔に返還されました。<br />でも、向こう3年は、このまま改築の手など加えず、今までどおり一般公開されるそうです。<br />でも、その後は───?<br /><br />2006年10月の旅行にルーマニアに行くことを決めて旅程を考えているとき、ブラン城は射程圏内に入っていました。<br />このニュースを知って、今回の旅行に入れることを最終的に決めました。<br /><br />ただ、ネックは、ブラショフを拠点に出かけるとしても、ブラン城はアクセスがあまり良くないことです。<br />ルーマニアの観光ハイライトのトップにしては、交通インフラは観光客にとってあまり使い勝手がよくありません。<br />ブラショフはトランシルヴァニア地方きっての都市、ルーマニアでもブカレストに続く第2の都市ですが、ブラン城行きのバスの停留所は、町の中心から2kmも離れているというのです。<br />「地球の歩き方」では、まずそのバス停に行くために、バスかタクシーを利用することを薦めています。<br />しかも、ブラン行きのバスは、1時間に1〜2本程度しか出ていないようです。<br /><br />なので、ブラン城行きだけでも1日がかりになることを覚悟しておいた方がよいかもしれないと思いました。<br />そのため、ブラショフには最低でも2泊をし、1日はブラン城のためにあけておくことにしました。<br /><br />しかし実際には、ブラン城までタクシーをチャーターしたような形になりました。<br />プライベート・ルームのオーナーが、70レウで案内してくれると申し出てくれたのです。<br />(2006年10月現在、1レウ=約40円)<br />70レウは、ルーマニアの物価を考えると安くありません。<br />でも、実は宿をプライベート・ルームに決めたため、2泊で85レウと、びっくりするほど安くすませられたので、その分を、こちらに回してもいいと思ったのです。<br />お金で時間を買いました。<br /><br />というわけで、プラショフに着いたのは、ほぼ予定どおりの10時半。<br />駅前で待ち構えていたブライベート・ルームのオーナーの話にのり、車で連れていってもらってそこに宿を決めたのは11時。<br />そのまま昼食もとらず、プライベート・ルームの中庭のリンゴの木からオーナー手ずからもらったリンゴを昼食代わりにブラン城に出かけて、11時50分に到着。<br />ふもとの野外博物館とあわせて、13時までブラン城を見学した後、14時にはブラショフに戻ってきました。<br />おかげで、ブラショフ観光は1日半、当初の予測より半日多く費やすことができました。<br />お金で時間を買っただけのことはありました。

2006年ハンガリーとルーマニア旅行第18日目(2):ブラン城

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2006/10/25 - 2006/10/25

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まみ

まみさん

2006/10/25(水)第18目:ブラン城&ブラショフ
シギショアラ発8:32の急行でブラショフ着10:30頃
駅で声をかけてきたRaduのプライベート・ルームに宿をとる
Raduの案内(別料金)でブラン城へ

ブラショフへ戻って:
中央公園、中央公園前のルーマニア正教会、共和国通り、ブラショフ民俗博物館、ブラショフ美術館、スファトゥルイ広場(中央広場)、スター百貨店

ブラン城は、2006年5月にルーマニア政府から元の持ち主のハプスブルグ家ルーマニア王女イリアナの末裔に返還されました。
でも、向こう3年は、このまま改築の手など加えず、今までどおり一般公開されるそうです。
でも、その後は───?

2006年10月の旅行にルーマニアに行くことを決めて旅程を考えているとき、ブラン城は射程圏内に入っていました。
このニュースを知って、今回の旅行に入れることを最終的に決めました。

ただ、ネックは、ブラショフを拠点に出かけるとしても、ブラン城はアクセスがあまり良くないことです。
ルーマニアの観光ハイライトのトップにしては、交通インフラは観光客にとってあまり使い勝手がよくありません。
ブラショフはトランシルヴァニア地方きっての都市、ルーマニアでもブカレストに続く第2の都市ですが、ブラン城行きのバスの停留所は、町の中心から2kmも離れているというのです。
「地球の歩き方」では、まずそのバス停に行くために、バスかタクシーを利用することを薦めています。
しかも、ブラン行きのバスは、1時間に1〜2本程度しか出ていないようです。

なので、ブラン城行きだけでも1日がかりになることを覚悟しておいた方がよいかもしれないと思いました。
そのため、ブラショフには最低でも2泊をし、1日はブラン城のためにあけておくことにしました。

しかし実際には、ブラン城までタクシーをチャーターしたような形になりました。
プライベート・ルームのオーナーが、70レウで案内してくれると申し出てくれたのです。
(2006年10月現在、1レウ=約40円)
70レウは、ルーマニアの物価を考えると安くありません。
でも、実は宿をプライベート・ルームに決めたため、2泊で85レウと、びっくりするほど安くすませられたので、その分を、こちらに回してもいいと思ったのです。
お金で時間を買いました。

というわけで、プラショフに着いたのは、ほぼ予定どおりの10時半。
駅前で待ち構えていたブライベート・ルームのオーナーの話にのり、車で連れていってもらってそこに宿を決めたのは11時。
そのまま昼食もとらず、プライベート・ルームの中庭のリンゴの木からオーナー手ずからもらったリンゴを昼食代わりにブラン城に出かけて、11時50分に到着。
ふもとの野外博物館とあわせて、13時までブラン城を見学した後、14時にはブラショフに戻ってきました。
おかげで、ブラショフ観光は1日半、当初の予測より半日多く費やすことができました。
お金で時間を買っただけのことはありました。

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  • ブジェジ山に抱かれた見たブラン城<br />ここから見ても、おどろおどろしさより、可愛らしい印象のある城です。<br />木組みの壁もちらっと見えています。<br /><br />すっかり黄色く色付いた木々もすばらしくて、うっとり。<br /><br />写真は、ふもとのチケット売り場のすぐ脇で撮りました。<br />このあたりは、お祭りの出店のように、おみやげ屋の露店がたくさん並んでいました。<br /><br />ブラン城の入場料は、12レウでした。<br />(2006年10月現在、1レウ=約40円)<br />ふもとの野外博物館も込みです。

    ブジェジ山に抱かれた見たブラン城
    ここから見ても、おどろおどろしさより、可愛らしい印象のある城です。
    木組みの壁もちらっと見えています。

    すっかり黄色く色付いた木々もすばらしくて、うっとり。

    写真は、ふもとのチケット売り場のすぐ脇で撮りました。
    このあたりは、お祭りの出店のように、おみやげ屋の露店がたくさん並んでいました。

    ブラン城の入場料は、12レウでした。
    (2006年10月現在、1レウ=約40円)
    ふもとの野外博物館も込みです。

  • この坂道を登って城に向かいます。<br />まあまあ急な坂でした。<br />両脇の紅葉も息をのむような美しさでした。

    この坂道を登って城に向かいます。
    まあまあ急な坂でした。
    両脇の紅葉も息をのむような美しさでした。

  • ブラン城の入口に続く坂道<br />後ろからまた別の観光客が登ってくるのが見えます。

    ブラン城の入口に続く坂道
    後ろからまた別の観光客が登ってくるのが見えます。

  • 城の前にあった十字架

    城の前にあった十字架

  • 城への入口<br />この階段を登ったあの扉の向こうで、チケットのもぎりがあります。<br /><br />ブラン城は創建は14世紀ですが、1920年から1947年までは、17世紀後半からルーマニアを統治していたハプスブルグ家の夏の離宮として使われていました。マリー王妃(1875-1938)のお気に入りの城でした。<br />1938年に末の王女イリアナ(1909-1991)が相続しましたが、1948年に当時の共産党政権が没収。以降、荒廃していましたが、80代後半に入って修復工事が始まり、1993年にやっと部分的に修復が完了しました。現在はもちろん、ルーマニアの人気の観光地の1つです。<br />それが、2006年5月26日、17世紀後半からルーマニアを統治していたハプスブルグ家の末裔で、ニューヨーク在住の建築家ドミニク・フォン・ハプスブルグ氏に返還されました。<br /><br />ルーマニア情報ではお世話になったブログ「ルーマニアへ行こう!」のgo2romaniaさんによると、ルーマニアでは元々「歴史的建造物(Monument)」は売買できないと法律があるのですが、お金・ビジネスのためにこうして売却される城が後を絶たないようです。<br />観光収入はあるかもしれませんが、維持費はバカにできないでしょうからね。<br /><br />ブログ「ルーマニアへ行こう! Let&#39;s go to Romania !」の「ドラキュラ城返還!!(Yahoo Japan News)」<br />http://go2rumania.exblog.jp/3789687

    城への入口
    この階段を登ったあの扉の向こうで、チケットのもぎりがあります。

    ブラン城は創建は14世紀ですが、1920年から1947年までは、17世紀後半からルーマニアを統治していたハプスブルグ家の夏の離宮として使われていました。マリー王妃(1875-1938)のお気に入りの城でした。
    1938年に末の王女イリアナ(1909-1991)が相続しましたが、1948年に当時の共産党政権が没収。以降、荒廃していましたが、80代後半に入って修復工事が始まり、1993年にやっと部分的に修復が完了しました。現在はもちろん、ルーマニアの人気の観光地の1つです。
    それが、2006年5月26日、17世紀後半からルーマニアを統治していたハプスブルグ家の末裔で、ニューヨーク在住の建築家ドミニク・フォン・ハプスブルグ氏に返還されました。

    ルーマニア情報ではお世話になったブログ「ルーマニアへ行こう!」のgo2romaniaさんによると、ルーマニアでは元々「歴史的建造物(Monument)」は売買できないと法律があるのですが、お金・ビジネスのためにこうして売却される城が後を絶たないようです。
    観光収入はあるかもしれませんが、維持費はバカにできないでしょうからね。

    ブログ「ルーマニアへ行こう! Let's go to Romania !」の「ドラキュラ城返還!!(Yahoo Japan News)」
    http://go2rumania.exblog.jp/3789687

  • 中庭から見たブラン城<br /><br />ブラン城はかわいいお城でした。<br />ブラム・ストーカーの「吸血鬼」の舞台といわれていますが、私はまだ実際にその原作を訳本でもちゃんと読んだことはないため、私の中での吸血鬼城のイメージは、映画のものです。<br />ホラー映画好きな私は、吸血鬼映画も大好きです。<br />古典的なものから、「スペース・ヴァンパイア」だの、比較的最近では「ドラキュリア」や、ヴァンパイアとオオカミ男伝説も混ざった「ヴァン・ヘルシング」、「アンダーワールド」だの、さまざまなバージョンの映画を見てきました。<br />吸血鬼の恐怖の舞台も、ルーマニアとは限らず、現代のニューヨークあり、宇宙あり、時代もブラム・ストーカーの時代の過去から未来までとさまざまで、すでにいろんなイメージがごっちゃになっています。<br />なので、特にブラン城を吸血鬼の舞台と結び付けず、単にルーマニアに残る宮殿の1つを見学するつもりで出かけました。<br />秋晴れのすがすがしい天気の中、紅葉の山に囲まれたブラン城は、おどろおどろしさとは全く無縁で、とってもかわいらしくても、私としては全く問題はありませんでした。

    中庭から見たブラン城

    ブラン城はかわいいお城でした。
    ブラム・ストーカーの「吸血鬼」の舞台といわれていますが、私はまだ実際にその原作を訳本でもちゃんと読んだことはないため、私の中での吸血鬼城のイメージは、映画のものです。
    ホラー映画好きな私は、吸血鬼映画も大好きです。
    古典的なものから、「スペース・ヴァンパイア」だの、比較的最近では「ドラキュリア」や、ヴァンパイアとオオカミ男伝説も混ざった「ヴァン・ヘルシング」、「アンダーワールド」だの、さまざまなバージョンの映画を見てきました。
    吸血鬼の恐怖の舞台も、ルーマニアとは限らず、現代のニューヨークあり、宇宙あり、時代もブラム・ストーカーの時代の過去から未来までとさまざまで、すでにいろんなイメージがごっちゃになっています。
    なので、特にブラン城を吸血鬼の舞台と結び付けず、単にルーマニアに残る宮殿の1つを見学するつもりで出かけました。
    秋晴れのすがすがしい天気の中、紅葉の山に囲まれたブラン城は、おどろおどろしさとは全く無縁で、とってもかわいらしくても、私としては全く問題はありませんでした。

  • 半開きの重厚なゴシック風な扉と、部屋の中<br /><br />ブラン城の中は、ほぼ、最後のルーマニア王国の夏の離宮として使われていたときのままのようでした。<br />アンティークな家具がそろっていて、思ったよりこじんまりとした、でもどこかかわいらしい部屋を見学することができます。<br />城内には、マリー王妃と末の王女イリアナの美しい母子の写真が飾られていたので、城内を見学しながら、彼女らがここで過ごしている様子を想像しました。<br />そこには吸血鬼の入り込む余地は全くなしです。<br />そして、この城を買い取ったイリアナ王女の末裔が、もう一度ここを居城、あるいは離宮としてすむ対と思う可能性は十分あるかもしれない───と思いました。<br />だってこんなに可愛らしいし、住みやすそうなんですもの。<br />ただそうすると、一般公開されにくくなるでしょうか。<br />観光客としては都合悪いのですが。

    半開きの重厚なゴシック風な扉と、部屋の中

    ブラン城の中は、ほぼ、最後のルーマニア王国の夏の離宮として使われていたときのままのようでした。
    アンティークな家具がそろっていて、思ったよりこじんまりとした、でもどこかかわいらしい部屋を見学することができます。
    城内には、マリー王妃と末の王女イリアナの美しい母子の写真が飾られていたので、城内を見学しながら、彼女らがここで過ごしている様子を想像しました。
    そこには吸血鬼の入り込む余地は全くなしです。
    そして、この城を買い取ったイリアナ王女の末裔が、もう一度ここを居城、あるいは離宮としてすむ対と思う可能性は十分あるかもしれない───と思いました。
    だってこんなに可愛らしいし、住みやすそうなんですもの。
    ただそうすると、一般公開されにくくなるでしょうか。
    観光客としては都合悪いのですが。

  • 窓から中庭の方を眺めたところ<br /><br />古風な窓です@<br />そして窓の向こうに見えるオレンジの屋根がイイです@<br /><br />ルーマニア王国の離宮となったとき、城は住みやすいように改築されました。<br />狙撃用の穴も、窓に改造されました。<br />この窓は違うと思いますけどね。

    窓から中庭の方を眺めたところ

    古風な窓です@
    そして窓の向こうに見えるオレンジの屋根がイイです@

    ルーマニア王国の離宮となったとき、城は住みやすいように改築されました。
    狙撃用の穴も、窓に改造されました。
    この窓は違うと思いますけどね。

  • 上のフロアに向かうには、こんな階段を登りました。<br /><br />もちろん、階段はこういうのばかりではありません。<br />ただ、くまなく回れるように進路がだいたい決まっていたので、登るときは自然とここを選んで登るようになりました。

    上のフロアに向かうには、こんな階段を登りました。

    もちろん、階段はこういうのばかりではありません。
    ただ、くまなく回れるように進路がだいたい決まっていたので、登るときは自然とここを選んで登るようになりました。

  • 上のフロアから見たブラン城<br />とんがり頭の塔と木組みの壁が可愛いです。<br />からっと晴れた晴天に、背景の紅葉の山もすばらしいです。<br /><br />「実はブラン城をたてたのは、ドラキュラ伯爵のモデルとなったヴラド・ツェペシュではない。城はもともと1382年に、ブラショフに住むザクセン人が、トルコ軍の攻撃を阻止するためにたてた。(中略)<br /> ブラン城は1920年には王室の夏の離宮となり、1947年に手放すまでマリー王妃が特に好んで滞在した。そのため、60mの岩峰上に立つ城の佇まいはおどろおどろしいものの、中に入ると拍子抜けするほど整然としていて、小綺麗にまとまっている。マリーが西ヨーロッパから輸入した高価な家具・調度もそのままに、未だにブラン城は?皇室御用達?の雰囲気が色濃く漂っている。」<br />(「旅名人ブックス ルーマニア 伝説と素朴な民衆文化と出会う」(日経BP社)より)

    上のフロアから見たブラン城
    とんがり頭の塔と木組みの壁が可愛いです。
    からっと晴れた晴天に、背景の紅葉の山もすばらしいです。

    「実はブラン城をたてたのは、ドラキュラ伯爵のモデルとなったヴラド・ツェペシュではない。城はもともと1382年に、ブラショフに住むザクセン人が、トルコ軍の攻撃を阻止するためにたてた。(中略)
     ブラン城は1920年には王室の夏の離宮となり、1947年に手放すまでマリー王妃が特に好んで滞在した。そのため、60mの岩峰上に立つ城の佇まいはおどろおどろしいものの、中に入ると拍子抜けするほど整然としていて、小綺麗にまとまっている。マリーが西ヨーロッパから輸入した高価な家具・調度もそのままに、未だにブラン城は?皇室御用達?の雰囲気が色濃く漂っている。」
    (「旅名人ブックス ルーマニア 伝説と素朴な民衆文化と出会う」(日経BP社)より)

  • 中庭を見下ろして<br /><br />あの井戸はブラム・ストーカーの「吸血鬼」で重要でしたっけ?<br />あの周りは観光客が途切れることがほとんどありませんでした。

    中庭を見下ろして

    あの井戸はブラム・ストーカーの「吸血鬼」で重要でしたっけ?
    あの周りは観光客が途切れることがほとんどありませんでした。

  • 回廊の半円窓から撮ったところ<br /><br />「ドラキュラ伯爵のモデルとされる、ヴラド・ツェペシュに縁のある小城。14世紀後半から建設が開始され、トランシルヴァニアからワラキアへ抜ける交通の要所であったため、城主が頻繁に交代した。1948年に政権交代と共に放棄され、1956年に博物館として再会。頻繁に増改築されたため各時代の様式の集積を見ることができる。」<br />(「世界の建築・街並みガイド5」エクスナレッジ社より)<br /><br />実際は、ヴラド・ツェペシュはこの城に滞在したことはないといいます。<br />縁があるとしたら、彼の祖父であるワラキアのミルチャ公がワラキア公国の領土を広げたときに、この城もゲットしたことくらいでしょうか。

    回廊の半円窓から撮ったところ

    「ドラキュラ伯爵のモデルとされる、ヴラド・ツェペシュに縁のある小城。14世紀後半から建設が開始され、トランシルヴァニアからワラキアへ抜ける交通の要所であったため、城主が頻繁に交代した。1948年に政権交代と共に放棄され、1956年に博物館として再会。頻繁に増改築されたため各時代の様式の集積を見ることができる。」
    (「世界の建築・街並みガイド5」エクスナレッジ社より)

    実際は、ヴラド・ツェペシュはこの城に滞在したことはないといいます。
    縁があるとしたら、彼の祖父であるワラキアのミルチャ公がワラキア公国の領土を広げたときに、この城もゲットしたことくらいでしょうか。

  • 鳥の巣箱のような可愛い煙突と、鐘塔らしきもの<br /><br />こうして見ると、各時代のさまざまな様式の集積というよりは、いろんな時代の様式の部分のパッチワークです@

    鳥の巣箱のような可愛い煙突と、鐘塔らしきもの

    こうして見ると、各時代のさまざまな様式の集積というよりは、いろんな時代の様式の部分のパッチワークです@

  • 分厚いガラス窓から眺めたところ<br /><br />可愛いとんがり頭の塔と美しい紅葉の山が見えます。

    分厚いガラス窓から眺めたところ

    可愛いとんがり頭の塔と美しい紅葉の山が見えます。

  • ガラス窓から通路と中庭を見下ろして

    ガラス窓から通路と中庭を見下ろして

  • 可愛らしい古風なランプのある廊下

    可愛らしい古風なランプのある廊下

  • 王の寝室<br /><br />木彫り彫刻のすばらしいベッドと鮮やかな絨毯

    王の寝室

    木彫り彫刻のすばらしいベッドと鮮やかな絨毯

  • アンティークなダイニング<br /><br />この木製のイスと奥にある戸棚のすばらしいこと!<br />タイル貼りのストーブもなかなか素敵です。

    アンティークなダイニング

    この木製のイスと奥にある戸棚のすばらしいこと!
    タイル貼りのストーブもなかなか素敵です。

  • 下のフロアに降りたあと、もう一度中庭を見上げて<br /><br />木組みの白壁の回廊がでっぱっているのが可愛いです@

    下のフロアに降りたあと、もう一度中庭を見上げて

    木組みの白壁の回廊がでっぱっているのが可愛いです@

  • 下のフロアの回廊から見上げて<br /><br />巣箱のような煙突が3つ@

    下のフロアの回廊から見上げて

    巣箱のような煙突が3つ@

  • 出口の上を見上げると……ランプ?<br />ではないようです。<br />何かを釣り下げるためのものでしょうか。<br /><br />ちょっと素敵だなあと思った一方で、中世の刑罰の道具にも見えてしまいました。

    出口の上を見上げると……ランプ?
    ではないようです。
    何かを釣り下げるためのものでしょうか。

    ちょっと素敵だなあと思った一方で、中世の刑罰の道具にも見えてしまいました。

  • 井戸のある中庭

    井戸のある中庭

  • ブラショフで買ったトランシルヴァニア地方の城の本「The Castle of Transylvania」(英語版)<br /><br />当然ブラン城が載っていて、それを目当てに買ったものです。<br />でもシギショアラも載っていたので、余計に欲しくなりました。<br />他には、シナイア、フネドアラ、トゥルゴヴィシュテが載っています。<br />買った橋よはブラン城ではなく、ブラショフのほぼ歩行者天国となっていた目抜き通りレプブリチ通りの出店です。<br />値段は、23レウでした。<br />(2006年10月現在、1レウ=約40円)<br /><br />これによると、ブラン城はもともとトランシルウァニアとワラキアを結ぶ貿易ルート上にある税関でした。<br />城の名前は、当時、貿易ルートの要所だったふもとの村にちなんでいます。<br />19世紀にオスマントルコに支配されていたときに城は荒廃し、修復が必要になります。<br />そのときにアーケードなどの装飾的要素が付け加えられました。<br />その後、1918年にルーマニア王国が成立すると、城はブラン市からマリー王女に贈呈されました。<br />翌年、宮廷建築家カーレル・リーマンの手によって離宮に改築されました。<br />マリー王妃の死後、城は末の王女イリアナに受け継がれました。

    ブラショフで買ったトランシルヴァニア地方の城の本「The Castle of Transylvania」(英語版)

    当然ブラン城が載っていて、それを目当てに買ったものです。
    でもシギショアラも載っていたので、余計に欲しくなりました。
    他には、シナイア、フネドアラ、トゥルゴヴィシュテが載っています。
    買った橋よはブラン城ではなく、ブラショフのほぼ歩行者天国となっていた目抜き通りレプブリチ通りの出店です。
    値段は、23レウでした。
    (2006年10月現在、1レウ=約40円)

    これによると、ブラン城はもともとトランシルウァニアとワラキアを結ぶ貿易ルート上にある税関でした。
    城の名前は、当時、貿易ルートの要所だったふもとの村にちなんでいます。
    19世紀にオスマントルコに支配されていたときに城は荒廃し、修復が必要になります。
    そのときにアーケードなどの装飾的要素が付け加えられました。
    その後、1918年にルーマニア王国が成立すると、城はブラン市からマリー王女に贈呈されました。
    翌年、宮廷建築家カーレル・リーマンの手によって離宮に改築されました。
    マリー王妃の死後、城は末の王女イリアナに受け継がれました。

  • 1948年にブラン城が当時の共産党政権に没収されるまでの城の最後の持ち主<br />ルーマニア王国のイリアナ王女<br /><br />ブラン城に入って第一室目をはじめとして、マリー王妃とイリアナ王女の写真がたくさん壁に飾られていました。<br />美しい母子でした。ルーマニアの民族衣装らしき姿もチャーミングでした。<br />特に娘の方に惹かれました。<br />ちなみにそのときは城とマリー王妃の関わりは知っていましたが、イリアナ王女のことは知りませんでした。<br />母と娘のどちらがマリー王妃かわかりませんでした。<br />イリアナ王女があまりにもチャーミングだったので写真の写真を撮ろうと思いました。<br />でも、そのときはやめてしまいました。<br />たくさん持参してきたつもりのデジカメのメモリの残りが、この先、まだブラショフ、ブカレストと4日ほどあることを考えると、思ったより余裕があるわけではなかったからです。<br />ふもとの露店でブラン城のパンフレットを買うつもりでしたので、そういう本にこの母子の写真がきっと載っているだろうと思ったせいもあります。<br />ところが。<br />何種類かパンフレットはありましたが、どれにもあの美しい母子の写真はありません。<br />そのショックときたら!<br />城内で一枚くらい、彼女の写真を撮っておくんだった、と何度後悔したことか。<br />しかしすでに城を出てしまい、後の祭りでした。<br /><br />でも、帰国した後、ネットで調べればいいんだと気付きました。<br />調べてみると、日本語のサイトではちっともヒットしませんでしたが、Romania、Ileana のキーワードで、マリー王妃やイリアナ王女の写真がたくさん載っているサイトを見つけることができました。<br /><br />この写真はその中から、ブラン城内にも展示されていて、写真の写真を撮るなら、これ!と思ったイリアナ王女の写真をネットからプリントアウトしたものです。<br />その周りに、ブカレストの百貨店のおみやげコーナーで買った民族人形を配置させてみました。<br /><br />イリアナ王女フォト・インデックス<br />ttp://www.tkinter.smig.net/PrincessIleana/Gallery/index.htm<br />「ルーマニアのイリアナ王女」フリー百科事典ウィキペデア英語版より<br />http://en.wikipedia.org/wiki/Princess_Ileana_of_Romania<br /><br />マリー王妃フォト・インデックス<br />http://www.tkinter.smig.net/QueenMarie/Gallery/index.htm<br />「ルーマニアのマリー王妃」フリー百科事典ウィキペデア英語版より<br />http://en.wikipedia.org/wiki/Princess_Marie_of_Edinburgh

    1948年にブラン城が当時の共産党政権に没収されるまでの城の最後の持ち主
    ルーマニア王国のイリアナ王女

    ブラン城に入って第一室目をはじめとして、マリー王妃とイリアナ王女の写真がたくさん壁に飾られていました。
    美しい母子でした。ルーマニアの民族衣装らしき姿もチャーミングでした。
    特に娘の方に惹かれました。
    ちなみにそのときは城とマリー王妃の関わりは知っていましたが、イリアナ王女のことは知りませんでした。
    母と娘のどちらがマリー王妃かわかりませんでした。
    イリアナ王女があまりにもチャーミングだったので写真の写真を撮ろうと思いました。
    でも、そのときはやめてしまいました。
    たくさん持参してきたつもりのデジカメのメモリの残りが、この先、まだブラショフ、ブカレストと4日ほどあることを考えると、思ったより余裕があるわけではなかったからです。
    ふもとの露店でブラン城のパンフレットを買うつもりでしたので、そういう本にこの母子の写真がきっと載っているだろうと思ったせいもあります。
    ところが。
    何種類かパンフレットはありましたが、どれにもあの美しい母子の写真はありません。
    そのショックときたら!
    城内で一枚くらい、彼女の写真を撮っておくんだった、と何度後悔したことか。
    しかしすでに城を出てしまい、後の祭りでした。

    でも、帰国した後、ネットで調べればいいんだと気付きました。
    調べてみると、日本語のサイトではちっともヒットしませんでしたが、Romania、Ileana のキーワードで、マリー王妃やイリアナ王女の写真がたくさん載っているサイトを見つけることができました。

    この写真はその中から、ブラン城内にも展示されていて、写真の写真を撮るなら、これ!と思ったイリアナ王女の写真をネットからプリントアウトしたものです。
    その周りに、ブカレストの百貨店のおみやげコーナーで買った民族人形を配置させてみました。

    イリアナ王女フォト・インデックス
    ttp://www.tkinter.smig.net/PrincessIleana/Gallery/index.htm
    「ルーマニアのイリアナ王女」フリー百科事典ウィキペデア英語版より
    http://en.wikipedia.org/wiki/Princess_Ileana_of_Romania

    マリー王妃フォト・インデックス
    http://www.tkinter.smig.net/QueenMarie/Gallery/index.htm
    「ルーマニアのマリー王妃」フリー百科事典ウィキペデア英語版より
    http://en.wikipedia.org/wiki/Princess_Marie_of_Edinburgh

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  • パパスさん 2007/04/10 08:46:50
    ブラン城。
    やはりルーマニアと言えばドラキュラ伯爵とブラン城ですよね。
    (パパスの中ではですが)
    何ですか、ブラン城が向こう3年はそのままで、その後は持ち主がどうするか分らないのですか?
    そう聞けば行きしかないですね!

    でもアクセスが悪い?
    タクシーで行く事も出来るのですね?
    まぁ、色々調べてみます。

    パパス。

    まみ

    まみさん からの返信 2007/04/11 08:43:23
    RE: ブラン城。
    パパスさん、こんにちは。書き込みありがとうございます。

    ルーマニア、トランシルヴァニア、とくれば、やはりキーワードはドラキュラですね。
    ブラン城が売却されたのは去年の5月なのでもうすこしで向こう2年ということになりますが、まあ、いきなり公開しないってことにしないとは思いますが。。。マリア王妃やイリアナ王女が使われていたころの部屋の内装が変えられてしまうなんてことはありえなくもないかも。あくまで想像ですが。
    まあ、内装はあんまりドラキュラと関係なかったのですが、でも可愛い部屋でしたよ@

    ブラン城のアクセスがちょっと面倒なのは、ブラショフからブラン行きのバスが出るのがバスターミナル(アウトガラ)2(ドイ)の方だからなのです。
    町の北2kmなんですって。「歩き方」によれば徒歩で20分ですが。。。
    でも、ちゃんとタクシーを使わずに行く人はいますね。
    私も当初そのつもりだったのですが……ラクして、お金で時間を稼ぐ方を選んでしまいました。
    ブラショフ駅もアウトガラ1も、町の中心までバスで10分ほどかかるところにあるのですが、こちらも私はラクして、プライベート・ルームのオーナーに往復共に送ってもらっちゃいました。
    ルーマニア編の旅行記が終わったらホテル編にまとめてプライベート・ルームのレポートを書こうと思いますが、こういうサービスをしてくれるところは、たすかっちゃいました。
    (ブラン城往復は彼をドライバーとしてチャーターしたことになるので、タダではありませんけど)

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