2009/12/30 - 2009/12/31
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MechaGodzillaⅢ&703さん
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■寒波の中の九州ひとり旅 その4
気象庁の予報通り、大分県湯布院や福岡県の柳川、熊本県の田原坂公園では雪が吹き荒れる中での寒くて!冷た〜い^=3^;)観光と相成りました。
■水郷の町‘柳川’
柳川市は市内を掘割が縦横に流れることから水の都と呼ばれ、筑後地方南西部における商業の中心地であるとともに、掘割を使った川下り、旧藩主立花氏の別邸「御花」が全国的にも有名です。
昔の面影を残す柳川の街並みは、今でも城下町の風情が残り、詩人・北原白秋の生家があることでも知られています。
<今回の1泊2日1100?車旅ルート>
・12/30
→山陽自動車道 広島廿日市インタON
→下関壇ノ浦PA
→九州自動車道 鳥栖インタ
→大分自動車道 湯布院インタOFF
→大分県由布市湯布院町 街並み散策
→大分県由布市湯布院町 狭霧台
→大分県玖珠郡九重町 朝日台
→大分県玖珠郡九重町 長者原
→大分県玖珠郡九重町 筌の口温泉
→大分県玖珠郡九重町 九重“夢”大吊橋
→大分県玖珠郡九重町 震動の滝
→大分県玖珠郡九重町 桂茶屋
→大分自動車道 九重インタON
→長崎自動車道 佐賀大和インタOFF
→佐賀県佐賀市駅前 東横イン泊
・12/31
→福岡県柳川市 柳川水郷散策
→熊本県荒尾市 ウルトラマンランド
→熊本県熊本市松尾町 雲巌寺
→熊本県熊本市河内町 峠の茶屋公園
→熊本県熊本市北迫町 寂心さんの樟
→熊本県鹿本郡植木町 田原坂公園
→熊本県玉名郡和水町 肥後民家村
→九州自動車道 菊水インタON
→山陽自動車道 広島廿日市インタOFF
→帰宅
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 自家用車
PR
-
■寒波の中の九州ひとり旅 その4
大分道玖珠SA?だったかな。本日の宿を携帯で連絡取りました。佐賀駅前の東横インに決定。いつも出たとこ勝負、宿がなければ車中泊です。 -
■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・佐賀駅前のイルミ光景
到着しました。
→大分自動車道九重インタON→長崎自動車道佐賀大和インタOFF→佐賀駅 -
■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・東横イン佐賀駅前
本日のお宿です。年末のキャンペーン中のようで、2足セットの靴下をいただきました。 -
■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・東横イン佐賀駅前
新年の準備がされていますね。おめでとうございまーす。 -
■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・東横イン佐賀駅前
おはようございます。ホテルの部屋から佐賀駅構内を写。予報通り、少し雪が降っています。 -
■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・東横イン佐賀駅前
凍っています。さてと、今日も吹雪の中の観光散策です。
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■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・柳川街並み
早朝、佐賀駅前のホテルから柳川市までやってきました。柳川市は市内を掘割が縦横に流れることから水の都と呼ばれています。 -
■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・柳川街並み
筑後地方南西部における商業の中心地であるとともに、掘割を使った川下り、旧藩主立花氏の別邸「御花」が全国的にも有名です。 -
■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・柳川街並み
昔の面影を残す柳川の街並みは、今でも城下町の風情が残り、詩人・北原白秋の生家があることでも知られています。 -
■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・柳川街並み
しめ飾りが売られています。もうお正月です。 -
■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・柳川水郷 沖端水天宮前
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■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・北原白秋生家・記念館
造り酒屋であった白秋の生家は、明治34年の大火で大半は焼失。この母屋だけが残り、昭和44年11月に復元しました。 -
■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・北原白秋生家・記念館
北原白秋は早稲田大学在学時に早くも、詩壇に知られるようになっていました。 -
■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・北原白秋生家・記念館
「水郷柳川は、我詩歌の母体である」と述べ、57歳で亡くなるまで生涯柳川を愛し、数多くの優れた詩を残しました。 -
■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・北原白秋生家・記念館
「白秋のうた♪」にこんな童謡がありましたね。
この道はいつか来た道 ああ そうだよ・・・
待ちぼうけ 待ちぼうけ・・・ -
■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・柳川街並み
(◎。◎;)ムツゴロウだ。 -
■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・柳川街並み
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■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・柳川街並み
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■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・柳川街並み
有明海に流れ込む筑後川の河口に広がる柳川は、町のいたるところに掘割が巡らされた美しい城下町です。 -
■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・柳川水郷 沖端水天宮前
文亀年間(1501〜04)に蒲池氏が城を築いたのが柳川の始まりです。 -
■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・柳川街並み 沖端水天宮
文禄3年(1587年)に立花宗茂により稲荷神社として建立され、祇園社は文化年間(1804〜1818年)に京都弥剣神社の分霊が合祀されたものです。 -
■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・柳川街並み
5月3・4・5日に行われる沖端水天宮祭りの説明板。 -
■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・柳川水郷
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■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・柳川水郷
城主は鍋島氏、立花氏、田中氏と目まぐるしく代わりますが、元和元年(1615)に再び立花氏が返り咲き、以後12代にわたって統治し幕末を迎えています。 -
■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・柳川水郷
こうした大名たちが工夫を重ねて築いた城は、何重もの掘割に囲まれた要害堅固なものです。 -
■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・柳川水郷
掘割には3つの水門が設けられ、1つの水門を切ると外堀一帯が、残り2つを切ると城郭を残して城下全体が水没してしまう水城の機能を持っていたといわれています。 -
■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・柳川水郷
しかし、その城も明治5年(1872)の出火で焼失します。現在は石垣や堀が残るのみですが、町に縦横に張り巡らされた掘割は健在しています。 -
■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・柳川水郷
そして今日、その掘割をめぐる川下りが柳川随一の観光名所となっています。 -
■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・柳川水郷
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■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・柳川水郷 殿の倉
川下りの終点近く、殿さん屋敷「御花」の西側を囲んでいるナマコ壁の倉であり、詩情をかりたてます。
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■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・柳川水郷 殿の倉
「柳川」という地名の由来は、柳の木が多いからという説があります。江戸時代に著された地誌「太宰管内志」には、「柳の多き処にて負わせたるべし」と、すでにこの説が引かれています。
確かに現在でも堀岸に柳の木が多く生えていて、有力な説と言えます。 -
■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・柳川水郷 殿の倉
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■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・柳川街並み -
■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・御花 松濤園
御花は1697年、柳川城主立花家の別邸として造られたものです。 -
■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・御花 松濤園
四代目鑑虎(1697)が、四方堀を廻らした総面積約七千坪のこの地域に、集景亭という邸を構えて、遊息の所としました。 -
■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・御花 松濤園
そしてこの地域が「花畠」という地名であったところから,柳川の人々は当家のことを「御花」と呼んできました。 -
■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・御花 松濤園
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■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・御花 松濤園
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■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・御花 松濤園
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■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・御花 松濤園
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■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・柳川水郷
うつくしい。。。。
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■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・柳川水郷 並倉
お堀めぐりコースの外堀と内堀の分岐点にあるこの倉は、明治後期の建物で、この赤レンガが造り出す水の構図は柳川風物の一つとなっています。
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■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・柳川水郷
こんな日はお客さんはいません。一艘も舟は出ていませんでした。船頭さんもお暇そうでした。 -
■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・柳川街並み
うなぎやさん大東。写真ではわかりづらいのですが、少し吹雪いています。 -
■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・柳川街並み 福厳寺
1587年(天正15)創建。その後一時取り壊されましたが、1669年(寛文9)に柳川藩の三代藩主・立花鑑虎が菩提寺として再建し、寺名を現在の梅岳山福厳寺と改めました。 -
■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・柳川街並み 福厳寺
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■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・柳川 -
■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・柳川城阯
永禄(1558〜)の頃天下に誇る水の城として完成し三百余年続きましたが、現在天守閣は灰燼と化しています。 -
■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・柳川城阯
本丸及び二の丸跡には柳川高校、柳城中学校が建てられています。 -
■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・柳川 照明寺 -
■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・柳川街並み 旧戸島家住宅
寛政年間(1789〜)に築造され、藩公の茶室となっていたもので、建物は県文化財の指定を受けています。 -
■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・柳川街並み 旧戸島家住宅
柳川藩で中老職の要職に就いていた吉田兼儔が隠居後の住処として庭園と共に建築した葦葺二階建ての建物で、後に藩主の立花家に献上されたといわれています。 -
■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・柳川街並み 旧戸島家住宅
維新の頃に藩兵の調練所として徴発された宅地の代償として立花家から由布氏に下賜され、明治15年(1882)頃に由布氏の転居に伴い戸島氏の所有となったようです。 -
■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・柳川街並み 旧戸島家住宅
散策終了です。駐車場に戻ってきました。吹雪が強くなってきました。 -
■寒波の中の九州ひとり旅 その4
・ウルトラマンランド
次の旅行記は熊本県荒尾市の「ウルトラマンランド」です。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- 一歩人さん 2010/01/14 17:23:32
- 大牟田といえば、炭鉱ですよね
- Mecha Godzilla.T&Nさんへ
私は、小さい頃、大牟田へ住んでいまして、
夏の盆踊り大会で
「あんまり、煙突が高いのでさぞやお月さん煙たかろ」を
憶えています。
その後、原核燃料に携わりましたが、
今も、石炭、石油、原子力は人類の燃料として
欠かせません。
エコ、エコと騒がれていますが、
どっこい、代替案ない削減目標は、絵に書いた餅!
正月の落ちでした。
失礼しま〜す。
- MechaGodzillaⅢ&703さん からの返信 2010/01/15 07:38:55
- RE: 大牟田といえば、炭鉱ですよね
- おはようございます。
メールありがとうございました。寒さが増していますが、お元気されていますか。広島の地も珍しく寒い毎日です。暖冬って言う語がありましたが、寒冬ってのはないですよね。
> 私は、小さい頃、大牟田へ住んでいまして、
> 夏の盆踊り大会で
> 「あんまり、煙突が高いのでさぞやお月さん煙たかろ」を
> 憶えています。
炭坑節ですね。大牟田に住んでおられたことがあるのですか。
> その後、原核燃料に携わりましたが、
> 今も、石炭、石油、原子力は人類の燃料として
> 欠かせません。
原核燃料というと素人のわたくしには「恐っ!」と思ってしまうのですが、たいへんなお仕事なのでしょうね。
> エコ、エコと騒がれていますが、
> どっこい、代替案ない削減目標は、絵に書いた餅!
ほんとですね。これからどうなって行くんでしょうね。政治政策に興味がないわたくしでも生活にエネルギーは不可欠ですから気になるところです。
Mecha Godzilla.T&N
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