イスタンブール旅行記(ブログ) 一覧に戻る
平成10年10月4日<br /> 朝、多少ゆっくりしてから、ドルマバフチェ宮殿の見学をした。衛兵がいるし、大層手入れも行き届いた宮殿なので大統領府かと最初、思ったがよく聞いているとそうではないことがわかった。クリスタルの支柱で作られた階段、クリスタルのシャンデリア、大きな絨毯、木張りの床は接着剤を一切使っていない嵌め込み細工だという。備品は全て対照的な対になっているのも特徴である。トルコ風呂は熱い所、温かい所、休む所と三区分されている。俗に言うトルコ風呂とは贅沢にできているこの風呂をみて言いだされたのでもあろうか。これは勝手な憶測である。この宮殿はトルコのスルタン、アブメシッドが20才の時、1843年に着工し13年かかって作られたものであるが、本人は僅か1年位住んだだけで死没したという。<br /><br /> 大広間はドームの天井になっており、建物の一部としてのドーム式の部屋はその広さからすると欧州随一という。因みにドームの直径27m、シャンデリアの重量4.5 トンという。床に敷かれた絨毯は最高級のヘレキであり、広さは124 ・もあるというし、床暖房になっている。純金の玉座は150 ・の重量である。この宮殿を造るのには500 個の金36トン相当の建設費がかかったといわれている。<br /> この宮殿の立っている地域はビザンチン時代は海であった。1614年から1620年にかけて埋め立てられたので、「うめたてられた」という意味でドルマバフチェという。<br /><br /> 見学を終わって外へ出様としたら雨が降っていた。暫く小降りになるのを待って、バスへ向かったところ土砂降りの大雨に襲われて全員ずぶ濡れになってしまった。一旦ホテルに帰り着替えしてから出直した。<br /><br />  ガラタ地区のGulinstan Lestaurantで昼食後、借り切りの船でボスポラス海峡のクルーズを楽しんだ。ヨーロッパ側にはボスポラス大橋の近くにコンスタンチノープル時代に築かれた城砦の跡が未だに堅固な姿形で残されていた。ボスポラス海峡のアジア側とヨーロッパ側とでは土地建物の値段にも大きな差がある。船からよく見かける標準的な2階建てで庭付きの邸宅でアジア側100 万ドルに対して、ヨーロッパ側は1,000 万ドルだという。<br /><br /> ボスポラス海峡の平均の水深は70m、海峡の最も狭くなった箇所の距離は700mであるという。この海峡を出入りする船が行列を作って、順番待ちをしている様子は偉観であると言えよう。黒海にしか不凍港を持たなかった帝政ロシアが、不凍港を求めて南下政策をとった理由がこの海峡の混雑ぶりを見ていると判るような気がする。<br /><br /> クルーズを終わってから軍事博物館でトルコ軍楽隊の演奏を10分宛2回鑑賞した。このあと自由行動の時間となり、ホテルから歩いて近くの商店街へ香辛料の買い物に行ったが、値切っても思うようにまけないので、買わずじまいになった。その後、ガラタ塔まで添乗員の鈴木さんと旅客の新田さんを誘ってガラタ塔へ行った。この塔からの夕景色は素晴らしかった。トプカピ宮殿、ブルーモスク、アイヤソフィアが並んで望め、位置関係がはっきり判った。<br /><br /> この夜はイスタンブール最後の夜ということは今回のトルコの旅も最終日ということになる。伊勢からきていた夫婦の提案でベリーダンスを見に行った。夕食の時、家内の誕生日が披露され、祝福を受けたので機嫌がよかったせいか、随分乗っていた。各国の代表が舞台の上に指名されて呼び出されたが、日本代表に指名されたので気分が盛り上がったのであろうか、舞台のうえから皆を呼び込んでは踊り、はしゃいでいた。オリエントハウスという店であったようだが、送り迎えにドリンク付きで一人50ドルであった。ワインをとったら二人でボトル1 本きたのですっかり酔いが廻って、その夜は熟睡できた。<br /><br />平成10年10月5日<br /> 最後の日、ブルーモスクを見学した。1609年〜1616年にかけて完成したモスクであるが創設者はスルタンアファメド1世でオスマントルコ全盛期の産物である。モスク内の壁面のモザイクがブルーで出来ているのでブルーモスクと通称されている。トルコ人はスルタンアハメドモスクといわなければわからない。6本のミナレットが建っているのは回教のモスクではここしかない。トルコ語で金のことをアウツンといい、6のことをアウツという。スルタンに金のミナレットを作れと命じられた建築家が6本のミナレットと聞き違えて建てられたという逸話が残されている。<br /><br /> ブルーモスクの前に建てられているオベリスクはテオデイシュウスがAC390年にエジプトのカルナック神殿に建てたものを移設したものである。エジプト文字で碑文が書かれているのが珍しい。ここはローマ時代は競馬場であったそうだ。<br /><br /> ブルーモスクと並んで建つアイヤソフィアはAD325年コンスタンティヌス2世によって教会が建てられたのが紀元である。その後幾たびかの消失を経て537年ユスティニィアス皇帝の命を受け6年近くの歳月を掛けてビザンチン様式の大聖堂が完成した。1453年コンスタンチノープルが陥落するとスルタンメフメット2世の命によりイスラム教の寺院に変えられた。その後、壁面に残されていたモザイクは漆喰で塗り潰されて、イスラム様式の壁面になった。イスラムでは偶像崇拝は認めないので聖母像やイエス像は漆喰で塗り隠されたのである。この時壁面が破壊されてしまっていれば貴重なビザンチン時代の芸術は今日このモスクに於いてみ見ることができなかったのである。1931年に壁の下にモザイクが隠されていることにアメリカの調査団が気づき、日の目をみることになったのである。<br /><br /> この後、地下宮殿を見学に行った。これは地下の貯水池である。6世紀の建造でアイヤソフィアの残材で作られたというが、柱はイオニア式とドーリア式と双方がある。メデューサの顔が逆さにして利用されている柱と横にして利用されているのが珍しい。また、水が柱から出てくる泣き柱というのもあった。いずれにしても、これだけ大規模な土木工事が、動力もない時代に人間と牛馬の力だけで行われたことを思う時、その着想の桁違いなのに驚かされる。<br /> 地下宮殿の見学を最後に、イスタンブールからモスコーへ飛びトルコの旅は終わった。<br />

ワープロで描いた俳画・・・イスタンブールのブルーモスク

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1998/10/04 - 1998/10/05

3962位(同エリア4771件中)

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早島 潮

早島 潮さん

平成10年10月4日
 朝、多少ゆっくりしてから、ドルマバフチェ宮殿の見学をした。衛兵がいるし、大層手入れも行き届いた宮殿なので大統領府かと最初、思ったがよく聞いているとそうではないことがわかった。クリスタルの支柱で作られた階段、クリスタルのシャンデリア、大きな絨毯、木張りの床は接着剤を一切使っていない嵌め込み細工だという。備品は全て対照的な対になっているのも特徴である。トルコ風呂は熱い所、温かい所、休む所と三区分されている。俗に言うトルコ風呂とは贅沢にできているこの風呂をみて言いだされたのでもあろうか。これは勝手な憶測である。この宮殿はトルコのスルタン、アブメシッドが20才の時、1843年に着工し13年かかって作られたものであるが、本人は僅か1年位住んだだけで死没したという。

 大広間はドームの天井になっており、建物の一部としてのドーム式の部屋はその広さからすると欧州随一という。因みにドームの直径27m、シャンデリアの重量4.5 トンという。床に敷かれた絨毯は最高級のヘレキであり、広さは124 ・もあるというし、床暖房になっている。純金の玉座は150 ・の重量である。この宮殿を造るのには500 個の金36トン相当の建設費がかかったといわれている。
 この宮殿の立っている地域はビザンチン時代は海であった。1614年から1620年にかけて埋め立てられたので、「うめたてられた」という意味でドルマバフチェという。

 見学を終わって外へ出様としたら雨が降っていた。暫く小降りになるのを待って、バスへ向かったところ土砂降りの大雨に襲われて全員ずぶ濡れになってしまった。一旦ホテルに帰り着替えしてから出直した。

ガラタ地区のGulinstan Lestaurantで昼食後、借り切りの船でボスポラス海峡のクルーズを楽しんだ。ヨーロッパ側にはボスポラス大橋の近くにコンスタンチノープル時代に築かれた城砦の跡が未だに堅固な姿形で残されていた。ボスポラス海峡のアジア側とヨーロッパ側とでは土地建物の値段にも大きな差がある。船からよく見かける標準的な2階建てで庭付きの邸宅でアジア側100 万ドルに対して、ヨーロッパ側は1,000 万ドルだという。

 ボスポラス海峡の平均の水深は70m、海峡の最も狭くなった箇所の距離は700mであるという。この海峡を出入りする船が行列を作って、順番待ちをしている様子は偉観であると言えよう。黒海にしか不凍港を持たなかった帝政ロシアが、不凍港を求めて南下政策をとった理由がこの海峡の混雑ぶりを見ていると判るような気がする。

 クルーズを終わってから軍事博物館でトルコ軍楽隊の演奏を10分宛2回鑑賞した。このあと自由行動の時間となり、ホテルから歩いて近くの商店街へ香辛料の買い物に行ったが、値切っても思うようにまけないので、買わずじまいになった。その後、ガラタ塔まで添乗員の鈴木さんと旅客の新田さんを誘ってガラタ塔へ行った。この塔からの夕景色は素晴らしかった。トプカピ宮殿、ブルーモスク、アイヤソフィアが並んで望め、位置関係がはっきり判った。

 この夜はイスタンブール最後の夜ということは今回のトルコの旅も最終日ということになる。伊勢からきていた夫婦の提案でベリーダンスを見に行った。夕食の時、家内の誕生日が披露され、祝福を受けたので機嫌がよかったせいか、随分乗っていた。各国の代表が舞台の上に指名されて呼び出されたが、日本代表に指名されたので気分が盛り上がったのであろうか、舞台のうえから皆を呼び込んでは踊り、はしゃいでいた。オリエントハウスという店であったようだが、送り迎えにドリンク付きで一人50ドルであった。ワインをとったら二人でボトル1 本きたのですっかり酔いが廻って、その夜は熟睡できた。

平成10年10月5日
 最後の日、ブルーモスクを見学した。1609年〜1616年にかけて完成したモスクであるが創設者はスルタンアファメド1世でオスマントルコ全盛期の産物である。モスク内の壁面のモザイクがブルーで出来ているのでブルーモスクと通称されている。トルコ人はスルタンアハメドモスクといわなければわからない。6本のミナレットが建っているのは回教のモスクではここしかない。トルコ語で金のことをアウツンといい、6のことをアウツという。スルタンに金のミナレットを作れと命じられた建築家が6本のミナレットと聞き違えて建てられたという逸話が残されている。

 ブルーモスクの前に建てられているオベリスクはテオデイシュウスがAC390年にエジプトのカルナック神殿に建てたものを移設したものである。エジプト文字で碑文が書かれているのが珍しい。ここはローマ時代は競馬場であったそうだ。

 ブルーモスクと並んで建つアイヤソフィアはAD325年コンスタンティヌス2世によって教会が建てられたのが紀元である。その後幾たびかの消失を経て537年ユスティニィアス皇帝の命を受け6年近くの歳月を掛けてビザンチン様式の大聖堂が完成した。1453年コンスタンチノープルが陥落するとスルタンメフメット2世の命によりイスラム教の寺院に変えられた。その後、壁面に残されていたモザイクは漆喰で塗り潰されて、イスラム様式の壁面になった。イスラムでは偶像崇拝は認めないので聖母像やイエス像は漆喰で塗り隠されたのである。この時壁面が破壊されてしまっていれば貴重なビザンチン時代の芸術は今日このモスクに於いてみ見ることができなかったのである。1931年に壁の下にモザイクが隠されていることにアメリカの調査団が気づき、日の目をみることになったのである。

 この後、地下宮殿を見学に行った。これは地下の貯水池である。6世紀の建造でアイヤソフィアの残材で作られたというが、柱はイオニア式とドーリア式と双方がある。メデューサの顔が逆さにして利用されている柱と横にして利用されているのが珍しい。また、水が柱から出てくる泣き柱というのもあった。いずれにしても、これだけ大規模な土木工事が、動力もない時代に人間と牛馬の力だけで行われたことを思う時、その着想の桁違いなのに驚かされる。
 地下宮殿の見学を最後に、イスタンブールからモスコーへ飛びトルコの旅は終わった。

同行者
カップル・夫婦
交通手段
観光バス
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

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