トロイ遺跡周辺旅行記(ブログ) 一覧に戻る
 昨日アップしたカッパドキアの奇岩怪石に関する当時の旅日記を探し出したのでトロイの木馬関連の記述のある部分と共にアップすることにした。<br /><br />平成10年10月2日<br /> 昨夜暗くなってからホテルへ急ぐ途中で暗闇の中で目撃した奇岩はユルギップの動物の谷といわれる谷間に、長年の風と雨で削り取られ出来上がったものである。駱駝岩と茸岩が有名でその形が面白い。もともとカッパドキア地方は、茶碗状の窪みであったが、エルジェス山の噴火によりこれが、火山灰と溶岩で埋め尽くされ、長年の風雨で浸食され、これが奇岩を形成したのである。ここには岩の中に迫害を受けたキリスト教徒達が隠れ住んだ教会が沢山あり、蛇の教会とかテオドールとジョージの画像の残る洞窟が残されているが、見物人が多く中へはいるのにかなり待たされた。<br /><br /> ギョレメの野外博物館、ウチヒサールの城砦跡、カイマクルの地下都市等を見学したが日本ではまだ神話の時代にこのような生活をしていた人達がいたということは、驚きである。<br /> 絨毯工場で絹糸を繭から取り出し、絨毯が出来るまでの工程を見学したのち、商品の説明を受けた。政府で経営している工場で説明者の日本語は分かりやすいし、沢山いる係員の動きはきびきびしていて気持ちが良かった。染色剤を一切使っていない天然の羊毛だけで織られた白、黒、茶三色の絨毯を次女の新築祝いにと思って購入した。交渉は家内がして支払いは私という段取りであった。これは買い物であったと思う。現に下関からきていた村田さんはうちで手に入れた値段になるのなら是非欲しかったとこぼしていたくらいである。当初の言い値は120万円だったらしいが、30万円まで下がったのである。村田氏の時は70万円だったという。<br /><br /> この後、コンヤのメブラナ博物館へ立ち寄った。これはイスラム神秘主義教団の一派であるメブラナ教団の創始者メブラナの霊廟である。予言者マホメットの口髭が大切に保管されており、展示もされていた。敷地内には僧院、修業場もあり、緑色のタイルで覆われた円錐形の屋根をしている。柩には帽子が被せられているのは珍しい光景であった。中にはアラビア文字で書かれた古いコーランが沢山展示されていた。<br /><br /> パムッカレのポラッツホテルへは夜遅く到着した。2階建てのリゾート型のホテルで玄関横の庭には温泉水の噴水が噴出しており、落ちた湯はプールに溜められていた。<br /><br />平成10年10月3日<br /> パムッカレのポラッツホテルを7時半に出発してネクロポリスへ向かった。ここには、古代の墓が1,200 以上もあるという。共同墓地の規模としてはこの国で最大のもののようだ。石製の柩やら墓石の遺跡があちこちに転がっており、様式はヘレニズム時代からビザンチン時代のものまでさまざまである。墓標にはこの墓に触れると天罰が下るという文句の入ったものまであり、これは盗掘を防止するためのお呪いのようなものであるという。  大理石のものが過半で、当時の繁栄が偲ばれる。ネクロポリスの直ぐ近くにはヒエラポリスがあり、これはBC190 年に始まった都市国家の遺跡でベルガモン王エウメネス2世によって建造された。なおヒエラポリスとは王妃ヒエラの名前をとって付けられた。 <br /> 円形劇場、アポロ神殿等も残っており、劇場には15,000人を収容できたという。この劇場は紀元前2世紀にハドリニアヌス帝によって建設されたそうだ。<br /><br /> ついでヒエラポリスの近くにある綿の城と呼ばれる石灰棚を見学した。これは台地上部から流れ出る石灰分を含む湯が、長い時を経て結晶し台地全体を覆ったもので、麓から見上げると真っ白い雪山のように見える。石灰棚には温水が流れており、プール状に水の溜まった所が何箇所もある。この景観は素晴らしい。<br /><br />・天高く 光さんさん 古都の石<br /><br /> ヒエラポリスを後にして、近畿日本ツーリストが発掘調査に財政援助をしているというニサの円形劇場を見学にでかけた。ヒエラポリスからニサへ向かう道中、カッパドキアとは違って、緑が豊富で、ザクロ、無花果、綿花等が見られるようになり、緑が非常に豊かになってきた。緑を見ると心が落ちつく。<br /><br /> ニサの円形劇場は半円形でローマ様式であるから、舞台が正面にあり、レリーフが残されているが、殆どのものが、彫刻されている人間像の顔が欠損している。発掘の時に欠損したのか、悪戯されたものか判然としないが、貴重な文化財なのに惜しいことである。円形劇場の下には水道用のトンネルが掘られており、ギリシャ時代のものであるという。また広場には大きなオリーブの木が3本立っており、幹の太さは大人二人でやっと抱えられる程の太さである。<br /><br />・秋日和 遺跡訪ねて オリーブ山             <br /><br /> ニサを後にしてエフェソスへ向かった。ここは、トルコ最大の遺跡が残されている場所であり、保存状態が非常に良いという。もともとはガリア人の集落のあったこの土地に、ギリシアから移住してきたイオニア人が、紀元前11世紀頃からアルテミス神殿を中心として都市を建設した。この都市はイオニア12都市の一つとして、貿易などで栄えた。その後争いに巻き込まれて支配者は変遷したものの、町そのものの繁栄は続いていた。ところが紀元前356 年にアルテミス神殿が放火によって消失した。さらに地震により土砂が堆積しマラリヤが蔓延した。そのためアレキサンダー大王の死後、この町を治めていたベルガモン王シリマコスがコレソス山とビオン山の間に新都市を建設した。これが古代都市エフェソスである。<br /> BC3世紀に女性戦士アマゾネスに攻撃されたのはエフェソスの3期にあたり、遺跡として発掘されたものはBC4世紀のものである。未発掘の遺跡はまだ沢山この地域に残されている。<br /><br /> 見学した遺跡は体育場、競技場、聖母マリア教会、アルカディアンストリート、大劇場マーブルストリート、ケルスス図書館、マゼウスとミトリダテスの門、クレテスストリート、娼館、バドリニアヌス神殿、トラヤヌスの泉、ヘラクレスの門、メミウスの碑、市公会堂、公衆トイレ、オデオン、アゴラ、ドミティニアヌス神殿、浴場等である。円形劇場の様式はグレコローマン様式であり、25,000人を収容できた。<br /><br />  エフェソス考古学博物館ではアルテミス像等を見たが、胸に沢山の乳房を持っており、これは牛の睾丸であるとも言われている。<br /> エフェソスの遺跡群から7・離れたブルブル山の中には、弾圧を逃れてヨハネに連れられて聖母マリヤが隠れ住み、晩年を過ごした家がある。この家の建つ坂からは聖水の泉が湧き出ている。<br /> このエフェソスの町にはクレオパトラとアントニオが1年過ごしたとも言われている。 この大きな遺跡の壮大さに圧倒された思いでイズミールに向かう途中、ネイチャァーという皮革工場を見学した。ここでも日本語の達者な係員が説明してくれたが、商品を見学しただけで誰も大きな買い物はしなかった。イタリアのデザインで作っているということであるが、野暮ったいデザインであるとは女性達の感想である。<br /><br /> イズミールではイズミラホテルというのに泊まった。<br /> イズミールはトルコ第3の都市で人口は300万人だという。今日は11,660歩歩いた。<br /><br />平成10年10月4日<br /> 7時半にホテルを出発した。ここでビデオのバッテリーが切れてしまい、充電器を持ってきていないので、撮影できなくなってしまった。カメラでの撮影ということになる。バッテリーは2個持ってきたのだが、最初の1個はビデオカメラに装着したままで、リュックサックに入れていたので、スイッチオンの状態になっているのに気がつかないまま、放電してしまったらしい。カッパドキアでこれに気がつき、残りひとつを大事に使ってきたのだが、これも切れてしまっては万事窮すである。荷物になるからと充電器を持ってこなかったのが失敗であった。今までの旅行では10日間であれば、2個バッテリーを持参すれば間に合っていた。これはなにもトラブルが起こらない時の話である。安全を期するならば、充電器は次回から必ず持参しなければならない。<br /><br /> 例によってベルガマに行く途中、手洗い休憩を兼ねて、ベルガマアートセンターという宝石屋に寄った。トルコ石の真贋の見分け方の説明を受けてから商品を見学したが、特に興味もなく、時間をもてあました。家内は内緒でトルコ石の小さな指輪を求めたようだ。 ベルガマはかつては、ベルガモンと呼ばれ、ヘレニズム文化の花が開いた所である。アレキサンダー大王の死後、その遺産の一部を手にいれたリシマコスが王朝を開いたが、シリアとの戦争で戦死した後、その部下であったフィレタイロスがその財宝を引き継ぎ、ベルガモン王朝を開いた。     <br /><br /> ここでは、アクロポリスの大劇場、トラヤヌス神殿、アテネ神殿等を見学したが、保存状態は良くなく、彫刻類や建築物の重要な素材は失われていた。これはベルリンに運ばれて、大部分がベルガモン博物館に収納されている。これはベルリン観光の時実見した。<br /> このベルガマの遺跡ではアスクレピオンだけが保存状態が良く現在で言えばヘルスセンターに相当する建物である。ギリシャの医師アスクレピアスが精神病の治療に夢診断をしたところという。水の流れを聴かせながら治療したともいわれている。阿片も使われたらしい。蛇は医学のシンボルであると言われ、蛇の像が描かれたレリーフがあった。<br /><br /> トロイでは木馬が観光用に作られていた。中に入れるようになっており、観光客が沢山記念写真を順番に撮っていた。<br /> トロイの遺跡の圧巻はなんといっても9層になって城郭がBC3,000 年からAD500 年にかけて築かれたというところにある。神話の世界のホメロスが書いたオデッセイを少年の頃読んで、トロイの実在を信じたシュリーマンが成人して後、実業界から引退し遺跡の発掘に夢を託した物語としても有名なところである。遺跡は9層からなることが説明された看板が掲示されていて素人にも発掘現場と対照しながらわかるように工夫されている。<br /><br /> ・鶏頭や トロイ木馬に 入り日射し <br /> ・九層の 遺跡の栄枯 秋日照る                                           トロイ遺跡に佇み暫し往古に思いを馳せながらバスでチャナッカレへ向かった。チャナッカレへ向かう途中、窓の外に垣間見た景色はオリーブが沢山植えられている山々であった。本日は11,021歩であった。<br /><br />平成10年10月5日<br /> 6時半ホテル出発。ホテル近くのフェリー乗り場から、7時出航のフェリーに乗り込んだ。チャナッカル海峡(旧名ダーダネルス海峡)を対岸に渡るとヨーロッパである。<br /><br /> チャナッカルといえば、第一次世界大戦の後にトルコが帝国主義列強により、領土が分割され、侵略されようとしたのに対し、ケマルパシャが指揮して英国軍を撃退した戦場としても有名である。<br /><br /> ・秋色の ダーダネルスに 日は昇る<br /><br /> 約30分程でフェリーは対岸のチャナッカレ市のアイスアバットへ着岸した。船から下ろされたバスは一路イスタンブールを目指して走り続けた。右手にマルマラ海を見ていたかと思うと暫くして今度は左手にエーゲ海が見えたりした。半島を東北へ走行しているのである。この辺りはオリーブの木に代わって松の木が多い。ケザンから東へイスタンブールを目指すことになるのだが、この辺り一面の広大な丘陵地帯が続き、立木も少なくなった。長時間のバス旅なので途中単調な景色に、つい居眠りしてしまう。このあたりも建設ラッシュは続いている。正午過ぎてイスタンブール市内に入り、トプカピ宮殿を目指すが交通渋滞が激しくなかなかバスは進まない。ブルーモスクやアイヤソフィアを外から眺めながらトプカピ宮殿内にあるコンヤリというレストランで昼食を摂った。マルマラ海を見晴らす景色のよい店であった。食後、宮殿内に展示されているエメラルドの剣、巨大なダイヤモンド、マホメットの髭、歯、足型、予言者ヨハネの手の骨等を見学した。<br /><br /> トプカピ宮殿見学後、グランドバザールへ行ったが、宝石や焼き物、金属製の皿や壺、皮革製品、絨毯、衣服類が多くて生活雑貨の類は売っていなかった。特に買いたいものがあるわけでもないので見学だけした。日本語で呼びかけてくるトルコ人が多い。これは沢山の日本人観光客が過去に多勢きているということであろう。掏摸やジプシー等が多いから気をつけろとさんざん脅かされているので、細い路地へは入らずメインストリートから離れないように注意しながら店を見て歩いた。ホテルはアガサクリスティーで有名なベラハレスホテルである。我々の部屋は511号であったからアガサの411号の真上の部屋ということになる。ホテルでは結婚式の披露宴が行われているので、市内のCITADEL レストランで摂ることになった。                                            

ワープロで描いた俳画・・・トロイの木馬の複製

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1998/10/02 - 1998/10/05

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早島 潮

早島 潮さん

 昨日アップしたカッパドキアの奇岩怪石に関する当時の旅日記を探し出したのでトロイの木馬関連の記述のある部分と共にアップすることにした。

平成10年10月2日
 昨夜暗くなってからホテルへ急ぐ途中で暗闇の中で目撃した奇岩はユルギップの動物の谷といわれる谷間に、長年の風と雨で削り取られ出来上がったものである。駱駝岩と茸岩が有名でその形が面白い。もともとカッパドキア地方は、茶碗状の窪みであったが、エルジェス山の噴火によりこれが、火山灰と溶岩で埋め尽くされ、長年の風雨で浸食され、これが奇岩を形成したのである。ここには岩の中に迫害を受けたキリスト教徒達が隠れ住んだ教会が沢山あり、蛇の教会とかテオドールとジョージの画像の残る洞窟が残されているが、見物人が多く中へはいるのにかなり待たされた。

 ギョレメの野外博物館、ウチヒサールの城砦跡、カイマクルの地下都市等を見学したが日本ではまだ神話の時代にこのような生活をしていた人達がいたということは、驚きである。
 絨毯工場で絹糸を繭から取り出し、絨毯が出来るまでの工程を見学したのち、商品の説明を受けた。政府で経営している工場で説明者の日本語は分かりやすいし、沢山いる係員の動きはきびきびしていて気持ちが良かった。染色剤を一切使っていない天然の羊毛だけで織られた白、黒、茶三色の絨毯を次女の新築祝いにと思って購入した。交渉は家内がして支払いは私という段取りであった。これは買い物であったと思う。現に下関からきていた村田さんはうちで手に入れた値段になるのなら是非欲しかったとこぼしていたくらいである。当初の言い値は120万円だったらしいが、30万円まで下がったのである。村田氏の時は70万円だったという。

 この後、コンヤのメブラナ博物館へ立ち寄った。これはイスラム神秘主義教団の一派であるメブラナ教団の創始者メブラナの霊廟である。予言者マホメットの口髭が大切に保管されており、展示もされていた。敷地内には僧院、修業場もあり、緑色のタイルで覆われた円錐形の屋根をしている。柩には帽子が被せられているのは珍しい光景であった。中にはアラビア文字で書かれた古いコーランが沢山展示されていた。

 パムッカレのポラッツホテルへは夜遅く到着した。2階建てのリゾート型のホテルで玄関横の庭には温泉水の噴水が噴出しており、落ちた湯はプールに溜められていた。

平成10年10月3日
 パムッカレのポラッツホテルを7時半に出発してネクロポリスへ向かった。ここには、古代の墓が1,200 以上もあるという。共同墓地の規模としてはこの国で最大のもののようだ。石製の柩やら墓石の遺跡があちこちに転がっており、様式はヘレニズム時代からビザンチン時代のものまでさまざまである。墓標にはこの墓に触れると天罰が下るという文句の入ったものまであり、これは盗掘を防止するためのお呪いのようなものであるという。 大理石のものが過半で、当時の繁栄が偲ばれる。ネクロポリスの直ぐ近くにはヒエラポリスがあり、これはBC190 年に始まった都市国家の遺跡でベルガモン王エウメネス2世によって建造された。なおヒエラポリスとは王妃ヒエラの名前をとって付けられた。 
 円形劇場、アポロ神殿等も残っており、劇場には15,000人を収容できたという。この劇場は紀元前2世紀にハドリニアヌス帝によって建設されたそうだ。

 ついでヒエラポリスの近くにある綿の城と呼ばれる石灰棚を見学した。これは台地上部から流れ出る石灰分を含む湯が、長い時を経て結晶し台地全体を覆ったもので、麓から見上げると真っ白い雪山のように見える。石灰棚には温水が流れており、プール状に水の溜まった所が何箇所もある。この景観は素晴らしい。

・天高く 光さんさん 古都の石

 ヒエラポリスを後にして、近畿日本ツーリストが発掘調査に財政援助をしているというニサの円形劇場を見学にでかけた。ヒエラポリスからニサへ向かう道中、カッパドキアとは違って、緑が豊富で、ザクロ、無花果、綿花等が見られるようになり、緑が非常に豊かになってきた。緑を見ると心が落ちつく。

 ニサの円形劇場は半円形でローマ様式であるから、舞台が正面にあり、レリーフが残されているが、殆どのものが、彫刻されている人間像の顔が欠損している。発掘の時に欠損したのか、悪戯されたものか判然としないが、貴重な文化財なのに惜しいことである。円形劇場の下には水道用のトンネルが掘られており、ギリシャ時代のものであるという。また広場には大きなオリーブの木が3本立っており、幹の太さは大人二人でやっと抱えられる程の太さである。

・秋日和 遺跡訪ねて オリーブ山             

 ニサを後にしてエフェソスへ向かった。ここは、トルコ最大の遺跡が残されている場所であり、保存状態が非常に良いという。もともとはガリア人の集落のあったこの土地に、ギリシアから移住してきたイオニア人が、紀元前11世紀頃からアルテミス神殿を中心として都市を建設した。この都市はイオニア12都市の一つとして、貿易などで栄えた。その後争いに巻き込まれて支配者は変遷したものの、町そのものの繁栄は続いていた。ところが紀元前356 年にアルテミス神殿が放火によって消失した。さらに地震により土砂が堆積しマラリヤが蔓延した。そのためアレキサンダー大王の死後、この町を治めていたベルガモン王シリマコスがコレソス山とビオン山の間に新都市を建設した。これが古代都市エフェソスである。
 BC3世紀に女性戦士アマゾネスに攻撃されたのはエフェソスの3期にあたり、遺跡として発掘されたものはBC4世紀のものである。未発掘の遺跡はまだ沢山この地域に残されている。

 見学した遺跡は体育場、競技場、聖母マリア教会、アルカディアンストリート、大劇場マーブルストリート、ケルスス図書館、マゼウスとミトリダテスの門、クレテスストリート、娼館、バドリニアヌス神殿、トラヤヌスの泉、ヘラクレスの門、メミウスの碑、市公会堂、公衆トイレ、オデオン、アゴラ、ドミティニアヌス神殿、浴場等である。円形劇場の様式はグレコローマン様式であり、25,000人を収容できた。

エフェソス考古学博物館ではアルテミス像等を見たが、胸に沢山の乳房を持っており、これは牛の睾丸であるとも言われている。
 エフェソスの遺跡群から7・離れたブルブル山の中には、弾圧を逃れてヨハネに連れられて聖母マリヤが隠れ住み、晩年を過ごした家がある。この家の建つ坂からは聖水の泉が湧き出ている。
 このエフェソスの町にはクレオパトラとアントニオが1年過ごしたとも言われている。 この大きな遺跡の壮大さに圧倒された思いでイズミールに向かう途中、ネイチャァーという皮革工場を見学した。ここでも日本語の達者な係員が説明してくれたが、商品を見学しただけで誰も大きな買い物はしなかった。イタリアのデザインで作っているということであるが、野暮ったいデザインであるとは女性達の感想である。

 イズミールではイズミラホテルというのに泊まった。
 イズミールはトルコ第3の都市で人口は300万人だという。今日は11,660歩歩いた。

平成10年10月4日
 7時半にホテルを出発した。ここでビデオのバッテリーが切れてしまい、充電器を持ってきていないので、撮影できなくなってしまった。カメラでの撮影ということになる。バッテリーは2個持ってきたのだが、最初の1個はビデオカメラに装着したままで、リュックサックに入れていたので、スイッチオンの状態になっているのに気がつかないまま、放電してしまったらしい。カッパドキアでこれに気がつき、残りひとつを大事に使ってきたのだが、これも切れてしまっては万事窮すである。荷物になるからと充電器を持ってこなかったのが失敗であった。今までの旅行では10日間であれば、2個バッテリーを持参すれば間に合っていた。これはなにもトラブルが起こらない時の話である。安全を期するならば、充電器は次回から必ず持参しなければならない。

 例によってベルガマに行く途中、手洗い休憩を兼ねて、ベルガマアートセンターという宝石屋に寄った。トルコ石の真贋の見分け方の説明を受けてから商品を見学したが、特に興味もなく、時間をもてあました。家内は内緒でトルコ石の小さな指輪を求めたようだ。 ベルガマはかつては、ベルガモンと呼ばれ、ヘレニズム文化の花が開いた所である。アレキサンダー大王の死後、その遺産の一部を手にいれたリシマコスが王朝を開いたが、シリアとの戦争で戦死した後、その部下であったフィレタイロスがその財宝を引き継ぎ、ベルガモン王朝を開いた。     

 ここでは、アクロポリスの大劇場、トラヤヌス神殿、アテネ神殿等を見学したが、保存状態は良くなく、彫刻類や建築物の重要な素材は失われていた。これはベルリンに運ばれて、大部分がベルガモン博物館に収納されている。これはベルリン観光の時実見した。
 このベルガマの遺跡ではアスクレピオンだけが保存状態が良く現在で言えばヘルスセンターに相当する建物である。ギリシャの医師アスクレピアスが精神病の治療に夢診断をしたところという。水の流れを聴かせながら治療したともいわれている。阿片も使われたらしい。蛇は医学のシンボルであると言われ、蛇の像が描かれたレリーフがあった。

 トロイでは木馬が観光用に作られていた。中に入れるようになっており、観光客が沢山記念写真を順番に撮っていた。
 トロイの遺跡の圧巻はなんといっても9層になって城郭がBC3,000 年からAD500 年にかけて築かれたというところにある。神話の世界のホメロスが書いたオデッセイを少年の頃読んで、トロイの実在を信じたシュリーマンが成人して後、実業界から引退し遺跡の発掘に夢を託した物語としても有名なところである。遺跡は9層からなることが説明された看板が掲示されていて素人にも発掘現場と対照しながらわかるように工夫されている。

 ・鶏頭や トロイ木馬に 入り日射し 
 ・九層の 遺跡の栄枯 秋日照る                                           トロイ遺跡に佇み暫し往古に思いを馳せながらバスでチャナッカレへ向かった。チャナッカレへ向かう途中、窓の外に垣間見た景色はオリーブが沢山植えられている山々であった。本日は11,021歩であった。

平成10年10月5日
 6時半ホテル出発。ホテル近くのフェリー乗り場から、7時出航のフェリーに乗り込んだ。チャナッカル海峡(旧名ダーダネルス海峡)を対岸に渡るとヨーロッパである。

 チャナッカルといえば、第一次世界大戦の後にトルコが帝国主義列強により、領土が分割され、侵略されようとしたのに対し、ケマルパシャが指揮して英国軍を撃退した戦場としても有名である。

 ・秋色の ダーダネルスに 日は昇る

 約30分程でフェリーは対岸のチャナッカレ市のアイスアバットへ着岸した。船から下ろされたバスは一路イスタンブールを目指して走り続けた。右手にマルマラ海を見ていたかと思うと暫くして今度は左手にエーゲ海が見えたりした。半島を東北へ走行しているのである。この辺りはオリーブの木に代わって松の木が多い。ケザンから東へイスタンブールを目指すことになるのだが、この辺り一面の広大な丘陵地帯が続き、立木も少なくなった。長時間のバス旅なので途中単調な景色に、つい居眠りしてしまう。このあたりも建設ラッシュは続いている。正午過ぎてイスタンブール市内に入り、トプカピ宮殿を目指すが交通渋滞が激しくなかなかバスは進まない。ブルーモスクやアイヤソフィアを外から眺めながらトプカピ宮殿内にあるコンヤリというレストランで昼食を摂った。マルマラ海を見晴らす景色のよい店であった。食後、宮殿内に展示されているエメラルドの剣、巨大なダイヤモンド、マホメットの髭、歯、足型、予言者ヨハネの手の骨等を見学した。

 トプカピ宮殿見学後、グランドバザールへ行ったが、宝石や焼き物、金属製の皿や壺、皮革製品、絨毯、衣服類が多くて生活雑貨の類は売っていなかった。特に買いたいものがあるわけでもないので見学だけした。日本語で呼びかけてくるトルコ人が多い。これは沢山の日本人観光客が過去に多勢きているということであろう。掏摸やジプシー等が多いから気をつけろとさんざん脅かされているので、細い路地へは入らずメインストリートから離れないように注意しながら店を見て歩いた。ホテルはアガサクリスティーで有名なベラハレスホテルである。我々の部屋は511号であったからアガサの411号の真上の部屋ということになる。ホテルでは結婚式の披露宴が行われているので、市内のCITADEL レストランで摂ることになった。                                            

同行者
カップル・夫婦
交通手段
観光バス
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

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