2010/01/01 - 2010/01/01
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tsunetaさん
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正月元旦、喜多院、慈眼堂、仙波東照宮訪問後に、喜多院からすぐのところにある成田山川越別院を訪問した。 ここにきても初詣の人が多くかなり長い列を作っていたので本堂のお参りをあきらめて、成田山川越別院の境内にある諸堂(亀の池、開山堂、福寿殿等)を訪問した。
成田山川越別院について・・・・説明文による
成田山本行院の開祖、石川照温上人(一心坊)は、両眼を失明し、前途の希望を失い何度も自殺を試みますが、遂に果たされませんでした。それは神仏が未だ己を見捨て給わぬ為であると信じ、成田山新勝寺にて苦行の末、両眼が見える様になったのであります。そして、不動明王の偉大な御威徳、大慈悲に、一生を明王の為に捧げることを誓います。その後、諸国巡歴の旅の途中、川越通町八幡神社境内に不動堂を建立し、ご本尊は成田山新勝寺の不動尊のご分霊を安置しました。嘉永6年、空堂となっていた久保町(現在の地)に本行院を再興し、前記のご本尊を奉還しました。
成田山川越別院は、川越別院成田山本行院と称し、いつの頃からか「久保町のお不動さま」とも呼ばれるようになった本尊は不動明王で、内外の諸難や汚れを焼き払い、人々を守るといわれ、願をかける時などに奉納する絵馬のため、境内には絵馬堂も建立されている。
この寺は、江戸時代も末の嘉永六年(1853)、ペリーが黒船を率いて浦賀に来航した年に、下総の国新宿(にいじゅく)(現葛飾区)の石川照温が、寺となっていた本行院を成田山新勝寺の別院として再興したのが始まりと言われている。
*写真は成田山川越別院の初詣の列
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喜多院、成田山参道にて
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喜多院、成田山参道にて
かなりの人出で賑やかであつた。 正に正月ならではの風景である。 -
川越市の観光案内図
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喜多院、成田山参道にて
川越のシンボルである「時の鐘」を模したウナギ屋の看板が見られた。 -
成田山川越別院の説明
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不動明王
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本堂をお参りする人のすごく長い列
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本堂でお参りする人々
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縁結七福弁財天
本堂へのお参りをあたきらめて諸堂を訪問した。 -
亀の池を訪問してみた。
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水掛け不動尊
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水子地蔵
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水子地蔵霊山
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開山堂
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視力回復、眼病平癒のお参りを出来る
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成田山川越別院の風景
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恵比寿天
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小江戸川越七福神
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相変わらず沢山の人が本堂でお参りするために並んでいた。
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相変わらず沢山の人が本堂でお参りするために並んでいた。
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成田山川越別院の前に建てられている不動明王
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