2009/12/28 - 2009/12/28
298位(同エリア392件中)
熱帯魚さん
台湾滞在3日目の夜、咳もだいぶおさまってきたので、新竹へ遊びに行きました。
城隍廟夜市で新竹名物米粉を食べたり、清の時代から日本統治時代に栄えたという老街「北門街」を散歩したり、日本時代に建てられた新竹市役所、新竹駅などを散歩がてら見学したりしてきました。
【旅のスケジュール】
1日目:CA195便(上海1100→桃園1255)。夜は台北小巨蛋で蕭敬騰のコンサート(台北泊)
2日目:列車で台北→竹南。夜、永和山で夕食。(頭份泊)
3日目:昼間は風邪でボーっと過ごし、夜は新竹駅周辺を散歩。(頭份泊)
4日目:列車で竹南→高雄。フェリーに乗って旗津半島へ。夜は愛河遊覧。(高雄泊)
5日目:車で高雄→東港。フェリーで東港→小琉球。(小琉球泊)
6日目:小琉球散歩、夜はテレビを見て年越し。(小琉球泊)
7日目:初日の出を見忘れるも、朝のフェリーで小琉球→東港。車で東港→大鵬湾。マングローブと牡蠣でできた島を見る。車で大鵬湾→高雄。西子湾あたりを散歩。(高雄泊)
8日目:列車で高雄→竹南。車で竹南→桃園。(桃園泊)
9日目:CA196便(桃園1410→上海1610)。
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◎ 竹塹城迎曦門
以前、新竹は竹塹と呼ばれていました。竹塹城は1733年に建てられ、この門は1827年に建てられました。当時は城壁、東西南北に城楼及び門がありましたが、日本統治時代の都市街道改正により、城壁と城楼が取り壊され、東門である迎曦門のみが現存しています。 -
◎ 新竹市立影像博物館
日本統治時代の1933年から1946年までの間、「新竹市営有楽館」として使われていました。当時は台湾全土で唯一、冷房が備わった映画館だったそうです。しかし戦時中、爆撃を受けてしまいました。
終戦後の1946年、有楽館は「国民大劇院」と呼ばれるようになりました。映画上映のほか、コンサートや徴兵受付などの各種イベントに使用され、大いに賑わったそうです。そんな大劇院も1991年営業を中止。
2000年にやっと、「新竹市立影像博物館」として生まれ変わり、現在に至っています。 -
影像博物館はすでに閉まっていましたが、博物館の周りには昔の映画のポスターや映写機が展示されていました。
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壁一面に描かれた広告。何かインパクトがあったので…どんな鍵でも作ってくれそう?
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少し寒かったので…
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豆花を食べました。しょうがスープが風邪に効きそうでした。
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◎ 城隍廟の屋台街
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屋台がずらっと並びます。
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屋外にも屋台がずらり。
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まずは新竹名物、米粉を。
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次につみれのスープ。
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◎ 北門街
清の時代から日本統治時代にかけて、商業で栄えた通りです。古い建物が残っています。 -
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北門街にある粉圓で有名なお店。
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粉圓入りカキ氷が有名らしいのですが、風邪を引いていたので、暖かいデザートを食べました。パイナップルと粉圓が入っています。ちょっと甘すぎたような?
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◎ 新竹市第一信用合作社
1934年に建てられました。もともとは「新竹信用組合」でしたが、終戦後「新竹市第一信用合作社」と改名されました。
新竹市政府の目の前にあります。 -
◎ 新竹市政府
こちらも日本統治時代の建物です。新竹州庁として1925年に着工されました。終戦後の1946年に新竹県政府が成立すると、庁舎として使用されるようになりました。1982年に新竹市に改制され、現在に至っています。 -
◎ 新竹駅
こちらも日本統治時代の建物。1913年に台湾総督府鉄道部のエンジニアだった松崎萬造によって完成しました。
新竹の夜の散歩はこれで終了です。
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