1989/07/17 - 1989/07/20
739位(同エリア12042件中)
がおちんさん
中学生の頃、NHKのシルクロードを見て憧れ、本多勝一の著書を読んで興味を持った中国。そして三国志に李白に孔子・・・。
悠久の歴史を持つ国に行ってみたい。ずっとそう思っていました。
ところが旅行資金を貯めていた1989年の春、ラサ暴動で戒厳令が敷かれ、6月には天安門事件が発生。ぐずぐずしていると個人旅行がしにくくなると考え、急いで中国とパキスタンのビザを取り、シルクロードの旅へ出ることに。
ところが、上海で見た中国は予想とは大違い。頭に流れていた喜太郎の音楽は人民の大声にかき消され、どこに行っても「没有」ばかり。そして笑顔で協力し合うはずの共産主義の実態は?・・・。
入国初日にして、中国への甘い幻想は打ち砕かれたのでした。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 航空会社
- 中国国際航空
-
1989年7月17日(月)
中国民航CA-924便(B-2301)で成田を13時50分に出発。
2時間半のフライトで上海へ。暑くて汗が噴出す。
入国審査では係員がパスポートを投げて返すし、目つきも悪い。これが中国旅行の始まりだった。
空港出口では大勢の人に囲まれ、「タクシー、ニッポン」とか「チェンジマネー」と何人もの男につきまとわれる。肩に手を回してきたり、腕をつかまれたりするのでタチが悪い。
バス乗り場がわからないのでインフォメーションに行くと、係の女性は「バス没有!」。その間も客引きの男たちはずっとついて来て何やらまくしたてている。
なんだ、この国は?
この時、はっきりと悟った。
石坂浩二(のナレーション)と本多勝一に騙されたと。
(写真は宿を探し歩いている時に撮った一枚) -
空港から20元で市内まで行くというので、軽自動車のタクシーに乗るが、200メートルも走らないうちに運転手は車を停めて「マネーチェンジ?」と繰り返す。
20回ほど断り続けるが、いつになっても走らないし、私もまだ中国の金を持っていなかったので1万円を出すと、「2万円なら高レートで600元にする」というので2万円を両替する。
ところが数えると50元足りない。文句を言うと、「それは市内までのタクシー代だ」と言う。「話が違うじゃないか」と言っても、中国語でまくしたてられるだけだ。
そのうえ、「車をチェンジする」と言って他のタクシーを停めると、その運転手に50元を渡すのを見た。
一体どーなんてるんだ?
結局、スズキの軽ワゴンに乗り換え、40分ほどで市内へ行く。その間も「マネーチェンジ」を繰り返されてウンザリ。目当ての申江飯店が分からず、そのうち運転手と助手が口げんかを始めた。
悠久の歴史を持つ国のイメージなど、とっくに消え去っていた。
(写真はシャワシャワ鳴く虫を売り歩く人) -
自力で宿を探そうとタクシーを降りると、運転手と助手が口を揃えて「50元払え」と言ってきた。
私は最初の運転手が彼に50元を渡すところを見ていたので、反対に「市内までは20元と言われたのだから、30元返せ」と要求。奴らは「知っていたのか」という顔になるも、片道25元+空港まで帰るのに25元必要だのと屁理屈をこね、しばし日本語と中国語の怒鳴りあいとなる。
気温は34℃。馬鹿な言い合いに疲れ、つりをもらわずに歩き出した。
1時間近く歩いて、やっと申江飯店を見つけるも、「メイヨ!」。その後、3軒まわるが、どこも「メイヨ」。
どうやら外国人は泊められないらしい。後から来た香港人は「ドミトリープリーズ」で泊まれるのだから情けなくなる。幸い、親切なオバサンに助けられ、浦江飯店へ向かう27路のバス停まで連れて行ってもらった。
27路のバスは混んでいてとても乗れない。とまどっているとバスは行ってしまった。周りの人の視線が刺さる。わざわざ立ち止まって私を見てる奴もいる。次のバスには何とか乗り込むことが出来たが、荷物がジャマなのか乗客から文句を言われる。「すいません」と謝っていると、「ニッポン」とか「ジャパニーズ」と声がかかる。
そして女性の車掌が「切符を買え」と言ってきたので、さっき両替した50元を出すと、ヒステリーになったようにわめき散らし、プイッと横を向いてしまった。なぜか車内にはドッと笑いが起きた。そして、「金は払わなくていいんだ。次の駅で降りな」と乗客に促されてバスを降りる。
やっと浦江飯店に着いた時は夜になっていた。
(写真はアイスを食べる三輪タクシーのオジサン) -
ところが浦江飯店は人民元じゃなくて兌換券(FEC)でなければ泊まれない。両替して来いと言われる。
海鴎ホテルで3万円両替して750FECになった。そして闇両替では1.8倍のレートでFECを人民元に替えられる事も知る。
タクシーの運転手には見事に騙されたのだ。こすっからい奴らだが、親切にしてくれたオバサンもいた。中国はわけがわからないが、凄いパワフルであることは確かだ。
初日から疲労困憊。写真など撮る余裕がなかった。
宿が確保されたのにもかかわらず、頭の興奮が治まらない。夜の外灘でビールを買って涼む。「バーッ」と汽笛が聞こえる。多くの人で賑わっているが、暗すぎて人の顔がよく見えないほどだ。どうして灯が無いのだろう。
2本目のビールを飲んでいたら、中国人の青年が話しかけてきた。こいつは英語が上手い。コーラを奢ってやり、しばらく話す。天安門事件のことも知っていた。「私たちに自由は無いんです」と言われて可哀相になる。
「上海を案内させて欲しい」と彼が言うので、明日も会うことにした。
(写真は市内の商店街) -
1989年7月18日(火)
中国の2日目は疲労感とともに始まる。
出発前に予想していた中国と現実とのギャップの大きさにはかなりショックを受けた。
大声でわめき、順番が守れない人民。釣りを投げてよこす商店の女性や、態度が悪い服務員。これが孔子を生んだ国だなんてお笑いである。トイレでは、なぜか穴以外のところに糞がしてあるし、手を洗っている人も皆無。
こんな最低な国に長居は無用だ。もう万里の長城も西安も興味が失せた。早く漢族がいない所に移動したい。すぐにシルクロードを越えるのもいいけど、せっかくなので少数民族の住む雲南省へ向かおうか。
そう考えていたら、昨夜会った青年がドミトリーまで迎えに来た。疲れているが、約束したので彼と豫園に行く。
彼はW君。親切な人だが、結局最後は彼にもがっかりさせられることになる。 -
豫園の入場料は2角だが、外国人は10倍の2元。
この国では、外国人は宿に泊まるにも交通機関に乗るにも余計に金がかかる。いわゆるボッタクリ国家だ。おまけに2重通貨制度なので不便極まりない。
今日も暑い。どこに行っても人だらけなので、余計に暑く感じる。 -
庭園を見ようにも、人で渋滞して進まない(笑)。
海パンのような短い半ズボンをはくのが、上海男性の流行のようだ。 -
立派な廟と思いきや、ただの工芸品売り場なのである。
服務員の態度は最悪。どーして中国人の店員はいつも怒っているんだ?
翌年、留学して謎は解けた。要するに、彼らはただ仕事をしたくないだけなのであった。 -
お菓子を買うにも、点心を食べるにも混んでいるので待たなくてはならない。
くそ暑い中で観光するのも嫌だし、切符も購入したいので、W君に「午後の案内は要らない」と伝える。
W君は今日の仕事を休んで来てくれたそうなので、御礼に50元渡した。これで別れるはずだったが、彼は引き下がらない。「明日は休みなので案内させてくれ」と言う。
しつこい奴だなと思いながらも、せっかく親切に言ってくれているのだからとOKした。 -
上海駅に行くと、余りの混雑に圧倒される。
昆明行きの列車の切符を買おうとするが、外国人窓口に行っても1週間先まで売り切れていた。
冗談じゃない、上海なんかに居られるもんか。
すぐにタクシーで北駅とCITSにも行くが、やはり列車のチケットは買えなかった。この国では移動すら簡単に出来ないのか。楽に旅ができない状況に呆然とする。
しかし飛行機なら明後日のチケットが有るという。
ならばそれでいい。527元(FEC)と詐欺みたいに高いが、酷暑の中でイモ洗いされているような上海を出れるなら、それも構わない。
この時の判断によって結果的に雲南とは長いつきあいをすることになるのだから、人生とはわからないものだ。 -
写真だと分からないが、人民は歩きながら痰を吐く。あたり構わず飛ばすので非常に不快だ。
こちらは痰がかからないように、また吐かれた痰を踏まないように注意しながら歩かなくてはならない。
何しろ女性でも、「カーッ」とやってから大胆に吐くのである。
手鼻を「フンッ」と飛ばす奴もいて、汚れた手は壁や樹にこすりつけている。
なんていう国だ! -
だからこそ、こういう看板があちこちに置かれている。
丁寧に英語表記までされているが、外国人は所かまわず吐いたりしない。
往来で「カーッ、ぺッ」ってやるのは、世界中で中国人だけだと人民が気づくのは、何時のことになるやら。
(後に気がついたのだが、中国に住んでいると埃っぽいので痰もからむし、爪も真っ黒になる。しかし、どこでも吐くというのはモラルの問題である) -
で、そういう人たちが手打ちで麺を作っているのを見ると、普通の感覚では食べる気が失せてしまう。
ところが、困ったことにこれが美味かったりするのである。
そうして徐々に中国に慣れていくと、あまり物事を気にしなくなっていく。そして気がつくと、汚物まみれのニーハオトイレでも余裕で糞をひれるようになっているのである。
残念ながら、私もその道を歩むことになる。 -
街を歩いていると大声でケンカしている人を見かける。
たいていは自転車がぶつかって転んだとかの些細な事だ。
その周りを50人位が囲んで見物している。当人たちは、相手がどれだけ悪いか聴衆に訴えているのだ。目をひんむいて鬼のような形相で怒っている。
しかし上海の人たちはうるさい。商店でのやり取りを聞いていても、よく怒鳴りあっている。 -
夜、同部屋の日本人と夜食を食べに行く。
バンドから南京路に入っても、どこも開いている店が無い。しかも街灯が無いので真っ暗だ。気をつけないと腐ったスイカやゴミを踏んづける事になる。
しかし暗闇の中で大勢の人が壁新聞に群がったり、ただ立っていたりする。少々気味が悪い。通りにポンポンベッドを並べて寝ている人民の多さにも驚く。
そして深夜なのに、バスもギュウギュウ詰めだ。車内は真っ暗なのでこれまた不気味である。
トロリーバスがカーブを曲がる際に、パンタグラフが電線から外れて停まってしまった。事故かと思ったが、何事も無さそうに女車掌が降りて来て、竹竿で電線に架けなおしていた。バチッと火花が飛んでいたが、中国人にとってはどうってこと無いのだろう。
しばらく歩いて、ハッピーレストランというネオンの店に入る。ピンクサロンのようなライティングだが、中国人のグループやカップルが普通にお茶を飲んでいた。
いつまで経っても注文を取りに来ない。「しょうがないなあ」などと言っていると、いきなりカウンターの女性から「メイヨラ!」と怒鳴られた。外を指して出て行けと言う。
なんで、こうなるの?
上海への好感度がまた下がった。
(写真はスッポン売りの兄さん、じゃなくて姉さん) -
1989年7月19日(水)
昨夜は結局、小さな食堂を見つけて食事をしたが、おかず3品とスープ1品で72元も取られた。メニューは2週類あり、外国人用のメニューは高い料金が書いてあるのだ。
もちろんボッタクリ値段である。同じ料理を頼んでいた中国人客に値段を聞いたら、なんと半額以下だった。いよいよ上海が憎らしくなってきた。
とはいえ、明日には昆明へ高飛びだ。今日は市内を観光しよう。
浦江飯店のドミトリーは20元(FEC)で、朝食が付いている。食堂は2階にあり、外国人用はパンと目玉焼きとコーヒーだ。中国人客はご飯なので、そっちがいいのだが、なぜか駄目。ウェイトレスはいつも機嫌が悪く、最悪のサービスを提供していた。
同席のアメリカ人客がコーヒーのおかわりを頼むと、彼女は露骨に嫌な顔しながら「1元!」と怒鳴った。アメリカ人はびっくりした顔で私に、「どうして中国はこんなにサービスが悪いのだ」と嘆いていた。おまけにコーヒーは糞まずいのだ。そしてジャムやマーガリンも機械油の風味がした。
「いや、こんな国に来たほうが悪いんですよ」と私が言うとアメリカ人は苦笑して、「日本も旅行したけど、良いとこだったよ」と呟いた。
(写真は大声で将棋を打つ人民) -
W君は今朝も、約束より1時間も早く迎えに来た。あとで分かったのだが、彼は親切心だけで案内を申し出たのではなく、ちゃんと下心があったのである。
まあ、その気持ちも分からなくないけど、上海人のしたたかさを知った1日となった。
W君は開口一番、「あなたを家族に紹介したいので、今日は私の家に泊まってくれないか」と言う。ちょっと妙な気もしたが、人民の生活も見てみたいのでお邪魔することにした。
タクシーで上海動物園、錦江楽園(ただの遊園地)、魯迅公園と回るが、あまり気が乗らないし、とにかく暑いので写真はほとんど撮っていない。
観覧車やローラーコースター、はたまたボーリングまでさせられる。もちろん払いは全て私。W君は昨日と違って食事やジュースもバンバン注文するし、なんか金ヅルにされているような気になってきた。
かばんや財布を開ける度に、W君は露骨に覗き込んで来る。嫌な気分だ。
写真は有名な南翔小籠包ではなく、その辺の店の包子。まったく、豫園に行ったんだから南翔饅頭店に連れてけよな、W君! -
夕方、魯迅公園にほど近い、W君の家に到着。
団地の2階の一室が彼の住まいだ。8畳ほどの板間で、天井には扇風機が回っている。隣にも部屋があるが、そこは他人の住まいである。台所や便所などは共同だ。
おばあさんがスイカを出してくれた。種は窓からプッと
出せという。
夕食までの間、近所を散歩することにした。
W君は近所の人に挨拶をしない。全く相手にしないし、相手も知らん顔だ。どうしてだろうと思ったが聞かないことにした。 -
住宅地を歩くと、中国人の生活を垣間見ることが出来る。
観光地よりも、こっちのほうがよっぽど楽しい。 -
スイカはひとつ4角。2角5分のもある。
安い! -
買い物をする光景は、日本のそれと何ら変わらない。
ただ、値段を交渉する際の声が大きいことと、なぜかここでもケンカしている人がいたことに、異国であることを感じた。 -
買い物するのも真剣勝負だ。
売り手と買い手の間では、ギリギリの攻防が見られた。
人口の多い中国では、何をするにも人と係らなくてはならない。自動販売機なんか無いし、定価の社会ではないから互いの主張がぶつかり合う。
だからケンカも起きる。
海を渡るまで、毎日こんな感じでやりあっている人達がいたなんて知らなかった。 -
今日の午後、魯迅公園で胡弓を奏でている老人グループがいたが、私が日本人とわかると険悪なムードになり、中国語でわめき散らされた。後でW君に聞くと、やはり日本の悪口を言っていたそうだ。
この散歩中にも、私を見つけて唾を地面に吐く男がいた。
W君によると、「君はとてもきれいな格好をしている。それに外国人だと分かる。たとえ君が人民服を着ても日本人と見抜かれる。一部の人はそれに対して怒りをぶつけたのだ」そうだ。
複雑な気持ちで、何も言えない俺。
(写真はW君の家からの眺め) -
夕食にはW君の家族らと6人で食べた。
ほとんど質問攻めにされるが、中国語は全く分からない。私が応対に困ると紙に書いてよこす。何とか筆談するも、意味が分からない事も多い。
そのうち、W君の姉が夫とケンカを始めた。夫は黙ったまま、一方的に妻が怒鳴り続ける。たまに一言、二言返すと、W君の姉は数倍の声で怒鳴り返していた。
W君に「どうしたの?」と聞くと、「ファミリープロブレム」だと言う。住まいの問題や、離れて住む親のことなどに対して意見を言ったそうだ。私は自分のことで揉めてるのではないかと心配したが、そうではなかった。
泊めてくれたことや食事のお礼、それから友好の記念に、私の持っているものをプレゼントすることにした。セーターやジーンズなどを所望したのであげる。リーバイスなどアメリカ製のジーンズは、中国で買うとバカ高い値段がするそうだ。そしてW君にはUSエアーフォースのジャケットをあげた。どれも買ったばかりだったので都合も良かった。
これで礼は尽くしたつもりだった。
なぜか姉夫妻は自分の家に帰らず、8畳の部屋に6人で寝ることになった。 -
1989年7月20日(木)
朝、W君から「マネーチェンジ」を頼まれた。私の持っているFECをノーレートで人民元に換えてくれということである。
闇レートでは1.8倍だ。つまりは金をくれと言われたのと同じである。昨夜、姉夫妻が家に帰らなかったのも、これが理由だった。
世話になった礼は、プレゼントでは足りなかったらしい。悲しい気持ちになったが、手持ちの金額分を換えてあげた。これが無けりゃ友達になれたかもしれないのに。
醒めた気分で荷物をまとめ、市場に朝飯を食べに行く。 -
朝の市場は活気にあふれている。
にわとり売り場のオジサン、気合が入って籠の上に乗ってしまった。 -
田鰻をさばいて売る。
血だらけなのは新鮮な証拠だ。 -
なかなか残酷なウズラ売り。
買い手が決まると、その場で生きたウズラのワタを引きちぎる。
なぜそうするのか知らないが、ちょっと引いた。 -
こちらは普通の鶏肉屋だ。
爪がついているのが中国らしい。
冷蔵庫など無いから、売っている肉はつぶしたばかり。
結果的に中国人は新鮮な肉にありつけるのだ。
ちょっと羨ましい。 -
いよいよ上海ともおさらばだ。
空港に向かうため、「じゃあここで」と別れようとしたら、W君は空港まで行くと言ってきかない。「君ひとりじゃタクシーにぼられる」と言うのだ。
どうせ空港に着いたら、またW君に無心されかねない。多少ぼられたほうがまだマシだ。醒めた私はそう思った。
「悪いけど、W君の帰りの金まで持っていない」と言うと、「金は要らない」とタクシーに乗ってきた。
ちなみに軽ワゴンのタクシーはプライベートタクシーなので駄目。サンタナに乗れば間違いないということを、この2日間で知った。
そしてW君、タクシー内で衝撃の発言をしやがった。
「僕も昆明へ連れて行ってくれ!」。
その理由は、「雲南省は貧乏で悪い奴らばかりだから、君が一人で旅行するのは危険だ」という。「お前はアホか?」と言いたいのをぐっと堪え、「残念だが、それは出来ない」と断る。
そして空港に着き、「世話になった。ありがとう」と言ってタクシーを降りると、W君が言った。
「すまないが20元だけくれないか?」。
家に帰る金が無いという。やっぱりそう来たか。私が金を渡すと、彼は急に素っ気ない態度になり、さっさと行ってしまった。
結局、上海で一番ぼられたのはW君からだった。とはいえ、たった3日間でいろいろと経験ができた上海滞在ではあった。
雲南の旅 1989 (1) 昆明〜さわやかな春城に魅了される に続く
http://4travel.jp/travelogue/10415074
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (14)
-
- おぎゃんさん 2012/10/03 11:00:43
- はじめまして。
- がおちんさん、はじめまして。
拝見して上海への懐かしさと複雑な気持ちが交錯した感情がよみがえりました。特にW君のくだり(笑)
私は86年がはじめての中国だったのですが、80年代に旅した人はみんな「没有!」に泣かされてましたね。
ずっと忘れかけていた記憶がよみがえりました。
ほんと、ありがとうございます。(^^)
- がおちんさん からの返信 2012/10/03 20:51:16
- RE: はじめまして。
- おぎゃんさん、はじめまして。
コメントをありがとうございます。
いま思えば、当時の中国旅行は辛かったけれど面白みがありましたね。
「没有!」の嵐に泣かされつつ、苦労して旅を続けていたあの頃が懐かしいです。
もう、今の中国には魅力が感じられません。
タイムマシンがあったらな、と思うことがあります。
まあ、行ったら行ったで嫌になるんでしょうけど(笑)。
おぎゃんさんのような方に読んでいただけると、昔の旅行記をアップした甲斐があります。
がおちん
-
- Toshさん 2010/02/27 14:31:31
- 上海での旅行記を読みました。
- こんにちは
上海ではひどい目にあったようでたいへんでしたね。
やはり、南京にも近いため、反日感情もあるのでしょうか?
4トラを通してたびたび連絡を取るベーコンさんも、数年前、上海の国際空港に行った時のことを言ってました。
「海老フライを注文したが、実際には別物で、しっぽだけを何度も使って海老フライらしきものを作っていた」と
また、深圳に住む友人も
「上海の人間は外部から来る人間を嫌っている。私は武漢から上海に行ってみたが不快な目に会った」
と言ってました。
近年は、サービスや接客態度は良くなっているんでしょうね。
- がおちんさん からの返信 2010/02/27 16:17:54
- RE: 上海での旅行記を読みました。
- Toshさん
こんにちは。感想をありがとうございます。
浙江商人という言葉がありますが、
確かに中国人から見ても上海の人は違うようですね。
でも私の場合は昔の話ですし、何の情報も無く中国に行った自分が悪かったんです。最近はむしろ懐かしい気がします。
民家に泊まった一晩の印象は今でも強烈に残っていて、天井に回る扇風機や、夜中に暑くて目を覚ましたら、おばあさんが窓辺に座って団扇であおいでいたというような光景が忘れられないんですよね。もう20年以上も経つのに不思議です。これもまた旅の面白さですね。
7年後の1996年に上海に行ったら、まるで別の街みたいになっていました。
それ以来、上海には行っていません。
今はサービスや接客態度は良くなっているでしょう。でも、適度な不便さといらだちを感じてこそ中国の味わいが深まる気がします(笑)。
-
- romanさん 2010/02/07 18:07:17
- 衝撃!
- がおちんさん はじめまして。
足跡からお邪魔させて頂きました。
こちらに遊びに来て下さってありがとうございました。
21年前の中国の現実を知って、衝撃でした。
つい先月初上海に行った身としては、
ありうるかもという気持ちで、冷製に旅行記を拝見させて頂きました。
過去の中国もとっても興味があります。
また色々な旅行記をじっくり拝見させて下さいね。
これかも楽しみにしております。
ろまん
- がおちんさん からの返信 2010/02/07 20:42:01
- RE: 衝撃!
- ろまんさん
はじめまして、感想をありがとうございました。
私もろまんさんのお洒落な上海を拝見し、美しい豫園を堪能しました。
同じ場所なのに、全く違った印象なのが不思議な感じです。
ろまんさんの旅行記には美味しそうな写真が沢山ありますね。つみれ?の写真は迫力満点です。ビーフだしということでしょうか(笑)。私が行ったときはひどいもので、肉料理を頼んだら暑くて腐ってたこともあったんです。当時の中国ではいつも下痢に悩まされました。
> 過去の中国もとっても興味があります。
ありがとうございます。そう言っていただけると嬉しいです。雲南省が多くなりますが、今とは違う中国の様子を紹介できると思います。
ろまんさんの旅行記も読ませていただきます。
これからも、どうぞよろしくお願いします。
-
- 柴犬さん 2010/01/28 10:06:46
- はじめまして
- 足跡をたどり、やってきました。
私の初海外が中国で、しかも上海であったため興味深く拝見させていただきました。
何か懐かしいというか、羨ましかったです。
私が、上海や中国のその他の都市を訪れたのは今から10年前からなのですが、1989年シリーズを拝見しますと全く違いますね。
意味不明な感動がありました。
俺、何でもっと早く生まれなかったのだろうと(笑)
続編あるようならば、楽しみにしています。
- がおちんさん からの返信 2010/01/28 18:13:25
- RE: はじめまして
- 柴犬さん
はじめまして。感想をありがとうございます。
> 私の初海外が中国で、しかも上海であったため興味深く拝見させていただきました。何か懐かしいというか、羨ましかったです。
私の初上海では辛い思い出しか残っていないんですが(笑)、確かに懐かしくなるくらい中国は変わりましたね。当時は旅がしにくくて我慢大会みたいになることが多かったのですが、そのへんが「意味不明な感動」に繋がるのかもしれませんね。
> 続編あるようならば、楽しみにしています。
1989年の旅は雲南省だけですが、まだまだ続きます。データのスキャン&修正に時間がかかるので少しずつのアップとなりますが、少数民族の村や辺境の旅行記を載せようと思います。どうぞよろしくお願いします。
-
- hamafujiさん 2010/01/23 16:52:13
- 昔の上海を
- がおちんさん はじめまして
一昔前の中国はかなりひどかった事が 旅行記で思い知りました
最近 私も中国の史積や仏閣を見て歩いておりますが 中国に行き始めたのは
ほんの6年ほど前からですので 有る意味ひどい思いをした事が有りません
それどころか 北京で4年ほど前に知り合った 兄弟(と 言っても兄が今年で65歳 妹が61歳)と 今年北京で再会しましたが 2日間食事代を
払おうとしても 払わせてくれないし 帰りには中国服やら お菓子やら
多くのお土産を頂き 北京空港までわざわざ車で 送って頂きました
4年前にも同じでした 上海に日本から行っている友人が居るために
上海にも良く行きますが 流石に今ではそんな事は 無いようですね
旅行記を拝見していて フィリピンに行っていた頃を思い出しました
10年ほど前のフィリピンは全く 同じでした
親切に甘えていると とんでもない事に。。。。。
なんて言う事が 良く有りました
仕事を辞めたら 中国全土を鈍行や高速バスを乗り継いで ゆっくり廻ってみたいと 思っています
また 中国に行かれる機会が有りましたら 楽しい旅行記をアップしてください
- がおちんさん からの返信 2010/01/23 18:48:33
- RE: 昔の上海を
- hamafujiさん、はじめまして。
感想をありがとうございました。
> 一昔前の中国はかなりひどかった事が 旅行記で思い知りました
私の初中国は苦い思い出ばかりです(笑)。まあ、そういう時代と場所だったのでしょう。こちらも勝手なイメージを作って行ったので、余計にしっぺ返しが強烈でした。hamafujiさんがおっしゃるように、多くの中国人はとても親切ですし、私も何度も世話になっています。上海では運が悪かったのでしょうね。
> 仕事を辞めたら 中国全土を鈍行や高速バスを乗り継いで ゆっくり廻ってみたいと 思っています
鈍行の旅、良いですね。私も行きたいです。でも残念ながら当分は行けそうにないので、しばらくは昔の旅行記をアップする予定です。
どうぞよろしくお願いします。
-
- 井上@打浦橋@上海さん 2010/01/11 21:04:02
- 甘い幻想は打ち砕かれた日本人は多いらしい
- がおちんさん、はじめまして。
「入国初日にして、中国への甘い幻想は打ち砕かれたのでした」
イイですね、このせりふ。
いや、そういうもんらしいですね。
三国志の中国、本多勝一の理想国家・共産中国、
NHK・シルクロードの中国、礼儀を重んじる中国・・・
中国に憧れる日本人、ほとんどが、そう言う部分から中国に
興味を持つらしいですね。
ところが、ギッチョンチョン・・・・ちゃうんだよなぁ・・・
実際は・・・・、
来て見て、そこで見たもの、体験したものは・・・
あああああ、なんじゃ、コレは・・・となってしまう。
いや、ところが、私は、全く違うのです。
なぁんも、中国には期待していなかったというか
予備知識なかったのです。
だから、まあ、こんなもんだな、しかし、なんか知らんが、
俺の気質にあってるかも、となってしまったのでした。
それが、84年から住み始めた中国の印象でした。
86年に一旦、日本に戻りましたが、中国への思いが強く、
96年に北京に移り住み、そして翌年からは、
上海に住んでしまったということなのです。
がおちんさんの89年の上海風景、なんかイイですね。
まだまだ、上海なんて、東京に比べれば屁みたいなもの・・・
そんなものが感じられてホッとします。
しかし、いまや・・・・・・・・・・・・
恐るべし上海、恐るべし中国になって、しまったのだぁーっ!!!!
- がおちんさん からの返信 2010/01/12 08:21:14
- RE: 甘い幻想は打ち砕かれた日本人は多いらしい
- 井上@打浦橋@上海さん、はじめまして。
がまだすさんのブログでお姿を拝見しています。
感想をありがとうございます。
井上@打浦橋@上海さんは古くから上海に魅了されたのですね。
おそらく80年代半ばの上海だと、まだ外国人旅行客も少ないでしょうし、
私のように「カモ」にされることも無かったのではないでしょうか。
おっしゃるとおり、私も中国文化や歴史に憧れを持って入ったので、しっぺ返しは相当強烈でした(笑)。
しかし、その後昆明に住み、内側から見る中国(漢族)を知るにつれて、だんだんと思いが強まっていきました。むしろ日本に無い、優れた習慣や価値観から学ばされた事も多いです。
上海は96年に再度訪れたのですが、あれほど苦労したのが嘘のようにスマートになっていました。でも、結局は苦労する中国のほうが、私には合っていたようです。
現在の上海(というか中国)は凄まじいですね。いずれこうなるとは思っていましたが、予想より50年以上も早く変わってしまいました(笑)。
-
- がまだす@熊本さん 2010/01/07 19:50:43
- 中国の第一幕!情景も香りもひしひしと伝わって来ます。
- がおちんさん、ご無沙汰しておりました。
そっだ、あけましておめでとうございますでした。
今、ネパール、インド旅疲れをチェンマイで癒してております。
こちらではクリスマスも正月もウキウキする香りらしさもなくて・・・ただ日本の正月が羨ましい限りです。
いつもそうですが、
旅先では極力ネットを格別重たい4トラを開かないままの旅馬鹿ですので、今初めてがおちんさんの第一作「上海旅行記」を読ませて頂きました。
いいなっ!
作品の全体から、今は見られないセピア色の中国がひしひし伝わってきます。
僕もね、あの天安門事件勃発20日前頃に友人らとツアー旅行を予約していたんです。
旅行代理店から「今どうも中国が変なんです。で、今回のツアーは中止になりました」と。
事件の全容が後で分かって学生クーデター?おったまげた次第です。
念願の中国に足を踏めたのが10数年後でした。
その後の雲南の旅など興味津津、そそられます。
今回は都合で中国の地は踏めそうもありません。雲南は北タイから目と鼻の先なんですけど残念!
ではでは、20日の帰国後に続編を読ませて頂きます。
とても楽しみです。
- がおちんさん からの返信 2010/01/08 10:49:10
- RE: 中国の第一幕!情景も香りもひしひしと伝わって来ます。
- がまだすさん、明けましておめでとうございます。
もうすぐ帰国ですね。チェンマイでの様子はarfaさんの写真で拝見しました。
旅の疲れをゆっくり癒して下さい。
旅先からの感想をありがとうございます。
> 作品の全体から、今は見られないセピア色の中国がひしひし伝わってきます。
上海では余り良い思い出が無いのですが(笑)、初の中国旅行だったので載せました。とにかく人民パワーに圧倒されっぱなしで、熱まで出た記憶があります。
> その後の雲南の旅など興味津津、そそられます。
ありがとうございます。当時の旅行記は、これから書いていきます。
おそらく雲南ネタが多くなってしまいますが(笑)、どうぞよろしくお願いします。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
上海(中国) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
14
30