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錦秋の京、彩り纏う寺社を巡りて。。(4) 修学院離宮の紅葉  /京都市 洛北<br /><br />修学院離宮(しゅうがくいんりきゅう)<br /><br />仁和寺のあと、修学院離宮を訪れました。<br />(タイトル表記の寺社ではありませんが。。)<br /><br />修学院離宮は事前申し込みが必要。<br />紅葉の時期に見学できることは運が良かったのだと思います。<br /><br />比叡山の裾野に広がる広大な敷地。<br />そこに上・中・下の離宮があります。<br />実際の見学時間は2時間程度。<br />3kmくらいは歩きます。階段、坂道もありますので<br />歩きやすい靴をお勧めします。<br /><br />一番上、一番最後に訪れる上離宮は浴龍池と呼ばれる<br />巨大な池を見下ろします。<br />池を中心とした回遊式の大庭園の周りの紅葉が<br />池に自らの姿を映し、見る者の心を癒してくれました。<br /><br /><br />修学院離宮HP→ http://sankan.kunaicho.go.jp/guide/shugakuin.html<br /><br /><br />■修学院離宮 概況<br /><br />比叡山の麓、東山連峰の山裾に造られた修学院離宮は、<br />上・中・下の三つの離宮(御茶屋)からなり、<br />上離宮背後の山、借景となる山林、<br />それに三つの離宮を連絡する松並木の道と、<br />両側に広がる田畑とで構成されている。<br /><br />総面積54万5千㎡を超える雄大な離宮である。<br />明治期に宮内省の所管となるまでは、<br />離宮を囲む垣根も全周にはなく、<br />自然に対して開放された山荘であった。<br />                      <br />下離宮には、創建時では最大の建物の<br />彎曲閣(わんきょくかく)があったが、<br />比較的早い時期に失われ、<br />今は南を庭園に囲まれた<br />寿月観(じゅげつかん)が残っている。<br /><br />中離宮には、楽只軒(らくしけん)と客殿があり、<br />やはり南に庭がある。<br /><br />上離宮は、修学院離宮の本領であって、<br />谷川をせき止め浴龍池(よくりゅうち)と<br />呼ぶ大きな池を中心にすえた、<br />回遊式庭園となっている。<br /><br />その浴龍池を一望におさめる、<br />東南の高みには隣雲亭(りんうんてい)、<br />中島に窮遽亭(きゅうすいてい)がある。<br /><br />山麓に広がる離宮のため、<br />上と下の離宮の標高差は40m近くあり、<br />大小の滝に加え水流の早い小川もあり、<br />どこにいても絶えず水の音を聴くことができる。<br /><br />昔は畦道(あぜみち)にすぎなかった、<br />松並木から眺める風景も、またすばらしい。<br /><br /><br />京都御所、京都大宮御所、仙洞(せんどう)御所、<br />桂離宮とともに皇室用財産(国有財産)として<br />宮内庁が管理している。<br /><br />修学院離宮  案内しおりより <br /><br />■修学院離宮の歴史<br /><br />修学院の名は、10世紀後半ここに修学院という寺が<br />建立されたのが始まりであった。<br />南北朝時代以後この寺は廃絶したが、<br />地名は修学院村として残った。<br /><br />修学院離宮は、桂離宮におくれること30余年、<br />明暦元(1655)年から2(1656年)にかけて<br />後水尾上皇(ごみずのおじょうこう)によって<br />造営工事が起こされ、万治(まんじ)28(1659)年に<br />完成した山荘である。<br /><br />離宮の造営より早く 上皇の第一皇女梅宮(うめのみや)が<br />得度(とくど)して、現在の中離宮(なかりきゅう)付近の<br />円照寺(えんしょうじ)に草庵を結ばれていたが、<br />早くから別荘としての適地を探しておられた上皇は<br />円照寺を大和の八嶋に移し、<br />上と下の二つからなる御茶屋を建設した。<br /><br />幕府との間に緊張が続いた時代であっただけに、<br />短期間にこれほど大規模な<br />山荘を造営し得たことは一つの驚異でもある。<br /><br />中のお茶屋は建設当時の山荘にはなかったものではあるが、<br />上皇の大八皇女光子内親王(朱宮(あけのみや))の為に<br />建てられた朱宮御所に東福門院(とうふくもんいん)<br /> (後水尾上皇の皇后、将軍徳川秀忠(ひでただ)の娘和子(かずこ))<br />亡き後の女院御所の建物を一部移築して拡張した。<br /><br />上皇崩御の後、光子内親王は落飾得度(らくしょくとくど)して、<br />これを林丘寺となされた。<br /><br />明治18年(1885年)林丘寺門跡(もんぜき)から境内の半分が<br />楽只軒、客殿ともに宮内省に返還されたので、<br />離宮に編入したものである。<br /><br />昭和39年(1964年)上・中・下の各離宮の間に<br />8万㎡に及ぶ水田畑地を買い上げて付属農地とし、<br />景観保持の備えにも万全を期して今日に至っている。<br /><br />修学院離宮  案内しおりより <br /><br />----------------<br /><br />所在地等<br /><br />修学院離宮: 京都府京都市左京区修学院藪添<br />       宮内庁京都事務所参観係 ℡ 075-211-1215<br /><br />拝観: 許可制で 事前申し込みが必要です <br /> 申込方法(HP)<br />  http://sankan.kunaicho.go.jp/about/rikyu.html<br /><br />拝観時間: 指定され 総門に指定時間の10分前に到着 見学所要 約1時間20分<br /><br />参観休止日: 宮内庁京都事務所参観係に 問い合わせください<br /><br />拝観料: 拝観無料<br /><br />アクセス: 叡山電鉄修学院駅 →徒歩20分<br />      JR京都駅前 市バス 5系統で約44分 修学院離宮道下車 →徒歩15分<br />

京都の紅葉 修学院離宮 (しゅうがくいんりきゅう) ~錦秋の京、彩り纏う寺社を巡りて。。(4)~ /京都市 洛北

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2009/11/28 - 2009/11/28

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kuropiso

kuropisoさん

錦秋の京、彩り纏う寺社を巡りて。。(4) 修学院離宮の紅葉  /京都市 洛北

修学院離宮(しゅうがくいんりきゅう)

仁和寺のあと、修学院離宮を訪れました。
(タイトル表記の寺社ではありませんが。。)

修学院離宮は事前申し込みが必要。
紅葉の時期に見学できることは運が良かったのだと思います。

比叡山の裾野に広がる広大な敷地。
そこに上・中・下の離宮があります。
実際の見学時間は2時間程度。
3kmくらいは歩きます。階段、坂道もありますので
歩きやすい靴をお勧めします。

一番上、一番最後に訪れる上離宮は浴龍池と呼ばれる
巨大な池を見下ろします。
池を中心とした回遊式の大庭園の周りの紅葉が
池に自らの姿を映し、見る者の心を癒してくれました。


修学院離宮HP→ http://sankan.kunaicho.go.jp/guide/shugakuin.html


■修学院離宮 概況

比叡山の麓、東山連峰の山裾に造られた修学院離宮は、
上・中・下の三つの離宮(御茶屋)からなり、
上離宮背後の山、借景となる山林、
それに三つの離宮を連絡する松並木の道と、
両側に広がる田畑とで構成されている。

総面積54万5千㎡を超える雄大な離宮である。
明治期に宮内省の所管となるまでは、
離宮を囲む垣根も全周にはなく、
自然に対して開放された山荘であった。
                      
下離宮には、創建時では最大の建物の
彎曲閣(わんきょくかく)があったが、
比較的早い時期に失われ、
今は南を庭園に囲まれた
寿月観(じゅげつかん)が残っている。

中離宮には、楽只軒(らくしけん)と客殿があり、
やはり南に庭がある。

上離宮は、修学院離宮の本領であって、
谷川をせき止め浴龍池(よくりゅうち)と
呼ぶ大きな池を中心にすえた、
回遊式庭園となっている。

その浴龍池を一望におさめる、
東南の高みには隣雲亭(りんうんてい)、
中島に窮遽亭(きゅうすいてい)がある。

山麓に広がる離宮のため、
上と下の離宮の標高差は40m近くあり、
大小の滝に加え水流の早い小川もあり、
どこにいても絶えず水の音を聴くことができる。

昔は畦道(あぜみち)にすぎなかった、
松並木から眺める風景も、またすばらしい。


京都御所、京都大宮御所、仙洞(せんどう)御所、
桂離宮とともに皇室用財産(国有財産)として
宮内庁が管理している。

修学院離宮  案内しおりより 

■修学院離宮の歴史

修学院の名は、10世紀後半ここに修学院という寺が
建立されたのが始まりであった。
南北朝時代以後この寺は廃絶したが、
地名は修学院村として残った。

修学院離宮は、桂離宮におくれること30余年、
明暦元(1655)年から2(1656年)にかけて
後水尾上皇(ごみずのおじょうこう)によって
造営工事が起こされ、万治(まんじ)28(1659)年に
完成した山荘である。

離宮の造営より早く 上皇の第一皇女梅宮(うめのみや)が
得度(とくど)して、現在の中離宮(なかりきゅう)付近の
円照寺(えんしょうじ)に草庵を結ばれていたが、
早くから別荘としての適地を探しておられた上皇は
円照寺を大和の八嶋に移し、
上と下の二つからなる御茶屋を建設した。

幕府との間に緊張が続いた時代であっただけに、
短期間にこれほど大規模な
山荘を造営し得たことは一つの驚異でもある。

中のお茶屋は建設当時の山荘にはなかったものではあるが、
上皇の大八皇女光子内親王(朱宮(あけのみや))の為に
建てられた朱宮御所に東福門院(とうふくもんいん)
 (後水尾上皇の皇后、将軍徳川秀忠(ひでただ)の娘和子(かずこ))
亡き後の女院御所の建物を一部移築して拡張した。

上皇崩御の後、光子内親王は落飾得度(らくしょくとくど)して、
これを林丘寺となされた。

明治18年(1885年)林丘寺門跡(もんぜき)から境内の半分が
楽只軒、客殿ともに宮内省に返還されたので、
離宮に編入したものである。

昭和39年(1964年)上・中・下の各離宮の間に
8万㎡に及ぶ水田畑地を買い上げて付属農地とし、
景観保持の備えにも万全を期して今日に至っている。

修学院離宮  案内しおりより 

----------------

所在地等

修学院離宮: 京都府京都市左京区修学院藪添
       宮内庁京都事務所参観係 ℡ 075-211-1215

拝観: 許可制で 事前申し込みが必要です 
 申込方法(HP)
  http://sankan.kunaicho.go.jp/about/rikyu.html

拝観時間: 指定され 総門に指定時間の10分前に到着 見学所要 約1時間20分

参観休止日: 宮内庁京都事務所参観係に 問い合わせください

拝観料: 拝観無料

アクセス: 叡山電鉄修学院駅 →徒歩20分
      JR京都駅前 市バス 5系統で約44分 修学院離宮道下車 →徒歩15分

同行者
一人旅
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
自家用車

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  • 表総門を入ると早速、紅葉が迎えてくれました。

    表総門を入ると早速、紅葉が迎えてくれました。

  • 御幸門

    御幸門

  • 下離宮、寿月観

    下離宮、寿月観

  • 修学院離宮 松並木

    修学院離宮 松並木

  • 松並木 上離宮へ続く。。

    松並木 上離宮へ続く。。

  • 比叡山を借景としています。

    比叡山を借景としています。

  • 中離宮 楽只軒

    中離宮 楽只軒

  • 中離宮 楽只軒 客殿

    中離宮 楽只軒 客殿

  • 上離宮 離雲亭にて

    上離宮 離雲亭にて

  • 離雲亭より浴龍池を望む

    離雲亭より浴龍池を望む

  • 上離宮 離雲亭

    上離宮 離雲亭

  • 上離宮 離雲亭から楓橋へ

    上離宮 離雲亭から楓橋へ

  • 修学院離宮 上離宮 窮邃亭

    修学院離宮 上離宮 窮邃亭

  • 浴龍池

    浴龍池

  • 修学院離宮 上離宮 紅葉谷近く

    修学院離宮 上離宮 紅葉谷近く

  • 上離宮 千歳橋

    上離宮 千歳橋

  • 万松塢

    万松塢

  • 参観者休所に戻りました。<br /><br />いや〜、こんなところに住んでみたい。

    参観者休所に戻りました。

    いや〜、こんなところに住んでみたい。

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