2009/11/28 - 2009/11/28
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kuropisoさん
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源光庵(げんこうあん)
「悟りの窓」と呼ばれる丸窓と、
「迷いの窓」と呼ばれる角窓。
それによって切り取られる静かな朱の紅葉がとても印象的です。
あまりにも有名な景観で多くの人が訪れる社寺ではありますが、
付近、観光バスの進入が出来ない為か、思いの他、
静寂、清浄な美しさを堪能することが出来ました。
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ご紹介 (源光庵 拝観時に頂くパンフレットより)
当山は、鷹峯山宝樹林源光庵と号し、
今より六百六十余年前の貞和2年(1346年)、臨済宗大本山大徳寺二代徹翁国師の開創によるものであるが、
元禄7年(1694年)加賀国(現在の石川県金沢市)大乗寺二十七代曹洞宗復古道人卍山道白禅師が
当寺に住持せられ、これより曹洞宗に改まったのである。
本堂は元禄7年の創建で、卍山禅師に帰依した金沢の富商、中田静家居士の寄進により、
建立されたものである。
本尊は華厳の釈迦牟尼佛、脇立に阿難尊者、迦葉尊者を祀る。
間口11間半(21m)奥行7間(13m)加賀の住人静家居士の建立による。
開山堂は享保四年(1719年)の建立で、復古堂とも称し、
開山卍山禅師の木像を安置し、その下に舎利を収む。
卍山禅師は学徳兼備の当世随一の高僧であり、また紊乱(びんらん)せし宗風の改革ををする為、
宗統復古に邁進し、江戸幕府に祈願して、発願より成就するまで、実に四十二星霜の歳月を経て、
道元禅師の正伝の仏法に復古されたのである。
その事業の功績は、黄檗山萬福寺鉄眼禅師の大蔵経刻版、
東大寺公慶上人の大仏殿建立と共に、三者並び称せらる。
本堂西安置の霊芝観世音は、開山禅師が天和元年(1681年)の春、
京都洛南宇治田原の山中にて御感得された、霊芝自然の観音像であり、
第百十一代後西天皇は、殊の外尊崇厚く、宮中で御供養遊ばされたもので、
世に広く信仰され、開運霊芝観世音と唱う。
境内には、宗統復古碑があり、また道元禅師ご真筆の書画及び
卍山廣録・宗統復古志・鷹峰?邦系譜等の木版を保存している。
本堂内の血天井は伏見桃山城の遺構であり、慶長5年7月(1600年)、
徳川家康の忠臣、鳥居彦右衛門元忠一党千八百余人が、石田三成軍勢と交戦したが、
武運拙なく討死し、残る三百八十余人が自刃して相果てたときの恨跡である。
また、本堂には悟りの窓と名付けられた丸窓と、迷いの窓という角窓がある。
悟りの窓は円型に「禅と円通」の心を表し、円は大宇宙を表現する。
迷いの窓は角窓に「人間の生涯」を象徴して生老病死の四苦八苦を表している。
西の谷の稚児井は六百五十余年前よりの伝説あり、徹翁国師の夢枕に、
池に住む龍が童子を化して現られ、水の湧き出るを告げ、
多くの人々を水飢饉より救ったと伝えられる。
本堂裏の庭園は枯山水であり、北山を借景とし、四季を通じて趣きがあるが、
殊に秋の紅葉時は一段の風情がある。
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住所
京都市北区高峯北高峯町四七
アクセス
市バス 地下鉄(烏丸線)北大路駅より(北1号)系統 玄琢行き
〃 四条大宮より(6号)系統 玄琢行きにて
源光庵前下車すぐ
http://maps.google.co.jp/maps/ms?ie=UTF8&hl=ja&msa=0&msid=103182797128848996492.000479d54516cad2a6844&ll=35.055083,135.732152&spn=0.002872,0.003927&z=18&brcurrent=3,0x6001a92b8e7f241d:0x190bbf3f83e70871,1
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