
2009/12/13 - 2009/12/13
2636位(同エリア5863件中)
morino296さん
- morino296さんTOP
- 旅行記1222冊
- クチコミ20件
- Q&A回答1件
- 2,652,466アクセス
- フォロワー109人
師走の奈良、唐招提寺に続き、東塔の解体修理が始まった薬師寺を訪ねました。
その後は、西大寺まで移動して、佐紀路にある法華寺と海龍王寺を訪ね、平城宮跡を歩き、2009年の奈良の散策を終えました。
今回ご一緒したのは奈良出身のはなかみno王子さま。
帰りには、梅田で忘年会、今年一年の旅や来年の計画などと話が弾みました。
-
薬師寺
北受付から境内に入ります。 -
薬師寺 鐘楼
建物は延宝2年(1674)の建立、鐘は金堂再建時に新しく鋳造されたもの。 -
薬師寺 鐘楼の鬼瓦
-
薬師寺 大講堂
-
薬師寺 金堂と東塔(左)、西塔(右)
大講堂から金堂の裏側です。 -
薬師寺 金堂
金堂は薬師寺縁起によると二重二閣、五間四面、瓦葺の建物で各層に裳階(もこし)をつけた美しい堂で、龍宮造りと呼ばれています。 -
薬師寺 金堂
こんなところに注連縄がありました。 -
薬師寺 金堂
失礼ながら金堂の外から。
薬師如来を中央に、向かって右が日光菩薩。左が月光菩薩。合わせて薬師三尊像が拝めます。 -
薬師寺 大講堂
正面41m、奥行20m、高さ17m、伽藍最大の建物。
講堂が金堂より大きいのは古代伽藍の通則で、大勢の学僧が参集して経典を学んだためだそうです。
大講堂の本尊は、弥勒三尊像、後堂には国宝の仏足石・仏足跡歌碑があります。 -
薬師寺 西塔
享禄元年に兵火で焼失し、昭和56年に453年ぶりに復興されたもの。 -
薬師寺 西塔の相輪と水煙(すいえん)
-
薬師寺 東塔
最近、解体修理が始まったところです。
【調査の為の足場が組まれる予定期間】
平成21年秋頃〜平成22年3月末頃
【解体修理が行われる予定期間】
平成21年から約10年間、平成31年度完成予定 -
薬師寺 東院堂(国宝)
現在の建物は、弘安8年(1285)の再建で、正面7間、側面4間の入母屋造り。
堂内には本尊聖観音菩薩立像と四天王立像が安置されています。 -
薬師寺 仁王像(左側)
中門の両脇に立つ武装姿の仁王像は、中国の資料や法隆寺の橘夫人厨子の扉絵を参考にして平成3年に作られたもの。 -
薬師寺 仁王像に踏みつぶされる鬼
-
薬師寺 仁王像(右側)
-
仁王像に踏まれる鬼
-
南門と西塔
-
南門横の入り口と西塔
-
薬師寺 金堂の薬師如来の台座のレプリカ
東僧坊に置かれています。 -
-
薬師寺 西僧坊の北側にて
-
薬師寺 玄奘三蔵院伽藍
平成3年(1991)建立。
大唐西域壁画殿には、先日亡くなった平山郁夫画伯が入魂された、玄奘三蔵求法の旅をたどる「大唐西域壁画」がありますが、この日は閉館でした。 -
薬師寺 玄奘三蔵院伽藍から眺める白鳳伽藍
13:40頃
この後、西ノ京から西大寺まで電車で移動しました。 -
法華寺 南門(重文)
切妻造・本瓦葺の四脚門で、本堂と同時に再建。
本堂の南側正面にある門ですが、ここからは入れません。
14時頃到着(西大寺からタクシーで1110円) -
法華寺の山門
-
法華寺 鐘楼(重文)
鬼瓦に慶長7年(1602)の刻銘があり、形式や細部からみてその頃の再興と考えられるそうです。
「袴腰付き鐘楼」であるが、上層に縁や高欄を設けない、珍しい形式です。[ -
法華寺
-
法華寺 境内にて
御柳梅(ぎょうりゅばい)と言うそうです。 -
-
法華寺 本堂
大和の三門跡尼寺の一つで、氷室御所とも呼ばれます。
光明皇后が、父親の藤原不比等の邸宅跡に建てた尼寺。
唇に朱の残る十一面観音像(国宝)は、光明皇后がモデルとされる秘仏。 -
法華寺 本堂の屋根裏
東大寺が全国の総国分寺であったのに対し、法華寺は総国分尼寺と位置づけられ、法華滅罪之寺と言われました。 -
法華寺 金堂の裏庭にて
-
法華寺 浴室(からぶろ)
光明皇后が薬草を煎じその蒸気で多くの難病者を救済されたところで、建物は室町時代後期に改築されたが、敷石の一部は天平時代のものが残るそうです。 -
法華寺 光月亭
昭和46年に奈良県月ヶ瀬村の民家を移築したもの。 -
法華寺 華樂園のヤドリギ
境内東側にある約1,000坪の庭があります。
この時期は花もなく、この庭の見学が200円は?
拝観料500円+華樂園入園料200円はちょっと高過ぎの感じでした。(唐招提寺や薬師寺よりも高いとは・・・) -
法華寺
光明皇后1250年大遠忌法要が、平成22年5月に行われるそうです。 -
海竜王寺 山門
法華寺から歩いて数分です。
以前、佐保路を散策した時に尋ねた不退寺からも遠くはありません。 -
海龍王寺の解説
飛鳥時代に毘沙門天を安置して建立された寺院を天平3年(731)、遣唐使として唐に渡っていた初代住持・玄が一切経5千余巻と新しい仏法の両方を無事に我が国にもたらすことを願ったのと、平城宮の鬼門(北東)を護るため、光明皇后により海龍王寺としてあらためられました。
玄が帰国途中、東シナ海で暴風雨に襲われた際、船上に積まれていた海龍王経を一心に唱えたところ九死に一生を得て無事帰国できたことから、遣唐使の渡海安全祈願を営むようになったもの。 -
海龍王寺 境内
本堂(右)と西金堂(左奥)
発掘調査の結果により、奈良時代の海龍王寺には、小規模ながら、中金堂、東金堂、西金堂の3つの金堂があったことがわかっているそうです。 -
海龍王寺 本堂
天平3年(731)、光明皇后の創建。
真言律宗で本尊は十一面観音立像。
本尊は、秘仏として公開されていなかったそうですが、現在は、開扉され拝むことが出来ます。
光明皇后の皇后宮(藤原不比等の邸宅跡)の北東隅に建てられたことから隅寺とも呼ばれたそうです。
遣唐使の渡海安全祈願を営んでいたことから、現在も旅行・留学安全祈願の御利益があるそうです。
写経発祥の寺。
この日も、本堂内には、海の安全祈願のため海水を入れたガラス瓶が置かれていました。 -
海龍王寺 五重小塔(国宝)
西金堂内に安置される総高4.01mの小塔。
工芸品ではなく建造物として国宝に指定されています。
奈良時代建築の様式を知るうえで重要なものだそうです。 -
海龍王寺 経蔵(重文)
-
平城宮跡から眺め(南方向)
近鉄電車が走っています。
東西1.4Km、南北1Kmの広大なエリアが、和銅3年(710)に造営された平城宮の中心であった所。 -
平城宮跡の案内図
(道路に埋めてあるものを横から撮ったので縦にしています) -
平城宮跡からの眺め(東側)
-
平城宮跡 第一次大極殿(2010年復元予定)
海龍王寺から平城宮跡を抜けて西大寺まで(約2Km)歩きました。
(おしまい)
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
奈良市(奈良) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
14
47