2009/11/15 - 2009/11/15
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夢見る獏さん
飯田橋駅周辺の江戸を訪ねてみました。
飯田橋の駅近くには、江戸時代は牛込門という門がありました。
牛込門跡は、外堀に残る数少ない江戸城の面影です。
なお、「江戸」については、次のブログにも記事があります。
機会がありましたら、お立ち寄りください。
「気ままに江戸♪ 散歩・味・読書の記録」
http://wheatbaku.exblog.jp/
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牛込門
牛込門は田安台から牛込方面にでる門で、牛込口とも呼ばれていました。
この辺りから市ヶ谷門にかけては濠の幅が100mもありましたが、現在では大分狭くなっています。
別名で楓門とも言われますが、秋の紅葉は素晴らしかったそうです。
写真は、JR飯田橋駅西口の改札口から左手に見える牛込門の石垣です。 -
阿波乃國
牛込門は、寛永13年(1636)に枡形石塁が、そして寛永15年(1638)に門が、阿波徳島藩藩主蜂須賀忠英によって築かれています。
それを証明するかのごとく交番脇にある巨石の左下隅に「阿波乃國」の刻印がされています。
駅の改札を出て左に歩いていくと左手にあります。上の写真の石垣の向かい側になります -
【揚場跡の碑】
飯田橋駅近くの「けやき橋」横に「牛込揚場」の碑があります。
その碑には、「江戸時代には海からここまで船が上がってきた。全国各地から運ばれてきた米、味噌、醤油(しょうゆ)、酒、材木などがこの岸で荷揚げされたので、この辺は揚場と呼ばれていた」とあります。
川岸の神楽坂横の軽子坂北側一帯は揚場町(あげばちょう)としてそのままの名を残しています。 -
【軽子坂】
揚場町と神楽坂2丁目の境を西に上る坂が軽子坂です。神楽河岸と呼ばれる船着場に揚げられた多くの荷物は「軽子」の手で運ばれました。
「軽子」は軽籠持ちの略称で、揚場で働いた人たちで、船荷を軽籠(縄で編んだもっこ)に入れて運搬することを職業としていた人たちです。
その軽子がこの辺りに多く住んでいたことから軽子坂の名前がつけられました。
江戸名所図会には、「逢坂(おうさか)」という名称で説明されています。
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この旅行記へのコメント (1)
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- 一歩人さん 2010/02/11 13:25:13
- そうなんですよね、坂、坂。
- 夢見る獏さんへ
坂もたくさんあって、ねらい目ですよね。
由来が坂名に紹介してあって、いですよね。
ふ、ふ、楽しく拝見しました。
失礼しま〜す。
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