2009/07/12 - 2009/07/12
95位(同エリア178件中)
まみさん
2009/07/12日 クリミア半島4日目(現地英語ガイド&車付)
・改装が終わったばかりのヤルタのホテル・マリーノ内を見せてもらう
・ヤルタの聖アレクサンダー・ネフスキー寺院にてミサを見学(聖パウロ聖ペテロの日)
・マサンドラ宮殿
・ヤルタのチェーホフの家(外観と庭のみ)
・フォロス村(Foros)のイエス復活教会
・デスバレーのクリミア戦争記念碑
・バラクラバ湾
・セバストポリのナヒモフ広場と港
・ヘルソネス遺跡とウラジーミル教会
・シンフェロポリ駅の市場めぐり
【一等寝台泊:クリミア半島のシンフェロポリからオデッサまで】
残念ながら近現代史、ましてや戦史に疎い私、バラクラバがクリミア戦争や第二次世界大戦の重要な地点で、クリミア戦争中のバラクラバの戦いの方は映画にもなっている(トニー・リチャードソン監督「遥かなる戦場」1968年など)なんて、全然知りませんでした。
日本で日程を組んで、現地旅行会社を通じて現地ガイドに案内してもらう場所にリクエストしたくなった理由は、ひとえにLonely Planetで褒めていたからです。
「バラクラバは特に美しいとは期待しないかもしれない。でも、実は美しいんです!」(該当文の私訳)
その一文で、ふーん、そうかぁ、一見の価値ありってことか、ならちょっくら見てみたいな、と思いました。
Lonley Planetでバラクラバに割いている紙面スペースはそれほど多くなく、歴史については、クリミア戦争のときに英国海軍の野営地だったこと、1854年に多くの戦艦や水兵が冷たい海に沈んだこと、それからナイチンゲールの野戦病院があったことについて、簡単に淡々と触れられているのみです。
ナイチンゲールにはピピッと私のアンテナが反応したものの、さらっと流してしまいました。
でもバラクラバに行ってみてよかったです。短い時間でしたけど。
港は奥深くあって外海から見えない、という軍港にバツグンなバラクラバ湾の特異な地形も興味深かったですし、確かにLonely Planetで褒めるだけの美しさはありました。
たくさんの中型の船舶やボートが停泊していて、むしろ格好よかったと言うべきかな。
天気に恵まれたおかげで、海は信じられないようなコバルトブルーでした。
それに加えて、バラクラバ見学をきっかけに、私の中で苦手で空白の近現代史が少しだけ埋まったし、興味をもてるようになりました。
少なくとも、この旅行記の作成のためだけでも、いろいろ調べることになりましたから。
たとえば、バラクラバに向かう途中、ニーナがデスバレーと呼んだ平原での無能な司令官と指令の行き違いによる大勢の兵士の無駄死の話は、そのときは、ふぅん、そんなことがあったんだ、くらいにしか思いませんでしたが、それがまさに映画「遥かなる戦場」でテーマにされた、クリミア戦争のバラクラバの戦いことでした。
Lonely Planetの記述は、実際に行った後でやっと、そういえばそうだと頭に入るところがあります。
ガイドブックの記載はえてしてそうですけどネ(……英語の読解力不足のせいじゃないと言い訳してるみたい?)。
バラクラバの歴史は、イギリス軍野営地が作られるよりも2500年もさかのぼります。
古くはホメロスのギリシャ叙事詩「オデッセイ」に、海賊の住処があったところとして触れられているそうです。
こっちの方が私は断然興味を覚えるかな。
バラクラバ湾で再び、現地ガイドのニーナやドライバーのビクターと一緒に、クリミア・シャンパンで乾杯しました。
乾杯のときのニーナの言葉は「ノー・モア・ヒロシマ」でした。
ただしビクターは車を運転するのでシャンパンは飲まず、ニーナがホテル・ブリストルの朝食バイキングからこっそり忍ばせてきたブドウを代わりにしました。
哀れなビクター、とニーナは笑っていましたが、ビクターが断ったからいいものの、ドライバーにアルコールを薦めちゃいかんです。
バラクラバ湾も、一部はビーチになっていて、賑わっていました。
海外旅行先で水着になるのは極力避けたい私は、ビーチは特にうらやましくありませんでしたが、第二次世界大戦時の潜水艦ドッグ見学をする時間がなかったのは残念でした。
残念ならぜひ、バラクラバを再訪するきっかけにしてね、とニーナは言いましたけど。
ゆっくり再訪するチャンスがあったとしても、ニーナのようなガイドがいないと充実度は半減してしまうでしょう。
第二次世界大戦中にソ連の潜水艦ドッグがバラクラバにあるという情報をヒットラーはつかんでいたのですが、ドイツ軍がバラクラバを占領したとき、山の中に隠れるように造られたドックはどうしても見つからなかったそうです。
ヒットラーは潜水艦の奪取も目当てにしていたのに、それは叶わなかったわけです。
その後潜水艦ドッグは米ソ冷戦時代の核シェルターを兼ねていました。
ソ連崩壊後もドッグは1993年まで使用され、ロシアの最後の潜水艦がバラクラバを去ったのはやっと1996年になってからのことです。
その後は潜水艦ドックは博物館として一般公開されるようになりましたが、そうなるまでバラクラバは、外国人は立ち入り禁止でした。
家族ですら、身分証明書と正当な理由(!)がなければ町に入れなかったくらいですから。
地形を利用してそれほど巧妙に隠されたそんなドックをボートで見学するのはとても面白そうでした。
その方面に詳しくない私にも十分に楽しめそうでした。
ニーナの説明を聴きながら出入り口2ヶ所を実際に見るだけでも、観光した気にはなれましたけどね。
ナイチンゲールの野戦病院があったイギリス軍の野営地跡は、今は土がむき出しの何もないただの丘でした。
まさに、兵どもが夢の跡。
でもその近くに、スダックで見学したようなジェノヴァ人の要塞跡が、少しだけ残っていました。
崩れかかった塔は、昨日のスダックと比べてしまうと見学対象としては物足らないかもしれませんが、景色としては、なかなかロマンチックでした。
※2009年ウクライナ旅行の旅程一覧はこちら。
簡易版「2009年ウクライナ旅行プロローグ(旅程一覧)地図付」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10359084/
詳細版「2009年ウクライナ旅行の詳細旅程」(もう1つのブログ「まみ’s Travel Diary」より)
http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2009/07/2009-2271.html
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フォロス教会を後にしてバラクラバへ向かう道
海岸沿いを走らなくなってしまいましたが、このように開放的な景色は私には物珍しいです。 -
バラクラバへ向かう道
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バラクラバへ向かう道
途中で一時、きれいな現代の道に合流。 -
起伏のある道路@
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セバストポリまで19km
でも先にバラクラバに向かいます。
方角は同じです。 -
あの丘陵の向こうがデスバレー
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起伏多し@
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バラクラバの戦いの舞台となったデスバレー
いまはのどかな景色が広がります。
もっとも、当時の戦争スタイルなら、軍人以外の民間人の大半は、他人事のように戦争を見守っていられたそうです。映画「遥かなる戦場」でも、戦いの最中、市民が双眼鏡で高みの見物を決めていたシーンがあるとか。
でも、現代になるにつれて、戦争はどんどん民間人も巻きこむようになり、いまでは戦争が起こればほぼ100パーセントの人間が何らかの形で巻きこまれることになります。 -
7月半ばの真夏にして、地上の草は枯れてすでに黄色
旅行の最後にキエフに戻ったときも、郊外では草木がほとんど秋らしい姿を見せていたので驚きました。
かといって、決して秋のように涼しかったわけではなく、気温は真夏でした。 -
クリミア戦争のバラクラバの戦い(1854年10月13日)記念碑
バラクラバの戦いでは、無能な司令官の作戦ミスで250人が無駄死にしました。
バラクラバの戦いについては、イギリス人の詩人テニソンが詩を詠んでいます。 -
少し高台にあった記念碑から、まわりを見回す
彼方の山は、セバストポリを要塞のように守っています。
だからここが戦場に選ばれたのでしょう。 -
クリミア戦争や第二次大戦で大勢の人の血を吸ったデスバレー
バラクラバは第二次世界大戦のとき、独ソ前線の最南端だったそうです。 -
セバストポリを要塞のように守る山と、今ではのどかなデスバレー
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1854年10月13日バラクラバの戦いの布陣
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再び車に戻って、車窓から撮影したマルシュルートカとバイカー
マルシュルートカは乗り合いタクシーのようなものですが、ウクライナの場合はほとんど私営小型バスというかんじでした。
公営のバスルートのないところを網羅していました。
また、バイカーは、ニーナいわく、戦争跡に花を捧げにモスクワから来ている人が多いそうです。
それまでたくさんのバイカーとすれちがったり追い越されたりしたのですが、ただのちゃらちゃら暴走族ではなかったわけです。
ちゃらちゃら観光客といえば私の方がむしろそうでした。 -
バラクラバ湾のビーチ
美しい海です。
でもこの段階では、またビーチか、と思わなくもありませんでした。 -
コバルトブルーに輝くバラクラバ湾
だんだんと景色がかっこよくなってきました@ -
海から奥深い湾は見えない巧妙な地形
海へ抜けるところです。
あの岩山がこの湾を隠しているため、外海からはすぐには見つかりません。 -
ジェノヴァの要塞跡
クリミア半島にはジェノヴァ公国の要塞がいくつか残っています。
もっと保存状態が良いジェノヴァ要塞は、昨日、スダックで見学しました。
これは塔以外はほとんど廃墟ですが、全体の風景はなかなかロマンチックです。
関連の旅行記
「2009年ウクライナ旅行第7日目(4)クリミア半島:中世のお城のようなスダックのジェノヴァ要塞跡と夕方のヤルタ」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10394061/ -
コバルトブルーのバラクラバ湾
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バラクラバ湾沿いにしばらく歩く
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潜水艦ドックに続く水路
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潜水艦ドックの水路脇から
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潜水艦ドッグの水路
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潜水艦ドッグの出口のある地上
上からは、水路は完全に隠れて見えません。 -
青い海にうっとり
このアングルからもジェノヴァの要塞跡がよく見えます。
最盛期のジェノヴァ公国は、イタリア本国のジェノヴァと黒海にまたがる大国でした。
ジェノヴァがビザンチン帝国を退けてバラクラバを占領したのは1365年です。
後にバラクラバのジェノヴァ要塞跡について、ポーランドの国民的詩人アダム・ミツケヴィッチが詩を詠んでいます。
バラクラバは古代ではギリシャ、中世初期はビザンチン帝国、後期はジェノヴァ公国、近世ではオスマントルコの支配下にありました(1475年から)。
古代ギリシャ時代はシンボロン、ジェノヴァ時代はヤンボリと呼ばれていましたが、オスマントルコ時代にバリクラバ(トルコ語で「魚の温床」という意味)と改名されました。
ロシア帝国の領土となったのは、1768〜1774年の露土戦争の後です。
もっともロシア軍はその前の1771年にクリミア半島を占領していました。
(情報源:フリー百科事典ウィキペディア英語版「Balaklava」)
http://en.wikipedia.org/wiki/Balaklava -
さらに奥まで続くバラクラバ湾
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海への出口
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奥(左)へと続く
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イギリスの野営地があった丘
ナイチンゲールがいた野戦病院があったところでもあります。
いまは何も残っていません。 -
ここがほんとの(!?)バラクラバ湾
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いまやリゾートに変貌しつつあるバラクラバ湾
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中型船が停泊中
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潜水艦ドッグのもうひとつの入口
ここからドッグ見学のボートツアーが出ます。 -
潜水艦ドッグの水路の入口
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潜水艦ドックの地図
いまいるのは右上の入口、さっき見たのは左下の入口。 -
潜水艦ドックめぐりのボートツアー
いいな@ -
少し離れたところから撮った潜水艦ドッグの入口の様子
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4日間お世話になった車とドライバーのビクター
よく磨かれて新品同様、冷房もきく、とてもきれいで快適な車でした。
初日、私としてはふつうに扉を閉めたつもりなのに、「もっとそっと閉めて!」とビクターに何度も怒られてしまいました。
車、大事にしてるんですねぇ。
ビクターは一見強面ですが、よくしゃべるしよく歌う、とても陽気な男性でした@
残念ながらビクターは英語は話せず、ロシア語で話すので、ビクターの話はニーナがかいつまんで通訳してくれました。 -
クリミア・シャンパンで乾杯!
豪華なグラスもニーナが持参したものです。
ドライバーのビクターは運転するのでアルコールを控え、代わりにブドウを食べました。 -
豪華なシャンパン・グラスとバラクラバ湾
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釣り用のボートですって!
「2009年ウクライナ旅行第8日目(5)クリミア半島:大急ぎで回ったセバストポリとヘルソネス遺跡」へと続く。
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10401566/
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