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2009/07/11土 クリミア半島3日目(現地英語ガイド&車付)<br />・マリー・マイアーク村(Malyi Maiak)の聖ニコラス教会<br />・ガリツィン邸のワイン博物館<br />・ノーヴィ・スヴェット(Novy Svet)植物保護地区&絶景海岸<br />・スダック(Sudak)のジェノヴァ要塞跡<br />【ヤルタ泊:ホテル・ブリストル(Bristol)】<br /><br />午前中に到着した時に滝のような豪雨に見舞われたスダックは、ノーヴィ・スヴェットを観光して戻ってきたときには、まるで雨なんか知らないよ、という顔をして私たちを迎えてくれました。<br />膝丈まであった泥水の河はすっかり乾いて、ちょっとでこぼこなアスファルトの道路に戻っていました。<br />あんなに急に道路が水浸しになったのは、雨を想定していなくて、水はけが悪いのでしょうね。<br />それなのに、その水はどこへ行ったやら、道路には濡れた跡1つ残っていなくて驚きました。<br />日本よりずっと空気が乾燥しているから、洗濯物だけでなく道路だってよく乾くのかな。<br /><br />旅行前のプラン中、スダックの見どころをLonely Planetで読んでいたとき、まさかと思って、Genoese FortressのGenoeseの単語の意味を、もう一度辞書で調べてしまいました。<br />やっぱり「ジェノヴァの要塞」としか訳せません。<br />クリミア半島になんでイタリアのジェノヴァが関係するの?───と、先入観からピンとこなくて、なにかの冗談かのように思っていた頭の固い私。<br />実際に要塞に見たら、その事実が私の中にストンと入ってきました。<br /><br />要塞は、各国が分立していたルネサンス期のイタリアの、ヴェネツィアとしのぎを削っていたジェノヴァのもので、合っていました。<br />複雑なクリミア半島の歴史ですが、そこに、全域ではないにしろ、ジェノヴァの勢力下の時代まであったなんて。<br />イタリアの歴史とウクライナの歴史が交差していた事実が、私にとってなんだかショッキングでした。<br />しかも、当時のジェノヴァはライバルのヴェネツィアともども、東欧で奴隷貿易の奴隷を調達していたようですから。<br />さすがに後の産業革命後の白人による黒人の奴隷狩りほど大量で残酷ではなく、奴隷といっても市民権のない、金で支配された格下の使用人というかんじだったようですけどネ。<br /><br />まだまだ国境を中心に歴史を捉えたがる自分に気付かされたスダックです。<br /><br />そのスダックのジェノヴァ要塞は、まさにイタリアの中世の城でした。<br />城壁内の市民エリアはすっかり野っ原になってしまっていましたが、駐屯兵のおえらいさんが住む城はきれいに残っていました。<br />そろそろ枯れ葉で黄色く染まったその野っ原にも、何もないと思いきや、昔の町のメインストリートのところだけ草の色が違っていて、自然が人に代わって往時を偲ばせてくれました。<br /><br />現地ガイドのニーナは、イタリア本国にすら、もうここまで完璧(?)に残っている要塞はない、と断言していました。<br />ジェノヴァの要塞跡は翌日のバラクラバ湾でも見かけましたが、あれと比べながら激戦地となったクリミアの歴史を考えてみたら、ここまで完璧に残っているのは確かに奇跡的かもしれないと思いました。<br /><br />ニーナは考古学にとても興味があるようでした。<br />かつてドイツ人の考古学専門家チームをこの要塞に案内したときに、逆に彼らから、この要塞の考古学的価値をたくさん教わったようです。<br />私など、遺跡を訪ねても、繁栄時を想像しながら、遺跡のある風景が絵になるかどうかという目で眺めるくらいしかできないのですが、ニーナのおかげで、遺物や遺構から、いかに巧みな土木建築技術が使われているかなど、見るべきポイントをいろいろ教えてもらえました。<br /><br />城壁内の一角にある小さな教会は、この要塞の歴史を映すかのように、数奇な運命を辿りました。<br />はじめはもちろん、ジェノヴァ人のためのカトリック教会だったのですが、その後、アルメニア・キリスト教会になったり、タタール人の手に渡ったためイスラム教のモスクとして使われたりしりなどの変遷を経た後、ロシア支配時代に正教会となりました。<br />そのことにニーナは非常に感銘していましたが、これほど違う宗教に転用された教会って、ハンガリーではよく見かけましたっけ。<br />あの国は、いまの国土の3分の1がかつてオスマン帝国の領土となったことがありますから。<br />ただ、そばの小さな博物館に収められた教会の石碑や壁や柱などの破片に、原始キリスト教やイスラムのシンボルだけでなく、ユダヤ教のダヴィデの星があったのは、非常に興味深かったです。<br />気付いたのはもちろん、ニーナの説明のおかげです。私一人なら、ふうんふうんとよく分からずスルーしたろうと思います。<br /><br />ヤルタに戻って、夕方また一人で海岸プロムナードを散歩していたら、レーニン広場で人々がダンスをしていました。<br />毎週土曜日の夕方、レーニン広場は野外ダンスホールとなるようです。<br />子供たちが踊る様子は微笑ましかったです。<br />ただ、子供たちが女の子同士で踊るのは分かるのですが、大人でも、男女のペアよりも女性同士のペアが多かったです。<br />そのことを翌日ニーナに話すと、戦時中、街に男性が不足していたから、女性同士で踊る習慣ができたのだと教えてくれました。<br /><br />※2009年ウクライナ旅行の旅程一覧はこちら。<br />簡易版「2009年ウクライナ旅行プロローグ(旅程一覧)地図付」<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10359084/<br />詳細版「2009年ウクライナ旅行の詳細旅程」(もう1つのブログ「まみ’s Travel Diary」より)<br />http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2009/07/2009-2271.html<br />

2009年ウクライナ旅行第7日目(4)クリミア半島:中世のお城のようなスダックのジェノヴァ要塞跡と夕方のヤルタ

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2009/07/11 - 2009/07/11

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まみ

まみさん

2009/07/11土 クリミア半島3日目(現地英語ガイド&車付)
・マリー・マイアーク村(Malyi Maiak)の聖ニコラス教会
・ガリツィン邸のワイン博物館
・ノーヴィ・スヴェット(Novy Svet)植物保護地区&絶景海岸
・スダック(Sudak)のジェノヴァ要塞跡
【ヤルタ泊:ホテル・ブリストル(Bristol)】

午前中に到着した時に滝のような豪雨に見舞われたスダックは、ノーヴィ・スヴェットを観光して戻ってきたときには、まるで雨なんか知らないよ、という顔をして私たちを迎えてくれました。
膝丈まであった泥水の河はすっかり乾いて、ちょっとでこぼこなアスファルトの道路に戻っていました。
あんなに急に道路が水浸しになったのは、雨を想定していなくて、水はけが悪いのでしょうね。
それなのに、その水はどこへ行ったやら、道路には濡れた跡1つ残っていなくて驚きました。
日本よりずっと空気が乾燥しているから、洗濯物だけでなく道路だってよく乾くのかな。

旅行前のプラン中、スダックの見どころをLonely Planetで読んでいたとき、まさかと思って、Genoese FortressのGenoeseの単語の意味を、もう一度辞書で調べてしまいました。
やっぱり「ジェノヴァの要塞」としか訳せません。
クリミア半島になんでイタリアのジェノヴァが関係するの?───と、先入観からピンとこなくて、なにかの冗談かのように思っていた頭の固い私。
実際に要塞に見たら、その事実が私の中にストンと入ってきました。

要塞は、各国が分立していたルネサンス期のイタリアの、ヴェネツィアとしのぎを削っていたジェノヴァのもので、合っていました。
複雑なクリミア半島の歴史ですが、そこに、全域ではないにしろ、ジェノヴァの勢力下の時代まであったなんて。
イタリアの歴史とウクライナの歴史が交差していた事実が、私にとってなんだかショッキングでした。
しかも、当時のジェノヴァはライバルのヴェネツィアともども、東欧で奴隷貿易の奴隷を調達していたようですから。
さすがに後の産業革命後の白人による黒人の奴隷狩りほど大量で残酷ではなく、奴隷といっても市民権のない、金で支配された格下の使用人というかんじだったようですけどネ。

まだまだ国境を中心に歴史を捉えたがる自分に気付かされたスダックです。

そのスダックのジェノヴァ要塞は、まさにイタリアの中世の城でした。
城壁内の市民エリアはすっかり野っ原になってしまっていましたが、駐屯兵のおえらいさんが住む城はきれいに残っていました。
そろそろ枯れ葉で黄色く染まったその野っ原にも、何もないと思いきや、昔の町のメインストリートのところだけ草の色が違っていて、自然が人に代わって往時を偲ばせてくれました。

現地ガイドのニーナは、イタリア本国にすら、もうここまで完璧(?)に残っている要塞はない、と断言していました。
ジェノヴァの要塞跡は翌日のバラクラバ湾でも見かけましたが、あれと比べながら激戦地となったクリミアの歴史を考えてみたら、ここまで完璧に残っているのは確かに奇跡的かもしれないと思いました。

ニーナは考古学にとても興味があるようでした。
かつてドイツ人の考古学専門家チームをこの要塞に案内したときに、逆に彼らから、この要塞の考古学的価値をたくさん教わったようです。
私など、遺跡を訪ねても、繁栄時を想像しながら、遺跡のある風景が絵になるかどうかという目で眺めるくらいしかできないのですが、ニーナのおかげで、遺物や遺構から、いかに巧みな土木建築技術が使われているかなど、見るべきポイントをいろいろ教えてもらえました。

城壁内の一角にある小さな教会は、この要塞の歴史を映すかのように、数奇な運命を辿りました。
はじめはもちろん、ジェノヴァ人のためのカトリック教会だったのですが、その後、アルメニア・キリスト教会になったり、タタール人の手に渡ったためイスラム教のモスクとして使われたりしりなどの変遷を経た後、ロシア支配時代に正教会となりました。
そのことにニーナは非常に感銘していましたが、これほど違う宗教に転用された教会って、ハンガリーではよく見かけましたっけ。
あの国は、いまの国土の3分の1がかつてオスマン帝国の領土となったことがありますから。
ただ、そばの小さな博物館に収められた教会の石碑や壁や柱などの破片に、原始キリスト教やイスラムのシンボルだけでなく、ユダヤ教のダヴィデの星があったのは、非常に興味深かったです。
気付いたのはもちろん、ニーナの説明のおかげです。私一人なら、ふうんふうんとよく分からずスルーしたろうと思います。

ヤルタに戻って、夕方また一人で海岸プロムナードを散歩していたら、レーニン広場で人々がダンスをしていました。
毎週土曜日の夕方、レーニン広場は野外ダンスホールとなるようです。
子供たちが踊る様子は微笑ましかったです。
ただ、子供たちが女の子同士で踊るのは分かるのですが、大人でも、男女のペアよりも女性同士のペアが多かったです。
そのことを翌日ニーナに話すと、戦時中、街に男性が不足していたから、女性同士で踊る習慣ができたのだと教えてくれました。

※2009年ウクライナ旅行の旅程一覧はこちら。
簡易版「2009年ウクライナ旅行プロローグ(旅程一覧)地図付」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10359084/
詳細版「2009年ウクライナ旅行の詳細旅程」(もう1つのブログ「まみ’s Travel Diary」より)
http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2009/07/2009-2271.html

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  • 中世のお城のイメージのそのものの要塞の門<br /><br />門前の屋台のみやげ屋も、ちょっと離れて見ると、中世にもこうやってここに市場があったのでは、と想像をふくらませられます。<br />あるいは、門の中に市民の住宅や店があったようなので、門前になんか店を構えることはなかったかな。<br /><br />ちなみにこのすぐ前にチェブレキという揚げパイのようなウクライナの軽食スタンドがありました。<br />ニーナお薦めの店です。<br />そこで焼きたてのチェブレキを買って、この要塞の門のすぐ裏側の広場で食べました。<br /><br />そのチェブレキのお店でチェブレニキを作っているところの写真はこちらです。<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16662429/<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16662430/<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16662431/<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16662432/<br />関連の旅行記<br />「2009年ウクライナ・ハイライトその4:ウクライナの食べ物レポート」<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10361986/<br />

    中世のお城のイメージのそのものの要塞の門

    門前の屋台のみやげ屋も、ちょっと離れて見ると、中世にもこうやってここに市場があったのでは、と想像をふくらませられます。
    あるいは、門の中に市民の住宅や店があったようなので、門前になんか店を構えることはなかったかな。

    ちなみにこのすぐ前にチェブレキという揚げパイのようなウクライナの軽食スタンドがありました。
    ニーナお薦めの店です。
    そこで焼きたてのチェブレキを買って、この要塞の門のすぐ裏側の広場で食べました。

    そのチェブレキのお店でチェブレニキを作っているところの写真はこちらです。
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16662429/
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16662430/
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16662431/
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16662432/
    関連の旅行記
    「2009年ウクライナ・ハイライトその4:ウクライナの食べ物レポート」
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10361986/

  • 想像を手助けするイス?

    想像を手助けするイス?

  • 城壁が3階建てだったことがかろうじて分かる

    城壁が3階建てだったことがかろうじて分かる

  • かなり立派な要塞だったことがうかがえる<br /><br />Lonly Planetによると、高さは6メートル、厚さは2メートルの城壁が2km、要塞内の面積は30ヘクタールです。<br />14〜15世紀は現在残るような要塞が形成されていたそうです。<br />

    かなり立派な要塞だったことがうかがえる

    Lonly Planetによると、高さは6メートル、厚さは2メートルの城壁が2km、要塞内の面積は30ヘクタールです。
    14〜15世紀は現在残るような要塞が形成されていたそうです。

  • 見張り塔跡と水の貯蔵庫

    見張り塔跡と水の貯蔵庫

  • 要塞の中に岩山あり<br /><br />この一面の草っぱらは、往時にはきっと家屋がぎっしり並んでいたろうと思います。<br />兵どもが夢の跡……。<br /><br />※ちなみに、この写真にも写っていますが、なぜか2コブラクダがいました。<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16628498/<br />関連の旅行記<br />「2009年ウクライナ・ハイライトその1:ちょっとだけ動物たち」<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10360936/<br /><br />

    要塞の中に岩山あり

    この一面の草っぱらは、往時にはきっと家屋がぎっしり並んでいたろうと思います。
    兵どもが夢の跡……。

    ※ちなみに、この写真にも写っていますが、なぜか2コブラクダがいました。
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16628498/
    関連の旅行記
    「2009年ウクライナ・ハイライトその1:ちょっとだけ動物たち」
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10360936/

  • 要塞からスダックの町の方を眺める

    要塞からスダックの町の方を眺める

  • かなりの形を留める城跡

    かなりの形を留める城跡

  • 岩山に近付く<br /><br />ここにも城壁跡が少しだけ残っています。<br /><br />

    岩山に近付く

    ここにも城壁跡が少しだけ残っています。

  • 城跡めざす<br /><br />門から城跡に真っ直ぐ向かうこの道は、なかなか急な坂道でした。<br />現地ガイドのニーナいわく、だから雨が降っていたり地面がぬれていたりすると危険だそうです。<br />幸い今は、午前中の豪雨はどこにいったやら、地面はすっかり乾いています。<br />

    城跡めざす

    門から城跡に真っ直ぐ向かうこの道は、なかなか急な坂道でした。
    現地ガイドのニーナいわく、だから雨が降っていたり地面がぬれていたりすると危険だそうです。
    幸い今は、午前中の豪雨はどこにいったやら、地面はすっかり乾いています。

  • 気持ちのよい見晴らし<br /><br />草の色が違うところがかつての家屋の区画を示しているそうです。<br />ちなみにニーナいわく、ふつう観光客を案内するときは、この急な坂道は帰りに下り、上りはもっと城壁寄りのなだらかな坂道を行くのだそうです。<br />でも私にはこの景色を見せたかったから、いつもと逆のコースを取ったとのこと。<br />

    気持ちのよい見晴らし

    草の色が違うところがかつての家屋の区画を示しているそうです。
    ちなみにニーナいわく、ふつう観光客を案内するときは、この急な坂道は帰りに下り、上りはもっと城壁寄りのなだらかな坂道を行くのだそうです。
    でも私にはこの景色を見せたかったから、いつもと逆のコースを取ったとのこと。

  • 城壁と見張り塔とその向こうまで見渡せる<br /><br />つくづく良いところに要塞を建てたと思います。<br />外敵が近付けば、すぐに分かります。<br />でも、昔はもっと家が少なくて景色はずっと良かったとニーナは残念がっていました。<br />

    城壁と見張り塔とその向こうまで見渡せる

    つくづく良いところに要塞を建てたと思います。
    外敵が近付けば、すぐに分かります。
    でも、昔はもっと家が少なくて景色はずっと良かったとニーナは残念がっていました。

  • ところどころ草の色が違うところがさっきよりよく見える<br /><br />区画跡……といわれると、この写真ではちょっと分かりにくいですが。<br />

    ところどころ草の色が違うところがさっきよりよく見える

    区画跡……といわれると、この写真ではちょっと分かりにくいですが。

  • となりの岩山に見守られて

    となりの岩山に見守られて

  • 総督の居城

    総督の居城

  • 居城の窓から眺めた反対側の入り江

    居城の窓から眺めた反対側の入り江

  • 海側は急なほとんど崖のような勾配

    海側は急なほとんど崖のような勾配

  • 難攻不落な城壁<br /><br />自然の岩山にも一部城壁の役割を担わせています。<br />

    難攻不落な城壁

    自然の岩山にも一部城壁の役割を担わせています。

  • 城の中庭

    城の中庭

  • 塔の中から黒海を望む

    塔の中から黒海を望む

  • 居城の上のフロアから入り江を見下ろす<br /><br />ビーチですね、ビーチ!<br />でもこのあたりは、泳ぐ人よりボート遊びする人の方が多いようです。<br />

    居城の上のフロアから入り江を見下ろす

    ビーチですね、ビーチ!
    でもこのあたりは、泳ぐ人よりボート遊びする人の方が多いようです。

  • 仮装ができるらしい@<br /><br />ヨーロッパ中世の時代劇の映画の登場人物になった気分に浸れますね。<br />ちなみにLonely Planetによると、ここでは毎年夏に中世フェスティバルが行われるそうです。<br />中世の騎士の衣装に身を固めた俳優たちによる剣の試合が行われるそうです。<br />でもニーナは特にその話題を持ち出さなかったですねぇ。ミーハーだからかな。<br />

    仮装ができるらしい@

    ヨーロッパ中世の時代劇の映画の登場人物になった気分に浸れますね。
    ちなみにLonely Planetによると、ここでは毎年夏に中世フェスティバルが行われるそうです。
    中世の騎士の衣装に身を固めた俳優たちによる剣の試合が行われるそうです。
    でもニーナは特にその話題を持ち出さなかったですねぇ。ミーハーだからかな。

  • 居城の上のフロアから城壁を眺める

    居城の上のフロアから城壁を眺める

  • カトリックだったりアルメニア教会だったりモスクだったり正教会だったりした教会<br /><br />白いドーム屋根のおかげで、見た目はモスクっぽいです。<br />中はこの教会がらみの出土品を展示した小さな博物館になっていました。

    カトリックだったりアルメニア教会だったりモスクだったり正教会だったりした教会

    白いドーム屋根のおかげで、見た目はモスクっぽいです。
    中はこの教会がらみの出土品を展示した小さな博物館になっていました。

  • 要塞の中で一番確保が大事な、水と食糧の貯蔵庫<br /><br />スダックのジェノヴァ要塞の写真はここまでです。<br />

    要塞の中で一番確保が大事な、水と食糧の貯蔵庫

    スダックのジェノヴァ要塞の写真はここまでです。

  • 午後7時半すぎ、ヤルタのレーニン広場にて<br /><br />スダック見学後、行きと同じ道でヤルタに帰り、6時半頃にホテルの部屋に戻りました。<br />ホテルで一休みした後、7時50分頃に夕食をとりに出かけました。<br />レーニン広場は、土曜の夕方はこのように野外ダンスホールとなるようです。<br />私が通りかかったときは、始まったばかりのようでした。<br />楽しそうな雰囲気に惹かれて、踊る人々の姿をしばらく眺めていました。飛び込みで踊る勇気はないけれど。<br />でも見ていたのは私だけでなく、いつのまにかぐるっと人垣ができました。<br />

    午後7時半すぎ、ヤルタのレーニン広場にて

    スダック見学後、行きと同じ道でヤルタに帰り、6時半頃にホテルの部屋に戻りました。
    ホテルで一休みした後、7時50分頃に夕食をとりに出かけました。
    レーニン広場は、土曜の夕方はこのように野外ダンスホールとなるようです。
    私が通りかかったときは、始まったばかりのようでした。
    楽しそうな雰囲気に惹かれて、踊る人々の姿をしばらく眺めていました。飛び込みで踊る勇気はないけれど。
    でも見ていたのは私だけでなく、いつのまにかぐるっと人垣ができました。

  • レーニン広場で踊る人々<br /><br />女の子たちが踊りたそうにしていたので、母親がいってらっしゃいと促していました。<br />大人の女性同士で踊る人たちが意外に多いのに少し驚きました。<br />翌朝、ニーナにその話をしたら、戦時中には街に男性が不足していたから、女性同士で踊る習慣ができたのだと教えてくれました。<br />

    レーニン広場で踊る人々

    女の子たちが踊りたそうにしていたので、母親がいってらっしゃいと促していました。
    大人の女性同士で踊る人たちが意外に多いのに少し驚きました。
    翌朝、ニーナにその話をしたら、戦時中には街に男性が不足していたから、女性同士で踊る習慣ができたのだと教えてくれました。

  • プロムナードの美しいネムノキに惹かれる<br /><br />※実は、翌日のよく晴れた明るい午前中にニーナとちょっとだけヤルタ観光したとき、同じところで写真を撮り直しました。<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16649869/<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16649870/<br />関連の旅行記<br />「2009年ウクライナ・ハイライトその2:ウクライナでも植物に注目(前編)」<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10361799/<br />

    プロムナードの美しいネムノキに惹かれる

    ※実は、翌日のよく晴れた明るい午前中にニーナとちょっとだけヤルタ観光したとき、同じところで写真を撮り直しました。
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16649869/
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16649870/
    関連の旅行記
    「2009年ウクライナ・ハイライトその2:ウクライナでも植物に注目(前編)」
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10361799/

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