2009/07/12 - 2009/07/12
13位(同エリア46件中)
まみさん
2009/07/12日 クリミア半島4日目(現地英語ガイド&車付)
・改装が終わったばかりのヤルタのホテル・マリーノ内を見せてもらう
・ヤルタの聖アレクサンダー・ネフスキー寺院にてミサを見学(聖パウロ聖ペテロの日)
・マサンドラ宮殿
・ヤルタのチェーホフの家(外観と庭のみ)
・フォロス村(Foros)のイエス復活教会
・デスバレーのクリミア戦争記念碑
・バラクラバ湾
・セバストポリのナヒモフ広場と港
・ヘルソネス遺跡とウラジーミル教会
・シンフェロポリ駅の市場めぐり
【一等寝台泊:クリミア半島のシンフェロポリからオデッサまで】
いつも現地ガイドのニーナとドライバーのビクターとは朝9時頃にホテルのロビーで待ち合わせですが、今朝はニーナも一緒に私の滞在ホテルで食事をとりました。
ホテル・ブリストルの朝食は併設のレストランでバイキングです。
宿泊客でなくてもお金を払えば、朝食を食べられるそうです。
ニーナは、昨日、ノーヴィ・スヴェットで買ったクリミア・シャンパンを持参し、朝っぱらから2人で乾杯しました。
シャンパンは、ワインみたいにしっかりとしていました。
───というのは、半分、ニーナの受け売り。そんなにお酒を飲まない私は、ニーナに言われてみて、確かにそうかも、と思ったので。
シャンパンはセミドライで、炭酸が口の中でシュワーッと広がりました。
ニーナは、フランスのシャンパンは軽すぎて飲んだ気がしない、しっかりとしたクリミアのシャンパンが好き、と言っていました。
後でニーナから聞いた話ですが、このとき私たちの隣のテーブルのドイツ人が勘違いして、ホテルのスタッフに向かって、なぜ私たちだけにシャンパン・サービスがあるのか、と文句を言っていたそうです。
まぁ、ふつう、ホテルの朝食の席にシャンパンを持ち込む人はいないでしょう。
ニーナはホテルのスタッフと友人ですし、ガイドという彼女の立場から融通がきいたのでしょう。
それに加えて、腹が据わった彼女の根性のおかげかな。
ほんとはいけないんですけど、ニーナは昼食用と言って、クロワッサンだの果物だのちゃっかりとカバンに忍ばせました。
でも、そのクロワッサンや果物のほとんどは、私のためのものでした。
本日の予定は今まで以上にぎゅうぎゅう詰めなので、ランチタイムをとるヒマがないせいです。
朝食後、ドライバーのビクターと合流する前に、ニーナと2人で、徒歩で少しだけヤルタ観光しました。
私が、ヤルタでは海岸沿いのプロムナード散策したっきりで、観光らしい観光はほとんどしていなかったからです。
特に聖アレクサンダー・ネフスキー寺院には興味があったから、このまま見に行くチャンスがないのは残念に思っていたところでした。
海岸沿いにあるホテル・マリーナは、私はよく知らないのですが、著名人が泊まったか、歴史あるのか、ヤルタでは名高いホテルのようです。
最近まで改装のために閉鎖されていたようです。
通りから、美しいロビーが一部見えました。
私が興味を示したので、ニーナは管理人のおじさんに見学してもいいか、聞いてくれました。
こういうときにガイドは心強いです。
一人旅だとしたら、そんなに外交的な性格をしていない私にできるのは、いかにも見たそうに挙動不審ぎりぎりの好奇心を見せて、管理人さんから「見たい?」と言ってもらうのを期待するくらいですから(でもウクライナではないですが、過去に成功体験あり@)。
でもそのときに、コミュニケーションが成り立たなかったら、どうしようもありません。
ジェスチャーと笑顔でなんとかなるときもありますが、言葉の障害は大きいです。
管理人のおじさんが好意的だったのは、ニーナの人柄もあったと思いますが、言葉でコミュニケーションができたことが大きいでしょう。
観光客の多いヤルタでも、日本人はまだあんまりいないので、たいていの現地の人は好奇心たっぷりです。
私が見学して写真を撮っている間、ニーナはおじさんと、私とどこを観光したか、今日はどんなクレイジーな日程か、という話で盛り上がっていたようです。
聖アレクサンダー・ネフスキー寺院では、本日、特別なミサが行われていました。
本日7月12日の日曜日は、聖パウロと聖ペテロの日だったのです。
そのため、ただでさえ広くない正教会の中は、特別なミサに参列しにきた信者でサウナ状態でした。
まさに、真夏で冷房のない満員電車のような状態!
暑いし汗臭いし、子供の頃の私なら貧血を起こしたでしょうね。
教会をゆっくり見学したければ、特別なミサというのはかえって邪魔になるのを忘れていました。
でもガイドからすると、特別なチャンスだからこそ、案内したいと思うようです。
ガイド本人も、案内するついでに参列できますしね@
でも、ミサはいつもよりも豪華らしいですし、ふだんよりもたくさんいる信者の様子を眺めるのも、興味深かったです。
おばあさんが孫にロウソクを持たせ、司祭さまに祝福してもらうように促しているところなど、微笑ましかったです。
また、男女のアカペラによる祈りの歌はすばらしくて、しびれるほど美しかったです。
正教会のミサで祈りのアカペラをこれまでに何度か聞いたことはありますが、男声だけというのが多く、たまに女声だけのときもありましたが、男女ともに歌っているのを聞いたのは初めてかもしれません。
その後、ビクターと合流して2日目に見学しそびれたマサンドラ宮殿を訪れました。
そしてヤルタを去ってしまう前に、郊外にあるチェーホフの家博物館に寄りました。
ただし、もともと日程にないところだったので、建物を外から眺め、彼の自慢の小さな植物園のような中庭を回っただけです。
あらかじめ立てておいた日程に含まれていないので私は現地代理店経由で入場料を納めていません。
なのでニーナは、建物の中は見ないんだから、とチケット売り場の人に交渉し、特別にただで見せてもらえるようにしました。
時間があったら、その長さでは世界でも有数のケーブルカーでアイ・ペトリ山頂に行く予定でした。
でもその時間は、マサンドラ宮殿見学に当てることになりました。
立案当初、ヤルタ観光でケーブルカーは特に興味なかったし、Lonley Planetを読む限りではかなりスリリングな経験になりそうでしたので、そのときは日程に入れなくても惜しいとは思いませんでした。
でも現地に着いて、車窓からちららっと目にしたり、ニーナに自慢されたりしたもんだから、行けなかったのが急に残念になってしまいました。
そんな風に急に惜しくなったところがあちこちにあったので、本日のプランはせめて2日かけてもよかったくらいでした。
立案中というのはどうしても欲張りになって、盛りだくさんになりますが、旅行中はそれとは別の意味で欲張りになってしまうものですね。
※2009年ウクライナ旅行の旅程一覧はこちら。
簡易版「2009年ウクライナ旅行プロローグ(旅程一覧)地図付」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10359084/
詳細版「2009年ウクライナ旅行の詳細旅程」(もう1つのブログ「まみ’s Travel Diary」より)
http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2009/07/2009-2271.html
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本日のルートマップ
ヤルタのホテルをチェックアウトして少しだけヤルタ観光&2日目に行きそびれたマサンドラ宮殿を見学したてからヤルタを後にしました。
そして予定どおりフォロスの教会、バラクラバ湾、セバストポリ&ヘルソネス遺跡観光をし終えた後、鉄道駅のあるシンフェロポリに向かいました。
シンフェロポリで、オデッサ行きの寝台車に乗りました。
ヤルタからフォロスまでは、今度は左手に海、右手に岩壁がそびえる山の風景を楽しむことができました。
このときの道路は、途中までは20世紀の新しい真っ直ぐな道路でしたが、途中から19世紀、ロシアから派遣されたクリミア総督ボロンツォフが作らせた古い道路となりました。
古い道路は風光明媚なだけでなく、起伏やカーブが多く変化に富んでいて、乗っている私はとても面白かったです。
バラクラバからセバストポリは、クリミア戦争や第一次大戦で戦場となり、デスバレーと呼ばれている平原を突っ切りました。
セバストポリからシンフェロポリは、現代の広くてほとんど真っ直ぐな道路を行きました。
それほど高くないクリミア半島を遠景に眺めながら。
ただ、丘陵地帯を突っ切っていた道路なので、広々と視界が開けているから目立たないだけでかなり起伏があり、私にとってはなかなか刺激的でした。 -
ヤルタの中心レーニン広場
ニーナいわく、クリミアだけレーニン像を温存しているそうです。
ウクライナ人はスターリンは嫌いですが、レーニンは別に悪くないというので。
※ちなみに、このとき他にもこんな写真を撮っています。クリミア半島ですっかり気に入ってしまったネムノキです。
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16649869/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16649870/
関連の旅行記
「2009年ウクライナ・ハイライトその2:ウクライナでも植物に注目(前編)」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10361799/ -
改装が終わったばかりのホテル・マリーナのポーチ天井
明るいアールヌーヴォー風の内装です。 -
ホテル・マリーナの玄関ホールに続く通路の天井
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フロントから見える階段
なかなかお洒落@ -
3階へ続く踊り場の天井
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3階へ続く踊り場から見上げた様子
左右に客室が続きます。 -
2階と3階の踊り場から
思ったより暗かったので、ピント甘いです、あしからず。
あの女性像に注目。 -
オフィーリアを連想させた女性像
ニーナはジゼルを連想していたみたい。
ホテル・マリーナの写真はここでおわりですが、外側の写真を撮り損ねたのは片手落ちでした。 -
チェーホフが滞在した華やかなりしロシア帝国時代を偲ばせる素敵な建物があるヤルタ
これもどこかアールヌーヴォー風?
聖アレクサンダー・ネフスキー教会に向かう途中にて。 -
聖アレクサンダー・ネフスキー教会の金ぴか玉ネギ屋根
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パステルカラーな聖アレクサンダー・ネフスキー教会
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聖アレクサンダー・ネフスキー教会のカトリック教会っぽい(?)ファサード
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聖アレクサンダー・ネフスキーを描いたモザイク
聖アレクサンダー・ネフスキーの「ネフスキー」はニックネームみたいなものです。
彼はキエフ・ルーシ時代のノヴゴロド公国の大公で、スウェーデンの侵攻を阻止した1240年のネヴァ川の戦いで大勝したため、後の時代に「ネヴァ河の」英雄という意味でアレクサンダー・ネフスキーと呼ばれるようになったそうです。
熱心な正教会の信者だったため、死後、聖人に列せられました。
ちなみに、カトリックの聖人は殉職者が多いのに対して、正教会の聖人は結果として信仰を広めることを促した君主が多いようですネ。カトリック教会の方が迫害の時代が長かったからおのずとそうなるのでしょうけど。
正教会には君主聖人が多いというか、教会などに聖人のイコンがあるときに、豪華な服装で王冠をかぶった聖人が目立つ気がします。
あんまり最近の聖人や知られていない聖人が教会などにイコンとして飾られることは少ないでしょうからね。
でも君主聖人たちは、熱心な信者だったというのも、純粋な信仰心からとは限らず、政治的な意図があった場合もありますし、君主という立場だから自分の信仰を他人に押し付けることが可能だったわけでしょう。
土着の宗教を信じていた民衆にとっては迷惑至極だったろうなぁと、吸収されたり撲滅された豊かだった土着の宗教を思うと、つい皮肉がこみあげてきてしまいます……。 -
横からならなんとか全貌が撮れた聖アレクサンダー・ネフスキー教会
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古くて細くて曲がりくねった道が多いヤルタ
ビクターと合流し、車でマサンドラ宮殿に向かって見学後、途上にあるのでチェーホフの家に寄ることになりました。
マサンドラ宮殿で撮った写真は、こちらの旅行記にまとめました。
「2009年ウクライナ旅行第8日目(2)クリミア半島:2日目に豪雨で行きそびれたマサンドラ宮殿へ」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10401562/
本日、クリミア最終日なので、車窓からのなんでもない街角写真もじゃんじゃん撮ることにしました。
なんでないといっても、後から眺めればそういうところを撮った写真の方がなつかしくなるし、他にはない貴重な写真となりますから。 -
ヤルタ市内を走るトロリーバス
年季の入った車体です(笑)。
東欧……例えばポーランドやルーマニアやブルガリアでは、地方都市の公共交通機関はだいたいこんなものでしたネ。 -
チェーホフの家へ向かう途中のヤルタの街角
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塀の外から見たチェーホフの家
こちら側からだと2階建てに見えますが。 -
前庭から見たチェーホフの家
こちら側からだと3階建てに見えます。
よね?(ちょっと葉っぱが邪魔だったかしら) -
チェーホフの部屋とベッドルームのある部屋の窓
「チェーホフの家博物館
1899年、結核をわずらったチェーホフは、医師にすすめられてヤルタに家を建て、移り住んだ。以後彼は、家族とともに晩年の5年間をここで過ごし、ゴーリキーやトルストイら文化人との交遊を楽しみながら、『3人姉妹』、『桜の園』など多くの作品を書き上げた。
チェーホフの家博物館はふたつの建物からなる。階段を下りたところにあるのは展示館で、ここには彼の写真や原稿、机や私品などが収められている。時折コンサートも催される。
もううひとつが“白いダーチャ”と呼ばれたチェーホフの家。彼自身が造ったという、桜や竹などエキゾチックな植物が植えられた広い庭園の奥にある。本当に白い、3階建ての瀟洒な家で、書斎や居間、寝室、食堂、科族の部屋などが、彼らが過ごしたときのまま、大切に保存されている。
案内をしてくれる女性は、見学客がロシア語ができないとわかると英語のテキストを持って来てくれるはず。このテキストを読みながら見学してみよう。ラフマニノフやシャリャーピンが弾いたピアノ、チェーホフがサハリン旅行に使ったコートなど、興味深いチェーホフゆかりの品々に出合えるだろう。」
(「地球の歩き方ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、コーサカスの国々」('08〜’09年版)より)
チェーホフの家はいまではヤルタ市内にありますが、チェーホフが滞在していた当時は、このあたりは近隣の小さな村にすぎませんでした。
なぜ当時のヤルタ市内に家を構えなかったかというと、チェーホフは当局に目をつけられていたので、危険人物としてヤルタ市内に住むことは許されなかったせいとのことです。 -
玄関前のマグノリア
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庭にあった酒樽
チェーホフは酒を飲まないので、雨水を貯めるために使われたのだろうといわれているそうです。
左には、山から流れる湧き水を流す溝もあります。 -
彼が愛した竹をユリと
日本人の私にとって竹はちっとも珍しくないのですが、現地ガイドのニーナにとっては、そしてきっとチェーホフも、異国情緒をとても刺激された植物でしょう。
チェーホフは日本には行ったことがないはずなので、この竹をどういう経路で手にいれたか不明で、ニーナはとても興味深いミステリーだと言っていました。
「2009年ウクライナ旅行第8日目(2)クリミア半島:2日目に豪雨で行きそびれたマサンドラ宮殿へ」につづく。
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10401562/
ヤルタを出た後の写真は、「2009年ウクライナ旅行第8日目(3)クリミア半島:ヤルタを出てフォロス村のロマンチックな教会へ」から。
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10401563/
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