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初秋の愛媛、最後は秋山兄弟と松山城です。

初秋の伊予へ(5) 「坂の上の雲」と松山城 ~2006年9月~

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2006/09/15 - 2006/09/18

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korotama

korotamaさん

初秋の愛媛、最後は秋山兄弟と松山城です。

交通手段
レンタカー JALグループ

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  • 伊予鉄道の路面電車、復元「坊っちゃん列車」が町を走りますー(^.^)

    伊予鉄道の路面電車、復元「坊っちゃん列車」が町を走りますー(^.^)

    坊っちゃん列車 (伊予鉄道) 乗り物

  • 松山は、明治時代に日露戦争で活躍した秋山好古、秋山真之兄弟の生まれた町。

    松山は、明治時代に日露戦争で活躍した秋山好古、秋山真之兄弟の生まれた町。

  • その生誕地に、生家や井戸などが再現され、資料館として公開されています。

    その生誕地に、生家や井戸などが再現され、資料館として公開されています。

  • 司馬遼太郎著「坂の上の雲」を読んだのは、もう何年前になるだろうかー。<br />あまりの超大作に、途中、息切れを起こしそうになりましたが(^_^;)、非常に読み応えのある、インパクトの強い小説でした。<br />機会を見つけて再読したい小説の一つです。

    司馬遼太郎著「坂の上の雲」を読んだのは、もう何年前になるだろうかー。
    あまりの超大作に、途中、息切れを起こしそうになりましたが(^_^;)、非常に読み応えのある、インパクトの強い小説でした。
    機会を見つけて再読したい小説の一つです。

  • 兄:秋山好古<br />1859年2月8日―1930年11月4日(満71歳没)<br /><br /><br />日露戦争では、満州で騎兵第1旅団長としてロシア軍コサック騎兵隊を破り、陸軍大将にまでなった、「日本騎兵の父」と呼ばれた人。<br />退役後は地元松山の中学校校長を務める。

    兄:秋山好古
    1859年2月8日―1930年11月4日(満71歳没)


    日露戦争では、満州で騎兵第1旅団長としてロシア軍コサック騎兵隊を破り、陸軍大将にまでなった、「日本騎兵の父」と呼ばれた人。
    退役後は地元松山の中学校校長を務める。

  • 弟:秋山真之<br />1868年4月12日―1918年2月4日(満49歳没)<br /><br /><br />日露戦争では、東郷平八郎の下、戦艦「三笠」に乗艦し、ロシアのバルチック艦隊の迎撃作戦を立案し、日本海海戦の勝利に貢献。<br />(横須賀に保管展示されている「三笠」の艦橋に、その立ち位置が東郷平八郎とともに記されています。)

    弟:秋山真之
    1868年4月12日―1918年2月4日(満49歳没)


    日露戦争では、東郷平八郎の下、戦艦「三笠」に乗艦し、ロシアのバルチック艦隊の迎撃作戦を立案し、日本海海戦の勝利に貢献。
    (横須賀に保管展示されている「三笠」の艦橋に、その立ち位置が東郷平八郎とともに記されています。)

  • そして、松山城へ。<br /><br />登城するのにロープウェーに乗るなんて、初めてでです(^_^;)<br />歩いても行けますが、時間が遅かったので片道だけ乗ってみました。

    そして、松山城へ。

    登城するのにロープウェーに乗るなんて、初めてでです(^_^;)
    歩いても行けますが、時間が遅かったので片道だけ乗ってみました。

    松山城 名所・史跡

  • 毎度のことながら、午後は時間に追われます。<br />ロープウェイに乗ったのは、天守入場終了時間数分前。<br />今回、天守に入るのは諦めて(と言いますか、無理!)、外回りを歩くだけにしました。<br /><br /><br />松山城は市の中心部にある勝山(標高132m)に建てられています。<br />ロープウェイを降りてからも、テクテク歩きます。

    毎度のことながら、午後は時間に追われます。
    ロープウェイに乗ったのは、天守入場終了時間数分前。
    今回、天守に入るのは諦めて(と言いますか、無理!)、外回りを歩くだけにしました。


    松山城は市の中心部にある勝山(標高132m)に建てられています。
    ロープウェイを降りてからも、テクテク歩きます。

    松山城 名所・史跡

  • 戸無門

    戸無門

  • 筒井門

    筒井門

  • 左から、南隅櫓、小天守、一ノ門南櫓。

    左から、南隅櫓、小天守、一ノ門南櫓。

  • 小天守と紫竹門、左奥に南隅櫓。

    小天守と紫竹門、左奥に南隅櫓。

  • 小天守の右後ろに、わずかに改修工事中の大天守が見えます。<br /><br />松山城は、1602年に賤ヶ岳の合戦の七本槍の1人、加藤嘉明が築城着手した平山城です。<br />大天守は黒船来航直前の1852年に、時の藩主 松平氏により再建された時の連立式層塔型三重三階地下一階の天守で、「現存12天守」の一つです。<br />現存12天守の中では唯一、丸に三つ葉葵の瓦紋が付けられているそうです。

    小天守の右後ろに、わずかに改修工事中の大天守が見えます。

    松山城は、1602年に賤ヶ岳の合戦の七本槍の1人、加藤嘉明が築城着手した平山城です。
    大天守は黒船来航直前の1852年に、時の藩主 松平氏により再建された時の連立式層塔型三重三階地下一階の天守で、「現存12天守」の一つです。
    現存12天守の中では唯一、丸に三つ葉葵の瓦紋が付けられているそうです。

    松山城 名所・史跡

  • 左から、北隅櫓、十間廊下、南隅櫓。<br /><br /><br />後ろにある大天守は改修工事中ーーー。<br />見られなくて残念。<br />再訪せねば!

    左から、北隅櫓、十間廊下、南隅櫓。


    後ろにある大天守は改修工事中ーーー。
    見られなくて残念。
    再訪せねば!

  • 帰りは歩いて下ります。<br /><br />時折、振り返って城を見上げます。<br />見事な石垣ですね。

    帰りは歩いて下ります。

    時折、振り返って城を見上げます。
    見事な石垣ですね。

  • なんだか盛りだくさんだった晩秋の愛媛。<br />でも、大洲城も松山城も天守の中には入れなかったし、松山で食した海の幸はそれはそれは美味しかったし。<br /><br />またいつか行かなくっちゃね。<br /><br />松山空港 10:50発 JL1464便で羽田へと戻ります。

    なんだか盛りだくさんだった晩秋の愛媛。
    でも、大洲城も松山城も天守の中には入れなかったし、松山で食した海の幸はそれはそれは美味しかったし。

    またいつか行かなくっちゃね。

    松山空港 10:50発 JL1464便で羽田へと戻ります。

  • 使用機材は、ボーイング777-200(JA010D)でした。

    使用機材は、ボーイング777-200(JA010D)でした。

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