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内子を後にし、松山へと戻る途中、大洲(おおず)に寄りました。

初秋の伊予へ(3) 大洲城 ~2006年9月~

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2006/09/15 - 2006/09/18

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korotama

korotamaさん

内子を後にし、松山へと戻る途中、大洲(おおず)に寄りました。

交通手段
レンタカー JALグループ
  • 大洲は「伊予の小京都」とか呼ばれているそうで、風情ある町並みが残っています。

    大洲は「伊予の小京都」とか呼ばれているそうで、風情ある町並みが残っています。

  • 派手さのない、落ち着いた町並み。<br />いいですねぇ。

    派手さのない、落ち着いた町並み。
    いいですねぇ。

  • 商家と武家屋敷の境で、腰板張りの武家屋敷やなまこ壁の土蔵がある地区。

    商家と武家屋敷の境で、腰板張りの武家屋敷やなまこ壁の土蔵がある地区。

  • 1901年(明治34)に大洲商業銀行として建てられた「おおず赤煉瓦館」。<br />中はなんだったかなぁ。

    1901年(明治34)に大洲商業銀行として建てられた「おおず赤煉瓦館」。
    中はなんだったかなぁ。

  • 肘川、そして大洲城。

    肘川、そして大洲城。

  • 肘川で休憩中の屋形船

    肘川で休憩中の屋形船

  • 大洲城を見上げます。

    大洲城を見上げます。

  • 大洲城の始まりは、1300年代の鎌倉時代末期、伊予国守護 宇都宮豊房が築いた平山城、地蔵ヶ岳城(じぞうがだけじょう)。<br /><br /><br />江戸初期に藤堂高虎などによって規模拡大、整備が行われたとか。

    大洲城の始まりは、1300年代の鎌倉時代末期、伊予国守護 宇都宮豊房が築いた平山城、地蔵ヶ岳城(じぞうがだけじょう)。


    江戸初期に藤堂高虎などによって規模拡大、整備が行われたとか。

  • その頃、四層四階の天守が造られました。<br /><br /><br />明治に入っても本丸の天守・櫓は保存されていましたが、1888年(明治21)には老朽化により取り壊されたとか。

    その頃、四層四階の天守が造られました。


    明治に入っても本丸の天守・櫓は保存されていましたが、1888年(明治21)には老朽化により取り壊されたとか。

  • 現在見ることのできる天守は、明治期の写真や江戸期の木組み模型などを元に2004年(平成16)に復元されたものです。<br /><br /><br />時間が遅かったために中には入れませんでしたが、嬉しいことに、木造復元です(^・^)

    現在見ることのできる天守は、明治期の写真や江戸期の木組み模型などを元に2004年(平成16)に復元されたものです。


    時間が遅かったために中には入れませんでしたが、嬉しいことに、木造復元です(^・^)

  • 本丸から肘川を眺めます。<br />霧がもやもやと立ち昇っています。

    本丸から肘川を眺めます。
    霧がもやもやと立ち昇っています。

  • 天守を含め、城址一帯は城山公園として整備されています。<br />その一角、内堀菖蒲園。

    天守を含め、城址一帯は城山公園として整備されています。
    その一角、内堀菖蒲園。

  • うん、美しい!<br />機会があれば、ぜひ中を見学したいものです。

    うん、美しい!
    機会があれば、ぜひ中を見学したいものです。

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