2009/03/13 - 2009/03/16
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Alohamahaloさん
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アルカトラズにあるライトハウスは、西海岸で最初に建てられた灯台です。
ゴールドラッシュ時代に、多くの船が湾に入るためのナビゲーションを必要としたからです。
最初のライトハウスは、1854年から点灯が始められましたが、1906年の地震で破損し、1909年に再建されました。
アルカトラズは、1976年にナショナル・レジスター番号NRHP76000209 で、ナショナル・ヒストリック・ランドマークにも登録されています。
タイトルの《For those who come to San Francisco》は、
「San Francisco (Be Sure to Wear Flowers in Your Hair)」からいただきました。
1967年に、ママス・アンド・パパスのジョン・フィリップスが、ヒッピーたちが集まるモントレー・ポップ・フェスティバルのテーマ曲として作った作品で、歌っているのは彼の幼友達の(母親同士が友人だったらしい)スコット・マッケンジー。
日本では「花のサンフランシスコ」というタイトルだったそうですね。
♪If you're going to San Francisco もしもサンフランシスコに行くのなら
Be sure to wear some flowers in your hair 髪に花を挿して行きましょう
If you're going to San Francisco もしもサンフランシスコに行くのなら
You're gonna meet some gentle people there♪ 優しい人々に会えるでしょう
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ゴールデン・ゲート・ブリッジからの帰り、今度はちゃんと「降りますワイヤー」を引っ張れました。ホッ!
画像は、バスから降りて信号待ちをしているところです。
パレス・オブ・ファイン・アーツは、絶対に来たかったところ。
1977年にサンフランシスコのランドマーク(No.88)に指定されています。
The Palace of Fine Arts
3601 Lyon St. San Francisco, CA 94123 -
そもそもは、パナマ運河開通(1914年)記念の、パナマ・パシフィック・インターナショナル・エキスポ(1915年)が開催された場所です。
で、このギリシャとローマの遺跡などからの、インスピレーションによってデザインされた建物(エキスポのギリシャ・パビリオンだったらしい)が、人気があって、保存することにしたわけですね。それがパレス・オブ・ファイン・アーツです。
ちなみに、パナマ運河は、開通当時は運河収入はパナマに帰属するのですが、運河地帯の施政権と運河の管理権はアメリカに帰属していました。
そして、1999年12月31日正午付けでパナマに完全返還され、現在はパナマ運河庁(ACP)が管理しています。 -
このロタンダとラグーンは、結婚式と披露宴の間に、花嫁がドレスのままで (もっとも、お色直しなんて聞いたことはありませんが) 記念撮影をやりたい人気ナンバーワンのスポットとも聞きました。
確かに絵になる景色です。 -
撮影時はちょうど、耐震補強のための工事が入っていたので、ブルーのクレーンのような重機が写ってしまいました。
この円柱は、アカンサスの葉の模様が上部にある派手な造りなので、コリント式と思われます。
円柱が支えている四角な物体と後姿の女性は、アール・ヌーヴォーのようにも見えます。
妙齢の美女が、中を覗き込んでいるかのように見えるのですが、全員が後姿なので、美醜のほどは確認できません。
でも、きっと美女にちがいありません。
それぞれの角に2人づつと見受けられますので、8人の美女が非常に熱心に、四角なテラコッタの中央部を見ているわけです。
いったい中には何があるのでしょう???と思ってしまうのです。
何となく、『人柱』のような言葉を想像すると、すっごくコワイものがあります。(ホラーは苦手) -
パレス・オブ・ファイン・アーツには、シアターとエクスプロラトリアム(Exploratorium)という体験型子供科学博物館のような施設があります。
なんでも、サンフランシスコの学校からの遠足の定番中の定番なのだそうです。 -
パレス・オブ・ファイン・アーツの近隣の方々のお住まいです。
どのお宅も比較的新しそうで、小じゃれています。暖炉が切ってあるお宅が多いですね。
現代建築なのですが、ルネサンスのテイストを取り入れた家が目に付きます。
右下で、鴨(だと思うけど)が撮影に参加してくれました。 -
シーフードを食べにフィッシャーマンズ・ワーフへ。例の蟹の看板のところの屋台の奥は、レストランになっていて、どのお店にしようかと、おやつの時以上に迷ってしまいます。
『神様の、言うとおり』ってわけにもいかないしねェ。
で、決めたのがサベラ&ラトーレ。
どのお店も混みあっていましたが、最後のテーブルに滑り込みセーフ。
Sabella and LaTorre, 2809 Taylor St. San Francisco, 94133
http://www.themenupage.com/sabellalatorre.html -
まずは、ボストン・クラム・チャウダーをカップで。
この先、クラム・チャウダーは何度もいいただくことになるのですが、ここのはとてもオーソドックスなお味です。
子供からお年寄りまで、誰しもが「クラム・チャウダーってばこんなだよね」と言うこと間違いなしってタイプです。
毎日食べるならこれって感じです。 -
アペその1は、マスルズ・ボーダレイズ
(Mussels Bordelaise)
ムール貝のボルドー風というやつです。
ガーリックとバターを加えてワイン蒸しにしてあります。
右側の白いサーヴィング・ボウルに入ったバターソースに浸していただきますが、レモンを絞っただけでも美味しい。 -
アペっぽい感じで、シェルフィッシュのコンビネーション。
蟹の爪肉にシュリンプ、オイスターとクラムはフレッシュです。 -
クラックト・クラブ。
ホールなので、とても食べでがあります。
やっぱりレモン。
これって、ダンジネス・クラブかなぁ。 -
お食事終了。
土曜日の夜なので、人通りが多いのです。
まだまだみんな『神様の、言うとおり』で迷っているようです。 -
フィシャーマンズ・ワーフの蟹の看板のところのテイラー・ストリート沿いには、シーフード・レストランが10軒ほど並んでいます。
-
テイラーとベイ・ストリートがクロスしているところにある、ケーブルカーのターンアラウンド。
右の銀色の棒(柵みたいなの)をぐいぐい押して方向転換します。 -
ユニオン・スクエアまでのお帰りは、ケーブルカー。
本日3回目の乗車なので、明日1回何かに乗ればミュニ・パスのモトは取れます。 -
パウェル−メイソン線で、ユニオン・スクエアまで。
お散歩で一周流してみました。
画像は、ウェスティン・セント・フランシス・ホテル。 -
ハイアットと同じブロックある、サー・フランシス・ドレイク・ホテル。
画像には写っていませんが、ここのベルボーイさん達は16世紀ちっくな真っ赤なコスチューム。
膝丈のブルマーにタイツ、低めのエリザベス・カラー(襟)は、気の毒なことにビブ(よだれかけ)のように見えます。
それでも、『白鳥の湖』的なブルマーじゃなくて幸いでしたね。 -
ユニオン・スクエアで見かけたのが、バーバリー・コースト・トレイルのマーカー。
バーバリー・コースト・トレイルというのは、ボストンのフリーダム・トレイルのサンフランシスコ版のようなもので、舗道に埋め込まれたブロンズのメダルを辿ると、約20箇所の重要な史跡(といっても、所詮は西海岸ですが)がクリアできる3.8マイルのウォーキング・ツアーです。
ユニオン・スクエア、チャイナタウン、テレグラフ・ヒル、コイト・タワー、フィシャーマンズ・ワーフ、ギラデリ・スクエア、そして帰りはノブヒルを回ってくるというもの。
Barbary Coast Trail
URL: http://www.barbarycoasttrail.org/ -
これは前日にピア39から撮ったアルカトラズの全景です。
脱出不可能な断崖の小島、『ザ・ロック』のニックネームもある、元連邦刑務所『アルカトラズ』は大人気。毎年100万人以上の人々が訪れるのだそうです。
カモメを始めとした海鳥の生息地としても知られています。アルカトラズとはスペイン語で「ペリカン」を意味する言葉です。
船着場はこの画像だと裏側にあり、看守の子供達は毎日ボートでサンフランシスコの学校に通ったのだそうです。 -
アルカトラズ島へのクルーズ、朝10時発の列に並びます。
昨日のうちにチケットは買ってあるから絶対に乗れるはず!
お一人様26ドル。
これはセルハウス・オーディオ・ツアー付きだったかしら。
Alcatraz Cruises
URL: http://www.alcatrazcruises.com/ -
昨日よりもさらにお天気が。。。
傘をさしている人も少なからずいます。
ごめんなさ〜い。
わたし、気合が入ると雨女になるの。
ま、嵐までは呼ばないけど。 -
待っているときに、この手のアトラクションには付きものの、アルカトラズの写真をバックにした記念写真を撮られました。
「ハーイそこで止まって、にっこり笑って」パシャリというアレです。
「お帰りまでには出来てますぅ」と言われて、乗船です。 -
船がピア33を離れました。
テレグラフ・ヒルのコイト・タワーや、上の方が霞んでいるトランスアメリカ・ピラミッドが見えます。 -
こんな天気にも関わらず、やっぱりアッパーデッキに出たいのが人情というもの。
ぎっしりではありませんが、人情家がたくさんいます。
バックの橋はベイ・ブリッジ。 -
10時20分に、アルカトラズ島に上陸しました。
ボートに乗っている時間は15分程度です。
レンジャーさんが、みんなを集めて説明会(のようなもの)を行い、それが終わると入り口に向かいます。
左側の建物は、軍隊が管理していたときの兵舎で、連邦刑務所になってからは、看守や家族のためのアパートメントとして使用されていました。 -
こんな食器で食事をしていたのです。
1960年代のもので、ナイフのにUSP(US Penitentiary = 合衆国刑務所の略)と彫ってあります。
USPとUPSでは大違いです。
その上の木製の四角な物体は、クリベッジというカードゲームの得点表示板で、表面の穴にペグを差し込んで得点を進めます。
何せ勝ち点が121点でゲームセットなので、手指足指ではまるっきり追いつかないのです。
得点表示板は、収監者によって作られたのだそうで、ペグは本体の中の空洞部分に納まるようになっています。
右下のカードは、1954年のクリスマスのプログラムと食事のメニュで、クリスマスソングのレコードが流されたり、ミサの時間や映画上映が書かれています。
映画は午後1時半からで、その年の6月にリリースされた、チャールトン・ヘストンの《インカの秘宝》
食事は、スタッフド・セロリ、完熟オリーブ、ロースト・ターキー、オイスター・ドレッシングにジブレット・グレーヴィ。
スノーフレーク・ポテトにバターで炒めた豆、クランベリーソース、パーカーハウス・ロール、パンとオレオ。
デザートはパンプキン・パイとフルーツケーキとコーヒー、というラインナップ。
1954年に、こんな食事をしていた日本人は多くはなかったのだろうと、お・も・う。 -
ここで、セルハウス・オーディオ・ツアーの、プレイヤー(嬉しい日本語あり!)とヘッドセットを受け取って、刑務所めぐりが始まります。
-
プレイヤーをセットして、左の赤いボードの矢印の場所からツアーがスタートします。
見て回るのは1階部分のみですが、2階や3階にも独房があります。 -
ティピカルな独房の広さは、5×9フィート。
つまり間口が約1.5メートルで、奥行きが2.7メートルです。
1階よりも上の階の方が暖かくて人気があったようです。ま、選べるものかどうかはわかりませんけど。
恐らく模範囚で、刑務所暮らしが長くなると、お部屋のインテリアにも趣味が反映されてくるようです。
きっと看守ともいい関係を築いていたのでしょうね。
あるいは賄賂か。
絵を描くことが趣味だった人の房でしょうか。
規則書によると、本の持ち込みは12冊まで。
わたしにはツライ。 -
通常の独房は、前側が格子になっているのですが、この画像の独房は「ホール 穴」と呼ばれるタイプで、規則を破った収監者が入れられました。
いわゆる「罰」とか「行儀」というやつですね。
グリーンのドアは、二重構造になっていて、それが閉じられると、中は完全な暗闇になってしまいます。
中には2年近くもここから出られなかったヤカラもいます。
食事もここで摂り、週に1回15分のシャワータイムと、週に1時間のリクレーション・ヤードに出る以外は、ずっと暗闇の中で孤独と闘うのでした。
ほぼ監禁状態。 -
いくら脱獄不可能と言われていても、脱獄は刑務所にはつきもの。
軍による収容所時代には皆無だった脱獄の試み(ほとんどは未遂)も、1934年に連邦刑務所になって増えます。
見学者が見ているのは、タイムズ・スクエアのガン・ギャラリーと呼ばれる二階の通路の鉄柵にぶら下げられた1個の鍵です。
鍵は1階からは手が届かず、二階からだと、収監者に銃を向けることができるというわけです。
1946年5月、ランチタイムの、看守の警備が手薄な時間気付いた収監者の一人が、ガン・ギャラリーによじ登って、看守を殴って独房に閉じ込め反乱を起こして逃亡を企てるのですが、外のリクレーション・ヤードに通じる鍵の場所がわからず、立てこもってしまいます。
事件に気付いた刑務所長が海軍に応援要請し、脱獄は未遂におわったのです。
中段の画像は、ぶら下げられていた鍵。
下段は、海軍が投げ込んだ手榴弾で、穴の開いた天井。 -
建物の手前の部分が、自由に繋がるリクレーション・ヤードです。
収監者は、決まった時間にここでボール・ゲームをしたり風に吹かれてぶらぶらしたりできました。
ルールブックの中には、ここでだけならテニス・シューズを履いていいとか、3週間に1度の散髪タイムに「良い子」にしていたら、終わった後でヤードに出ることも出来る、などというようなのもあります。
とまぁ、このように、リクレーション・ヤードで時間を過ごすことは収監者にとっては特権でした。 -
写真の6人が、1946年の軍隊まで巻き込んだこの騒動を起こした収監者たち。
罪状は強盗(銀行含む)や誘拐が多いです。
説明文によると、左上のバーナード・コイがすべてのプランを立て、コーディネイトしたのだそうですが、本人はバトルの終結後に、死体で発見されました。 -
脱獄が成功だったのか、失敗だったのか、今もって行方不明の3人、フランク・モリス、ジョン・エングリン、クラレンス・エングリン(兄弟)の脱獄劇は、クリント・イーストウッドがモリス役で、『アルカトラズからの脱出』として映画化されているそうです。
画像左の洗面台の下の、塞がれている部分(通風孔)を2年間に渡ってスプーンで削り取り、盗んだ掃除機と10セント硬貨でドリルを作り、はたまた床屋で調達した髪の毛を使ってダミー人形の頭部を作ったりと、涙ぐましい努力です。
ダミーは寝ているように見せかけるためです。
そのような首尾が完了した1962年6月11日、独房の通風孔から、裏手にあるベンチレーション・シャフトが通っている通路(画像右)に出て、ここを登り、屋根の煙突の部分から外に出て、用意していた筏を漕いだのです。 -
壁には有名な収監者の写真が掛けられていました。
上段左から、シカゴマフィアの大親分で、映画《アンタッチャブル》でおなじみの
アルフォンス・"スカーフェイス"・カポーン(アル・カポネ)
ニックネームの由来は、顔の傷跡
罪状は所得税の脱税、
アルカトラズにいたのは1934 - 1938
ジョージ・"マシンガン"・ケリー
罪状は誘拐、アルカトラズにいたのは1934 - 1951
アーサー・"ドック"・バーカー
1939年に脱獄を試みています。
罪状は誘拐の共謀、
アルカトラズにいたのは1935 - 1939
下の段に移って、アルヴィン・カーピス
罪状は誘拐の共謀、
アルカトラズにいたのは1936 - 1962
ロバート・"ザ・バードマン"・ストラウド
ニックネームの由来は、鳥類に詳しかったため
罪状は殺人、アルカトラズにいたのは1942 - 1959
エルスワース・"バンピー"・ジョンソン
ニックネームの由来は、頭の後ろに大きなバンプ(こぶ)があったため
罪状は麻薬関連容疑、
アルカトラズにいたのは1959 - 1963
マイヤー・"ミッキー"・コーエン
若かりし頃は、シカゴでアル・カポネの用心棒をしていました。
罪状は所得税の脱税、
アルカトラズにいたのは1961 - 1963 -
ここは刑務所のライブラリです。
アルカトラズのRules & Regulationsによると、ライブラリで別の本と交換しても良いけれど、他の受刑者と直接本の交換はやってはいけないと書いてあります。 -
刑務所内の通路には、ブロードウェイ、パーク・アベニュー、ミシガン・アベニューというように、名前が付けられています。
画像は、Aブロックのミシガン・アベニュー。
アルカトラズは、1912年の完成時には、世界で一番大きい鉄筋コンクリートの刑務所でした。
セントラル・ヒーティング、天井にはスカイライトが切ってあって、自然光が入るようになっていますし、電灯も完備していて、当時としては実にモダンな建物でした。 -
タイムズ・スクエアの奥にあるのがダイニング・ホール。
食事をしながら本や雑誌は読んでもよいことになっていました。
ルールブック、斜めに読みましたがけっこう細かいです。
平日のスケジュールだと、ブレックファーストは、7時半からでした。
ディナー(ランチのこと)が12時、サパーが4時です。
あ〜、朝まで、ながながし夜を ひとりかも寝む。 -
ダイニング・ホールの奥がキッチンです。
包丁コワイ。
でも、いつでもちゃんと数を合わせてあったそうです。 -
アドミニストレーション・ビルディングのメイン・エントランス。
ここを入ると、刑務所長のオフィスやコントロール・ルーム、そして収監者を訪問する時の、仕切りの付いたブースがあります。
面会は月にお一人様のみ。
決められているルールを破ると、面会権を剥奪されます。
この建物と、表紙のライトハウスの間は、イーグル・プラザといいます。
それは、このビルのエントランスにイーグルのモティーフが掲げられているからです。
下の画像はイーグルにズームインです。
ちょっと情けない風貌です。 -
刑務所長の家の焼け跡です。
元々は、ミリタリー・コマンダーの家でしたが、アルカトラズが連邦刑務所になったとき、初代の所長がここに住み始めました。
部屋の数が17ですから、豪邸です。
閉鎖されるまで、4人の所長がいました。
1970年に全焼しました。
ネイティブ・アメリカンが島を占拠したときです。 -
刑務所長の家の前からの、サンフランシスコの眺めです。
フィッシャーマンズ・ワーフから約1マイル。
トランスアメリカ・ピラミッドは約2マイル。
左端にはフェリー・ビルディングとベイブリッジも見えます。
旧バンク・オブ・アメリカ・ビルの前方あたりの海の上を、カモメが一羽、飛んでいます。
♪あなたは、一人で、生きられるのね〜♪ -
一方こちらが、刑務所の中から収監者たちが見ていたサンフランシスコの景色。
悪い奴らばかりなので、同情はしませんが、たった2,3キロ先の美しく自由な町に、どれほど憧れたことでしょう。 -
アルカトラズで3時間近くも遊んでしまいました。
この建物は看守やその家族の住まいだったものです。
帰りの船は予約制ではなく、来たやつ(昼間は大体30分おき)に乗って帰ります。
* 次回はサンフランシスコ最終回(の予定)
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