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芭蕉は1689年に奥の細道の旅に出た。松島の瑞巌寺に一泊して石巻に行きます。細道では「道踏みたがえて」石巻に行ったことになっていますが曾良日記によれば予定していたルートで、5月10日に着いているのに、細道では12日とされているなど、脚色が目立ちます。<br /><br />ともあれ、毎年2度おとずれたこの町は、西部にショッピングセンター、東部にも大型スーパーができたために、駅から旧北上川までの昔からの中心市街地はシャッター通り状態になっている。駅右前方の撤退したデパートのあとには市役所が入居した。<br />駅をでてすぐ左前方に案内所があり、パンフレットのほか、海産物など土産品販売もしている。刺身で食べられる冷凍鯨まである。<br /><br />駅前通りをまっすぐ進むと小山があり、頂上には羽黒山鳥屋神社がある。祭神は猿田彦で、旅の神様とされている土着の神(クニツ神)です。赤い顔で身長7尺の神様です。<br />さらに南、市立女子高の東には石巻城址の日和山公園があり、頂上に鹿島御児神社があり、ここからの港のながめは秀逸。<br />この神社は延喜式内で、境内には1748年建立の芭蕉の句碑がある。「雲折々人をやすめる月見かな」<br />駐車場には芭蕉と同月同日にこの地を訪れた山頭火の句碑もある。「会うたりわかれたりさみだるる」<br /><br />芭蕉はこの日和山から江戸に米を運ぶ廻米船でにぎわう港の繁栄をながめ、ここからは見えないはずの金華山を見たつもりで句をものし、古人の歌枕に思いをはせ、町の中心のグランドホテルのあたり、四兵エ宅に泊まっています。細道に「宿からんとすれどさらに宿かす人なし」とあるのはまったくの脚色だそうです。<br />当時は橋がなかったので、芭蕉は対岸には渡らなかったらしいが、今は橋で中州をとおり簡単に対岸に渡れます。中州の島にはドーム屋根の「石ノ森章太郎萬画館」や日本最古のハリストス正教会の木造教会堂があります。<br /><br />対岸の牧山(マキヤマ)は歌枕「尾ぶちの牧」で頂上には延喜式内の零羊崎(ひつじさき)神社があります。ご祭神はトヨタマヒメで、山幸彦の妻で、神武天皇の祖母にあたります。つまりヤマト王朝系のアマツ神です。<br />拝殿は廃寺になった寺の本堂を移築したとかで仏教らしさが垣間見えます。<br />社殿にむかって右奥にはめずらしい石造の相輪塔がたっています。まわりにはミズやシドケなどの食用の野草が生えていました。<br />地元の人は零羊崎(ひつじさき)神社の下にある花の名所は訪れるけれど、山頂の神社までは行かないようです。<br /><br />芭蕉はこの牧山を対岸からながめて、一泊し、翌日登米まで歩きました。最近B級グルメで入賞した“あぶら麩丼”の登米です。<br /><br />なお、案内所で紹介してくれた魚がおいしい「浜長」は人気店なので予約した方が良い。中央2丁目の「ふなや」も美味で気分が良い。いずれも6時半ころまでに入れば旅の客でも大丈夫。<br />すしはどこで食べてもおいしいが駅西の「駒寿司」がよかった。

奥の細道ホッピング:石巻

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2009/07/02 - 2009/07/04

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ANZdrifter

ANZdrifterさん

芭蕉は1689年に奥の細道の旅に出た。松島の瑞巌寺に一泊して石巻に行きます。細道では「道踏みたがえて」石巻に行ったことになっていますが曾良日記によれば予定していたルートで、5月10日に着いているのに、細道では12日とされているなど、脚色が目立ちます。

ともあれ、毎年2度おとずれたこの町は、西部にショッピングセンター、東部にも大型スーパーができたために、駅から旧北上川までの昔からの中心市街地はシャッター通り状態になっている。駅右前方の撤退したデパートのあとには市役所が入居した。
駅をでてすぐ左前方に案内所があり、パンフレットのほか、海産物など土産品販売もしている。刺身で食べられる冷凍鯨まである。

駅前通りをまっすぐ進むと小山があり、頂上には羽黒山鳥屋神社がある。祭神は猿田彦で、旅の神様とされている土着の神(クニツ神)です。赤い顔で身長7尺の神様です。
さらに南、市立女子高の東には石巻城址の日和山公園があり、頂上に鹿島御児神社があり、ここからの港のながめは秀逸。
この神社は延喜式内で、境内には1748年建立の芭蕉の句碑がある。「雲折々人をやすめる月見かな」
駐車場には芭蕉と同月同日にこの地を訪れた山頭火の句碑もある。「会うたりわかれたりさみだるる」

芭蕉はこの日和山から江戸に米を運ぶ廻米船でにぎわう港の繁栄をながめ、ここからは見えないはずの金華山を見たつもりで句をものし、古人の歌枕に思いをはせ、町の中心のグランドホテルのあたり、四兵エ宅に泊まっています。細道に「宿からんとすれどさらに宿かす人なし」とあるのはまったくの脚色だそうです。
当時は橋がなかったので、芭蕉は対岸には渡らなかったらしいが、今は橋で中州をとおり簡単に対岸に渡れます。中州の島にはドーム屋根の「石ノ森章太郎萬画館」や日本最古のハリストス正教会の木造教会堂があります。

対岸の牧山(マキヤマ)は歌枕「尾ぶちの牧」で頂上には延喜式内の零羊崎(ひつじさき)神社があります。ご祭神はトヨタマヒメで、山幸彦の妻で、神武天皇の祖母にあたります。つまりヤマト王朝系のアマツ神です。
拝殿は廃寺になった寺の本堂を移築したとかで仏教らしさが垣間見えます。
社殿にむかって右奥にはめずらしい石造の相輪塔がたっています。まわりにはミズやシドケなどの食用の野草が生えていました。
地元の人は零羊崎(ひつじさき)神社の下にある花の名所は訪れるけれど、山頂の神社までは行かないようです。

芭蕉はこの牧山を対岸からながめて、一泊し、翌日登米まで歩きました。最近B級グルメで入賞した“あぶら麩丼”の登米です。

なお、案内所で紹介してくれた魚がおいしい「浜長」は人気店なので予約した方が良い。中央2丁目の「ふなや」も美味で気分が良い。いずれも6時半ころまでに入れば旅の客でも大丈夫。
すしはどこで食べてもおいしいが駅西の「駒寿司」がよかった。

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  • 零羊崎(ひつじさき)神社のローソク立てはお寺から持ってきた。

    零羊崎(ひつじさき)神社のローソク立てはお寺から持ってきた。

  • この輪をくぐると・・・・・・

    この輪をくぐると・・・・・・

  • 石造の相輪塔です。こんな細長い石造の柱(相輪)をよく切り出したと感心します。

    石造の相輪塔です。こんな細長い石造の柱(相輪)をよく切り出したと感心します。

  • おいしそうな野草が生えていました。

    おいしそうな野草が生えていました。

  • 芭蕉が対岸からながめた歌枕の「尾ぶちの牧」は、この牧山(マキヤマ)で、頂上には延喜式内の零羊崎(ひつじさき)神社がある。<br />以上の写真はすべてこの付近で撮りました。

    芭蕉が対岸からながめた歌枕の「尾ぶちの牧」は、この牧山(マキヤマ)で、頂上には延喜式内の零羊崎(ひつじさき)神社がある。
    以上の写真はすべてこの付近で撮りました。

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