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芭蕉は1689年に奥の細道の旅に出た。松島と象潟を主な対象として出発したが、尾花沢ですすめられて予定になかった山寺をおとずれた後最上川を舟で下ったが、大石田から乗船したのではなく、新庄駅南西8kmあたりで最上川が“己”の字に屈曲している部分で、“己”の右肩にあたる本合海から6月3日に舟に乗っている。古口で舟をのりかえて清川で上陸して羽黒山、月山、湯殿山を巡拝して鶴岡に下りている。<br /><br />2009年秋。奥羽本線は大石田や新庄あたりからは駅の観光案内は芭蕉と奥の細道一色になってくるのですが、今回は陸羽西線(奥の細道最上川ライン)の車中から見た新庄から余目(あまるめ)までを簡単に紹介します。そのため奥州の藤原氏をたよって落ち延びてきた義経・弁慶の一行が、最上川を舟でさかのぼって上陸した本合海などは見ていません。<br /><br />新庄の駅はガラスでピカピカでした。駅前の大通りをまっすぐに1kmほど行くと城跡があり、半分濠に囲まれた城跡には神社があります。戊辰戦争で官軍側につき、佐幕の奥羽列藩と戦って敗れた藩ですが、近くの歴史センターもふくめて時間の都合でパスしました。<br /><br />各駅停車の列車は二つ目の駅を過ぎるとかなり大きな鮭川をわたり、三つ目の津谷駅を過ぎてから最上川をわたり、以後はほぼ最上川左岸に沿って西進する。四つ目の古口駅は芭蕉が舟をのりかえた関所で、これ以後は右岸の山地から合流する川は滝となって最上川に落ちているが、左岸の川は平野を流れてきて静かに合流している。<br />高屋駅の向かいに仙人堂があるはずだが見えなかった。その先には水量の多い滝があったが写真は撮りそこなった。地図で見ると白糸の滝と思われる。<br />井本農一著「奥の細道をたどる」によれば、芭蕉の「五月雨をあつめて早し最上川」 や子規の「朝霧や四十八滝くだり舟」はこのあたりで詠まれたらしい。<br />高屋駅の次が清川駅で「清川八郎生誕地」というのぼりが立っていた。清川八郎は幕末を駆け抜けた風雲児で、藤沢周平の小説「回天の門」にくわしいが、33歳で倒幕の志なかばで凶刃に倒れた。<br /><br />芭蕉は清川で上陸してから羽黒山、月山、湯殿山を巡拝して鶴岡に下りている。<br />一方、陸羽西線は余目にむかって庄内平野を北西にすすむ。風力発電のタワーがたくさん並んでいる。<br />余目は田んぼの中の町で、駅ではここには何もないといっていた。駅前の道を少し行ったところで右側に八幡神社があった。とりたててどうと言うこともないが、こじんまりしたきれいな神社だった。<br />駅の売店で“松山町でつくっている” “東北では珍らしいでしょう?”と自慢していた麩を買って、羽越本線で象潟に向かった。

奥の細道ホッピング:奥の細道最上川ライン

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2009/09/09 - 2009/09/09

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ANZdrifter

ANZdrifterさん

芭蕉は1689年に奥の細道の旅に出た。松島と象潟を主な対象として出発したが、尾花沢ですすめられて予定になかった山寺をおとずれた後最上川を舟で下ったが、大石田から乗船したのではなく、新庄駅南西8kmあたりで最上川が“己”の字に屈曲している部分で、“己”の右肩にあたる本合海から6月3日に舟に乗っている。古口で舟をのりかえて清川で上陸して羽黒山、月山、湯殿山を巡拝して鶴岡に下りている。

2009年秋。奥羽本線は大石田や新庄あたりからは駅の観光案内は芭蕉と奥の細道一色になってくるのですが、今回は陸羽西線(奥の細道最上川ライン)の車中から見た新庄から余目(あまるめ)までを簡単に紹介します。そのため奥州の藤原氏をたよって落ち延びてきた義経・弁慶の一行が、最上川を舟でさかのぼって上陸した本合海などは見ていません。

新庄の駅はガラスでピカピカでした。駅前の大通りをまっすぐに1kmほど行くと城跡があり、半分濠に囲まれた城跡には神社があります。戊辰戦争で官軍側につき、佐幕の奥羽列藩と戦って敗れた藩ですが、近くの歴史センターもふくめて時間の都合でパスしました。

各駅停車の列車は二つ目の駅を過ぎるとかなり大きな鮭川をわたり、三つ目の津谷駅を過ぎてから最上川をわたり、以後はほぼ最上川左岸に沿って西進する。四つ目の古口駅は芭蕉が舟をのりかえた関所で、これ以後は右岸の山地から合流する川は滝となって最上川に落ちているが、左岸の川は平野を流れてきて静かに合流している。
高屋駅の向かいに仙人堂があるはずだが見えなかった。その先には水量の多い滝があったが写真は撮りそこなった。地図で見ると白糸の滝と思われる。
井本農一著「奥の細道をたどる」によれば、芭蕉の「五月雨をあつめて早し最上川」 や子規の「朝霧や四十八滝くだり舟」はこのあたりで詠まれたらしい。
高屋駅の次が清川駅で「清川八郎生誕地」というのぼりが立っていた。清川八郎は幕末を駆け抜けた風雲児で、藤沢周平の小説「回天の門」にくわしいが、33歳で倒幕の志なかばで凶刃に倒れた。

芭蕉は清川で上陸してから羽黒山、月山、湯殿山を巡拝して鶴岡に下りている。
一方、陸羽西線は余目にむかって庄内平野を北西にすすむ。風力発電のタワーがたくさん並んでいる。
余目は田んぼの中の町で、駅ではここには何もないといっていた。駅前の道を少し行ったところで右側に八幡神社があった。とりたててどうと言うこともないが、こじんまりしたきれいな神社だった。
駅の売店で“松山町でつくっている” “東北では珍らしいでしょう?”と自慢していた麩を買って、羽越本線で象潟に向かった。

  • 新庄駅はとてもモダンでした

    新庄駅はとてもモダンでした

  • 芭蕉が 舟を乗り換えた古口です。向こうの山すそが最上川。

    芭蕉が 舟を乗り換えた古口です。向こうの山すそが最上川。

  • 最上川は ゆったりと流れています。

    最上川は ゆったりと流れています。

  • 清川の駅です。芭蕉はここから羽黒山を目指しました。<br />幕末の風雲児、清川八郎は ここを出て倒幕に奔走して 33歳の生涯を駆け抜けました。

    清川の駅です。芭蕉はここから羽黒山を目指しました。
    幕末の風雲児、清川八郎は ここを出て倒幕に奔走して 33歳の生涯を駆け抜けました。

  • 余目の駅前通り。

    余目の駅前通り。

  • 余目の八幡神社

    余目の八幡神社

  • 庄内平野には風力発電が多い。

    庄内平野には風力発電が多い。

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この旅行記へのコメント (3)

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  • だいちゃんさん 2009/10/12 03:20:30
    芭蕉の句
    五月雨を集めてはやし最上川・・・ですね♪

    ANZdrifter

    ANZdrifterさん からの返信 2009/10/12 12:23:22
    RE: 芭蕉の句のこと
    > 五月雨を集めてはやし最上川・・・ですね♪

    芭蕉は古口で船を乗り換えて 清川までくだりました。

    古口のすぐ下流側にある白糸の滝あたりで ”五月雨をあつめてはやし最上川”と詠んだらしいです。

    明治時代に 正岡子規が同じコースを船で下りましたが 古口で一泊しています。
    そして”朝霧や張った四十八滝舟下り”と詠んだのも 古口から再び船にのって滝をみての句なので 同じ場所だそうです。

    ご訪問ありがとうございました。
    また ときどき覗いてみてください。

    そして どうぞ良い旅を!

    ANZdrifter

    だいちゃん

    だいちゃんさん からの返信 2009/10/13 03:34:31
    RE: RE: 芭蕉の句のこと
     いきなりのコメント・・・すみませんでした m(_ _)m

     こちらこそ、ご訪問ありがとうございます。

     
     ANZdrifterさんの「旅」の解説には脱帽です。

     私なんぞ、「旅」とは言えない「旅行記(釣行記)」がほとんどでして、たまに我が妻”お千代さん?”の北九州近県の「日帰り旅行」を代行?掲載するくらいです。

     しかし、「みちのくの旅」・・・してみたいですねぇ♪

     ANZdrifterさんこそ、これからも良い旅をお続け下さい。


     by 海外・沖縄はもちろん、関東以北に行ったことのない だいちゃん より
     

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