2009/09/22 - 2009/09/22
276位(同エリア391件中)
ぬいぬいさん
みなさんは「文化財登録制度」というのをご存知ですか?
古い街並みや建物が都市化により急速に失われつつあることから、これらの建造物を後世に幅広く継承していくために創設された制度で、登録の基準は、「原則として建50年を経過しているもの」、「歴史的景観に寄与しているもの」「造形の規範となっているもの」「再現するのが容易でないもの」のいずれかに該当することが条件となっています。
登録後の規制や保護は、「重要文化財」などと比べると緩やかなもで、所有者は文化財を自由に活用することができ、外観を大きく変えなければ、内部を改装することも可能です。
桐生本町には40件近くの登録有形文化財建造物があり、それ以外にも明治、大正の昭和の初期にかけての桐生の町の繁栄の名残を見せる、古い商家やのこぎり屋根の工場が数多く残されています。
そんな風情ある街並みを、煉瓦造の倉庫のある有鄰館に車を停めて
そこで入手した「桐生本町一・二丁目まち歩きマップ」を片手にまち歩きしてみました。
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
PR
-
シルバーウィークのお彼岸に入って、実家に墓参りに出かけましたが、それなら前から行ってみたかった桐生に足を伸ばしてみようということで、桐生本町の町歩きに出かけました。
-
高校まで、隣の県の佐野市で育った私にとって、桐生は近くても縁のない町で、訪れたことは一度だけ。
桐生に住む高校の友達のところに遊びに行ったのですが、全く町の印象がなくほとんど記憶にない場所。
だから今回初めて訪れたのと一緒です。 -
主だった近代建築を先に見て、昔ながらの街並みの残る桐生本町1丁目から2丁目を歩いて散策しようと、無料駐車場のある有鄰館へと向かいました。
木製のキリンビールの看板 レトロですね。 -
有鄰館は、1717年(享保2年)に近江商人・矢野久佐衛門が桐生に移り住み、1749年に2代目が現在地に酒・味噌・醤油を醸造する矢野商店を構え、事業を拡大とともに蔵を増設した形状が残されています。
-
近江商人といえば商売上手の代名詞の商人。
近江からはるか彼方の上州の片田舎まで進出していたんですね。 -
明治23年の銅版画によると、最盛期はこんな状態で蔵が並んでいたそうです。
-
こちらの煉瓦の蔵は桐生で最大規模のものだそうです。
-
現在は矢野園のお店以外の蔵は、桐生市に寄贈して江戸時代から昭和にかけての11棟の蔵群が、舞台や展示、演劇コンサート、イベントなど多目的に活用されています。
-
これは、ちょっと離れた場所にあった矢野園の大谷石で作られた米蔵
-
お店の中ではお茶や米などを売っています。お店の人に話しかけると、お店の中をいろいろ説明しながら案内してくれました。
-
吹き抜けの梁をむき出しにした喫茶室
こちらのメインメニューは中国茶 -
でも今日はコーヒーと抹茶モンブランケーキのセット。ケーキもコーヒーもおいしかった。
-
お店の中にはこんな箱階段もあります。
-
お店の横には明治23年に建てられた土蔵の店蔵があり米蔵として使われています。
-
「有鄰」とは、孔子の「徳孤ならず必ず鄰あり」という故事 から引用した言葉だそうです。
-
土蔵の棟瓦を見ると上の文字が入っています。屋号でもなさそうですが・・・
-
このポスターの写真、どこで撮ったのか探しましたが見つからないので、事務所の人に聞いてみると、何ヶ所かでとった写真の合成だそうです。それじゃあるわけないよね。
-
これかなと思ったら外の景色が違うし・・・
-
こちらは明治30年代に建てられた塩蔵。塩が壁からふいている状態がわざと残されています。
-
こちらは、木造の味噌・醤油蔵の内部
-
手前が味噌蔵で、奥が醤油蔵だったようです。
-
一番奥にあるビール蔵は「桐生からくり人形芝居館」を開設しています。
-
この日は、来週台東区で行なわれる忠臣蔵の公演のための舞台の準備をしていました。
-
味噌蔵と酒蔵との間にそびえる御神木とされている樹齢300年を越す楠の大木
-
土蔵の外側の道から眺めてみると
いいですねえ この小道 -
漫画「美味しんぼう」にも登場したり、あの北野武も撮影に来たこともあるとか。
-
黒板塀と漆喰壁の土蔵に沿ったこの路地を、地元の人は昔は近江辻、最近では酒屋小路と呼んでいるそうです。
-
-
こちらの建物は旧書上商店。
明治期の桐生を代表する買継商だった書上文左衛門商店の店舗。最盛期には横浜や上海にも出店していたとか。 -
建物の奥には蔵が続き、その一角で昭和27年から30年にかけて、作家の坂口安吾が生活しその生涯を閉じた終焉の地でもあるそうです。
-
奥のほうに長い年月を感じさせる屋根の乗った建物が建ち並んでいます。
-
路地を奥にはいると大谷石の鋸屋根工場発見。
旧曽我織物新工場で、大正11年に建築されたもの。 -
本町通りには、こんな土蔵が建ち並んでいます。
-
これは、旧書上酒店。
明治の後期に建てられた旧書上酒店を、写真を元に再生したもので、現在はギャラリーとして使われています。 -
こちらは、玉上薬局。
文化3年(1804年)に仁誠堂という薬種商の店舗として建てられたもので、外観が新しいのは最近改修されたため。 -
1階のアルミサッシがちょっといただけなかったので2階だけの写真になりましたが、こちらは平田邸。
大正3年の建築で、漆喰仕上げの白い壁と重厚な扉。
店蔵造りの建物はここでは珍しいいですね。 -
蔦に覆われたこの建物も古そうです。
-
無鄰館の看板がかかったこちらは、旧北側織物工場。
敷地内の建物の大半は大正年間の建築で鋸根の工場や母家や土蔵などが残っているそうですが、非公開のようです。 -
これが主屋のようですが、これから先は遠慮して入りませんでした。
-
こちらは中村家住宅(中村弥市商店)この建物も大正11年に建てられたものですが、82mもある敷地の奥に向って、明治27年から昭和12年にかけて建てられた文庫蔵(新座敷)、奥座敷が直列し、南辺に浴場、石蔵が建ち並んでいるそうです。見えるのは表のお店だけです。
-
こちらは、森合資会社事務所。
-
大正3年金融業の建物として建てられたものです。
銅板葺きの屋根に、外壁には白磁タイルを貼った洋風のちょっとハイカラな感じの事務所です。 -
隣の漆喰塗りの土蔵とのコラボがいい感じです。
-
すぐ隣には機織をしている姿を通りから見ることのできるお店が。
-
紡いでいる糸を見るとずいぶんカラフルですね。
これを織っていくとどんな模様になるのでしょうか。 -
こちら遊民舎というレストランの入った建物。
-
一の湯は、隣接の織物工場で働く従業員のための浴場としてつくられ、その後、銭湯として近隣住民に解放されたもの。
-
銭湯といえば一見お寺を思わせるような階高のある建物を想像しますが、こちらは素朴な風情ある外観です。
-
本町通りの突きあたりにある天満宮。
-
せっかくなのでちょっとお参りを。
まずは手水舎でお清めをしてから。 -
寛政元年(1789年)に建立された本殿・幣殿は表から見たら普通の神社ですが・・・
-
裏に回るとこんな極彩色の精巧で華麗な彫刻が施されています。
-
群馬大学工学部のキャンパス内にある同窓記念会館。
-
1916年(大正5年)桐生高等染織学校の本館および講堂として建設され、 1973年(昭和48年)にその一部がここに移築されました。
-
講堂の中をのぞいてみると、レトロな木製の椅子と机が並んでいました。
-
手前の建物が大正9年に建てられた旧金谷レース工業鋸屋根工場。
桐生市内に260棟残る鋸屋根工場で、唯一の煉瓦造の工場です。
奥にあるのは、旧金谷レース工業事務所。
昭和初期の建築で当時流行のスクラッチタイルを貼っています。 -
煉瓦はイギリス積みを採用しています。正面からでは鋸屋根に見えませんが・・・
-
横から見るとこんな感じで鋸屋根になっています。
もともとは8連だったものが、北側の新工場建設に伴い4連屋根になったそうです。 -
工場部分はコンバージョンされ、ベイカリーレンガというパン屋さんとして使われています。
-
イートインのコーナーもあり、ちょうどお昼だったのでコーヒーセットをいただきました。
焼きたてのパンが3つセレクトできて、サラダにお変わり1杯付きのコーヒーとコーヒーゼリーのデザートが付いて580円。
なかなか美味しいパンでした。 -
お店を出た正面にあった民家。
桐生本町をふらふらと街歩きをしましたが、桐生の町予想以上にステキな町でした。
ちょっと得した気分です。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
61