2009/05/30 - 2009/06/03
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warajiさん
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旅は続く。懐かしの大雪ルートもダートを越えて向かった時代から考えると天地の差だ。
昔はよかった・・・という言葉があるけど、結局わからない。今も昔もそれぞれに味がある。それが私の答え。でも、かつて味わったものが失われていくのは寂しい。
旅の友が、これは人生再出発のめでたい旅だよね!と言ってくれた。私はまったく逆の事を思っていた。
そう、気持ちで負けてはいけない!新しい自分の旅がこれから始まったのだから。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- レンタカー JALグループ
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芽登温泉から糠平へ。よく分からなかったが、裏道が存在するらしい。ここで迷ったら大変なので、今回はまともに走った。たぶん、何となく感じはつかめたが、このあとガイドツアーがあるので何かあったら大変なので止めておいた。それに別に渋滞や時間が無いという訳でもないし。
時間が少しあったので糠平鉄道資料館に寄った。今日は休みだったみたいだが、サミットという事で開館してた。しかも特別に無料。よかったぁ〜♪ -
廃線になる前の糠平駅がここにあったのを再現しているらしい。看板など、新しく作ったものもあるが、すべて当時のまま復元してるらしい。
この線路は実は現役。愛好者たちで鉄道を復元してトロッコで一部区間走らせているのだ。 -
当時の糠平駅の看板。看板は新しいが・・・
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当時の線路を復元。私が初めて旅した時は糠平まで駅があった。その翌年だったと思うが、廃止された。
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これは初めて北海道を旅して初の駅寝をした時の駅だった。実際にまだこの駅があるのかは分からないが、この写真を見て泣けてきた。あの頃を思い出してしまった。川湯温泉に近い美留和駅は現役で存在するものの、簡単なプラットホームとプレハブがあるだけの姿に変わり果てていた。まだ駅があるだけましなのだろうか?美留和駅も当時1人で駅寝した懐かしい所だった。そう言えば能登にあった蛸島駅はどうなったのかなぁ〜?あそこは嫌な想い出が残った駅だったけど。野宿の為に駅で寝る準備してたら追い出されそうになった。何とか寝ることだけは許されたが。
大体このような駅は国鉄(JR)から民間のどこかに管理を委託するケースが多いみたいだった。
何かあったら管理者の責任になるし、変な人が来たら大変だから神経質になるのは当たり前だった。
萩ヶ丘駅はたまたま他のライダーが見つけてくれた駅だった。最初は糠平駅にバイクを止めてここで寝るつもりだった。先客のライダーグループと他に数名駅寝組がいて、結構にぎやかだった。
この当時はそんな旅人も多かったのである。だからとても楽しかった。
世代も似ていたし、若かったから何でもありだった。年配がいれば先輩として付いていけたし色んな旅の話し、エピソードが聞けたし、アドバイスなんかもいろいろしてくれた。
こればっかりは今の私には無理だろう。逆に私が先輩になってしまうし、もうこういう旅はしない。時代も変わってそういう旅人もいなくなってきた。それに仲間意識も低下してそれぞれが勝手に自分の思った旅を遂行するようになって他人に干渉もしない。
そしてビックリするのは意外にも年配に多い。かくいう私も勝手に一人旅というパターンが増えてきた。
もう昔のようにはなれないな。正直なところである。
糠平駅にはチャリダーなどが居残り、私たちはバイクで萩ヶ岡駅まで来た。かなり走ったと思う。
そこで改めて食事。この時管理人が来た。私が宮崎から来たと分かると、おれも宮崎だ!仲良くしようと言われ、とても心強かった。火だけは注意してくれと言われ、あとは消灯の時間や細かい事を教えてくれて去っていった。そして水なら欲しければ言ってくれとありがたいお言葉。
ここに泊まってよかったと本当に思った。あれからもう長い長い月日が流れた。あの親切だった親父さんはどうなったのだろう? -
タウシュベツ川にかかる橋は多い。その中で話題をさらった有名な橋が別名沈下橋と言われたタウシュベツ橋梁。今回はこれが最大の目的地だ。
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館内に写真があったので想い出にきれいな橋の写真を写真に収めた。
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こんな風景がみれたら最高なんだけど・・。
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水が無い時の風景。やはり私はダム湖に映える美しいアーチが見たい。
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時間になって東大雪博物館の事務所に向かった。館内はサミットですごい人だった。内容も結構面白そうで、これに参加しても面白かっただろうがそれでは困る事態も今回はあったのであきらめていた。
糠平YHのPさんも参加している。この辺りの住人の結束は固いようだ。
事務所は雑然としていた。今回案内してくれるガイドはいかにもそれらしい人だった。
ガイド1人に参加者1人も珍しい。おかげでいろいろ話しを聞くことが出来た。
さっそく車に乗り込んでタウシュベツコースへ。ただそこに案内するだけでなく、周辺のいろんな橋の説明や歴史、その他諸々聞けたのでまあよかった。たまにはこんなのもいい。
入り口はすでに看板も取り外され、知ってる人でないと分からない状態になっていた。
入り口からしばらく走ると鍵のかかったゲートがあり、そこからは完全にガイドの世界。
熊が怖いのでツアーにしたと話すと、熊はまあ安全だと思うが距離があるよ。と話してくれた。
ちなみにここは・・・・と話したのが昔の線路跡。整備されたのできれいな遊歩道になっているが、そこが熊の通り道になっているらくてこの前熊を見たと話していた。ありゃ〜。。。。
走っていて思ったのだが、それ程道は悪くない。なんでこれで事故が多発したんだろう?答えはこの写真の道にあった。元々駐車場なんかそんな無い。
そこに来て路上駐車で車ぎっしりになり、通れなくなったのだ。さらに歩道としてある道に車を乗り入れて奥まで入り込み、ゴミは撒き散らすはで地元は大変だったという。どこにでもある話しだ。
私は北海道の事もある程度知っているから納得だが、一部には本当にどうしょうも無い無神経な人がいるのだ。これらの後始末は私を案内しているガイドなどが中心になってやっている。いろんな苦労話しを聞いた。
この道も木が倒れて自然に通せんぼになったのでそのまま残してるという。
この先がダム湖の入り口になっていて、橋が目の前にあった。
広いダートの整備された道がかつての士幌線十勝三股ルートだった。そこからの分岐は歩いていく。 -
原野を歩いて抜けると目の前はダム湖だった。そしてついに橋が!これがタウシュベツの橋か・・・
この線路跡はダムが出来る前のものだ。ダムが出来て線路が移動され、残されたものがこのタウシュベツの橋群なのだ。
こうしてみるととてもひ弱な橋だった事がわかる。よく持ち堪えたものだ。
この橋群が現れたのは実はダム湖が出来てから。それまでここは原生林の中を走っていて、実際どうなってたのか使っていた地元民も知らなかったという。
ダムが出来て線路が移動し、初めてどうなっていたのかが分かった。当時はここを軽トラなんかが走っていたそうである。今では考えられない。 -
対岸を見たらなんとも不思議な山々の景色。背後には見えないけど200名山だったかな?ニペソツ山が素晴らしかった。
ここはナキウサギが生息してるらしい。ルートは難解で、コースタイムも長いので十分な準備が必要だとの事だった。
ガイドの話しで100名山にならなくてよかったと語っていた。
100名山といえば今ではすっかりお馴染みだが、実は深田久弥は自分の100名山を登る事を提唱したんだね。私はこの山を選びました。あなたは?というのが本当だったんだけど・・・いつの間にかこの100名山を登りましょうになっちゃった。 -
今年は水が溜まるペースが早いとの事。これから夏にかけてどんどん水かさは増えてやがて水没するという。そして冬になって氷が張り、雪に埋もれてくると再び水は無くなり、橋を削りながら雪原になって春を迎えると再び雪解け水が集まってきてダム湖に橋が映えるの繰り返しらしい。
おそらく近い未来、この橋は壊れるのは確実だという。壊れるとしたら冬の頃。氷が橋を削る時らしい。すでに一部は破壊されていつ壊れてもおかしくない状態だ。 -
入り江近く。ダム湖の完成によって立ち枯れた樹木があちこちにある。もうすぐここも湖面になるのだろう。
この立ち枯れた株に冬になると氷の張った水面がだんだん下がってきて株に当たり、そこだけ浮いてくる。そこに雪がかかってきのこテーブルが完成して最近冬のツアーが人気なのだそうだ。 -
ガイドの説明と移動でなかなかゆっくり自分のペースで景色を堪能出来ないのが残念だった。橋をいろんな角度から撮りたかったのだが、ちょっとそこら辺は残念だった。反対の岸にも人がいた。釣り人だった。結構釣れるらしい。この人たちは申請して自分たちで遊びに来てる。私も角度的にそっちに行きたかったのだが、ガイドされる身でそこまで融通がきかなかった。
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橋と湖のきれいなアーチは残念ながらダメだった。こればっかりは自然なものなので仕方が無く、あきらめざるを得ない。
アーチに改めて近づくと、かなり痛んでいた。すごいのは元々砂利とコンクリートに鉄筋を入れた簡単な構造だった事。これでよく長い年月耐えたものだ。
橋げたは分からないが、その線路の部分は砂利だけを敷き詰めた感じだった。その重みでコンクリート部分はすでに崩壊が進んでいて、よい所でも両端に膨らんできていていつ壊れても不思議ではない。
また、外側も風雪による侵食でどんどん削られている。
ここで特筆すべきはこの辺りでよく採れるという黒曜石。当時はよく分からずにそこら辺の石を混ぜて橋を作ったので黒曜石もたくさん含まれているとの事だった。
黒曜石は真っ黒なガラスのような光沢を持ち、黒い宝石みたい。かなりいいものらしい。私もたまたま貰ったが、見分けはかなり難しく、何回か通って学ばないと分かりづらい。
最後にもう一度眺めてさよならを告げた。 -
これがタウシュベツの林道。かつての士幌線の跡だ。
アーチ群はダムの建設によって新しい線路が作られ、その役目を終えた。その線路も今となっては過去の遺物。だからこそ残ったのかもしれない。
ダム湖が出来る前はうっそうとした原生林の中を走っていたのでアーチ橋はその存在さえ知らない人が多かった。ダムが出来て周りの木々が消えると、忽然とそのアーチ群が現れたのだ。 -
林道の少し広くなったところが駐車場も兼ねた昨年までのタウシュベツ橋の入り口。当時のことを私は知らないので全くわからないが、さぞやすごい状況だったのだろう。
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自然林と人工林。
写真の白い幹の大きな木は何ですか?
白樺の木。信州や北海道ではシンボル的な木だけど、実は特に北海道では自然のバロメーターである事、知ってますか?
今回高い授業料を払ってガイドに教わった1つに樹木の自然分布がある。ガイドはだてに勉強してない訳ではなかった。お金を取る分しっかり活動もしている。
たまたま樹木関係の質問をしていたら、エゾ松とトドマツの違いを教えてくれた。
エゾ松・・・葉がやわらかく、幹が白っぽい。
トドマツ・・・葉が固い。幹は黒っぽい。
基本的に松は暗い所で育ち、50年位して大きく育っていく。
白樺・・・明るい土地を好み、樹勢は強くて繁殖も盛ん。
意外ではないですか?自然林では松と白樺は混生し、全体的に暗い森のイメージになる。
開発された土地では白樺が目立ち、群生している。明るい雰囲気の森に。
これで判断していくと、北海道はずい分自然破壊された事になる。
最初、白樺の群生を見ていた頃は北海道は自然豊かでおおらかだなぁ〜と思っていたのは実は間違いだった。ある意味自然豊かだが、それは人間の目から見た豊かな自然だろう。確かにスケールも奥深さもある事は事実だが。
白樺の周りに生えてるのがエゾ松やトドマツ。白樺が自然に生えて繁殖すると、次に松がその周りにたくさん生えて育っていく。やがて淘汰されながら松が生長して白樺を圧倒しながら大きくなって混生の森になっていくのだそうである。
だからうっそうとした森は開発の手が入ってない自然の森。白樺が目立つ明るい森は開発された所と覚えておこう。白樺は自生する力が強く、繁殖もすごいので明るい土地にはすぐ自生するのだそうだ。ちょっと私の中では意外だった。
閉鎖される前はこういった森にあちこちにゴミが投げられ、ものすごく苦労したそうである。 -
ちょっと残念な思いを残しながら次の案内場所へ。アーチ橋群はタウシュベツ橋だけではない。色んな所にあり、その中で特に目立ったのがダム湖に映える橋だった。だから他のアーチ橋めぐりも時間があればやってみるとよい。かなりの数である。
次にやってきたのは幌加駅。士幌線の原点はここ。災害で倒れた木々を運ぶのが目的だったそうである。いい木は根こそぎとり尽くし、用が無くなるとあっさり消えた。かつてちょっとだけ繁栄した町の姿は見る影も無く、この駅周辺の跡だけがその歴史を物語る。
ここは悲しみの町だったのだ。糠平までは線路もしばらくは生き残ったが、その先の幌加と十勝三股は役目を終えると真っ先に廃線に追い込まれた。
その他のアーチ橋の説明を見学を交えて聞きながらここに立った時は明るい原生林の姿だけが印象的だったが、内容を聞くたびに複雑な気持ちになった。
実は私はここがまだ現役だった頃、走っている。やみくもに大雪山を目指したので全く記憶にも無くて、ただひたすら深い砂利のダートを突破したくて山を越えた。もっといろいろ勉強して知っていたら違っていたのに残念だった。同じ旅でも味わいの深さは段違いだ。それはそれでとても大切な事だと思うが。
当時はお金も無くて(まあ今も無いが・・)、必死に貯めたお金で時間と戦いながら何とか旅を続けたい一身で北海道にやってきた。野宿したりYHや旅人宿、ライダーハウスなど利用しながら旅した。当時のYHだったらもしかしたら泊まりながら旅をしたらいろんな情報が入ってよかったかも知れないが、YHに泊まるお金も余り無かった。だからこのルートは野宿が多かった。たまたま知り合った旅人と情報交換するくらいでほとんど大地を走りぬけたという感じのコースだったのである。
今、ここは7月ごろになるとルピナスの花が咲き乱れるきれいな場所として観光アピールされている。 -
復元された分岐。手動である。これは今も現役で、自分で動かせる。やってみたが、意外に動くものだった。
これら線路は実は復元のため、大改修をして元に戻したのだという。それまでは土に埋められた状態だった。それを掘り起こして一つ一つ組んでいったらしい。すごい労力と時間だ。ちなみに駅ホームにあった看板は新しく作りなおした。古ぼけてたらもっと味があるのに・・・とガイドはぼやいていた。新しくしないとダメというお達しらしい。 -
テッチャンの中にもその中にいろんな分野があって、線路に限定したマニアもいる。線路マニア。そのマニアが絶賛したのがこの分岐路の作りだそうである。一見何でもないようなのだが、実は進入角度や鉄の削り具合など、とても精巧に出来ているらしい。知らなければ絶対そのまま通り過ぎてしまう中にもこんなドラマがあるんだね。
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幌加には現在6軒の家があるらしい。いずれ消えていくのだろうか?
まだ栄えていた頃、たまたま育てていたルピナスの種が繁殖して大地に根を張った。
人々が去って無人となった大地に野生の動物が食べ物を食べに下りてきた。その時食べられる草木は全部食べられ、ルピナスだけが残ったそうである。この花には毒があるらしく、鹿などは食べないのだそうだ。それで大繁殖し、今ではこの辺り一帯にルピナスが咲き乱れる。
宗教学者の紀野一義先生から教わった新潟の出雲崎の方に良寛様ゆかりの浜辺があるのだが、正確ではないが、確かこんな一文があった。何故ここに固執したのか分からない。という説に、ある日その浜辺を歩いていたら一面に花が咲いていた。まるでお浄土の世界のようだった。そうか、良寛様はこれを見たに違いない。死刑でこの首切りの浜で死んでいった者たちの魂は天に向かい、そして降りてきて花になった。だから離れられないのだと。
私はそれを思い出していた。他にもそんな逸話はいろいろある。花には何か人の魂を浄化する力がある気がする。
ルピナスは人々に何を語っているのだろう。 -
幌加の説明案内。歴史とは、本当に奥深いものだ。
幌加の周辺を周って時間になり、この日はそれで終わった。道中、こんな事を言われた。大雪山系は世界自然遺産にならなかったから救われた。私たちは世界遺産になれば自然は破壊されると知っていた。だから猛反対したと。そして矛先をそらすために知床を候補に持ちかけた。羅臼は潤っているのでどうでもよかったが、ウトロは資源に乏しく、世界遺産になるのを願っていた。最初両町は仲がいいと思っていたが、実は仲が悪い事をこれで露呈する形になった。
合併問題でも、一緒になることに反対。そして世界遺産問題でも賛成反対が真っ二つになった。結局世界遺産になってしまったが、これで知床の本来の自然は消えた。われわれツーリストにとっても住みづらい土地になった。遊びにゆとりがなくなったのだ。
大雪山系の人々は知っていたが、知床はそういう事実が分からなかった。ある意味踊らされてしまったのだが、ガイドはすまない事をしたので大きな声で言えないと語っていた。
それと同じように実はこのタウシュベツアーチ群は国鉄の恥じだった。だから最初は全てをきれいに消す計画だったのだ。それを地元民が力を合わせて抵抗し、今日に至るまでの地道な努力で観光資源として脚光を浴びるまでになったのだ。
私たちは学ばなければいけない。悪い世の中があるとするなら、それと闘う事も大事なのだと。私はそういう意味ではぬるま湯の中で育っているからダメなのである。もっと力強く生きる術を学ばなければいけない。
ツアーは5時半に終わり、夕方遅く食事をとる為に再び士幌まで下りてきた。よく分からず、何気なく入った店は大失敗!でもそこの歳を重ねた主人は面白い人で、深い人生を送ってる人に見えた。職が無いとわかるとどこか農場で出されたのか?と言うし、まあ人生いろいろあるんだ、取り合えずここ泊まってくか?という。焼酎もあるぞ!飲んで一晩過ごして出かければいい。なんて言う。昔の旅人時代を懐かしく思った。
メニューに豚丼を頼んだが、肉そのものはすごくいいものを使っていた。どうやら帯広の豚丼は本物だ。地域に根付いた庶民の味らしい。
YHに戻るとちょっとだけホステラーがいた。話すことも無く、この日も温泉巡りをして早めに寝た。
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4日目の朝を迎えた。今日も晴れたり曇ったり。でも全般的に天気は良さそうだった。
北海道の朝は早くて4時にはもう明るい。早めに朝食をとって6時にはYHを出る・・・という予定だったが6時半を回ってしまった。
今日もハードだ。長年の夢だった東雲湖。そして三国峠を再び走る。大雪山系も行きたかったのだが、まだ雪で閉鎖中だというのであきらめた。
ここから行ける菅野温泉も閉鎖だし、道の途中にある然別のホテルが管理する山田温泉も積雪で屋根が落ちたとかで営業の再開は分からないと言われた。いつもだと6月中旬頃だという。
P(ペアレント・今ではマネージャーというが。)さんには東雲は大したこと無いから他のいい所回ったら?とも言われたが、諦め切れないので強行。
とにかく東雲湖を目指して然別湖まで走る。タウシュベツや大雪山系に向かう道を離れて然別ルートへ。近くには糠平スキー場があって、そこから見た糠平湖がきれいだった。 -
然別へは山の中を走る。当時初めて走った頃に比べると、道は全然いい。
川原や山の土手にもふきのとうやふきがあった。ふきは基本的にはいつでも食べられるが、陸地のものは固いという。なるほど・・・・それで以前採ったふきは歯が立たなかったのか。やはり河原の近くで水分をたくさん含んだ若いものが美味しい。熊も食べるのだそうだ。ふきのとうも雄と雌があって、花が咲くと分かりやすい。ずっと伸びて大きくなるのが雌。小さいのが雄。なんでもおやじ(熊のこと)は知っていて、冬眠から覚めた熊は一番最初にふきのとうの美味しい所だけをあさって食べるのだそうだ。
ふきを食べて解毒するらしい。初めて知った。だから春は山菜取りは命がけ。
熊は冬眠といっても我々が酒を飲んでくらくらしてTVをボ〜ッと見ているような、そんな状態なのだという。
ガイドに明日東雲湖まで行くんだけど・・・・と、聞いたら平気平気!と言われた。道が完備しているらしい。そういう所には熊も出ない。でも私は怖いから23年ぶりにやはり北海道で買った鈴をつけた。 -
然別の途中はまだ昔の狭い道だったが、だいぶよくなった。ここには真冬にもう一度来たい。氷の露天風呂が出現するのだ。これに入ってみたい。氷のアートも見れるらしい。
朝早いというのにツアーの観光バスのガイドや運転手は出発準備をしていた。大変な仕事だ。観光客も結構早くから散歩してる。
目指す東雲湖は然別湖から少し離れた登山道から入る。ここで少し休憩してから向った。天気はまずまずのようだ。 -
北海道3大秘湖の1つ、東雲湖(しののめ湖)。これで私は23年ぶりについに全てを制覇する事になる。
入山口に向ったら、作業の車で通せんぼ。仕方なく近くの広いところに車を止めて歩いた。
この作業車も実はこれからの夏のシーズンに向けて釣り船やイカダを出す準備と掘っ立て小屋の組み立てを行っていたのだ。
入山届けにサインしていざ出発!順調だったが、寂しいハイクだった。ま、この時期だから当然か・・・ -
然別の朝もや。とても幻想的で怖ささえ感じた。
昔は東雲湖に向う船もあった気がしたが、今は歩くしか方法が無い。
ここには魚でオショロコマって言ったかな?ここだけのものらしく、料理にも出すが、貴重なものらしい。 -
これなんだっけ?入り口近くでたくさん見かけた。
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これも。名前忘れたけどこれはあちこち生えていた。
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さるのこしかけ発見!
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道は確かにしっかりしていたが、装備に若干の不備があった。スパッツを持ってくるべきだった。前日までの雨でぬかるんでいたり草が生茂って歩くのに苦労した。おかげで結構ズボンが濡れたりした。
思ったより道にゴツゴツがあって、靴ももう少しいいのにしないといけなかった。でも荷物の関係もあったので仕方なかったが。悪いわけでは無かったが、足場が悪くて膝を少し痛めてしまった。
人は誰もいない。静かな原生林だけが広がっている。寂しい遊歩道をひたすら歩いた。
ちょうど然別の反対側の景色まで来た時、視界が開けた。 -
天気もよくなっているようで、湖面もきれいだったし山々も美しかった。昔はここに船が来たような跡があった。ここはのんびり出来るいい所。人もおそらくそんなに来ないのではないか?
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コースタイムもほぼ順調だった。独自のツツジらしき花も咲いていた。まだシーズンではないようだったが。
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然別湖と別れてしばらく山岳道を歩くと、なきうさぎ生息地まで来た。ここが・・・・でもウサギは見れず・・・残念。
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ナキウサギ生息地を歩いてたら、いきなり東雲湖の看板!やった、ついに来た!
やっと・・・・ -
幻想的だった。思ったより大きい。近づく事は出来なかったが、もうこれで十分満足だ。昔は下まで下りて遊んだんだろうな。
あとは帰るだけ。ゆっくりペースを守って歩いたつもりだが、再び膝を痛めてしまったようだ。
これくらいで参るようじゃ山は無理だよなぁ〜。 -
山菜「コシアブラ」はとても美味しい。やっと分かった。分かってくると面白いのが山菜採りの魅力。一回分かるとどんどん見つかるのが面白いところだ。
山菜は香りで判る気がした。それにしても嬉しいなぁ〜。
ペースは順調で、タイム通りだった。帰りに2組のパーティーに出会った。
無事入山口に戻り、もと来た道を引き返して糠平湖を目指した。 -
糠平湖から再び幌加を目指し、幌加温泉に向う。
その途中に新タウシュベツ展望台が出来て、せっかくだから寄ってみた。駐車スペースは少ないが、これからのシーズン大丈夫なのだろうか?
ちなみに冬のツアーではこのあたりから歩いて橋まで行き、遊ぶらしい。 -
旧タウシュベツ林道が閉鎖されて看板も無くなったおかげか、ここの整備には念入りに手間をかけたようだ。
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途中十字路の分岐があって、道内自然歩道が延びている。
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展望台までは意外に近い。歩きやすいように道も完備している。
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遊歩道もここまで整備しておきながら、利用は今ひとつ。アクセスに問題があるのだ。自転車もOKにすればいいのに歩道だからという事でダメ。考え方が固いとガイドは言っていた。
それなら歩きも利用しやすいように環境を整えなくてはいけないのにそれが出来ていないのだ。その為のバスも出すよう要請して一部出ているのだが、これが中途半端。知ってる人はうまく利用できるが、知らない一般には無理だろう。
行きたい人は事前に調べるかアウトドア関係に強い宿に泊まったりして情報を得る必要がある。 -
開発の途中で見つけたのだろう。さっそく記念樹になっていた。
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やがて展望台へ。見えた!はるか遠くにタウシュベツの橋!昨日とはえらい違い。
でもまあ来たという記念にはなる。これでついにタウシュベツともお別れだ。
このあと幌加温泉に向かい、三国峠へ向うのだった。
〜つづく〜
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