2009/06/24 - 2009/07/04
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miyabi-doさん
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3日目。
日本のホテルのように、チェックアウトがam10:00だと慌てなければならないが、アメリカのモーテルの多くは、チェックアウトタイムがpm12:00なので、焦る必要はない。
それでも時間が気になるし、時計は持ち歩く習慣がない。
そこで、テレビを点けて時計が表示されるニュース番組にチャンネルを合わせると、どこも興奮したリポーターが、マイケル・ジャクソンの死を報じていた。
これから向かうサンタバーバラ郊外に、例のネバーランドがあると知れば、何となく因縁らしきものを感じてしまう。
彼の特別なファンではないが、ジャクソン5の頃から知っているし、スリラーの3D映像が東京ディズニーランドのシアターで上映された時、取材で長い行列に並ばず、スタッフに案内され横入りした想い出があるくらいだろうか・・。
朝一番のサプライズは、マイケル・ジャクソンの訃報だが、外に出てみたらモーテルの敷地内にある新聞スタンドで、TV版「チャーリーズ・エンジェル」のファラ・フォーセット・メジャーも癌で亡くなったことを知った。
さらに次なるサプライズは、モーテルの価格。
昨日チェックインした際は、50ドル台だった価格が、いきなり94ドルに変わっていた
週末価格という事らしいが、モーテル6が税金込みで100ドルとは、これこそアン・ビリーバルな値段である。
下手すれば20ドル台から見つかり、30-40ドル台が相場(?)だったのに、今では50ドル台でも「安い方」と思わなければならないのは、時代の流れだとしても急すぎる印象を受けた。
101号線に乗れば、10分ほどでサンタバーバラに着いてしまう。
いつもなら、ステート・ストリートの先にあるピア(桟橋)に車を乗り入れ、ペリカンを眺めたり、J.F.ケネディと若き日のクリントン元大統領が握手している写真を飾っているレストラン前を歩いたりするのだが、今回はパス。
ダウンタウンにも近寄らず、最初に車を停めたのはコートハウスの前だった。
コートハウス=裁判所は、外観もそれなりに壮大さを感じるが、中に入ってクラシカルな装飾に驚いた。
スペイン人が、ネイティブアメリカンにキリスト教を布教しにきた、大航海時代。西海岸には34ヵ所のミッション(伝道所=教会)が建てられたが、サンタバーバラもそのひとつ。
やがて町へと発展して行った時に、建てられた雰囲気がコートハウス内部には、そのまま残っている。
時代を塗り込めた建物歴史遺産として、観る価値は充分あると感じたものだ。
サンタバーラに立ち寄るのは、これで何度目だろうか・・。
2度や3度ではない、5回よりは確実に多く、10回より少ないほどという気がする。
ピア(桟橋)を散策した想い出が、4、5回あるし、カフェでお茶した想い出に、ペリカンが釣り人が釣った魚を投げ、それを奪う争奪戦も3回は見た気がする。
ある時は、火事で焼けてしまい、入場禁止になっていた時もある。
それにしてもアメリカ西海岸には、レゾンドビーチにサンタモニカ、サンタバーバラにベンチューラ、ピスモビーチにサンタクルズなど、なんでこんなにピアが多いのだろう・・と、疑問に思っていた時期が数年ある。
その疑問が、ある日突然目から鱗が落ちるようにハタと解けたのは、PCH1号線をハースト・キャッスルに向けて走っていた時のことである。
新聞王として天文学的な財を築いた、ウイリアム・ランドルフ・ハーストは、この地に一般人がイメージする「広大」の常識を遥かに超える土地を買い、世界中から贅を尽くした品を集めて、城のような大邸宅を丘の上に建設した。
邸宅から見渡せる全ての土地を買い、彼の生前は個人所有としては世界最大の動物園があったという。
一体全体それ等の資材をどのように運んだのか・・と考えたときに、脳の中で"アハ"体験が起きて長年の謎が解明したのだ。
車はもちろん、鉄道もまだ未発達の時代、資材を運搬する最大の交通手段は船舶だった。
大型船舶から資材を陸地に運び出すためには、船が座礁しない沖合いに向けて、頑丈な桟橋を作る必要がある。
だから西海岸の各地に点在するピアは、500台の車を止めても大丈夫なくらい頑丈で、海から物資を運ぶ必要がなくなった時には、素晴らしい景観が望めるレストランができたり、遊園地が造られたわけである。
閑話休題。
ピア以外では、ダウンタウンへと向かうなだらかな上り坂を走り、パーキングメーターに車を停めて買い物した想い出、ファーマーズ・マーケットに遭遇した想い出、ワインのテイスティグをした想い出・・等々。
さらには、郊外の山の手に高級住宅街があり、ハリウッドの騒々しさを逃れて、シガニー・ウィーバーをはじめ、往年の映画スターや当時大統領だったクリントンのサマー・ハウスがあると知り、日本のように表札が出ているはずもないのに、豪邸が建ち並ぶエリアを車で走った記憶もある。
しかし、ミーハーな観光客時代を卒業(?)した気分なので、原宿の竹下通りのように常に観光客で溢れているサンフランシスコのピア39を、「アメリカで一番行きたくない場所・・」と心に決めてからは、なるべく観光客が来ないエリアを旅するよう心懸けて既に10数年経つ。
サンタバーバラには動物園もあるが、サンディエゴにある世界最大の動物園を3回観ている人間には、それほど興味が湧かない。それよりむしろ、隣接する広大なバード・サンクチュアリと、市内最大のLas Positas公園の方が気になっている。
今回サンタバーバラの収穫は、郡立裁判所の建物の素晴らしさと、屋上から眺めるスパニッシュ・コロニアル風のオレンジ色の瓦屋根が続く市街地の景観に感動した。
サンタバーバラのミッションは、さらに斜面を登った丘の上の方にあり、裁判所の屋上からも視認できる。
方向性と距離感を確認し、車に戻って地図を見て出発した。
信号機や一時停止の多さと、住宅地を走るスピード制限のために車で15分近くかかったが、裁判所から歩いたとしても30分ほどの距離だと思う。
ミッションは、町の発展と共に建物を何度も増改築したのか、とても大きな教会か、少し小さなカテドラル(司教の居る地域一番の大聖堂)のようにも思えるほどの規模を感じた。
案内人によるツアーに参加しないと見られないので、英語が解らないこちらは、外観を写真に撮り、土産店内をウロウロするだけで見学終了。
これでサンタバーバラを後に、しばらく海に沿って走る101号線が、陸地に向かってすぐ1号線が分離する。
この1号線を北に、西海岸で「見応えのあるミッションと言えばココ・・」と言われるくらい、往時の伝道所の面影をそのまま残す、ロンポック郊外に建つLa Purisima Missionに向かうことにした。
何語でどんな意味があるのか知らないが、ロンッポックの名前を最初に聞いたのは、この町が生花業者が多く、作った花は大都市ロサンゼルスの需要を賄っているとのこと・・。
そして巨大な空軍基地があり、打ち上げられたスペースシャトルが、何らかのミスや気象条件により、軌道がズレた場合、この町の郊外にあるヴァンデンバーグ・エア・ホース・ベースに着陸するという話しを聞いたとがある。
少し曲がりくねった山道も走るが、やがて平野部に降りてくると、ロンポックに到着する。
町中を通り抜けた先で、右→ミッションの標識が現れるので、右折すると左手に簡素な看板と入口が現れる。
駐車場に車を停めて、小川を渡り、野原を歩いて行くと、右手に牧場の柵があり、正面に十字架と鐘のある建物が見えてくる。
十字架と鐘のある所は、このミッションを拓いた宣教師の墓地のようで、それに隣接した細長い建物が100mくらい続いている。
焼いた煉瓦を漆喰で固めたような、石造りの建物は小部屋に仕切られていて、糸を紡いだり織ったりする部屋、食堂、馬具を修理したり収納する部屋。
礼拝堂に、住まいとしてのベッドルームの他に、病院のような施設もあり、当時の暮らしぶりが伺い知れる。
東部13州が独立してアメリカになるずっと前に、大航海時代に一時的に覇者になったスペイン人達は、南アフリカ最南端のフェゴ島を周り、大陸に沿って北上して赤道を超え、北アメリカに到達した。
サンディエゴやサンタバーバラのように、頭に“サン”か“サンタ”が付く地名は、西海岸エリアだけで軽く100を超えるが、それ等はアメリカの独立によりWASP(ワスプ)が誕生する前の、スペイン文化の残映である。
因みに「WASP」とは、W=ホワイト(白人)であり、A=アングロ・S=サクソン人であり、P=プロテスタントという意味である。
中世ヨーロッパで勃発した宗教戦争により、勝利したカソリック(旧教徒)は大陸に残り、敗北したプロテスタント(新教徒)は大西洋を渡ってアメリカに到達し、新しい国家を築いたのが、そもそものアメリカの始まりである。
逆にスペイン文化は、西海岸だけに痕跡があるわけではなく、ニューメキシコ州アルバカーキには、アメリカ独立前に建てられたスペイン総督府宮殿が、建物歴史遺産として残されている。
幸か不幸か、ネイティブ・アメリカンはインカ帝国のように、金を錬金して物を作る文化を持たなかったため、大量虐殺による絶滅は免れたが、進化した武器を持ったスペイン人に続いて、大量に渡ってきた白人により、暴虐の仕打ちを受けた事は、歴史に明らかである。
つまり、ヨーロッパから新大陸に辿り着いた比較的善人だった男は、布教活動に勤しみ、強欲な男達は略奪の限りを尽くした。
ピリグリム・ファーザーズを乗せたメイフラワー号が、東海岸のマサチューセッツ州プリマスに到着してから350年近く、その後強制的に連れてこられた黒人をも巻き込み、第二次世界大戦時の日本人を含む黄色人種への差別も加え、大いなる悲劇を含む歴史の爪痕は、新大陸のあちらこちらに顕在している・・というのが、アメリカ近代史の紛れもない一面であり、忘れてはならない事実であると思っている。
真珠湾攻撃の後、大統領権限による発令により、日本人移民は全ての財産を没収され、シェラネバダ山脈の西側にある不毛の地、インヨー郡マンザナールをはじめ、全米11ヵ所に設けられた強制収容所に12万人が送り込まれた。
それでも星条旗に忠誠を誓う、ハワイを中心とする日系アメリカ移民の若者たちは、軍隊に志願し、442部隊を結成した。
劣悪なヨーロッパの最前線に送り込まれたため、戦死者の率も格段に多い反面、生存者が授与された勲章の数も多い。
強制収容所に送り込まれた日系人に対して、アメリカ政府が詫びたのは戦後40年以上経ったレーガン大統領の時代で、収容所に収監された経験のある日系移民で、まだ存命している人に対して、1人1万ドルの賠償金が支払われた。
財産没収、収容所体験、戦後の無一文からの出発と差別からすると、あまりにも少ない額ではないだろうか・・。
これ等の様子は、ロサンゼルスに誕生した日系博物館に詳しい。
アメリカへ観光に行く日本人の内、この博物館を訪れた人は何人いるのだろうか・・。
忌まわしい戦争から終わり、早60年。
終戦記念日が近いこともあるためか、好きなばかりではない、アメリカの歴史の一面を書いてみたくなった。
http://www.elephanttour.com/la/attraction_detail.php?skip=4&sort=&order=
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