2009/09/10 - 2009/09/11
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ANZdrifterさん
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芭蕉は1689年に奥の細道の旅に出た。6月13日に酒田に到着し、15日から18日帰着まで3泊で象潟をおとずれたほかは、19日から25日出発まで俳人と交流して過ごした。
当時は日本海の舟運の主要港であり、最上川からの物資の集積地としてにぎわったので芭蕉の名を知る文化人も多かったので長く滞在したものと思われる。
酒田の駅は「おくりびとの酒田」というのぼりがたっていた。「おくりびと」のおかげで酒田には何万もの観光客が来ているという。駅はかなり立派だが、駅舎の中には土産物店があるだけで、喫茶や食事の店は見当たらなかった。
駅前にはビジネスホテルがいくつかあるが 駅近くの町はさびれていて、ネットでは歩く楽しみはないとされていたが、移動の便を考えれば駅前が便利なので、ホテルアルファーワンに投宿することにして荷物をあずけた。「もう一度泊まりたい宿」に登録したいクラスだった。
まず歩いて数分の本間美術館にゆく。途中の大きな店はカラオケとパチンコだった。
門をはいった正面の新館で入場券900円を買って国宝級の陳列品をみてから、庭園に回る。築山と池がある回遊式の庭園で手入れは行き届いているが“作りすぎ”の感じがする。
本館の一階は江戸時代の建築で、明治時代に増築した二階の階段はケヤキ造り、欄間の装飾もみごとで贅をつくしている。昭和天皇が皇太子のときに、この二階に泊まったと説明されたが、その凝った部屋の床の間に「愛は貧に輝く」という軸がかけてあったのは皮肉っぽかった。一階で抹茶500円をいただいて庭にでる。
小ぶりの池に咲いていた白い睡蓮と、まとわりついていたミズスマシが清涼剤であった。
タクシーを呼んでもらって 日和山公園にゆく。
蕉翁の銅像や句碑、最上川の河口をのぞむ展望台など、よく手入れされ行き届いた公園だった。 芭蕉が「暑き日を海に入れたり最上川」と詠んだのはこのあたりだろうか?
しかし当日は曇りで大日没は望むべくもなく、河口の風景を眺めるだけだった。
雨が近づいてきたので待たせておいたタクシーにもどり、本間家文書を基にした光丘文庫の前、「おくりびと」のロケの建物の前をとおって、菊水ホテルという旅館の前をすぎて“鮮魚センター”に行く。
鮮魚センターは酒田市に属する飛島への定期船の埠頭だが、当日は強風のため欠航であった。
鮮魚センターの一階は鮮魚と野菜の店が入っている。30cmもある緑のナス、表面の凹凸がすくない牛蒡、五穀米、などどれも安くておいしい。どれにも生産者の名前と電話番号が書いてあり、できれば全部買いたいような店だった。買って帰った中、緑の“あおなす”は焼き茄子にすると“とろっ”として味わったことのない美味。
二階の海鮮レストランは、ホテルの従業員がすすめてくれた“行列の出来る店”でメニューの一部は売り切れだった。老人向けに量が少ない海鮮どんぶりをいただいたが、絶品。
簡単においしく食べられる店が少ない町なので、この店は欠かせない。ただし営業時間は夜7時まで。
昼食後、30分ほど豪雨をやりすごして歩いて三居倉庫に行く。
倉庫はフォトジェニックだし、稲荷社も絵になる。三居橋もきれいだが、ただそれだけ。
三居橋の米の博物館でタクシーを呼んでもらおうとしたら、ここにはタクシーが入れないと断られた。 壁に貼られた電話番号を盗み見して、“グリーンホテルの前、三居橋のたもと”といったらタクシーがすぐきてくれた。
翌日、酒田駅の清川屋でクッキー(これは大当たり)などを買って、新潟で昼食。新幹線で帰京した。
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