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■34年ぶりの兼六園 石川県金沢市~その2~<br /><br />■兼六園概要<br /> 石川県金沢市にある兼六園は水戸の偕楽園、岡山の後楽園と並ぶ日本三名園の1つに数えられる池泉回遊式庭園の大名庭園です。<br /><br />★2日目 <br />・北陸自動車道北鯖江PA→北陸自動車道福井北IC→一般道<br /> 福井県坂井市………●東尋坊<br /> 福井県坂井市………●雄島<br /> 福井県坂井市………●丸岡藩砲台跡<br /> 福井県あわら市……●東本願寺吉崎別院<br /> 石川県加賀市………●雪の科学館<br /> 石川県小松市………●安宅住吉神社<br /> 石川県小松市………●安宅の関<br /> 石川県金沢市………●旧江戸村施設茅葺き農家群<br /> 石川県金沢市………●町家・武家ゾーン<br /> 石川県金沢市………●湯涌創作の森<br /> 石川県金沢市………●兼六園←←←←←←←←←★当旅行記<br /> 石川県金沢市………●金沢城公園<br /> 石川県金沢市………●長町武家屋敷群<br /> 石川県金沢市………▼東横イン金沢香林坊1泊目<br /> ・・・つづく<br /><br />【手記】<br /><br /> 今回のひとり旅、遠い遠い昔に訪れたことのある、わたくしたち夫婦の想い出の地…能登半島や金沢市内などを軸に、福井県・石川県・富山県・岐阜県の各観光地を豪雨・炎天下の中、18歳の老いた愛車を操って、1840kmの長~~い道のりをトコトコと駆け抜けてきました。<br /><br /> 34年前(1975年GW時)の写真を携えて、想い出さがしのひとり旅です。当時写した景色を目の前にした時は、感動のあまり思わず涙が出そうになりました。<br /><br /> 兼六園、この地を訪れたのは湯涌町と同じく34年4か月前のGW。当時の写真を手に持ち、妻との想い出をさがしてきました。<br /><br /> ひとりぼっちの旅に出た 時の流れをくぐりぬけ・・ 古い時計を手にもって・・ だれも来ない道を歩く・・どこまでも (詩:はしだのりひこ・ひとりぼっちの旅より)<br /><br /> 4泊5日(移動に2日、観光地訪問は正味3日間)、Very tired. 走行距離1840km、観光写真1201枚でした。<br />

ひとり旅 [593] 34年ぶりに歩く「日本三名園のひとつ‘兼六園’~その2~」石川県金沢市

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2009/08/10 - 2009/08/10

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MechaGodzillaⅢ&703

MechaGodzillaⅢ&703さん

■34年ぶりの兼六園 石川県金沢市~その2~

■兼六園概要
 石川県金沢市にある兼六園は水戸の偕楽園、岡山の後楽園と並ぶ日本三名園の1つに数えられる池泉回遊式庭園の大名庭園です。

★2日目 
・北陸自動車道北鯖江PA→北陸自動車道福井北IC→一般道
 福井県坂井市………●東尋坊
 福井県坂井市………●雄島
 福井県坂井市………●丸岡藩砲台跡
 福井県あわら市……●東本願寺吉崎別院
 石川県加賀市………●雪の科学館
 石川県小松市………●安宅住吉神社
 石川県小松市………●安宅の関
 石川県金沢市………●旧江戸村施設茅葺き農家群
 石川県金沢市………●町家・武家ゾーン
 石川県金沢市………●湯涌創作の森
 石川県金沢市………●兼六園←←←←←←←←←★当旅行記
 石川県金沢市………●金沢城公園
 石川県金沢市………●長町武家屋敷群
 石川県金沢市………▼東横イン金沢香林坊1泊目
 ・・・つづく

【手記】

 今回のひとり旅、遠い遠い昔に訪れたことのある、わたくしたち夫婦の想い出の地…能登半島や金沢市内などを軸に、福井県・石川県・富山県・岐阜県の各観光地を豪雨・炎天下の中、18歳の老いた愛車を操って、1840kmの長~~い道のりをトコトコと駆け抜けてきました。

 34年前(1975年GW時)の写真を携えて、想い出さがしのひとり旅です。当時写した景色を目の前にした時は、感動のあまり思わず涙が出そうになりました。

 兼六園、この地を訪れたのは湯涌町と同じく34年4か月前のGW。当時の写真を手に持ち、妻との想い出をさがしてきました。

 ひとりぼっちの旅に出た 時の流れをくぐりぬけ・・ 古い時計を手にもって・・ だれも来ない道を歩く・・どこまでも (詩:はしだのりひこ・ひとりぼっちの旅より)

 4泊5日(移動に2日、観光地訪問は正味3日間)、Very tired. 走行距離1840km、観光写真1201枚でした。

同行者
一人旅
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
自家用車
  • ■34年ぶりの兼六園 石川県金沢市〜その2〜<br /><br /><兼六園ごあんない板><br /> 兼六園、この地を訪れたのは湯涌町と同じく34年4か月前のGW。<br /> 当時の写真を手に持ち、妻との想い出をさがしてきました。<br />

    ■34年ぶりの兼六園 石川県金沢市〜その2〜

    <兼六園ごあんない板>
     兼六園、この地を訪れたのは湯涌町と同じく34年4か月前のGW。
     当時の写真を手に持ち、妻との想い出をさがしてきました。

  • ■34年ぶりの兼六園を歩く<br /><br /><小立野口><br /> 延宝4年(1676)に5代藩主前田綱紀が金沢城の南東側に面した傾斜地に別荘「蓮池御亭」を建て、瓢(ひさご)池などからなる庭園「蓮池庭」を造ったのが兼六園の始まりです。<br />

    ■34年ぶりの兼六園を歩く

    <小立野口>
     延宝4年(1676)に5代藩主前田綱紀が金沢城の南東側に面した傾斜地に別荘「蓮池御亭」を建て、瓢(ひさご)池などからなる庭園「蓮池庭」を造ったのが兼六園の始まりです。

  • ■34年ぶりの兼六園を歩く<br /><br /><芭蕉の句碑> <br /> 文政5年(1822)、12代藩主斉広が自分の隠居所「竹沢御殿」を建て、回遊式の広大な庭園造りを始めました。<br />

    ■34年ぶりの兼六園を歩く

    <芭蕉の句碑> 
     文政5年(1822)、12代藩主斉広が自分の隠居所「竹沢御殿」を建て、回遊式の広大な庭園造りを始めました。

  • ■34年ぶりの兼六園を歩く<br /><br /><御室の塔><br /> 「竹沢御殿」が完成した年に藩主斉広は、奥州白河藩主白河楽翁(松平定信)に園の命名を依頼しました。

    ■34年ぶりの兼六園を歩く

    <御室の塔>
     「竹沢御殿」が完成した年に藩主斉広は、奥州白河藩主白河楽翁(松平定信)に園の命名を依頼しました。

  • ■34年ぶりの兼六園を歩く<br /><br /><山崎山><br /> 楽翁は中国宋の詩人李格非(り・かくひ)の「洛陽名園記」中の「園甫の勝、よく兼ね能はざるもの六あり。宏大に務むれば幽邃少なし、人力すぐれば蒼古乏し、水泉多ければ眺望難し」から採って、「広大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望」の六勝を兼ね備えた庭園という意味で「兼六園」と名付けました。<br />

    ■34年ぶりの兼六園を歩く

    <山崎山>
     楽翁は中国宋の詩人李格非(り・かくひ)の「洛陽名園記」中の「園甫の勝、よく兼ね能はざるもの六あり。宏大に務むれば幽邃少なし、人力すぐれば蒼古乏し、水泉多ければ眺望難し」から採って、「広大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望」の六勝を兼ね備えた庭園という意味で「兼六園」と名付けました。

  • ■34年ぶりの兼六園を歩く<br /><br /><山崎山御室の塔><br /> 小立野口付近にある築山。山腹には白川御影石でつくられた五重の塔(御室の塔)があり、また、山麓の岩間から流れ出る水は、約570mの曲水となって霞ヶ池に注いでいます。

    ■34年ぶりの兼六園を歩く

    <山崎山御室の塔>
     小立野口付近にある築山。山腹には白川御影石でつくられた五重の塔(御室の塔)があり、また、山麓の岩間から流れ出る水は、約570mの曲水となって霞ヶ池に注いでいます。

  • ■34年ぶりの兼六園を歩く<br /><br /><花見橋><br /> 兼六園が現在の姿に近くなったのは、天保8年(1837)13代斉泰が、建てられて間もない「竹沢御殿」を取り壊して、園内の霞ケ池を大きく掘り広げた時だそうです。

    ■34年ぶりの兼六園を歩く

    <花見橋>
     兼六園が現在の姿に近くなったのは、天保8年(1837)13代斉泰が、建てられて間もない「竹沢御殿」を取り壊して、園内の霞ケ池を大きく掘り広げた時だそうです。

  • ■34年ぶりの兼六園を歩く<br /><br /><兼六園内><br /> 竜石・・・とある。

    ■34年ぶりの兼六園を歩く

    <兼六園内>
     竜石・・・とある。

  • ■34年ぶりの兼六園を歩く<br /><br /><花見橋> <br /> 擬宝珠(ぎぼうし)の欄干がある木橋。<br /> 橋から見る花の眺めがすばらしいことから、この名前がつきました。 <br /><br /> 

    ■34年ぶりの兼六園を歩く

    <花見橋>
     擬宝珠(ぎぼうし)の欄干がある木橋。
     橋から見る花の眺めがすばらしいことから、この名前がつきました。

     

  • ■34年ぶりの兼六園を歩く<br /><br /><根上松><br /> この場所です。34年前に訪れていた場所です。<br /> 懐かしさと寂しさが交錯する中、じっと見入っていました。涙そうそうです。

    ■34年ぶりの兼六園を歩く

    <根上松>
     この場所です。34年前に訪れていた場所です。
     懐かしさと寂しさが交錯する中、じっと見入っていました。涙そうそうです。

  • ■34年ぶりの兼六園を歩く<br /><br /><根上松><br /><br /> ▼34年前に写していた写真です。

    ■34年ぶりの兼六園を歩く

    <根上松>

     ▼34年前に写していた写真です。

  • ■34年ぶりの兼六園を歩く<br /><br /><根上松><br /> 大小40数本もの根が地上2mにまでせり上がった奇観はたいへんな迫力で、兼六園名物の一つとなっています。

    ■34年ぶりの兼六園を歩く

    <根上松>
     大小40数本もの根が地上2mにまでせり上がった奇観はたいへんな迫力で、兼六園名物の一つとなっています。

  • ■34年ぶりの兼六園を歩く<br /><br /><根上松><br /> この松は、13代藩主・斉泰(なりやす)が土を盛り上げて若松を植え、根を深く土で覆い、成長後に土をのぞいて根をあらわにしたものだと伝えられています。

    ■34年ぶりの兼六園を歩く

    <根上松>
     この松は、13代藩主・斉泰(なりやす)が土を盛り上げて若松を植え、根を深く土で覆い、成長後に土をのぞいて根をあらわにしたものだと伝えられています。

  • ■34年ぶりの兼六園を歩く<br /><br /><明治紀念之標><br /> 中央に日本武尊像を、左に石川県戦士尽忠碑を据える明治紀念之標は、西南戦争で戦死した郷土軍人の霊を慰めるものです。銅像の身長は5.5m。

    ■34年ぶりの兼六園を歩く

    <明治紀念之標>
     中央に日本武尊像を、左に石川県戦士尽忠碑を据える明治紀念之標は、西南戦争で戦死した郷土軍人の霊を慰めるものです。銅像の身長は5.5m。

  • ■34年ぶりの兼六園を歩く<br /><br /><兼六園菊桜><br /> 菊の花のように咲く桜だそうです。

    ■34年ぶりの兼六園を歩く

    <兼六園菊桜>
     菊の花のように咲く桜だそうです。

  • ■34年ぶりの兼六園を歩く<br /><br /><兼六園おみやげ物><br /> ここのおじさんに「夫婦松」があった位置を教えてもらいました。

    ■34年ぶりの兼六園を歩く

    <兼六園おみやげ物>
     ここのおじさんに「夫婦松」があった位置を教えてもらいました。

  • ■34年ぶりの兼六園を歩く<br /><br /><兼六園おみやげ物><br />

    ■34年ぶりの兼六園を歩く

    <兼六園おみやげ物>

  • ■34年ぶりの兼六園を歩く<br /><br /><兼六園内><br /> 「夫婦松」はこの辺りにあったらしい。<br /> 兼六園の名木である「夫婦松」「乙葉松」は、樹勢が衰退し、平成15年6月に松くい虫 被害の原因となる線虫(マツノザイセンチュウ)が発見され、一部を残し伐採した。 ...<br />

    ■34年ぶりの兼六園を歩く

    <兼六園内>
     「夫婦松」はこの辺りにあったらしい。
     兼六園の名木である「夫婦松」「乙葉松」は、樹勢が衰退し、平成15年6月に松くい虫 被害の原因となる線虫(マツノザイセンチュウ)が発見され、一部を残し伐採した。 ...

  • ■34年ぶりの兼六園を歩く<br /><br /><夫婦松><br /> <br /> ▼これが34年前に写していた「夫婦松」の写真です。

    ■34年ぶりの兼六園を歩く

    <夫婦松>
     
     ▼これが34年前に写していた「夫婦松」の写真です。

  • ■34年ぶりの兼六園を歩く<br /><br /><霞ヶ池内橋亭><br /> 霞ヶ池は、兼六園のほぼ中心部に位置する、園内で最も大きな池です。<br /> うっそうとした樹々を背景に、石脚で支えられた内橋亭は、まるで水面に浮かんでいるような印象を与えます。

    ■34年ぶりの兼六園を歩く

    <霞ヶ池内橋亭>
     霞ヶ池は、兼六園のほぼ中心部に位置する、園内で最も大きな池です。
     うっそうとした樹々を背景に、石脚で支えられた内橋亭は、まるで水面に浮かんでいるような印象を与えます。

  • ■34年ぶりの兼六園を歩く<br /><br /><霞ヶ池親不知><br /> 山腹が霞ヶ池の水際に迫り、配置された岩の荒々しい様子が、北陸道の難所、新潟県の親不知海岸を連想させることから名付けられました。 <br />

    ■34年ぶりの兼六園を歩く

    <霞ヶ池親不知>
     山腹が霞ヶ池の水際に迫り、配置された岩の荒々しい様子が、北陸道の難所、新潟県の親不知海岸を連想させることから名付けられました。

  • ■34年ぶりの兼六園を歩く<br /><br /><霞ヶ池><br /> 面積は約5800m2、深さは最も深いところで1.5mあります。

    ■34年ぶりの兼六園を歩く

    <霞ヶ池>
     面積は約5800m2、深さは最も深いところで1.5mあります。

  • ■34年ぶりの兼六園を歩く<br /><br /><霞ヶ池><br /> 栄螺山、内橋亭、徽軫灯籠、虹橋、唐崎松、蓬莱島などの名勝がこの霞ヶ池の周辺に配され、廻遊しながら四季折々の庭景を楽しめるよう配慮されています。 <br />

    ■34年ぶりの兼六園を歩く

    <霞ヶ池>
     栄螺山、内橋亭、徽軫灯籠、虹橋、唐崎松、蓬莱島などの名勝がこの霞ヶ池の周辺に配され、廻遊しながら四季折々の庭景を楽しめるよう配慮されています。

  • ■34年ぶりの兼六園を歩く<br /><br /><噴水><br /> この噴水は霞ヶ池を水源とし、池の水面との高低差による自然の水圧であがっています。<br /> 水の高さは約3.5mあり、霞ヶ池の水位の変化によって変わります。<br />

    ■34年ぶりの兼六園を歩く

    <噴水>
     この噴水は霞ヶ池を水源とし、池の水面との高低差による自然の水圧であがっています。
     水の高さは約3.5mあり、霞ヶ池の水位の変化によって変わります。

  • ■34年ぶりの兼六園を歩く<br /><br /><噴水><br /> 藩政末期、金沢城内の二ノ丸に水を引くため試作されたものと伝えられています。日本で最古の噴水であると言われています。

    ■34年ぶりの兼六園を歩く

    <噴水>
     藩政末期、金沢城内の二ノ丸に水を引くため試作されたものと伝えられています。日本で最古の噴水であると言われています。

  • ■34年ぶりの兼六園を歩く<br /><br /><兼六園おみやげもの屋さん><br /> 

    ■34年ぶりの兼六園を歩く

    <兼六園おみやげもの屋さん>
     

  • ■34年ぶりの兼六園を歩く<br /><br /><兼六園内><br /> ここだったのかな。妻が写っている34年前の写真によく似ている景色(ふじ棚?)ですが、場所が特定できません。

    ■34年ぶりの兼六園を歩く

    <兼六園内>
     ここだったのかな。妻が写っている34年前の写真によく似ている景色(ふじ棚?)ですが、場所が特定できません。

  • ■34年ぶりの兼六園を歩く<br /><br /><徽軫灯籠(ことじとうろう)><br /> 霞ヶ池の北岸に配された兼六園を代表する景観です。

    ■34年ぶりの兼六園を歩く

    <徽軫灯籠(ことじとうろう)>
     霞ヶ池の北岸に配された兼六園を代表する景観です。

  • ■34年ぶりの兼六園を歩く<br /><br /><徽軫灯籠(ことじとうろう)><br /> 徽軫灯籠は足が二股になっていて、琴の糸を支える琴柱(ことじ)に似ているのでその名が付いたと言われています。<br /> <br />

    ■34年ぶりの兼六園を歩く

    <徽軫灯籠(ことじとうろう)>
     徽軫灯籠は足が二股になっていて、琴の糸を支える琴柱(ことじ)に似ているのでその名が付いたと言われています。
     

  • ■34年ぶりの兼六園を歩く<br /><br /><徽軫灯籠(ことじとうろう)><br /> この灯籠は水面を照らすための雪見灯籠が変化したもので、高さは2.67mだそうです。<br /> かたわらのモミジの古木、曲水に架かる虹橋と一体となって優れた風景を醸し出しています。<br /><br />

    ■34年ぶりの兼六園を歩く

    <徽軫灯籠(ことじとうろう)>
     この灯籠は水面を照らすための雪見灯籠が変化したもので、高さは2.67mだそうです。
     かたわらのモミジの古木、曲水に架かる虹橋と一体となって優れた風景を醸し出しています。

  • ■34年ぶりの兼六園を歩く<br /><br /><兼六園内><br /> このお嬢さん方にカメラのシャッターを頼まれました。

    ■34年ぶりの兼六園を歩く

    <兼六園内>
     このお嬢さん方にカメラのシャッターを頼まれました。

  • ■34年ぶりの兼六園を歩く<br /><br /><兼六園内><br /> <br />

    ■34年ぶりの兼六園を歩く

    <兼六園内>
     

  • ■34年ぶりの兼六園を歩く<br /><br /><伯牙の手水鉢><br /> 自らの琴の音を最も理解した友人の死を嘆き、一生、琴を奏でないことを誓った名手、伯牙の姿が浮き彫りにされている手水鉢です。<br /> 夕顔亭の縁先にあるこの手水鉢は、高さ 45cm、直径85cmと大きいもので、5代藩主に招かれた京都の名金工・後藤程乗の作とされています。 <br /><br />

    ■34年ぶりの兼六園を歩く

    <伯牙の手水鉢>
     自らの琴の音を最も理解した友人の死を嘆き、一生、琴を奏でないことを誓った名手、伯牙の姿が浮き彫りにされている手水鉢です。
     夕顔亭の縁先にあるこの手水鉢は、高さ 45cm、直径85cmと大きいもので、5代藩主に招かれた京都の名金工・後藤程乗の作とされています。

  • ■34年ぶりの兼六園を歩く<br /><br /><翠滝(みどりたき)><br /> 霞ヶ池から流れ出て、瓢池に注ぎ込む大滝です。高さ6.6m、幅1.6mです。

    ■34年ぶりの兼六園を歩く

    <翠滝(みどりたき)>
     霞ヶ池から流れ出て、瓢池に注ぎ込む大滝です。高さ6.6m、幅1.6mです。

  • ■34年ぶりの兼六園を歩く<br /><br /><瓢池と海石塔><br /> 海石塔は、瓢池の中島に建つ、高さ4.1mの塔です。虫が喰ったように穴の空いた淡茶色の笠石が、六重に重ねられています。 <br />

    ■34年ぶりの兼六園を歩く

    <瓢池と海石塔>
     海石塔は、瓢池の中島に建つ、高さ4.1mの塔です。虫が喰ったように穴の空いた淡茶色の笠石が、六重に重ねられています。

  • ■34年ぶりの兼六園を歩く<br /><br /><瓢池に架かる石橋><br /> 瓢池周辺はかつて蓮池庭(れんちてい)と呼ばれ、兼六園の作庭はこの辺りからはじまったと言われています。

    ■34年ぶりの兼六園を歩く

    <瓢池に架かる石橋>
     瓢池周辺はかつて蓮池庭(れんちてい)と呼ばれ、兼六園の作庭はこの辺りからはじまったと言われています。

  • ■34年ぶりの兼六園を歩く<br /><br /><兼六園内><br /> 加賀百万石まつりのポスターです。

    ■34年ぶりの兼六園を歩く

    <兼六園内>
     加賀百万石まつりのポスターです。

  • ■34年ぶりの兼六園を歩く<br /><br /><金沢城公園><br /> <br /> 次の旅行記は「金沢城公園散策」です。

    ■34年ぶりの兼六園を歩く

    <金沢城公園>
     
     次の旅行記は「金沢城公園散策」です。

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