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早朝スプリット発のバスにて一路ドブロブニークへ移動。本来ならば9時45分到着の予定が30分も到着が遅れてしまうことに。10時30分発のコトル行きのバスに乗る予定が結局売り切れてしまい、結局そこのタクシーを捕まえてヘルツェグノビへ、そこからさらにローカルバスにてコトルへ・・・。<br /><br />コトルの町はまさに地図より小さい町の代表格。たとえば城壁内の南北を歩くのに多分5分も有れば到達してしまう。それは東西でも同じく。<br /><br />モンテネグロはその名の通り、海辺まで黒々とした山々がすぐ迫っており、その隙間の少しあいた場所にコトルの様な自然の要塞が発展したような所。風景の迫力としてはクロアチア以上のものがある。<br /><br />街の造りはクロアチアのダルマチア地方と同じく石畳の細い路地が張り巡らされているこじんまりとした城塞都市。違いといえばモンテネグロ故東方正教会の教会が多いことくらいか・・・・。<br /><br />街の後ろすぐに迫っている山にめぐらされた万里の長城なみの城塞もすばらしい・・・・。

09年夏ダルマチア縦断旅行~その6.ちょっと足を延ばしてモンテネグロのコトルへ~

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2009/08/11 - 2009/08/12

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Krisflyer

Krisflyerさん

早朝スプリット発のバスにて一路ドブロブニークへ移動。本来ならば9時45分到着の予定が30分も到着が遅れてしまうことに。10時30分発のコトル行きのバスに乗る予定が結局売り切れてしまい、結局そこのタクシーを捕まえてヘルツェグノビへ、そこからさらにローカルバスにてコトルへ・・・。

コトルの町はまさに地図より小さい町の代表格。たとえば城壁内の南北を歩くのに多分5分も有れば到達してしまう。それは東西でも同じく。

モンテネグロはその名の通り、海辺まで黒々とした山々がすぐ迫っており、その隙間の少しあいた場所にコトルの様な自然の要塞が発展したような所。風景の迫力としてはクロアチア以上のものがある。

街の造りはクロアチアのダルマチア地方と同じく石畳の細い路地が張り巡らされているこじんまりとした城塞都市。違いといえばモンテネグロ故東方正教会の教会が多いことくらいか・・・・。

街の後ろすぐに迫っている山にめぐらされた万里の長城なみの城塞もすばらしい・・・・。

同行者
一人旅
交通手段
高速・路線バス

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  • ヘルツェグ・ノヴィからバスで到着するとまず目に飛び込んでくるのはこの重厚なコトル旧市街を取り囲む城壁と城塁。ここからさらに山の上まで城壁が伸びているからすごい。初めて来た人でもここがコトルだと一目瞭然。

    ヘルツェグ・ノヴィからバスで到着するとまず目に飛び込んでくるのはこの重厚なコトル旧市街を取り囲む城壁と城塁。ここからさらに山の上まで城壁が伸びているからすごい。初めて来た人でもここがコトルだと一目瞭然。

  • ●西門/Sea Gate<br /><br />観光客が一番多く出入りするのがこの西門。海側に面しており、観光案内書もこの門の外に有る。この写真は外側から撮ったもの。門自体は16世紀にベネチア共和国によって建てられたもの。このアーチ型の門をくぐるとそこはもう旧市街のど真ん中。

    ●西門/Sea Gate

    観光客が一番多く出入りするのがこの西門。海側に面しており、観光案内書もこの門の外に有る。この写真は外側から撮ったもの。門自体は16世紀にベネチア共和国によって建てられたもの。このアーチ型の門をくぐるとそこはもう旧市街のど真ん中。

  • ゲートを通り抜ける前にちょっと足を止めてアーチの中で目を右にやると、こんな浮き彫りが目に飛び込んでくる。真ん中は女神(Our Lady of Christ)、右は聖ベルナルド、そして左はこの町の守り神の聖ティフォン。聖ティフォンが手にしているのはコトルの町のモデル。

    ゲートを通り抜ける前にちょっと足を止めてアーチの中で目を右にやると、こんな浮き彫りが目に飛び込んでくる。真ん中は女神(Our Lady of Christ)、右は聖ベルナルド、そして左はこの町の守り神の聖ティフォン。聖ティフォンが手にしているのはコトルの町のモデル。

  • ●時計塔<br /><br />アーチゲートをくぐるとまず正面に目に飛び込んで来るのがこの時計塔。コトルの町のシンボルの1つでもある。時計は今でも正確です。<br /><br />この建築は1602年に開始されたらしいが、1667年にこの地方で起きた大地震の時点でまだ完成はしていなかったらしい。ゴシックとパロック様式が混合している。<br /><br />時計塔の下にある変な形をしたものは「恥の柱」と呼ばれ、罪人をここで見せしめにしたらしい。

    ●時計塔

    アーチゲートをくぐるとまず正面に目に飛び込んで来るのがこの時計塔。コトルの町のシンボルの1つでもある。時計は今でも正確です。

    この建築は1602年に開始されたらしいが、1667年にこの地方で起きた大地震の時点でまだ完成はしていなかったらしい。ゴシックとパロック様式が混合している。

    時計塔の下にある変な形をしたものは「恥の柱」と呼ばれ、罪人をここで見せしめにしたらしい。

  • ●貴族の宮殿/Duke Palace<br /><br />西門に隣接して北へと伸びている建築。石造りの普通の長方形の建築でしかない。今では1階部分がレストランになっており、夏にはこんな感じでテラス席がせり出してきている。建築は18世紀。<br /><br />建物の向こうに見える白い建築はナポレオン劇場。まずはあっちの方に歩いて行ってみる。

    ●貴族の宮殿/Duke Palace

    西門に隣接して北へと伸びている建築。石造りの普通の長方形の建築でしかない。今では1階部分がレストランになっており、夏にはこんな感じでテラス席がせり出してきている。建築は18世紀。

    建物の向こうに見える白い建築はナポレオン劇場。まずはあっちの方に歩いて行ってみる。

  • ●武器庫/Arsenal<br /><br />ナポレオン劇場と細い路地を挟んで建つ建造物。こちらも今は3階建ての石造りの建物。装飾の類は全然見られない。かつては1階建てで高い屋根が有ったらしい。海軍の武器庫として使用されていた。

    ●武器庫/Arsenal

    ナポレオン劇場と細い路地を挟んで建つ建造物。こちらも今は3階建ての石造りの建物。装飾の類は全然見られない。かつては1階建てで高い屋根が有ったらしい。海軍の武器庫として使用されていた。

  • ●ナポレオン劇場<br /><br />この写真は細い路地を登りきって貴族の宮殿とは逆のサイドから見た。1810年にフランス軍がこの町を占領した時(どうやって攻め込んだんだろう)、ここを劇場として設立した。

    ●ナポレオン劇場

    この写真は細い路地を登りきって貴族の宮殿とは逆のサイドから見た。1810年にフランス軍がこの町を占領した時(どうやって攻め込んだんだろう)、ここを劇場として設立した。

  • ●聖ルカ教会/St. Luka Church<br /><br />ビザンチン様式とロマネスク様式で建てられた小さな教会。広場の隅にひっそり?と建っているが、実はこの教会、地震の影響を受けておらず建てられた当時のままである。だからこの広場でもひときわ古めかしい雰囲気を出しまくっている。建築開始が1195年というからかなり古い。

    ●聖ルカ教会/St. Luka Church

    ビザンチン様式とロマネスク様式で建てられた小さな教会。広場の隅にひっそり?と建っているが、実はこの教会、地震の影響を受けておらず建てられた当時のままである。だからこの広場でもひときわ古めかしい雰囲気を出しまくっている。建築開始が1195年というからかなり古い。

  • 今では東方正教会となっているので、このような祭壇が設けられている。こちらは結構新しく17世紀の作品。床はコトル市民達の墓石となっているのが見える。

    今では東方正教会となっているので、このような祭壇が設けられている。こちらは結構新しく17世紀の作品。床はコトル市民達の墓石となっているのが見える。

  • 忘れてはならないのが、もう1つ残されているこの祭壇。この祭壇がかつてはこの教会がカトリックであった事を物語っている。こちらは教会完成と同時に作られたものであるから、ずいぶん古いはず。今では結構はがれおちてしまっているのが残念。

    忘れてはならないのが、もう1つ残されているこの祭壇。この祭壇がかつてはこの教会がカトリックであった事を物語っている。こちらは教会完成と同時に作られたものであるから、ずいぶん古いはず。今では結構はがれおちてしまっているのが残念。

  • ●聖ニコラ教会<br /><br />聖ルカ教会と向かい合って建つ教会。見た目の通り結構新しい建築である。実際1909年に完成したらしい。丸みを帯びたドーム型の屋根が正教会で有ることを証明している。建築自体はビザンチン様式のもの。<br /><br />ファサード入口上部にちょっとした装飾画が見られる。

    ●聖ニコラ教会

    聖ルカ教会と向かい合って建つ教会。見た目の通り結構新しい建築である。実際1909年に完成したらしい。丸みを帯びたドーム型の屋根が正教会で有ることを証明している。建築自体はビザンチン様式のもの。

    ファサード入口上部にちょっとした装飾画が見られる。

  • こちらが聖ルカ教会の聖壇。正教会ではイコノスタシスと呼ばれる。こちらは教会完成前の1908年に作られた。

    こちらが聖ルカ教会の聖壇。正教会ではイコノスタシスと呼ばれる。こちらは教会完成前の1908年に作られた。

  • ●北門/River Gate<br /><br />コトル湾へと流れ込む川に面して建つ旧市街への入り口となる北門。こちらはルネッサンス様式による建造。

    ●北門/River Gate

    コトル湾へと流れ込む川に面して建つ旧市街への入り口となる北門。こちらはルネッサンス様式による建造。

  • ●ベスクサ宮殿<br /><br />いよいよ西門のある広場へと帰ってきたようです。広場南側右手に有るのがこの宮殿。細い路地に面して2つの建物が有るので写真を撮るのが非常に難しいです。建築は18世紀のもの。

    ●ベスクサ宮殿

    いよいよ西門のある広場へと帰ってきたようです。広場南側右手に有るのがこの宮殿。細い路地に面して2つの建物が有るので写真を撮るのが非常に難しいです。建築は18世紀のもの。

  • ●ビザンツ宮殿/Bizanti Palace<br /><br />ベスクサ宮殿に向かい合うようにして建つ宮殿。こちらは広場に面しているのでこの様に写真が撮ることが出来る。現在あるのは地震後に再建されたもの。

    ●ビザンツ宮殿/Bizanti Palace

    ベスクサ宮殿に向かい合うようにして建つ宮殿。こちらは広場に面しているのでこの様に写真が撮ることが出来る。現在あるのは地震後に再建されたもの。

  • ●見張り塔<br /><br />いよいよ出発地点の西門に戻ってきました。西門の南側に隣接して建つのが見張り塔。地震で崩れ起きた為元有った形に再建された。<br /><br />では今度は門を出て外側から旧市街を見てみましょう。

    ●見張り塔

    いよいよ出発地点の西門に戻ってきました。西門の南側に隣接して建つのが見張り塔。地震で崩れ起きた為元有った形に再建された。

    では今度は門を出て外側から旧市街を見てみましょう。

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