2006/01/03 - 2006/01/08
228位(同エリア321件中)
ちゃおさん
中国東北地区最大の都市「瀋陽」。この街は戦前「奉天」と呼ばれ、古い日本人には大連同様、親しみをもって記憶されていた。
前の文にも書いたが、満州国創設時に吉田茂がこの町へ総領事として赴任し、矢張り、その当時の関東軍・憲兵少将として赴任していた東条英機と丁々発止やり合って、太平洋戦争の数年間、吉田は外務省から干されていたが、日本敗戦と共に復活し、ワンマン宰相として戦後の平和日本の礎を築いたのは、今の日本人なら大体知っていることでもあるが、その片一方は絞首刑、方や名宰相、と、戦前・戦後の日本をリードした二人がこの街で会合していたのも奇遇であった。
そんな満州国当時の記憶を留める建物、旧やまとホテル(現遼寧賓館)も街の中心部にはまだそのままの形でそこにあり、中に入るとアールデコ風のたおやかな曲線と真白の漆喰の壁。70年前の喧騒が響いてくるかのようだった。そうこの街には甘粕茂もいればマタハリ、李香蘭もいた。
ホテルの大理石で出来た中国式便器にしゃがみ、4−50年前の日本の便所を思い出し、彼等のこと、或いは又東北軍閥のこと、日本の傀儡となった愛新覚覚羅溥儀王のことどもを思い出した。そうこのホテルのこの中国式トイレには、その様な思い出も残されていた。
それから何と言ってもこの街の最大のアトラクションは町の北の広大な面積に広がっている「昭陵」であり、清朝王国初代の太宗ホンタイジとその妻祭る墓地でもあり、ここには始皇帝陵、明の十三陵のような地下施設はないものの、その規模と言ったら、両者を凌ぐほどの大きさでもある。
戦前の軍人を含め、日本関係者もここに立ち寄ったに違いない。劣等民族として一段下に蔑んでいた彼等の眼に、この陵墓、或いは故宮博物院、更には張作霖の自宅、などはどう写っていただるか。或いは、見てみぬ振りをしていたのか。日本に余り好意的でなかった中国共産党主席江沢民が柳条湖事件を記念して、この街に九・一八事変博物館を作ったのも理由のあることでもあった。
日本人の郷愁の地でもある大連、203高地、更にこの奉天・瀋陽を巡ることにより、今回の満州の旅を終了した。
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