2006/01/03 - 2006/01/08
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ちゃおさん
満州というのは戦前の名称で、現在は中国東北部、遼寧省、吉林省、その他の省で成り立っている。だから満州と言っても今の若い人にはストレートには通じないかも知れない。
簡単な歴史に触れておくと、日本の明治期、隣の中国は清朝末期で、国は弱体化し、英仏ロシア等の列強の餌食にされかけていた。
そんな折、日清戦争が勃発し、戦争に負けた清国は満州、今の東北部の一部地域を日本の施政権下に委譲した。満州鉄道の一部とその附属地である。
当時、ロシアも南下政策を取っていて、満州鉄道の半分の権益、及び、永久不凍港である旅順を租借し、軍事要塞化していた。
満州における利権はロシアと日本のせめぎ合いの状態と言っても過言ではなかった。中国は云わば、弱肉強食の餌食となっていたのだ。
そんな折、明治36年(1904年)から翌年にかけて、日露両国が、この満州において激突することになり、陸軍においては、あの有名な203高地における乃木将軍とステッセルとの血みどろの戦い、日本海においては、かの東郷平八郎元帥の日本海大海戦、Z旗の下での大戦捷があったのは、多くの日本人が記憶しているところである。
そうした多数将兵の血で贖われた満州は、清滅亡後の昭和6年、最後の皇帝、愛新覚罹溥儀を引っ張り出して、新たに満州国として「五族協和」を旗印に独立国となったものである。
その大連。当時は国家権力よりも強大だったと言われた満州鉄道本社が置かれた場所であり、ここから鉄道は、遥か遠く、ハルピン、チチハルまで延びていたのだった。
大連は戦前の日本が作った町とも言われている。「アカシアの大連」は岡晴夫の歌にあったのか。満州に移住する日本人の最初の上陸地でもあり、人々はここから更に奥地の黒龍江省、内蒙古等へ旅立って行ったのだった。
今の大連にそんな60数年前の思い出、においを嗅ごうと思っても、もう無理かもしれない。辛うじて、一部戦前の建物、施設等はあるものの、日本色は綺麗に払拭されて、今はもうれっきとした中国東北地方最大の都市に変貌していた。
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大連の町の南にはよく整備された労働公園があり、その後方には小高い丘の上にテレビ塔が建っている。茲からの大連の眺望は抜群だった。
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テレビ塔の直ぐ下に労働公園が見え、大連市内を一望できる。市内の先には、新たに開発された「開発区」という近代的町並みが広がっている。
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この丘の裏側は戦前の日本人が開した高級住宅地、星海海岸である。現在は高級リゾートとなっていて、中国各地、及び海外の中国人の夏場の避暑のリゾートマンション群が建っている。
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星海公園の一角で。
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旧大和ホテルのある中山広場の反対側にあるロシア風建物の銀行。
この中山広場(旧称大和広場)へは大連港、大桟橋からの真っ直ぐの道路を歩いてきて約15分。戦前の日本人は、この大通りを歩くことによって、大連に来たとの感覚を持ったらしい。 -
大連港近くにある戦前の建物。以前は日本政府関係が使っていたようだ。
この大連港も韓国との地理的近さもあり、もう殆ど、大半が韓国勢に押しやられている感じである。 -
道路は広々としていて、高層ビルも目立つ。
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「開発区」の近代的町並み。東京のどこにも見当たらないような、近代的な街だ。
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再びテレビ塔からの眺め。写真の真ん中辺りに大連駅がある。高いビルはホテル。スイスホテルもこの辺りにあった。
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街をバックに。
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