2009/07/27 - 2009/08/27
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インド4日目前半
ファテープル・シークリーとアーグラ城
どちらも世界文化遺産です。
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ファーテプル・シークリー
この地に住む聖者の予言により男児を得たムガル帝国第3代皇帝アクバルは、この聖者にあやかろうと1571年に首都をこの地に遷都し、1971〜85年にかけてファテプル・シークリーを建設しました。しかし僅か14年後には水不足により立ち退きを余儀なくされてしまいました。
一般謁見の間(ディーワーネ・アーム)と回廊で囲まれた中庭。 -
あいにくの雨でした。
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貴賓謁見の間(ディーワーネ・カース)の巨大な柱。
皇帝アクバルはこの柱の上にある玉座に座って来賓客や賢人たちを迎え入れたようです。 -
パンチ・マハル(五層閣)
中庭には大きく十字形に方眼が刻まれており、王が上から眺めて、ここでハーレムの女性たちを駒に見立ててチェスをして遊んでいたそうです。 -
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宮廷地区。
ファテープル・シークリーは大きく宮廷地区とモスク地区に分かれます。
当時の都は3km×1.5kmの城壁で囲まれていたようです。 -
ジョド・バーイー殿
宮廷地区の居住区で、アクバル皇帝とその妃の住まいです。 -
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宮廷地区からモスク地区へ移動。
奥側に見えるのがブランド門。 -
ブランド門(左)
別名 勝利門。アクバル皇帝が1573年にグジャラート地方を征服した記念に建立されました。 -
ジャマー・マスジット(左)
イスラーム・カーン廟(右)
本来は聖者や聖職者たちが講話などを行う建物(ジャマート・カーナ)でしたが、預言者サリーム・チシュティーの孫イスラーム・カーンがここに埋葬されたため、この名前で呼ばれています。 -
サリーム・チシャティー廟
アクバル皇帝に男児が授かると預言した聖人の霊廟。 -
庇はヒンドゥー建築の影響が見られます。
ヒンドゥーとイスラムの融合はアクバルの理念でした。 -
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スマーイルって言っても全然笑ってくれませんでした・・
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昼食のマトンカレー
マトンは臭みも全然なく柔らかく美味しかったです。
骨付きでした。 -
アーグラ城
デリーからアーグラへの遷都に伴い、皇帝アクバルによって1565年に着工され1573年に完成。 -
アマル・スィン門
城門も装飾されています。 -
いくつか門をくぐって中に入ります。
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ディーワーネ・アーム(Diwan-i-Am)
一般謁見の間 -
ジャハーンギール宮殿
アクバル皇帝の息子の名前になってますが、造ったのはアクバルです。 -
ジャハーンギール宮殿
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真ん中より左側にある小さな八角形の塔がムサンマン・ブルジュ(囚われの塔)
タージ・マハルを建てたシャー・ジャハーンは、後年に帝位を狙う息子アウラングゼーブによって塔内に幽閉されてしまいました。
そのまま7年後にこの部屋で息を引き取りました。
亡き王妃のために建てたタージ・マハルをこの塔から毎日眺めながら何を思い死を迎えたのだろうか・・
この塔自体も、シャー・ジャハーンが建てたものと言うのも何とも皮肉な話。。 -
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ディーワーネ・アーム(Diwan-i-Am)
一般謁見の間 -
雨がようやく上がりました。
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アーグラ城の近くから遠めに見たジャマー・マスジット
残念ながら時間がなく行けませんでした。
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