2009/08/01 - 2009/08/01
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にゃんこ姫さん
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※この旅行記は、「“昭和の竜宮城”『百段階段』
での、異色の人形展ーその3− 」に当たるものですが、
テーマの内容から、新たなタイトルで書き起こしました。
伝統建築『百段階段』の『辻村寿三郎人形展』を
見て、「雅叙園」からの帰途。
「行人坂(ぎょうにんざか)」の中ほどに
「大圓寺(だいえんじ)」というお寺を
見つけました。
往路ではまったく気にとめていなかったのですが、
ふと、お寺の説明板に「八百屋お七、吉三の墓碑」と
書いてあったのに興味をひかれ、立ち寄って
みました。
恋人に会いたい一心で、放火の罪を
犯した美少女(「美」かどうかは、実際には
わかりませんが)のお話は、ドラマチックで、
歌舞伎にもなっていますね。
※あとで気づいたのですが、この「行人坂」は、
池波正太郎さんの小説『鬼平犯科帳』にも
登場しています。
奥方の好きな「桐屋の黒飴」を下げて、
行人坂を登って行った、という記述が
あるそうです。
このあたりは、鬼平こと長谷川平蔵率いる
「火つけ盗賊改め方」の市中見回りのコース
だったようです。
(池波さんの小説も、大好きなのです。)
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 私鉄 徒歩
-
「行人坂」。
(下る途中の写真です。)
向かって左が「大圓寺」。 -
「行人坂」の説明。
前の旅行記と重複しますが。 -
「大圓寺」。
-
「大圓寺」の説明。
-
こんなにたくさんの指定文化財が
あるのですか。 -
七福神の石像。
右端が、このお寺で祀られている
「大黒天」です。 -
“江戸最初の”「山手七福神」
だそうです。 -
手水鉢。
龍の像の前に立つと、口から
水が出る仕掛けになっています。 -
★八百屋お七の話:
江戸前期の天和2年(1683)の大火で
家が焼けた本郷の八百屋・市左衛門一家は、
駒込の吉祥寺(小石川の円乗寺という説も)
に、一時避難しました。
その時、娘のお七は寺小姓の
吉三郎と恋に落ちました。
やがて、一家は再建された自宅に戻り
ましたが、吉三郎に会いたいお七は、
再び火事になれば、と思いつめ、とうとう
自宅に火をつけるに至ったのです。
お七は市中引き回しの上、鈴ヶ森刑場で
火あぶりの刑に処せられました。
その時、お七16歳、相手の吉三郎
は18歳でした。
取り調べの際、不憫に思った奉行が
「お前はまだ15であろう。」
と言ったのに対し、
お七は、
「私は、16でございます。」
と答えたということです。
その後、恋の相手の吉三郎(吉三)は、
出家して西運と名乗り、お七の菩提を
弔いました。
写真でははっきりしませんが、
念仏を唱えながら全国を行脚する
西運の姿が彫られた石碑です。 -
「八百屋お七」の話の説明。
ただし、この伝承には、いろいろ
異説もあって、寺小姓の名前は佐兵衛で、
吉三はじつは火事場泥棒で、お七に
放火をそそのかした張本人だという、
とんでもないものもあります。
これはこれで、物語としては面白いのですが、
その場合、お七はもっと馬鹿みたいですね。 -
全国行脚を終えた西運は、
「行人坂」の麓の「明王院」へ入り
ました。
それが現在の「雅叙園」がある場所です。
写真は、西運がいたという『阿弥陀堂』。
「明王院」が廃寺となってから、この
『阿弥陀堂』や石碑は、ここ「大圓寺」に
移されました。
写真はないのですが、西運が建てたという
「お七地蔵」も、石碑の隣にあります。
(石が新しいところを見ると、後世に
再建された物でしょうが。)
なぜ、この目黒のお寺に、文京区のお七と
のかかわりがあるのかと疑問だったのですが、
こういう縁だったのですね。 -
出家してからの西運(吉三)は、
お七の菩提を弔う一方で、
江戸の人々から寄進された浄財で、
行人坂の石畳や目黒川の石橋を
造ったといわれています。 -
お寺の境内には、数々の石仏群が
あります。
これは、「道祖神」。
神仏合体として、「猿田彦大神」と
「天うずめの命」が刻まれていると
いわれています。
旅の神、道の神、悪魔祓いの神、境を守る
神、など、いろいろの信仰を含んだ神様です。
旅好きの人には、ありがたい神様ですね。 -
金箔が貼られた「薬師如来」様。
すべての人達への邪悪の退散と、
病気の平癒を願って。
「身体の悪いところに金箔を
貼って、ご真言を唱えて祈願して
ください。」とのことです。
(「金箔は受付にて。」)
ご真言は、
「おん、ころころ、せんだつ、まどうぎそわか」
だそうです。
サンスクリット語かな? -
「子安地蔵尊」です。
とても可愛らしいこどもの
姿をしていますが、
「水子地蔵」でもあるのです。 -
これは、いささか怖いお姿なので、
UPしようか、やめようかと、しばし
悩んだのですが。
「とろけ地蔵尊」といって、庶民の
悩みを解消して下さるお地蔵様です。
説明書きが陰になって見えなかったのですが、
江戸時代に、網にかかったかどうかして、
出現したもののようです。 -
境内に幾つかある「摩尼(まに)車」。
これを1回まわすと、お経を一遍唱えた
ことになるというものです。
「心をこめてまわしましょう。」
はい!
しっかり回してまいりました。 -
「国宝・生身の釈迦如来」。
この扉の奥に祀られています。
残念なことに、ご開帳は年に数回、
特別の日だけのようです。 -
「釈迦如来像」の説明板。
古い石碑では「国宝」となっていた
のですが、ここでは「国指定重要文化財」
と書かれています。
格下げされた?? -
たくさんの石像。
「五百羅漢像」です。 -
「五百羅漢」の由来。
なんでも、明和9年の大火
(「行人坂の大火」)によって
亡くなった人々の供養のために
作られた像だそうです。
この火災は、「振り袖火事」「車坂の
大火」とともに、江戸三大大火の
ひとつと言われています。 -
数え切れないほどの仏様たちです。
-
これらの石仏群の由来。
明和9年の大火災(「行人坂の大火」)
は、この「大圓寺」が火元だったの
だとか。 -
優しいお顔の「子安地蔵尊」たち
です。 -
「五百羅漢」の下の小さな池。
手前左に、石垣にまぎれそうな
石像が・・・。 -
よく見ると、大きな魚をかかえた
河童(かっぱ)です。
右手に持っているのは、好物の
きゅうりでしょうか。
これは、単なるお遊びの像なのでしょうね。 -
これも、前の旅行記にも載せたもの
ですが、こちらのほうが関連が深そうなので、
もう一度UPしました。 -
説明板です。
今回は、説明書きが多くなりましたが、
適当に取捨選択して、興味のないものは
スキップしてください。
なお、「大圓寺」には、他にも「八百屋
お七・吉三の墓」などがあるようなのですが、
境内の奥の方では、お葬式が執り行われて
いて、立ち入ることができなかったのです。
従いまして、きょうはこれまでに致しとう
ございます。
(N○K大河ドラマのナレーションふうに。)(笑)
お粗末! m(_ _)m
ー完ー
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