2006/01/03 - 2006/01/08
699位(同エリア1072件中)
ちゃおさん
昔の中学の地理・社会では、この辺の街は一緒に「旅大市」と呼んでいたと記憶していたが、今では旅順も大連も別々の市になっているらしい。
ハンサムボーイの運転するイスズは、昨日の星海海岸の綺麗な景勝地を通り過ぎると、早くも山林の中。山という程の高さの山ではないが、標高500m以下の丘陵が連なり、一部切り通しにもなっている。
昨日の竜司さんのコメントにもあったが、日露戦争時、ロシア軍の旅順要塞を攻略する為、多くの将兵が大連に揚陸され、当時からあったこの道路を軍馬ともども、行進したに違いない。周囲の疎林に覆われた景色からその軍馬の響きも木霊してくるようだった。
急勾配の坂を下り降りると目の前に海が開け、そこはもう既に旅順の郊外だった。更に一つ岡を越えて出たところは既に旅順の街中で、今でも軍港となっている要塞都市は勝手な自由行動が許されないようだ。
最初に行ったところが「鶏冠山」。203高地ほど有名ではないが、ここも又激戦の行われた場所で、多くの将兵の血が流されている。
旅順は丁度福岡を小さくしたような地形で、巾着型の湾とその向背になだらかな山が連なっていて、それぞれの山上にはトーチカの要塞が築かれていた。福岡博多港とその背後の大野城、背振のような感じである。
「鶏冠山」の大きな石碑の前に立つと、目の前の旅順の町を越えて,向かい側に203高地が低く見えている。こうした石碑とか戦争の思い出が無ければ、長閑な中国の田舎の光景だ。
車は一旦山を下り、旅順の郊外、畑の中を通り抜け、町の反対側に出て、「203高地」に向った。一人確か50元、中国人の二人分まで払う必要はないと思うのだが、3人分150元払わさられて、203高地駐車場に着く。
全く、風情も感傷もあったものではない。「駕籠かき」の猛者どもが、何組も寄ってきて、強引に「駕籠」に乗せようとする。箱根の「駕籠かき」よりも強引だ。しかもそれが100元。ほんの100mほどのなだらかな坂道を歩く位の距離だ。半ば、喧嘩腰で断って、歩き始めたら、ついてこなくなった。
冬晴れ、快晴の一日。100年前の激戦地に足を踏み入れ、多くの流された血を忍ぶ。幸いに観光客も殆どおらず、充分長い時間をかけて散策することができた。
203高地取っ付きの高台から湾を眺める。伊豆半島、志摩半島、熊野灘。日本のどこにでもある光景。しかし眺めている内、どことなく阿鼻叫喚も聞こえてくるかの慄きも感じた。
高台の下には記念館兼土産物屋もあって、売り子も数人いたので、程ほどに元の場所に戻る。
203高地。乃木将軍隷下本当の激戦が戦われたのはこの裏側の陣地で、そこには又大砲の弾を象った慰霊碑が建てれていて、誰が名付けたのか「爾霊山記念碑」と呼ばれている。冒涜とは言わないまでも死者を茶化してはいけない。
ここからの眺めは、更になだらかで、勾配のゆるい傾斜地がブッシュ状でずっと先の方まで続いていた。この地において5万人以上の将兵が亡くなっている。乃木の作戦が下手だったのか、どうなのか、5万の将兵を無策の元に殺してしまった乃木がその後軍神と崇められ、太平洋戦争まで押し進み、結果、より多くの人命を失った。その原点がここにあると思うと、少し立ち去れない気持ちでもあった。
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