2008/01/11 - 2008/01/20
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tawassanさん
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「カルパチアの真珠」と呼ばれ、美しくすっきりとした町シナイアから、バスに乗って16時30分頃にブカレストに到着。チャウシェスクの独裁政治によって、歴史的建造物は破壊され、おまけに治安も良くないとガイドブックに記載されている。そうは言っても、乗り換えの都合上、どうしてもこの街は避けれないし、首都であるし、せっかくだからブカレストも見ておこうということで、この街に宿泊することにした。どこにいくにも便利なブカレスト・ノルド駅周辺でホテルを探していたら、オバサンに部屋が空いているので泊まらないかと声を掛けられ、駅の近くであ
り、安く、部屋もきれいだったのでオバサンの家に泊まることにした。荷物を置いてから、翌日のブルガリアのヴェリコ・タルノボに行く切符を購入するためにブカレスト・ノルド駅に行った。窓口の女の機嫌が悪かったせいか、問い合わせをするとダルそうに答えるので聞き取れないがために、更に問い合わせるとどうもヒステリー女らしく、真っ赤な顔で目を吊り上げた怖い顔で威嚇され、怒鳴られた。切符も放り投げるよう渡された。無愛想な対応は社会主義の国や国営企業等の独占企業でよくあるが、なぜかこの女は、チャウシェスクの残した遺物ではないかと思ってしまった。翌日は、昼の12時40分にブルガリアに向けて出発するので、早朝7時頃から行動を開始して、市内を歩き回った。チャウシェスクに破壊しまくられ、味気なく寒々とした街をイメージしていたが、歴史的建造物も残っており、「バルカンの小パリ」と言われただけあり、パリの街を歩いているような感じがしたところもあった。しかしながら、1989年にチャウシェスクが処刑された映像とチャウシェスク政権の時に活躍したコマネチのインパクトがあまりにも強すぎたので、ブカレストの街を歩きながら、いろんなところでチャウシェスクとコマネチの面影を感じていた。
表紙:旧共産党本部
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 航空会社
- アエロフロート・ロシア航空
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シナイアからブカレストに行くために乗った小型バス。
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ブカレストに到着したら、標高が高く、スキー場があるシナイアより積雪が多かった。
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バスの終点の近くにあった地下鉄駅。ここから地下鉄で、ほとんどの国内、国際列車が発着するブカレスト・ノルド駅に行った。
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オバサンにブカレスト・ノルド駅前で勧誘されて泊まることになった部屋。
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ソファーがそのままベッドになった。
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ブカレストの地下鉄。これに乗ってブカレストの中心である大学広場周辺に行った。
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大学広場周辺の街並み。重厚な歴史的な建物がたくさんありパリの雰囲気に似てると思った。
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大学広場付近の街並み。大学広場とは地下鉄の駅名であり、ブカレスト大学に面している。
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大学広場付近の街並み
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大学広場付近の街並み
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大学広場付近の街並み
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大学広場の周辺にほんの少しだけ、こうしたパリのような街並みが残っていると思ったが、思ったより広い範囲でこうした街並みが残っていた。
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ブカレストの街並み。
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ブカレストの街並み。
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ブカレストの街並み。
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この川を渡ったところから街並みが新しくなってきた。
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統一大通りに出た。
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統一大通りの終点には国民の館が見える。これはチャウシェスクが巨額を投じて作らせた宮殿。
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統一大通り。国民の館から4Km伸びる大通り。パリのシャンゼリゼ通りと同じ幅、長さにしようとしたそうだが少し幅が広いそうだ。
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統一大通り。等間隔で石造をあしらった噴水がある。
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統一大通り。ブカレストで最も古い旧市街だったが、この道のため、多くの建物が破壊され、政府要人の豪華マンションが両サイドに建てられた。
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統一大通りからまた、旧市街に戻った。写真はパン屋さん。
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統一大通りと比べると人間の暖かさを感じるブカレストの街並み。
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教会の前。
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また違う教会があったが、ひとつの建物から牛や鹿に2つの角が生えるように2つの屋根があるが、これがブカレスト付近の教会の特徴か?
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革命広場。この広場にある共産党本部でチャウシェスクを称賛する会へ動員された10万人の人々の前でチャウシェスクの演説が始まった。
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革命広場。写真左が共産党本部。チャウシェスクの演説が始まってから、チャウシェスクに抗議する爆弾が2発爆発し、人々がパニック状態になり、これに大学生や市民が加わり抗議集会と転じた。
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革命広場と共産党本部。抗議集会に対して治安部隊が発砲。市民の不満は頂点に達し、軍の首脳も、群集へ発砲を命じて拒否した国防相を処刑したチャウシェスクに反旗を翻すものが出て、演説の翌日にチャウシェスクは妻エレナとルーマニア脱出を図った。
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革命広場と共産党本部。脱出を図った翌日チャウシェスクは逮捕され、その2日後銃殺刑され、その翌日は銃殺されたチャウシェスクの姿が世界に配信された。この映像はリアルタイムで見たが、独裁者の哀れな姿にかなりインパクトを受けた。
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革命広場前の向かいにあるクレツレツク教会と英雄の像であるが、何の英雄かはわからない。
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革命広場から統一大通りに向かう通り。歴史のある重厚な建物がたくさんある。
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革命広場から統一大通りに向かう通り。、
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革命広場から統一大通りに向かう通り。
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革命広場から統一大通りに向かう通りの横道のアーケード通り。
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ブカレストでよくあるタイプの教会。
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統一大通りに出て、左側を向くと巨大な国民の館が見える。
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国民の館から伸びる統一大通りには政府要人の豪華マンションとなっていた。現在は一般市民が住んでいる。
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国民の館から伸びる統一大通りの歩道。
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国民の館。チャウシェスクが贅の限りを尽くした宮殿。革命広場では、銃殺されたチャウシェスクの映像のイメージが強かったが、ここではコマネチが浮かんできて、この前でたけしのコマネチのポーズで友人と写真を撮り合った。ちなみにコマネチはチャウシェスクの次男の愛人にされるのが嫌で亡命をした。
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国民の館。建築物としてはペンタゴンに次ぐ大きさ。
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国民の館。今までは正面から見たところだが、側面からみた写真。
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国民の館の側面の塀。入場してチャウシェスクがどんな贅沢をしていたか見たかったが、見学するのに時間がかかるので、予約している列車のことを考えたら見送らざるを得なかった。
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ブカレスト・ノルド駅に戻ってきた。
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ノルド駅から10分程度の住宅街に今回宿泊したオバサンの家がある。
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今回宿泊したオバサンの家。
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この旅行記へのコメント (2)
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- まみさん 2009/07/30 12:39:00
- チャウシェスクが銃殺された当時は
- tawassanさん、こんにちは。
チャウシェスクが銃殺されたニュースは当時耳にし、インパクトがすごかったのは感じていましたが、当時の私は東欧にまーーーったく興味がなかったので、スルーしてました。
そんな私がルーマニアまで行ってしまったなんて、ふしぎ@
冬のブカレスト、雪が深くてすごいですね。
列車の切符売り場ではおつかれさまでした。
私のときは、もうちょっと愛想よいひとでした。
ノルド近くの売り場でないですが。
つづけざまにルーマニア国内全行程の切符をとったので、Big trip !と驚かれました。ちょっとうれしそうに。
- tawassanさん からの返信 2009/08/01 04:03:24
- RE: チャウシェスクが銃殺された当時は
- まみさん、こんにちは。
書き込みありがとうございます。
チャウシェスクは銃殺され遺体となった映像だったので、日本ではありえないし、それまで名前さえ知らなかったが、この映像で初めてその名を知り、強烈な印象だったので、時間があれば彼のゆかりの地をめぐり、独裁者がたどってきたことを見聞したかったです。
切符売り場のオバさんについては、お客さまへのサービス精神はまったくなく、自分の機嫌や気分だけで仕事しているので、これが独裁者が政治した名残ではないかとオバさんをみててチャウシェスクのことを思っていました。
冬のブカレストは霧が発生するし、雪も多かったが、ブカレストからさらに南のほうに行くともっと多くなり、ドナウで流氷のようなもの
をみたし、ブルガリアのヴェリコ・タルノボは雪景色がよく似合った街でした。
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