2008/03/13 - 2008/03/13
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フロッガーさん
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もう日が暮れた中、たどり着いたのが名草弁天です。名草弁天はここに祀られる厳島神社の別名です。足利七福神巡りの一つである弁財天を祀る場所でもあります。
麓の駐車場がある場所に大鳥居があり、その赤を見た後はひたすら色のない世界(笑)。特別、天井まで覆われた山の中ってワケではありませんが、鳥居をくぐるとちょっと空気が違います。この日は淡々と行程をこなしていただけだったので、最後の最後でこの雰囲気はやばいな〜といささかゾクゾクしました。
大鳥居から巨石群までは坂道を800mほど、時間にして20分弱を登ります。最初は緩やかな勾配ですが、途中から砂利道の林道みたいな感じになって一気にきつくなります(;´Д`A ```
社殿やら見えてきたあたりに別れ道になっていて、右に行くと巨石群と奥の院と書いてありました。とりあえず、社殿へ向かっていきましたが、見える石達が巨大・・・
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鳥居から800mほどで、神社に向かう道と奥の院(巨石群)に行く分かれ道に出ます。神社はもうすぐ。
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そして、大きな石の上に建つ神社が見えてきます。
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そんな左手には弁慶が割ったとされる石が。見事に真っ二つです(;´Д`A ```
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そして境内。右手の大きな石は・・・
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胎内くぐりをする模様。参拝してからと言う事で、神社に向かいました。帰りにくぐろうとするものの、真っ暗であまりに怖いので中止です(^_^;)
境内には、武蔵坊弁慶が錫杖を使って一突きして物の見事に真っ二つに割ったと言われる「弁慶の割石」があります。
一般的に、弁財天は池や海の水辺に祀られることが多く、山の中に祀られるのは珍しい物です。立っていた案内板には「弘仁年間(810〜824)に空海上人が白い大蛇の道案内により、清水の流れる大きな岩の前に出た大師は岩の前にすわり、経文を唱えて弁財天を勧請し祠を建て水源農耕の守護として弁財天を祀ったのが始まり……」と書かれています。元禄六年(1693)金蔵院住職が、領地検分の家老に弁財天宮の再建を願い出て
下附金3両でお舟岩上に石宮を建立したのが本宮であるとされています。
明治時代になって、廃仏毀釈で弁財天を祀ることができなくなってからは厳島神社を名乗る事になりました。 -
小さく見えますがかなり大きな社殿です。奥の院へは先ほどの別れ道を右手にまた登る様子。社殿の裏側にまわるようで、あまりに暗いのであきらめる事にしました(^_^;)
写真は無理やり明るさをあげていますが、実際はもっと暗い状況です。。。 -
左手に橋があって、渡って見ます。写真は渡ってから。振り返ると・・・
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山積み。この地は、大古から水成岩(堆積岩)の地層があった場所で、地下からマグマが盛り上がってきている状態からおよそ10万年の歳月をかけて、地表や地下で冷え固まることになり、石岩群の元となる直径約1.5kmの花崗岩体を形成したそうです。主な鉱物の組成は、石英が30〜40%・斜長石が33〜52%、カリ長石が16〜19%、黒雲母が6〜7%の花崗閃緑岩となります。この岩盤は、その後粗粒の花崗岩の節理(割れやすい石の部分にそって風化していき玉葱状にに割れて水に洗われ風化したのちに、中心部が球状に残留して、巨岩の累積した形となったと推測されています。
名草巨石群は、昭和14年に国の天然記念物に指定されました。 -
ということで、織姫神社に戻ってきます。織姫神社もライトアップされています。足利学校もライトアップされていますので、本当はそちらにもまた寄ろうと思っていたのですが。。。名草での登りに疲れ果ててここらで撤収になりました。やっぱり、予定候補地を回りきれない・・・今回も終わりです('A`*)ゞ
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夜桜ならぬ夜梅。後ろの青いのは、山頂側の駐車場からの参道になぜか光のカーテンがあったのです(?_?)
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織姫神社。
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